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新生  作者: 古森潤
新生
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 突然家のチャイムが鳴った。


「うわっっ! びっくりしたぁ」


 自分と蝉の音しかなかった空間にほかの音が増える。いったい誰なんだろうか。今尋ねられても自分は何も分からない。相手を困らしてしまうだけになる可能性の方が高い。出るべきか悩む間にもう一度チャイムが鳴る。

 確認するだけ、とインターホンを見た。そこには白衣やスーツを着た人間が複数立っていた。

 そういえば手紙にしばらくしたら医者が来るかもと書いてあったことを思い出す。その人たちかもしれない。インターホンの通話ボタンを押した。


「おはようございます。奈良県立葛総合病院のものです。」


「……! はい。待ってください。すぐに玄関開けます。」


 やはりそうであった。しかし葛総合病院。聞いたことはない。覚えていないの方が正しいかもしれないが。玄関へと向かう。

 そういえば私に両親はいるのだろうか。暫定私の家であるこの場所にいないとなると、私は一人暮らしをしていたのだろうか。一戸建てに高校生一人で住むのはいささか贅沢すぎる気もするが。光熱費や水道代、電気代に食費、気になることを考え始めたらきりがないが、今は病院の人の話を聞くのが一番である。玄関の扉を開けた。


「……おはようございます。えっと、中へどうぞ?」


 ゆっくりと開けたドアの先には大人が4人。画面越しでは見えなかったが、白衣を着た人とスーツを着た人のほかにもう一人ナース服を着た人もいた。

 大人たちは軽く会釈をして、ぞろぞろと私の後ろをついてくる。こんなにもリビングまでが長く感じるなんて! 自然と足取りが重くなる。背中に冷や汗が伝う感覚があった。

 そしてリビングについた後、ナース服の人は窓近くのソファに座り、スーツの人は入ってきた扉付近に立つ。白衣の人はテレビの前に座り、もう一人は悩んだ末にナース服と反対のソファに座る。ありがたくも私一人が座れるくらいの空間を開けて。目が覚めた時とは別の恐怖がある。

 しかしどれだけ恐ろしくも一応彼らは客人なのである。私がもてなさないといけないのか、と謎の使命感にかられてキッチンへと向かった。


「あーっと……麦茶とか用意しますね。まあ私記憶ないんであるのかも分からないし、あったとしても飲めるかも知らないんですけど。その前にコップ探さなきゃか。はは」


 なぜ子供の私が気を使わないといけない。一応何らかの病人ではないのか?いい大人が何をしているんだと心の中で不満を垂れる。そうして冷蔵庫に手をかけたとき。テレビ前の白衣の女の人が口を開いた。


「ごめんね、気を使わせちゃって。ありがとう。でも大丈夫だよ。とりあえずここに座ってくれるかな。色々説明したいこととか聞きたいこともあるから」


 それをもっと早く言わないか。かといって座りたくはないが、指示を出されたならば座るしかない。私もソファに腰かけた。


「改めておはよう。体調は悪くないかな?」


「はい。今のところは元気です」


「よかった。記憶は不十分なところが多いよね。自分の名前とか思い出せる範囲で分かることがある?」


「いや、なにも。しいて言うなら……名前?渡辺風花が私の名前なのかなってくらいです」


「……そっか。わかった」


 そういって女の人はいつの間にか手に持っていたバインダーに何かを書いている。他の人も目を細めたり、目を合わせうなずきあったり。

 何か余計なことでも言ってしまったのだろうか。それとも私の名前ではなかったのかもしれない。とぼけてなかったことにしようと口を開こうとする。

 しかし女の人の方がはやかった。今度は彼女が自己紹介をはじめる。


「それじゃあ風花ちゃん。説明していきたいなって思うんだけど、その前にいったん私たちの自己紹介からするね。四人分だから急に全部は覚えれないかもだけど、ゆっくり覚えてくれたらいいから」


「まずは私から。若林雫っていいます。病院で心理カウンセラーをしているわ。手術前から風花ちゃんの担当をしていたの。忘れちゃったことに申し訳ないっておもわないでね。ゆっくり思い出してくれたらいいから」


 若林さんは優しそうな人だった。長い黒髪を一つに束ね、白衣を着ている。顔には優しそうな笑みが絶えず、にっこりしたときの右頬にできるえくぼがかわいい。


「そしてこちらが越前史郎さんと雲母坂美園さん。二人は風花ちゃんの手術を担当してくれた先生だよ。越前さんの方は医者にしては若めなんだけど腕利きの医師。雲母坂さんも見た目はこんなだけどベテランだから」


「もう! 若林さんったら。私のモットーはいつでも心に平成ギャル。それが見た目に表れてるだけなんだって。こんなって言わないでっていつもいってるでしょ? あ! 風花ちゃんもよろしくね! 一応私あなたの担当看護師だから」


 茶髪でグリングリンに巻かれた髪の毛を一つにした雲母坂さんは、たしかに看護師には見えない。せいぜいナース服を着てコスプレをしている人である。まつ毛も瞬きのたびにばしばし聞こえそうだし、唇も揚げ物でも食べたのかと思うくらいのテカリ具合だ。

 反対に越前と呼ばれた人は雲母坂さんと比べるとどうしても弱そうなイメージを抱いてしまう。確かに体格はよく腕も太いが、白い肌に柔和な顔つき。なよなよという効果音が似合いそうな人だ。目が合うと人の好い笑みを浮かべて会釈をしてくれた。


「最後にこのスーツの人、小島蒼さん。この人はなんていえばいいのかな、今回の手術の責任者みたいな人だよ」


「…どうも」


 寡黙な人なのだろうか。一言だった。男性にしては高めの声である。

 先ほどの越前さんと比べ筋肉質ではなさそうだ。スーツ越しに浮かび上がっている線は細い。今時いるのかというくらい典型的なスーツの人である。きちんとワックスでかためられた七三分けと黒縁眼鏡をつけ、冷たい雰囲気をまとっている。他三人は私に向ける視線に温かみがあるが、この人は依然として厳しい目で私を見ていた。

 しかし、もう怖くはない。人は往々にして名前のついてないものに恐怖を抱きがちだ。少なくとも私の中ではそうなっている。だから分かってしまえばもうこっちのものであった。

 そんな私の様子を横目で見て、若林さんは話し始める。


「まずは、朝起きて記憶がないのにここに一人にしちゃってごめんね。病院としても記憶がないまま目覚めることになるっていうのは分かってたんだけど……これしか手がなくて。不安だったでしょう」


「え、あの、まあはい。確かに戸惑いはしましたけど、何とかなったので。あ、ほら! 手紙とかもあったし」


 謝る若林さんを前に申し訳なさが勝つ。机に置きっぱなしにしていた手紙を前に掲げひらひらさせた。


「手紙…? ああ、それね。そういえばあなたをここに運んだ時に机にあったわね」


「はい。まあ記憶がないーって書いてあるので私のかなと思って勝手に読んじゃっただけなんですけど」


「ふふ、別に読んで大丈夫だと思うわ」


「それならよかったです。……あの、記憶がないのが分かってたってどういうことですか?その、手術のこととかも」


 若林さんは仏のような穏やかな顔で静かにうなずき、話してくれる。


「今日の日付って分かるかな?」


「え、今日? すいません、わからないです」


「そうだよね、ごめんね。今日は二〇五五年、八月五日。実は手術後風花ちゃんが目を覚ましたのは今日がはじめてではないの」


「本当は三日前。八月二日、病室のベッドだったわ。でもその日の風花ちゃんも何も覚えていなくて、錯乱状態だった」


「私たち総動員でかかって、それでやっと落ち着いてくれたのよ。これ以上混乱させないようにって翌日詳しい説明をする予定だったわ」


「でも次の日、八月三日のあなたも何も覚えていなかった。前の日と同じく錯乱状態。次の日の四日もそうだった」


 部屋のカーテンと窓は私の気付かぬうちに開いている。場所的に開けたのは雲母坂さんだろうか。蝉の声が耳障りで仕方がなかった。差し込む明るい日差しと対照的に部屋の空気は暗い。やけに高い若林さんの声が浮いている。


「私たちとしてはこのまま病院で様子見して、何とかしたかった。でも、このまま毎日毎日錯乱状態だと風花ちゃんの身体にもよくない。だからここに寝かしてみることにしたのよ。小島さんがここなら錯乱状態起きないって言うから」


「精密検査とかは寝ている間にもう終わっていたの。現代の医術ってすごいのね。十年、いや二十年前かしら。その時だったら脳の手術をして数日で別の場所に移る許可なんて、絶対に下りなかったわ」


「ここまで大丈夫かしら?」


「……はい、なんとか。」


 正直理解は追いついていない。大丈夫なだけだ。だってその錯乱状態が続いていた記憶もない。なぜ今日はそんな状態に陥らなかったのだろうか。この場所は何なのか、どうしてここなのか。


 私は明日を、この記憶を抱えたまま向かえられるのだろうか。


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