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新生  作者: 古森潤
新生
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「私の見立てから言わせてもらうと、渡辺さん、あなたのその不安は見当違いのものでしょうね。」


「え?」


 そんな私のセンチメンタルでメランコリーな気持ちを一蹴したのは小島さんだった。白衣を着てないがこの人は本当に医者で、責任者なのか。私の疑いの目を知ってか知らずか、彼は滔々と話し続ける。


「あなたの記憶は脳の手術の際のショックで一時的に飛んでいるだけにすぎません。いいえ、とんでいるという表現も似合わない。ただ単に記憶の入った箱に脳が蓋をしているに過ぎないのですよ」


「だからこの家に連れてきたのです。この場所は手術前あなたが過ごしていた場所です。記憶にはなくとも身体のどこかで覚えていたのでしょうね。だから錯乱せず、今私たちとこうして話ができている」


「記憶が完全に戻る間、あなたにはここで過ごしてもらいます。二階の他の部屋を見ましたか?鍵がかかっていたでしょう? 私がかけました。今のあなたがすべて見るのは危険なので」


「あなたの状態に合わせて、今後一部屋ずつ開けていくことにします。そうやって少しずつ、記憶の箱の蓋をずらしていけばいいでしょう」


「……はぁ」


 開いた口が塞がらないとはこのことか。早口でこちらの反応を気にせずにしゃべり続ける小島さんについていけない。思わず他の三人の様子をうかがう。若林さんは額を押さえて、思わずといったようにため息をつき、雲母坂さんは我関せずといった様子で爪を眺める。越前さんも遠い目で天井を見つめていた。


「んんっ!」


 たまらずといったように咳払いをした若林さんに注目が集まる。さすがの小島さんも黙って困り眉の若林さんを見た。


「そうだね、あとでもう少し詳しく説明はするけど、これから風花ちゃんにはこの家に住んでもらうことになるの。急でごめんね。でもここ結構立地もよくて駅チカだから、通学にも困らないと思う。実際手術前も困ってなかったし」


「そうなんですね。分かりました」


 人は第一印象が大事とよく言うがそれをまざまざと実感している。小島さんと同じことを言っているはずなのに、若林さんが言うと一気に信頼に足る情報のように聞こえるから不思議だ。

 それにわたしには断るという選択肢もない。断ったところで行く当てもないし、頼ることのできる両親の存在の有無でさえ分からない。だから了承するほかなかった。


「それで、肝心の手術のことなんだけど…… ごめんね、小島さんストップが入っているから表面的なことしか教えてあげられないの」


 若林さんはじとりとした目を小島さんに向けた。それにつられ私も小島さんを見るが、当の本人はどこ吹く風というように窓の外を見ている。


「……はぁ。本当にごめんね。」


「風花ちゃんは高校二年生になりたての頃から、ストレス性の後天性脳障害に悩んでいたの。日常生活は問題なく送れて入院するほどでもないけど、いつ倒れるかは分からない。でも倒れちゃったら命にかかわる、そんな病気ね」


「普通に生活を送りたいっていう風花ちゃんの要望もあったし、ストレッサーから距離も取った方がいいっていう医師の判断もあって、病院に近いこの家で過ごしてたんだよ」


「そんな中、七月二十九日に風花ちゃんの限界がきた。すぐに病院に運ばれて、脳の手術を受けてもらったの」


 なるほど。どこが表面的かという情報量の簡潔かつ分かりやすい説明である。そういえば小島さんも私がここで暮らしていたということは言っていた、気がする。あんまり覚えてないが。

 それと、若林さんの話しぶりからするにストレッサーとは親なのだろうか。距離を取って一人暮らしと言われると、そうとしか考えられなかった。

 そういえば若林さんはよく謝る人だ。今日ここにきて少ししか経ってないのに何度彼女のごめんねを聞いただろう。越前さんに至っては声すら聞いてないのに。


 ダメだ、一気に多くのことを聞いたからか、思考がまとまらない。何か一つのことに対して考えようとしても、派生して違うことにとんでしまう。

 サンカヨウを眺め気を紛らわす。視界の端で若林さんが口を開こうとしたのが見えた。これ以上しゃべらないでくれ。そんな私の願いをよそに若林さんの声が耳に入ってくる。


「起きてすぐのところ悪いんだけど、この後病院行くことになってるの。受けてほしい検査がいくつかあって。もう病院着だから着替えなくても大丈夫だよ。このあとは雲母坂さんと越前さんの指示に従ってね」


「若林さんは行かないんですか?」


「あぁ、私は小島さんと今後についての話があるから」


 そう言って若林さんは早々にその場を立った。小島さんに至ってはもうリビングにいない。言いたいことしか言わずに去っていく姿は、もはやすがすがしい。

 てっきり四人で行くものだと思っていたので、拍子抜けである。雲母坂さんと越前さんの三人きりというのも気まずい。そんな私の気持ちを察してか、若林さんは


「私も検査が終わったあたりで合流するよ」


 と言ったが、それはなんの気休めにもならなかった。目前の事態の解決にはならないからである。行かないでくれと私の痛切な願いに反し、若林さんは他二人に軽く会釈してリビングを、そしてこの家を出ていった。開いた窓から車のエンジン音が聞こえてくる。

 そして残された三人。完全なる沈黙である。一陣の生ぬるい風が通り過ぎ、サンカヨウの甘い香りを漂わす。そうして、意外にも口を開いたのは越前さんだった。


「……これはサンカヨウ?すごいね、鉢でこんなにきれいに咲くんだなぁ。しかも花びらも透明だなんて。相当根気強く水をあげたんだね」


 低めの優しそうな声だった。しかし、内容には何一つ共感できない。花についての知識がなにもないから咲き方もなにもわからないし、水だってどちらかというと私はしびれを切らしたほうだ。曖昧にうなずく程度にとどめておいた。

 一向に話の弾む気配のない私たちに我慢の限界が来たのか、それとも今まで本当にこの空気に気が付いていなかったのか。やっと雲母坂さんが口を開く。


「あぁ、これがサンカヨウ? 私初めて見たかも! 水をやると花びらが透明になるやつですよね~」


「そうだね。育てるのが難しくて、一定の条件下じゃないとなかなか透明になった姿は見ることができないんだ。ここらへんだと……県立の足立植物園とかなら見ることができる」


「越前さん詳しくてウケるんですけど。自然系男子狙ってます? でもこの前ニュースで品種改良云々で簡単に育てて、簡単に透明に!みたいなのやってませんでしたっけ?」


「やってたなぁ。まぁさすがにその品種かもしれないね」


 思ったより二人の仲が良くて、私の気まずさが増す。でも確かにこの二人は一緒に手術をする仲だ。気まずいというほど話したことない間柄ではないのだろう。頑張れ私、それとなく会話に混ざるのだ。変に動悸の止まらない心臓をおさえ、自身を鼓舞する。


「水、そんなに我慢強くあげた覚えがないので、私もそのサンカヨウは品種改良されたのだと思います」


 二人の目がぎょろりとこちらを向いた。ああ、なんて恐ろしい!


「だよねだよね!風花ちゃんもそう思うカンジ?てか、風花ちゃんがお水あげたんだ。起きてすぐで混乱してただろうに、偉いね~」


「置いてあった手紙に水やりしてって書いてあったので。ここだけじゃなくて、階段とか廊下にも」


「この家全部の鉢にやったのかい?そりゃすごいなぁ」


 まさしく、餌を待っていた魚のような食いつきぶりである。もしかしたら私が話し出すのをこの二人は待っていたのかもしれない。そう考えるといい人達である。我ながらちょろいと感じるがもうこの人達のことが大分好きになった。

 しばらくそうやって談笑していた。テレビの上にかけてある丸い時計が九時前を示している。長い間話していたな、と時間を意識してすぐに空腹を感じる。起きてまだ何も口にしていない。のども乾いた。

 私が会話の外に注意をそらしている間に越前さんが腕時計を確認したようだ。なにやら雲母坂さんに目配せをしている。そろそろ出発の時間なのかもしれない。越前さんが部屋を出ていった。


「じゃあ風花ちゃん、私たちもそろそろ病院に行こっか。検査室もそろそろ空くから」


「はい。歩きですか?」


「違うよ~ 一応風花ちゃんは患者さんなんだよ? さすがに歩かせるわけにはいかないって。今越前さんが車取りにいったんだよ」


 そう言って私の背中をグイグイ押してくる。さすが看護師というべきか、力が強かった。風すらもそれを手伝うかのようにカーテンをはためかせ吹いている。部屋の窓は閉めなくてもいいんだろうか。泥棒とかこないのかな。そんな疑問をよそに私たちは家を出た。


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