1-10 メイド服のプレリュード
――翌朝。天音宅。
窓から差し込む朝日が白いカーテンを透かし、柔らかな光が室内を満たしていた。鳥の声と、何処かから微かに香る焼き立てのパンの匂い。目を覚ました俺は、ぼんやりと天井を見上げ――次いで、隣に視線を向ける。
そこには、俺の腕に縋りつくようにして眠る天音の姿があった。乱れたシーツに白い肌が覗く。血の滲んだ皺が、昨夜の出来事を静かに物語っている。長い長い時間を経て、漸くここまで辿り着いたのだという現実が、妙に静かに胸へ落ちてきた。
「ふわ……せつくん、おはようございます」
天音が、まるで夢の続きを擦るような声で瞼を開けた。
「おはよう、天音」
「せつくん……夢じゃないんですね」
「俺はここにいるよ」
「初めてがせつくんで、私、とっても幸せです。まだ夢を見てるみたいです」
頬を紅潮させながら、天音は恥ずかしそうに笑った。俺はその頭にそっと手を伸ばし、純白の髪を優しく撫でた。天音は擽ったそうに目を細める。
――それにしても、あの、快活でよく笑って、真っ直ぐに物を言う天音ちゃんが。今は、どんな卑劣な命令にも従うよう躾けられた「メイド」として、この世界に立っている。
その変化の根に、自分の不在がある。そう思うだけで、胸の奥へ重たい錘が沈んでいくようだった。
「天音、取り敢えず服着な。風邪引くぞ」
「はい、せつくん」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
身支度を整え、食卓に着く。テーブルの上には、朝から場違いなほど豪勢な料理が並んでいた。サラダ、スープ、焼き立てのパン、果物。彩りも盛り付けも丁寧で、料理本の紙面のようだ。
「……張り切ったな」
「ふふ。せつくんに喜んでいただけるように、料理の練習、頑張ったんですよ?」
天音は嬉しそうに微笑む。その横で、俺は昨夜の戦闘で使ったスリングショットを手の中で弄んでいた。
スリングショット――Y字型の棹にゴム紐を張り、弾とゴム紐を引っ張って手を離すと、ゴムの反動を利用して弾が勢い良く射出される――所謂、パチンコだ。
「いただきます」
安全性の高い柔らかい弾を使用して玩具としても利用されるが、狩猟用の武器として用いられたり、大型のものは攻城兵器・カタパルトとして用いられたりするなど、十二分に武器と呼べる代物だ。
「これ、使いやすかったな」
視線をスリングショットへ落とす。重さ、ゴムの張り具合、手に馴染むグリップ。昨夜の混戦の中でも、思った以上に意のままに扱えた。
「せつくん、よろしければ差し上げます」
「いいのか?」
「はい。元はせつくんに再会出来たらお渡ししようと思っていたものです。せつくんの〈天衡〉は余り晒すものでもないですし、武器がなければ生きていけませんから」
「そうか、有難く貰っておくよ」
俺がそう答えると、天音は安堵したように微笑んだ。きっとこれも、八十五年の「もしも」の一つだったのだろう。再会できたら、これを渡したい。そんな小さな準備を、彼女は一つずつ積み上げてきたのだ。
「せつくん」
「ん?」
「私、せつくんと――お付き合いしたいです」
「――ぶふっ!」
あまりにも直球な言葉に、飲んでいたスープを盛大に噎せた。天音が慌てて立ち上がる。
「――す、すみません、せつくん!」
「い、いや、いいんだ、大丈夫」
胸を押さえながら咳き込み、どうにか呼吸を整える。その間も、天音の大きな瞳は一瞬足りとも俺から離れなかった。
「せつくん、私、本気でせつくんのことが好きなんです。お願いします。私を彼女にしてください」
真剣そのものの眼差し。冗談や憧れといった生易しい温度ではない。八十五年という時間を掛けて濃縮された想いが、そこにある。
――それに応える資格が、今の俺にあるのか。
胸の奥で、嬉しさと痛みが同時に鬩ぎ合う。好きだと言われて、嬉しくない訳がない。だが、その好意の上には、自分が与えた喪失が積み重なっている。
「……ごめん、天音」
絞り出すように口を開く。
「俺にその資格はないよ」
天音の表情が、一瞬止まった。目が大きく見開かれ――次の瞬間、ツー、と大粒の涙が頬を伝う。
「あっ……」
慌ててポケットからハンカチを取り出し、その涙を拭った。
「せつくん……私のこと、嫌いですか……?」
「そんなことはない。天音のことは好きだよ」
それは紛れもない本心だった。だからこそ、簡単に頷ける話ではなかった。
「でも、ごめん。天音を置いて自殺した俺に、『彼氏』を名乗る資格はない」
天音は椅子から立ち上がり、迷いなく歩み寄る。そして、そっと俺を抱き締めた。
「せつくん、辛かったですね」
耳元で、静かな声がする。
「大丈夫です。私はせつくんの味方ですから」
責めるでもなく、急かすでもなく、ただそこにいる。その優しさが、逆に胸へ沁みた。
「そう言えば……自殺した理由……聞かないのか?」
「はい。せつくんが話してくださる時まで、お待ちします」
まるであの日、公園のベンチで「逃げてもいい」と言ってくれた少女のように、今度は俺の逃げ場を一つ用意してくれている。
「……ほんと、狡いな、天音は」
力が抜けたように笑うと、天音も目尻を少しだけ緩めた。
「ありがとうな、天音」
「いえ……」
天音は俺の隣に腰を下ろし、真っ直ぐ視線を合わせてきた。
「せつくん、突然未来に飛ばされて、混乱されていますよね?これからどうされるかは、決めておられるのですか?」
「さあな、何がなんやらだしな……」
少しだけ肩を竦める。
「〈十傑〉でも目指してみるか……?」
「はい、せつくんならきっと大丈夫です」
即答だった。根拠の有無とは別のところで、天音はもう信じ切っている。
「……天音、その敬語、何とかならないのか?昔みたいに話したいんだが」
「ふふ、すみません。私もそうしたいところなのですが癖付いてしまいまして」
「まあ……慣れればいいか」
無理に変えろと言うより、その言葉遣いごと今の彼女なのだろう。
「天音、一週間くらいここで世話になってもいいか?新世界のこと、ユニークスキルのこと、出来る限り勉強してから旅立ちたい」
「もちろんです。私も、せつくんのことを〈出想エリア〉の皆さんにご紹介したいですし。……そうしましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「天音ちゃん、良かったわね。逢いたかった人に遭えたのね」
「ふふっ。はい」
村の広場。朝の柔らかな光の中、村人達が集まっていた。
天音は俺の腕にぴたりと寄り添い、嬉しそうに笑っている。あの日以来、彼女は本当に――笑ってしまうくらい、俺から離れようとしなかった。
「雪渚兄ちゃん!東條様倒したってほんと?」
「雪渚お兄ちゃん!鬼ごっこしよー!」
子供達が無邪気に駆け寄って来る。
後で聞いた話だが、東條芭硫幌は「陸軍大佐」という肩書きに胡座を掻き、この村でやりたい放題していたらしい。金品の強奪から強姦まで、枚挙に暇がない。そんな男を叩き潰したことで、俺は図らずも「英雄」扱いされていた。
「雪渚さんが来てくれて、本当に助かりましたぞ」
村長が、深々と頭を下げる。
「……いや、俺はただ、ムカついたから殴っただけですよ」
そう返すと、村人達は声を立てて笑った。
前の人生で、こんな風に自分の行動が誰かの安堵へ直結することは、なかった気がする。それが少しだけ、擽ったかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それからの一週間。俺は天音の声援を受けながら、〈出想エリア〉周辺の森で只管戦い続けた。訓練の相手は〈出想エリア〉の腕利きの青年達だ。
「雪渚さん!脇腹がガラ空きですよ!」
青年の木刀が俺の脇腹を目掛けて振り払われる。上体を反らし、間一髪でその攻撃を潜り抜けてバックステップ。そして、同時にスリングショットを撃ち放った。鈍い音を立てて、青年が尻餅を搗いた。
「いってて……いやー、降参です。雪渚さん」
「いい訓練になった。ありがとう」
差し出した手を、青年が苦笑混じりに掴む。
この一週間で掴んだのは、ただ身体の動かし方だけじゃない。相手の癖、間合い、視線、呼吸。前世で培った観察力と、今の身体能力を繋ぐ感覚だった。
「〈エフェメラリズム〉……手に馴染んできたな」
天音から貰ったスリングショットには、〈エフェメラリズム〉と名付けた。日本語で「刹那主義」や「享楽主義」を意味する言葉だ。今を切り取って撃ち抜くような感覚が、妙にしっくり来たのだ。
紙煙草にオイルライターで火を点け、フィルターを通して肺に煙を送る。そして思いっ切り煙を吐き出した。
「お疲れ様でした、せつくん」
天音が俺に歩み寄り、恭しく俺の手を取る。そして、俺の服の汚れをユニークスキルで浄化させてくれた。柔らかな光が全身を包む。
「ありがとう、天音。そろそろ行くか」
「はい、せつくん」
俺達が森を抜けると、視界の先にエーデルワイスの白い海が広がる。その手前に――村人達が、びっしりと並んでいた。
「「――雪渚ー!!天音ちゃーん!!」」
笑顔と涙が入り混じった声が、一斉に上がる。
「雪渚ー!!天音ちゃんを泣かすんじゃないぞー!!」
「雪渚さーん!天音ちゃんをよろしくなー!!」
「雪渚兄ちゃーん!必ず〈十傑〉に名を連ねて〈出想エリア〉の名前を売ってくれよ!」
「いつでも帰って来いよー!!」
「天音姉ちゃーん!!いつも遊んでくれてありがとー!!!」
子供達が全力で手を振る。老人達は目尻を下げ、女達は涙を拭き、男達は笑いながらも何処か名残惜しげに目を細めている。笑い声と嗚咽が混ざり合い、澄んだ空へと溶けていった。
天音は袖口で涙を拭い、それでも笑っていた。その笑顔は、あの春、公園で見せていたものと同じ色だった。その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。前世ではこんな風に、旅の門出を祝ってくれる人が果たしていただろうか。
「せつくん……私、この村、大好きです」
天音が、エーデルワイスの海を振り返るようにして呟く。
「そうだな……。またいつか、帰って来よう」
約束するように言葉を返す。
この村は、天音の帰る場所であると同時に、今の俺にとっても「初めて帰って来てもいい」と思える場所になっていた。
こうして俺と天音は、旅に出た。当てもなく。だが、まったくの無目的ではなく。
この世界を、自分の足で確かめるために。そしていつか――本当に笑って、最期を迎えるために。
「天音」
「はい、なんでしょう。せつくん」
「俺は……やっぱり次こそ後悔しない人生を送りたい。最期に笑って死にたい」
「はい、せつくん」
「そのために、本気で生きてみるよ」
「はい、せつくん」
天音の返事は、いつもと同じで丁寧で。けれど、その「はい」の一つ一つが、これからの日々を支えてくれる礎になる気がしていた。
白い花の海を背にして、俺達は歩き出す。これは逃亡の続きじゃない。漸く、自分の意志で選ぶ人生の、余りにも美し過ぎる前奏だった。
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