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弟君の受難  作者: roon
30/30

30. 帰還

これで、この作品は完結となります。

 イオナの部屋での一件から一週間が経過し、ちょうどテミスリートの体調が粗方整った日の朝、後宮へエルディックとナディアの帰還が知らされた。

 その報を聞き、テミスリートはナディアとエルディックの好きな焼き菓子を作成することにした。


「これ、混ぜるのか?」

「うん。でも、あまり強く混ぜちゃ・・・っ」

「うお!」


 最後まで言い切る前に、横から卵と砂糖の入り混じったものが飛んできて、テミスリートの顔に当たった。振り向くと、イーノが顔中に粉やら卵やらを貼り付け、渋い顔でボウルを睨みつけている。


「思いっきりするからだよ」


 慌ててタオルを取り、イーノに渡す。ゴシゴシと顔を拭くイーノの前に置かれたボウルを見、テミスリートは苦笑した。

 ボウルはほぼ空になっている。


「・・・もう一回、最初からしようか」

「・・・材料とってくる」


 顔を拭き終わり、イーノはすぐさま材料を保管している棚へと向かった。


「卵割らないようにね!」


 後姿に注意をし、テミスリートは自分の持ち場へと戻る。タオルで軽く顔を拭き、軽く息をついた。


「(何で、突然お菓子作るなんて言い出したんだろ?)」


 今朝、テミスリートが菓子を作る準備を始めた途端、『俺もやる』と言いだしたのだ。エルディックたちが帰ってくるのは夕方なので時間もあるし、作らせてみようと思ったのだが、材料の小麦粉を頭からかぶるわ、卵は持った瞬間握りつぶすわ、計量用の秤は壊しかけるわでなかなか進まない。ようやく混ぜる段階までいった現在、もう昼にさしかかっている。

 本人が楽しそうなので、まあ良いのだが。

 夕食用のパイ生地を仕込みつつ昼食の準備をしていたテミスリートは、材料を持って戻ってきたイーノが真剣にレシピの写しに目を通しているのを横目で見、忍び笑いを漏らした。


「(だいぶ、読めるようになったな)」


 最近、イーノは難しい単語や見慣れない単語を除いて大体の文が読めるようになった。辞書も与えているため、読める単語も続々増えている。あとは実践のみである。


「(そのうち、料理も教えないとね)」


 魔物であるイーノには食事の必要はないが、嗜好品の類になるのか喜んで食べている。作り方を知っていれば自分で好きなものが食べられるようになるだろう。

 そんなことを思い、テミスリートは傍らに置いておいたハーブの入った小瓶を取り、持ち上げた。


「・・・・・・!?」


 小瓶が手から滑り落ち、床に当たって鈍い音を立てた。

 今だレシピに目を通していたイーノがハッと顔を上げ、床に目を向ける。そして、目を細めた。


「大丈夫か? あんたにしちゃ珍しいな」

「手が、滑ったみたい」

「箒とか持ってくる」

「ありがとう」


 苦笑して割れた瓶を片付け始めるテミスリートをちらりと見、イーノはその場を離れた。

 大きな破片を注意深く集めつつも、テミスリートは内心呆然としていた。


「(今の・・・何で・・・)」


 小瓶を持った手から急に力が抜けた。普段なら起こりえない、以前経験したことのある感覚に、一瞬背に寒気が走る。


「(・・・・・・まさかね)」


 頭の端に浮かんだことを、テミスリートは頭を振って追い出した。

 多分、考えすぎだ。最近力を使う機会が多かったから、まだ本調子ではないのだろう。

 そう自分に言い聞かせ、テミスリートは大きな破片をバケツへと入れていく。

 先ほどの考えはあくまでも可能性でしかない。しかし、不安は完全には拭えない。


「(・・・いつまで、一緒にいてあげられるのかな・・・)」


 ため息をつき、作業を続けていると、イーノが箒とちりとりを持って戻ってきた。


「ありがと、イーノ」


 努めて明るく言い、テミスリートは箒を受け取り、床を掃いた。イーノがちりとりを持って座る。そして顔を上げ、眉を顰めた。


「どうした?」

「ん?」

「何か、泣きそうな顔してる」

「(!)」


 言われて、感情が表に出なかったのは幸いだった。

 テミスリートは困ったように微笑んだ。


「いや、普段失敗しないから、少し情けないなと思って」

「そうか」


 イーノは特に追求せず、床に視線を落とした。

 二人はしばらく無言で片づけをし、周りに落ちているものが無くなった所で手を止める。


「ありがとう、イーノ。後は自分でやるからいいよ」

「捨ててきてやる。あんたはそこにいな」

「え?」

「・・・まだ、一応病み上がりだからな」


 ちりとりとバケツを持って厨房の奥へと去っていくイーノの後姿に、テミスリートは目を丸くし、次の瞬間ふわりと顔を綻ばせた。


「(ありがとう・・・)」


 傍らで自分のことを気にかけてくれる存在がいることが、何にも代えがたいほど嬉しい。先程の不安を吹き飛ばすほどに、心の中が暖かさを増す。

 こんな日々が続いてくれればいいと、テミスリートは切に思った。




「――― でな、レーニア湖を遊覧したのだが、その時にナディアが私に冷えた果物を勧めてくれてな、目の前で剥いてくれたのだ。本当に嬉しかった」

「・・・そう・・・ですか」

「その後にな、フォークに挿したそれをわざわざ口元まで運んでくれたのだ。そのときのナディアの愛らしいことといったらもう・・・っ」

「・・・・・・楽しかったようで、何よりです」


 完全に月が真上に来る頃、新婚旅行前にしていたようにエルディックが部屋を訪れたのだが、ずっと堪っていたかのような惚気の応酬にテミスリートは半ばげんなりしていた。眠気覚ましも兼ねて、冷めてきた紅茶を軽く口に含む。


「(結局、ゆっくりできなかったなぁ・・・)」


 エルディックがいないうちに休暇をゆっくり過ごそうと思っていたのだが、イオナやイーノとのやり取りでそれは叶わなかった。

 しかし、大変ではあったが結構楽しかったと、今振り返れば思える。

 イーノが作った、少しいびつなガレットを割って口に入れて味わいつつ、テミスリートは今夜から始まったエルディックの惚気に付き合うのであった。


 今まで読んでくださり、ありがとうございました。

 登場人物の小話・小ネタを『アトランド国シリーズ設定集』に載せています。興味のある方はそちらも覗いてみてください。

 現在、続編の『側室殿の苦悩』を連載中です。よろしければこちらもどうぞ。

 

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