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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第8章 『この生活圏は、もう俺の担当なのだろうか?』

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部屋に戻るために、少し外へ出る




 部屋というものは、たぶん人によって意味が違う。


 寝る場所。

 物を置く場所。

 趣味の基地。

 仕事場。

 逃げ場。

 世界との境界線。


 どれも間違っていないと思う。

 そしてたぶん、一人の人間にとっても、その意味はずっと同じではない。


 昔の俺にとって、この部屋はかなり強い意味で“逃げ場”だった。


 外が面倒くさい。

 人がしんどい。

 会話が疲れる。

 そういうものから、いったん全部切り離してくれる場所。

 ここにいれば誰にも合わせなくていい。

 何も判断しなくていい。

 部屋のドア一枚で、世界のノイズがだいぶ減る。

 それはかなり救いだった。


 今も、その性質が消えたわけではない。

 たぶん一生、完全には消えない。


 でも最近、少しだけ思う。


 この部屋はもう、逃げ場だけではないのかもしれない。


 戻る場所。

 整える場所。

 少し外へ出たあとで呼吸を揃え直す場所。

 そういう意味が、前よりだいぶ強くなってきた。


 そのことを、その日、俺は帰り道の途中でようやく言葉にできた。


---


 夕方。


 俺は商店街の端を一人で歩いていた。


 手には小さいレジ袋。

 中には富子に頼まれた調味料、父に頼まれた電池、それから自分のエナジードリンク。

 我ながら最近ほんとうに、“他人の生活の補充”と“自分の燃料補給”を同時にやることが増えた。


 今日は一日、そこそこ動いた。


 朝、ひなの支度。

 健太のけん玉。

 父の細かい用事。

 駅前の買い物。

 梅子さんに一回捕まりかけて、そこは半歩で回避した。

 凛とも少しだけ話した。


 どれも大事件ではない。

 大事件ではないが、その“小さい何か”がいくつも連なると、それだけで一日はちゃんと外側へ傾く。


「……ちょっと長かったな、今日」


 小さくそう呟く。


 商店街には、夕方の匂いがあった。

 惣菜屋の油。

 八百屋の段ボール。

 遠くのパン屋の甘い匂い。

 シャッターを半分閉め始めた店もあれば、これからが忙しい店もある。

 生活の時間帯だ。


 その中を歩きながら、思う。


 昔の俺なら、こういう“帰り道”にあまり意味はなかった。

 用事を済ませる。

 帰る。

 終わり。

 途中の道はただの移動だった。


 今は少し違う。

 帰る途中に、その日のことが少しずつ頭へ戻ってくる。

 誰に何を言われたか。

 何を直したか。

 誰がどんな顔をしたか。

 そして、その全部を持ったまま、自分の部屋へ戻っていく。


 その感じが、前よりずっとはっきりある。


---


 商店街を抜ける手前で、ふと会館の方が見えた。


 掲示板。

 小さい花壇。

 会館の前のベンチ。

 少し前までなら、あそこはもっと“近所の施設”だった気がする。

 今は、もう少し自分の生活に近い場所だ。


「ああ、太郎さん」


 声がして振り向くと、会館のおばさんだった。

 ちょうど扉を閉めるところらしい。


「こんにちは」


「今日もいろいろだった?」


 その聞き方が、妙に自然だ。

 何をしていたか具体的には知らない。

 でも、“いろいろだった?”で通じるくらいには、向こうの中でこちらの立ち位置ができている。


「まあ、少し」


「そういう時もあるわよねえ」


「ありますね」


「でも、太郎さん帰るとこでしょ?」


 その言葉に少しだけ引っかかる。


「そうですけど」


「なんか、そういう顔してる」


 そこまで顔に出てるのか。

 いや、たぶん疲れてはいない。

 ただ、一日分の生活を頭の中で少し持ち直している感じなのだろう。


「部屋戻ると、ちょっと整うんで」


 何となくそう返すと、会館のおばさんはやわらかく笑った。


「いいわねえ、そういう場所があるの」


 その一言が、その時はまだ軽く聞こえた。

 でもあとからじわっと効くことになる。


---


 住宅街へ入る。

 車の音が減る。

 家の灯りが少しずつ増える。

 夕方から夜へ変わる手前の、あの中途半端な明るさ。


 スマホが震えた。

 良子からだ。


『お兄ちゃん、今どこ?』


 この時間の“今どこ”は、だいたい何かしら生活の最終確認である。


『もうすぐ家』

と返す。


『了解』

『ひなが、おじさんまだかなって』


 俺は歩きながら少しだけ笑った。


『何だよそれ』


『今日はちょっといろいろ見てもらったからじゃない?』


 それだけではない気もする。

 でも、今はそのくらいの理由でいい。


『帰る』

と返すと、すぐ既読がついて、


『うん』

『じゃあ今日終わるね』


 という返信が来た。


 その言い方が、少し前なら変に感じたかもしれない。

 今はむしろ、妙にしっくりきた。


 今日終わる。

 たしかにそうだ。

 家へ戻って、袋を置いて、顔を見せて、それで今日が一段落する。

 そういう役割が少しずつ自分にできている。


「……終わる、ね」


 小さく呟く。


 始める。

 つなぐ。

 終える。

 そういう生活の接続点に、最近の俺は妙にいる。


 それは面倒だ。

 ほんとうに。

 だが、完全に嫌でもない。

 そこがいちばん厄介だ。


---


 家へ戻ると、玄関の灯りがついていた。


 ドアを開ける。

 富子が台所。

 父は和室。

 良子がリビング。

 ひながソファから顔を上げる。


「おかえり」

とひな。


「ただいま」


「まだかなって思ってた」

とひな。


「帰るって言っただろ」


「でも思うよ」


 その返しが、やけに自然だった。


 良子が笑う。


「お兄ちゃん、帰るってわかってても“まだかな”にはなるんだよ」


「何だその現象」


「生活現象」


 名前を雑に付けるな。


 袋を台所へ置く。

 調味料。

 電池。

 エナジードリンク。

 それぞれの位置へ戻る。


 富子が受け取りながら言う。


「ありがと。

 これで今日終わるわ」


 そこへお前まで重ねるのか。


 父が和室から短く言う。


「電池助かる」


「はいはい」


 ひながソファから言う。


「おじさん、ちゃんと帰ってきたね」


「帰ってくるよ」


「うん」


 その“うん”が、今日は妙に静かだった。

 安心の確認みたいな温度がある。


 そこでふと、さっきの会館のおばさんの言葉が戻る。


 そういう場所があるの、いいわねえ。


 たしかにそうなのかもしれない。

 部屋がある。

 家がある。

 戻れば少し整う。

 だから、外側で少しずつ役割が増えても、まだどうにかやれている。


---


 自室へ戻る。


 ドアを閉める。

 机。

 椅子。

 ベッド。

 読みかけの本。

 全部、いつも通りだ。


「はあ……」


 深く息を吐く。


 今日もそこそこ外にいた。

 家のことを見て。

 子どものことを見て。

 少し近所ともつながって。

 また戻ってきた。


 昔なら、“外にいたこと”の方へ強く意識が向いていたと思う。

 今は違う。

 むしろ、“戻ってきたこと”の方がしっくり来る。


「部屋に戻るために、少し外へ出る、か……」


 その言葉は、思っていたよりすんなり出た。


 逃げるためだけではない。

 もうそうではない。

 もちろん、この部屋は今も逃げ場だ。

 人に疲れた時、生活の密度が重い時、ここへ戻れば少し軽くなる。

 その機能は消えていない。


 でも、それだけではなくなった。


 外へ出て、役割をやって、少し疲れて、またここへ戻ってくる。

 その循環の中で、この部屋は“補給地点”みたいになっている。

 外と切り離す場所であると同時に、外へまた出るための場所でもある。


「……前は逆だったんだよな」


 前は、部屋にいるために外を避けていた。

 今は、部屋へ戻るために少し外へ出ている。


 その違いは大きい。

 ものすごく大きい。

 でも、変化の見た目はかなり地味だ。

 だからこそ、この作品らしいとも思う。


 就職したわけでもない。

 劇的に社交的になったわけでもない。

 ただ、自室を拠点にしたまま、前より広い生活圏へ少しずつ足を伸ばせるようになった。

 それだけ。

 でも、その“それだけ”がたぶん、この物語ではいちばん大事だった。


「……これでいいのかもな」


 小さくそう呟く。


 部屋にいることと、外へ出ること。

 前はその二つが矛盾していた。

 今はもう、完全には矛盾しない。


 戻る場所があるから出られる。

 出るから戻る場所の意味も強くなる。

 たぶん、それでいい。

 今の俺には、そのくらいの形が一番ちょうどいい。


---


 机の上のエナジードリンクを開ける。

 炭酸の音が、小さく部屋に響く。


「部屋に戻るために、少し外へ出る」


 もう一度言ってみる。


 きれいすぎる言い方かもしれない。

 でも、今はそれでよかった。

 自分のあり方を言葉にするなら、たぶんこのくらいの静かさが似合う。


 外を全部好きになる必要はない。

 部屋を捨てる必要もない。

 そのままで、少し広く生きられるなら、それで十分だ。


 そう思った時、今日一日の重さが少しだけましになった気がした。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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