自宅警備員は今日も生活圏を守っている
守る、という言葉は少し大げさだ。
いや、かなり大げさかもしれない。
守るというと、何かこう、もっと劇的なものを想像する。
危機。
襲撃。
ピンチ。
最後の一秒で飛び込んで、派手に助けて、全部終わったあとに風が吹く。
そういうやつだ。
少なくとも、玄関の鍵の置き場所を思い出すこととか、
子どもの忘れ物を見つけることとか、
商店街の掲示物の端を押さえることとか、
スーパーで料理酒を買って帰ることは、普通そのカテゴリに入らない。
だが、最近は少し思う。
生活というものは、そもそもそんなに派手ではない。
世界の危機なんてめったに来ない。
来るのはもっと小さいものだ。
少しの困りごと。
一拍の停滞。
誰かの“あれ、どうしよう”が、日常のあちこちで小さく発生する。
そして、その小さい詰まりを何となく流していくことが、もしかするとこの作品における“守る”なのかもしれない。
その日、俺は朝から晩までそのことを思い知る羽目になった。
---
朝。
下りた瞬間から、今日は妙に忙しい日だとわかった。
富子が台所で何かを探している。
父は和室の前で新聞をたたんだまま立っている。
良子はひなのバッグをひっくり返している。
つまり、生活のどこかで小さい詰まりが連続発生している日だ。
「お兄ちゃん、見てない?」
と良子。
「何を」
「ひなの図工ののり」
「知らん」
「昨日ここに入れた気がするんだけど」
テーブルの上を見る。
ノート。
筆箱。
ハンカチ。
ティッシュ。
その横の小さいポーチ。
「ポーチの横ポケット」
良子が見る。
ある。
「あ、ほんとだ」
「おじさん、いた」
とひな。
「いたよ。家なんだから」
富子がそこで振り向く。
「太郎、ついでにこれ開けて」
「ついでの意味がわからん」
ジャムの瓶だった。
たしかにふたが固い。
開ける。
終わり。
「はい」
「ありがと」
と富子。
父がそこで短く言う。
「あとで電球な」
「またかよ」
「切れる前に替える」
最近の父は本当に、“起きたついでに人を編成へ入れる”のがうまい。
「おじさん」
とひな。
「何」
「これも」
今度は名札の安全ピンだった。
少し曲がっている。
指で直す。
終わり。
「はい」
「ちゃんとしてる」
とひな。
「その評価便利だな」
そこへ、玄関が勢いよく開く。
「オレも来た!」
健太である。
タイミングまで完璧にうるさい。
「何だよ今度は」
「けん玉!」
「広いな」
「ひも取れた!」
朝から人類の課題が多すぎる。
健太のけん玉を見る。
ほんとうに玉の方のひもが外れている。
結び直すだけだ。
「座れ」
「はい!」
何だよその返事の良さ。
結んで渡す。
「ほら」
「うわー!」
毎回リアクションがでかいな。
「すげえ!」
と健太。
「普通だよ」
「おじさん、ほんと何でも直す!」
「何でもではない」
「でもだいたい!」
そこへ良子がぽつりと言う。
「なんか今日さ、朝から全部お兄ちゃん通ってるね」
その言葉で少しだけ止まる。
たしかにそうだった。
のり。
ジャム。
電球。
名札。
けん玉。
全部小さい。
全部、数秒から数分。
でも、その全部が“俺を通ると動く”感じになっている。
「……詰まりを流す係かよ」
思わずそう漏らすと、父が短く言った。
「それが守るってこともあるだろ」
その一言が、朝から妙に残った。
---
昼前。
駅前へ出る。
電球を買い、ついでに富子に頼まれた料理酒も取る。
文具店でひなの画用紙も買う。
最近の駅前は、ほんとうに“生活の延長”になってきた。
文具店を出たところで、美咲と母親らしき人に会った。
「あ、こんにちは」
と美咲。
「こんにちは」
「この前はありがとうございました」
と母親。
ああ、前に工作か何かで少し手を貸した時の件だろう。
「別に」
その“別に”が、もうだいぶ定型になっている。
「美咲がね、困った時すぐ“おじさんならわかるかも”って言うんですよ」
やめてくれ。
親の前でそういう共有をするな。
かなり効く。
「大げさですよ」
「でも本当です」
と美咲。
本人まで頷くな。
別れて少し歩いたところで、今度は商店街の掲示板の前で梅子さんに見つかった。
「あら、太郎さん。
ちょうどよかったわ」
その入りはもう様式美の域だな。
「何ですか」
「画びょう一つだけ足りなくて」
小さい。
だが、その“小さい”がこの作品では一番逃げにくい。
「はい」
手伝う。
終わる。
梅子さんが満足そうに頷く。
「ほんと助かるわあ」
「その一言で押し切るのやめてください」
「でも本当じゃない」
この人は最後まで文法が善意でできているから強い。
そこへ、通りかかった八百屋のおじさんが言う。
「太郎さん、今日はこっちか」
何だその“今日はこっちか”は。
職務巡回みたいに言うな。
「……そういう言い方されると困るんですけど」
「だってほんとにそんな感じだろ」
とおじさん。
「家のこと見て、子ども見て、商店街もちょっと見る」
読み上げるな。
担当表みたいにするな。
でも、その雑な分類が妙にしっくり来てしまうのが、嫌だった。
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夕方。
コンビニへ寄る。
エナジードリンク。
今日はそれだけにしようと思った。
ほんとうにそれだけに。
レジには凛がいた。
「いらっしゃいませ」
「……どうも」
商品を置く。
凛がレジを打つ。
ピッ。
「今日は一個ですね」
「今日はな」
「今日は、ってことは増える日もあるんですね」
「ある」
その会話の短さが、今は妙に心地いい。
凛はレジ袋を取らず、そのまま缶をこちらへ差し出した。
「今日ちょっと疲れてますね」
「またそこか」
「でも回ってます」
「最近その評価多いな」
「事実なので」
俺は缶を受け取りながら、朝からの細かい一日を思い返した。
のり。
ジャム。
けん玉。
名札。
電球。
料理酒。
画用紙。
掲示板。
画びょう。
ぜんぶ小さい。
でも、ぜんぶ生活だ。
「なあ」
と俺は言った。
「何ですか」
と凛。
「こういうのって、守るに入ると思うか?」
凛は少しだけ瞬きをした。
その問いが少し意外だったのだろう。
でもすぐに、あの観測する人の顔へ戻る。
「何がですか」
「家のこととか」
「子どものこととか」
「近所の細かいやつとか」
うまくまとまらないまま言う。
だが、凛はちゃんと拾った。
「入るんじゃないですか」
「そんな大げさか?」
「大げさじゃないです」
そこで凛は、かなり静かに続けた。
「止まらないようにしてるなら」
その言い方が、妙にきれいだった。
止まらないようにしてる。
たぶん、それだ。
朝の支度。
子どもの準備。
家の小さい故障。
商店街の掲示。
どれも、生活の流れが一瞬止まりそうになる場所だ。
俺はそこへ少し手を入れて、また流れるようにしている。
守る、というと大げさだ。
でも、止まらないようにする、ならかなり近い。
「……なるほどな」
思わずそう返すと、凛は少しだけ口元をやわらげた。
「だから、最強なんじゃないですか」
「何が」
「自宅警備員」
その一言で、こっちは一瞬だけ本気で止まった。
最強の自宅警備員。
その言葉は、今までだってギャグとして何度も転がってきた。
でも今日は少しだけ、違う重さがあった。
凛は続ける。
「部屋に戻る場所はそのままで、外もちゃんと回してるので」
それはたぶん、このシリーズの答えにかなり近い言い方だった。
「……お前、時々まとめ方がずるいよな」
「見てるので」
「便利ワードだなほんと」
「事実なので」
最後までそこへ戻すのかよ。
でも、その戻し方すら今は少しだけ好きだった。
---
家へ帰る。
玄関を開ける。
リビングの明かり。
富子の声。
和室のテレビ。
ひなのノート。
全部がいつもの家だ。
「おかえり」
と富子。
「うん」
「電球は?」
と父。
「ある」
「画用紙?」
とひな。
「ある」
「けん玉直った!」
と健太の声が廊下から飛んできた。
何でまたいるんだお前。
「お前まだいたのか」
「だって報告!」
このへんがほんとうに健太らしい。
「おじさん、今日もいろいろしたね」
とひな。
「そうか?」
「うん」
とひな。
「ちゃんと今日だった」
その言い方が、第9話を受けたまま、さらに今の俺に刺さる。
今日がちゃんと進んだ。
その中に自分がいた。
そういうことなのだろう。
---
夜。
自室。
椅子へ座る。
エナジードリンクを開ける。
炭酸の音。
静かな部屋。
「最強の自宅警備員、この生活圏を守っている……か」
口に出してみる。
ずいぶん大きいタイトルだ。
でも今日に限っては、少しだけしっくりきた。
世界は守っていない。
そんなの無理だ。
大事件も起きていない。
ただ、生活が少し止まりそうな場所を、ちょっとずつ流しているだけだ。
のり。
ジャム。
けん玉。
掲示板。
電球。
画用紙。
そういう小さいものばかり。
でも、人の一日はだいたいそういうものでできている。
「止まらないようにしてる、か……」
凛の言葉を思い出す。
かなり正確だった。
守る、というのは、たぶんこの作品ではそういう意味なのだろう。
壊滅的な何かから救うのではない。
今日がちゃんと今日として進むように、小さい詰まりをほどく。
その程度の、でも確かな役割。
「……それなら、まあ」
少しだけ笑う。
「最強の自宅警備員でも、いいのかもな」
最後まで少し照れくさい。
でも、完全に否定もしなくなっている。
たぶん、そういう受け入れ方でちょうどいい。
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