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【完結】愛する人に会う為の旅は、一味違うようです  作者: 逆立ちハムスター


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7

私が思わず指差した先を、フワリ、フワリと漂っているのは、巨大な白いナマコのような生き物だった。

しかし、目も口も見当たらない。ただのっぺりとした白い円筒形の体が、波一つない深海を漂っているのだ。

さらに奥からは、赤、青、緑と、ネオンサインのように様々な色を点滅させながら泳ぐ、見上げるほど巨大なクラゲのような生物が通り過ぎていく。


「深海一万メートルを超えると、このような発光器官を持つ生物や、視覚を完全に退化させた生物が主流になるようです」

ティベリウス艦長が、私の視線に気づいて補足してくれた。

「ドワーフの記録によれば、これらはまだ序の口とのことですが……」


「これでも序の口なのね……。なんだか、宇宙にでも来てしまったみたい」


私はため息をつきながら、魔法瓶に入れて持参した温かいカモミールティーを一口飲んだ。

外は途方もない水圧と冷気の暗黒世界だというのに、船内は快適な温度に保たれ、美味しいお茶まで飲める。このギャップがたまらない。


さらに潜航は続く。


「深度、二万メートル(二十キロ)を超えます」

「機関長へ伝達。降下速度を現在の半分に落とせ。周囲の警戒を厳にしろ」

「了解、速度落とします」


ティベリウスの指示で、艦の沈むスピードがガクンと落ちた。

水深二十キロ。もはや私の常識の通用しない領域だ。速度が落ちたことで、窓の外の景色がより鮮明に見えるようになった。


「……何、あれ」


前方の視界に入ってきたのは、巨大な銀色のエビのような生き物の群れだった。

一匹の大きさが、軽自動車ほどもある。それが何十匹、何百匹と群れを成して、重機のような頑丈そうなハサミを振り上げながら、潜水艦の光を避けるように横切っていく。

そして、さらに私の度肝を抜いたのは、生物だけではなかった。


「艦長! 前方より、多数の障害物が接近!」

「ソナーに反応あり! こ、これは……岩です!」


「岩が……浮いているの?」


私は目を疑った。

深海のど真ん中、何もないはずの水中に、大人の背丈ほどもある『黄金に輝く岩』が無数に漂っているのだ。

いや、漂っているのではない。下から上へ、あるいは横から横へ、重力を完全に無視した不規則な動きで、海流に乗って弾丸のように飛んでくる。


「回避運動は間に合いません!」

「魔法障壁、出力最大! 衝撃に備えろ!」


ガンッ!! ガゴォン!!


凄まじい衝撃音が艦内に響き渡り、巨大な潜水艦全体がグラリと揺れた。

私は慌てて椅子の肘掛けにしがみつく。


「報告! 魔法障壁、健在です! 衝突した岩は、障壁に弾かれて後方へ流れていきました!」

「被害なし! 船体に異常ありません!」


「よし、そのままの深度と速度を維持しろ」

ティベリウスは冷や汗を拭いながら、安堵の息を吐いた。


「驚きました……。あの黄金の岩、魔力を帯びた特殊な鉱石のようです。水圧と魔力の反発で、浮遊しているのでしょう。魔法障壁がなければ、船体に大穴が開いていたところです」


「全く、恐ろしい世界ね……」


私は撫でおろした胸のドキドキを感じながら、窓の外で障壁に弾かれ、キリモミ回転しながら暗闇の奥へ消えていく黄金の岩を見送った。

もしこれが生身の人間だったら、あるいは普通の船だったら、一瞬で粉微塵になっていただろう。

50代の好奇心だけで来ていい場所ではなかったかもしれないと、ほんの少しだけ反省した。ほんの少しだけ、だが。



「深度、四万メートル(四十キロ)を越えます」


その報告があった直後、劇的な変化が訪れた。


「……明るい?」


それまで、照明の光しか届かない漆黒だった窓の外が、急激にぼんやりと明るくなってきたのだ。下から、まるで朝焼けのように、淡い純白の光が湧き上がってきている。


「照明を落とせ!」

艦長の指示で、魔光灯が消された。

それでも、外ははっきりと見えるほどに明るかった。


「何だあれは……」

操舵を握っていた船員が、驚愕の声を漏らした。他の船員たちも、手元の計器から目を離し、スクリーンに釘付けになっている。


視界に飛び込んできたのは、まるで空に浮かぶ島のように巨大な「岩の山」だった。

いや、先ほど見た浮遊する黄金の岩が、ビルほどの大きさに成長したようなものだ。そんな超巨大な岩が、あちこちにゴロゴロと海中に浮遊している。

そして、その岩の表面には、見たこともないような奇妙な植物が群生していた。


淡い青や緑色をした半透明のシダ植物のような葉っぱが、ゆらゆらと水流に揺れている。

そして、その植物の先端からは、光り輝く「白い胞子」のようなものが、雪の結晶のように絶え間なく排出され、下から上へと昇っていっているのだ。

この純白の光の正体は、無数の発光する胞子が作り出す、幻想的な吹雪だった。


「巨大な岩を避けろ! 接触するな!」

「面舵いっぱい! 胞子の密度が薄いルートを探します!」


艦長と船員たちは、驚愕しつつもすぐさま仕事に戻り、巨大な岩と岩の間を縫うようにして潜水艦を操る。

幻想的で息を呑むほど美しい光景だが、岩にぶつかればタダでは済まない。私は、桜吹雪の夜桜を見上げるような心地で、その光景を目に焼き付けた。

前世で夫と行った、青森の弘前城の夜桜。あれも綺麗だったけれど、この深海の光の雪は、神々しさすら感じさせる圧倒的なスケールだった。


(お父さん、あなたもこの景色を、どこかで見たのかしら)


胸の奥が、きゅっと鳴る。

もしこの海の底に彼がいるのなら、一緒にこの景色について語り合いたい。そう強く願った。



発光する胞子の層を抜けると、再び世界は暗闇に包まれた。


「深度、六万メートル(六十キロ)に迫ります……」


船員の声が、どこか緊張でかすれていた。

再び点灯された照明だが、水深四万メートルまでの時とは明らかにおかしい。光量が足りないのだ。

照明が壊れたわけではない。光が、周囲の「圧倒的な水」と「何か得体の知れない圧力」に吸い込まれ、数メートル先までしか届かなくなっているのだ。


まさに、底なしの漆黒。

その光の届くギリギリの境界線を、ゆったりと、本当にゆったりと、巨大な影が横切った。


「……!」


私は息を呑んで立ち上がった。

それは、星型……いや、ヒトデのような形をした生き物だった。

しかし、スケールが狂っている。一つの腕の太さが、この潜水艦の胴回りほどもある。全体像を把握することすら不可能なほどの巨大生物が、何の音も立てずに、暗黒の海を漂流しているのだ。


「刺激するな。照明の出力を最低限に絞り、微速で通り抜けろ」

ティベリウス艦長が、囁くような声で命じた。

誰もが息を殺し、巨大なヒトデの脇を、まるで忍び足で歩くようにそっと通り過ぎる。心臓の音が、やけにうるさく感じられた。


永遠とも思えるような数十分が過ぎた。

ついに、待ち望んだ報告が艦内に響いた。


「深度、六万八千……六万九千……。まもなく七万メートル(七十キロ)!」

「ソナーに反応! 前方下方に、人工物らしき巨大な構造物を捕捉しました!」

「目当ての装置が見つかった地点に到達します!」


「よし……!」

ティベリウス艦長が、力強く拳を握りしめた。

「機関停止。姿勢制御バーニアのみで現在位置を維持。これより、目標地点の周囲探索へと移行する!」


「了解! 姿勢制御、手動に切り替えます」


ズン、と軽い振動があり、長かった降下の感覚が消え去った。

潜水艦は、暗黒の深海七万メートルという、途方もない世界で完全に停止した。


「総督。無事に第一目標地点に到着いたしました」

艦長が、誇らしげに私の方を振り返る。

彼らの制服は、極度の緊張と長時間の集中で、汗ばんでいた。


「ありがとう、艦長。皆様、本当に素晴らしい腕前だったわ」

私はハンカチを取り出し、彼らに労いの言葉をかけながら、スクリーンへと向き直った。


さあ、いよいよだ。

この途方もない深海の底で、何万年も稼働し続けているというドワーフの古代装置。

それが、私の夫へと繋がる道標なのか。それとも、全く別の未知への扉なのか。

老眼の全くない私の両眼は、暗黒の海に潜む真実を見極めようと、しっかりと見開かれていた。

限界深度まであとわずか十キロ。私たちの本当の探求は、ここから始まるのだ。

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