不思議に満ちた人生
前世で、ステイホーム期間中に夫と一緒にハマった、ジグソーパズルの知識を総動員してみる。
ジグソーパズルの基本は、まず四隅のピースを見つけ、次に直線の縁を持つピースを繋ぎ合わせていくことだ。そうやって外枠を作ってから、中を埋めていく。
私は地図の海岸線や山脈の稜線を頼りに、複数の地図を頭の中で繋ぎ合わせてみようと試みた。
……だめだ。繋がらない。
隙間が多すぎる。そもそも、この地図には「四隅」や「外枠」という概念が存在しないのではないかと思えるほど、あらゆる方向に未知の領域が広がっているのだ。
混乱する私の目に、デスクの端に置かれた一つのオブジェクトが飛び込んできた。
それは、重厚な純金で造られた、羅針盤のような美しいオブジェだった。その台座には、美しい流線型の文字で、私自身——ルキアナの格言が刻まれていた。
『探求は片道切符』
その言葉を目にした瞬間、ルキアナとしての強い想いが、雷のように私の心を貫いた。
徐々に、そして完全に思い出す今世の記憶。
そうだ。この世界は、世界の果てがどこにあるのか、誰にも分かっていないのだ。
そして、私と夫ヴァレリウスは、生涯をかけて「世界の果て」を探し求めていた。それが、二人の共通の、最大の夢だった。彼が危険な探検に出たのも、貿易のためという名目はあれど、本質的にはその夢を追うためだったのだ。
デスクの隅に積み上げられた分厚い資料の束に目をやる。そこには、我が社の探検隊や、世界中の商人たちから買い集めた情報をもとに記された、既に「数万」に及ぶ国の名前が連なっていた。
数万、である。前世の地球の国が200弱だったことを考えれば、途方もない数字だ。
私は地図の束の下から、自身の筆跡で書かれたメモの束を引き抜いた。
そこには、長年の探求の末に行き着いた、この世界に対する私の考察が記されていた。私は、震える指でその文字の一部をなぞるように読んだ。
『地上には東西南北という概念はあるが、どこまで行っても地上が続いている』
『地平線の向こうへ何十年進んでも「果て」に辿り着けない。それどころか、出発地点に戻ることは、引き返さなければ叶わない。すなわち、この世界は球体であるという確証すらない』
『空も海も自然も国も、人々も存在するが、足を踏み入れるたびに、全ての景色、種族が異なっている。見たこともない植物、想像を絶する生物、そして独自の進化を遂げた人間たち』
『地上の文明同士はあまりにも大陸が離れすぎているため、互いの存在を知らないことすらある。星の数ほどの文明が、己の島や大陸だけが世界のすべてだと信じて生きている』
『「世界の果て」は、多くの地域で宗教や伝説として語られているだけで、実際にその目で見た者は一人としていない』
『地上を一周できるのか、それともそもそもどのような形状をしているのか、全貌を予想することすら不可能なほど広い。無限に広がる平面なのか、それとも途方もなく巨大な球体なのか』
『仮に、神々が住まう天界や、悪魔が住まう地獄が存在し、それがこの地上と同様の規模であるとするならば、一体誰が、この世界のすべてを把握できるというのだろうか』
『私は今尚、この疑問の答えを、探し求めている』
読み終えた私は、ふうっと長く、熱い息を吐き出した。
「なんて……なんて恐ろしい世界なのかしら」
震える声で呟く。
果てがない。全貌が分からない。自分がどれほどの広さの世界の、どの位置にいるのかすら定かではない。
前世の地球儀をくるくると回して、「次はここに行こう」と笑い合っていた箱庭のような世界とは、根本から違う。ここは、文字通り「未知」が無限に続く、途方もない世界なのだ。
恐怖にも似た畏れを感じながら、私はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……あら?」
その時、私は強烈な違和感……いや、心地よい喜びに包まれた。
痛くないのだ。
前世では、あんな風に机に突っ伏して寝ようものなら、起き上がった瞬間に腰に激痛が走り、しばらく「いててて……」と声に出しながら腰をトントンと叩かなければ動けなかった。
立ち上がる時には、必ずと言っていいほど膝が「パキッ」と鳴り、鈍い痛みが走っていた。
それに何より、先ほどから細かな文字で書かれたメモを読んでいるというのに、腕を伸ばす必要が全くなかった。ピントがバッチリ合っている。
老眼がない。腰痛がない。膝痛がない……!
「嘘、信じられない。体が、羽みたいに軽い……!」
私は、重厚なベルベットのドレスを着ているにもかかわらず、その場で軽くステップを踏んでしまった。
ルキアナの体も50代半ばのはずだが、この世界の人間は基礎体力のようなものが根本から違うのか、あるいは最高の栄養と環境で鍛え上げられた肉体だからなのか。
前世で私を苦しめていた、加齢によるあちこちのガタが、見事にリセットされているのだ。
不思議に思いつつも、私は総督室の中心で、一人で声を上げて笑ってしまった。
若返ったわけではない。けれど、どこも痛くないだけで、これほどまでに心が軽く、前向きになれるなんて。
ふと、窓の外を見た。
カーテンの隙間から見える空は、前世で見たどんな空よりも高く、澄んだ青色をしていた。
この健康で軽い体に、私の魂が宿った。
だとするならば——行方不明になっているという今世の夫、ヴァレリウスの体の中には、あの列車で共に神隠しに遭った、私の『前世の夫』の魂が宿っているのではないだろうか。
根拠なんて一つもない。ただの女の勘、あるいは希望的観測だった。
けれど、そう考えると、恐怖すら覚えたこの無限の世界が、急に魅力的なものに思えてきた。
「どうせなら、探しに行ってみましょう!」
私は、デスクの上の羅針盤のオブジェを手に取った。
前世でも今世でも、私は無類の旅行好きなのだ。
膝の痛みも、腰の痛みも気にせずに、無限に広がる未知の世界を旅することができる。しかも、西パンゲア貿易会社総督という、潤沢な資金と権力のおまけ付きで。
夫を探すという大義名分を掲げた、前代未聞の超長期・超広範囲の夫婦旅行。
悪くない。全然、苦痛なんかじゃない。
むしろ、早く出発したくてウズウズしている自分がいる。
「待っててね、お父さん。いや、ヴァレリウス。世界の果てだろうがどこだろうと、必ず見つけ出して、一緒に美味しい駅弁……ではなく、ご当地グルメを食べるんだから」
決意を新たに、私は分厚いベルベットのカーテンを勢いよく引き開けた。
眩い陽光が総督室に差し込み、私の新たな、そして果てしない第二の人生の幕開けを祝福しているように感じられた。




