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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第8章 『この生活圏は、もう俺の担当なのだろうか?』

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おじさんがいると、ちゃんと今日になる




 人の一日は、案外小さい確認でできている。


 鍵を持ったか。

 ノートは入れたか。

 水筒はあるか。

 あの紙はどこだ。

 今の時間で間に合うか。

 そういう、声に出すほどでもない細かい確認の積み重ねが、その日の“ちゃんと”を作っている。


 だから厄介だ。


 大事件ならまだわかりやすい。

 転ぶとか、壊れるとか、遅刻するとか、そういうものは一発で問題だとわかる。

 だが生活は、もっと小さい。

 ちょっとした迷い。

 一拍の停止。

 どうしようかな、の半歩手前。

 そういうものがいくつも重なって、今日がうまく始まるかどうかを決める。


 最近、俺はそのへんに妙に関わることが増えた。


 自分では別に、そんな役割を引き受けた覚えはない。

 あるのは文句とため息くらいだ。

 それでも、朝の流れや、出かける前の空気や、子どもたちの小さい不安の中に、いつの間にか自分の席ができている。


 そのことを、その日、俺はひどく何でもない一言で思い知らされた。


---


 朝。


 一階へ下りた時点で、家はすでに今日を始めていた。


 富子が台所。

 味噌汁の匂い。

 父は和室の前で新聞。

 良子はひなの髪を結んでいる。

 ひなは鏡を見ながら少しだけじっとしていて、テーブルの上にはノート、水筒、ティッシュ、小さい巾着。

 生活の準備とは、だいたいこういう光景のことだ。


「お兄ちゃん、おはよ」

と良子。


「おはよ」


「太郎、ちょっと見て」

と富子。


 出た。

 朝一番の“ちょっと見て”である。

 最近ほんとうに、俺はこの家の“見る担当”になりつつある気がする。


「何」


「ひなの目覚まし、時間ちょっと合ってる?」


「知らん」


「見ればわかるでしょ」


 その理屈はやめろ。

 だが時計を見る。

 壁の時計と五分ずれていた。

 昨日の電池交換のあと、合わせ方が半端だったらしい。


「五分早い」


「あら」

と富子。


「じゃあ直して」


「何で俺」


「今見たから」


 最近ほんとうにそうだ。

 最初に見た人間へ、そのまま修正作業まで流れてくる。

 非常に良くない。


 だが、俺は目覚ましを手に取り、ボタンを押して時間を合わせた。

 そして元の場所へ戻す。


「ほら」


「ありがと」

と富子。


「おじさん、ちゃんとしてる」

とひな。


「その評価毎回だな」


「だってほんとだもん」


 そこへ父が新聞から目を上げて言う。


「切手は今日いらん」


「誰も聞いてない」


「念のためだ」


 念のためって何だよ。

 だがこの人も最近、こういう“生活の一言”が増えた。

 説明ではなく連絡。

 その短さが、今は妙に自然だ。


 良子がひなの髪を結びながら言う。


「お兄ちゃん、これどっちがいいと思う?」


「またか」


「最後だけ。

 リボンきつい方と、少しゆるい方」


「本人に聞け」


「聞いてる」

と良子。


 ひなが鏡越しに俺を見る。


「……きつい方」


「やっぱり」

と良子。


「でしょ」

とひな。


「何で俺に聞く前にもう決まってるんだよ」


「確認だよ」

と良子。


「お兄ちゃん見ると、ちゃんと決まる感じあるし」


 その言い方も、最近だいぶ増えた。

 今日の流れはもうこの時点でかなり嫌な予感がする。


---


 朝ごはんを食べていると、玄関が開いた。


「オレも来た!」


 健太である。

 朝から元気がうるさい。


「何でいるんだよ」


「公園行く前!」


「何でここ寄るんだよ」


「だっておじさんいるかと思って!」


 そこをそんなに当然みたいに言うな。


 健太は靴も脱ぎきらないまま、テーブルの端へ来た。


「おじさん、これ見て!」


 手には虫取り網。

 いや、まだ朝だぞ。

 どこからそのテンションが出るんだ。


「網がどうした」


「ゆるい!」


 たしかに接続部が少し緩んでいる。

 だが、それくらい自分の親に頼め。


「母さんは」

と俺。


「出かけた!」


「父さんは」


「知らん!」


 最後の回答が雑すぎる。


「……ドライバー」


 俺がそう言うと、健太がすぐに走る。

 どこへ行くのかと思ったら、俺の家の工具箱の場所を知っている顔だった。

 お前は何でそこまで把握してるんだ。


「はい!」


「早いな」


「だって、ここ!」


 ここ。

 つまり、この家、この工具箱、この流れ。

 全部がもう健太の中で“とりあえずおじさんルート”として定着しているのだろう。


 少し締める。

 終わり。


「ほら」


「やった!」


「それで今日の虫取り人生が変わるのか」


「変わる!」


 元気よく答えるな。

 その勢いが少しだけ羨ましい時もある。


 ひなが横から静かに言う。


「けんたって、来ると今日始まる感じするよね」


「お前もな」

と俺。


「おじさんも」

と健太。


「何でだよ」


「いると、ちゃんと始まるじゃん!」


 その一言を、その時はまだ冗談だと思っていた。


 健太は基本的に、言葉の重さをそこまで気にしない。

 勢いで投げて、勢いで走っていく。


「じゃあ行ってくる!」


 本当にそのまま走っていった。

 虫取り網を持って。

 今日も世界は平和だなと思う。


---


 昼前。

 良子とひなが出かける準備をしていた。


 英語教室だったか、何かの買い物だったか。

 最近はそのへんの予定がかなり生活の中に溶けているので、一つずつ記憶していると逆に疲れる。


 ひながバッグを肩にかける。

 良子が最後に中身を確認する。


「ノートある」

「ある」

「筆箱」

「ある」

「ハンカチ」

「ある」


 そこで良子が少しだけ止まる。


「……ティッシュ」


 ひながバッグの中を見る。

 手を入れる。

 少し間。

 それから、反射みたいに俺を見る。


「おじさん」


「何」


「ティッシュ入れたっけ」


「知らん」


「でもおじさん見た」


「万能じゃないんだよ俺は」


 だが、さっき朝の支度の時にテーブルの端へ置いてあったのを覚えていた。


「テーブルの左」


 ひながすぐ振り返る。

 見る。

 ある。


「あった」


「だろ」


「何でわかるの」

と良子。


「見たからだよ」


 当たり前だ。

 当たり前なのだが、この家では最近そういう“当たり前の観測”すら役割へ変換されがちである。


 ひながティッシュをバッグへ入れて、何でもない顔で言った。


「おじさんがいると、ちゃんと出かける感じになる」


 その言葉は、今度は健太の時と違って妙に静かだった。

 静かだったからこそ、かなり本気に聞こえた。


「……何だそれ」


 思わずそう返す。


「ちゃんと忘れないし」

とひな。


「迷わないし」

と良子。


「何で二人で重ねるんだよ」


「だってそうなんだもん」

とひな。


 ひなの“だってそうなんだもん”は、もうほぼ最終兵器に近い。

 盛っていない。

 本人の中で本当にそうだから、真正面から来る。


 良子は少しだけ笑ったあと、でも今日はからかいを少し抑えた声で言った。


「お兄ちゃん、いると今日が流れ出す感じあるんだよね」


 その整理はきれいすぎて困る。


「……大げさだろ」


「大げさじゃないよ」

と良子。


「“役に立つ”とはちょっと違うんだよ。

 いると、ちゃんと今日になるって感じ」


 そこで、さっき健太が勢いで言っていた言葉と、今ひなと良子が落ち着いて言った言葉が一本に繋がる。


 ちゃんと今日になる。


 それはたぶん、便利とか助かるよりもう少し深い。

 生活のリズムそのものに少し関わっている言い方だ。


「……重いんだよ、それ」


 ようやくそう言うと、ひなは首をかしげた。


「何で?」


「何でもだよ」


 説明できない。

 できないが、確かに重い。

 役に立つならまだ外側だ。

 でも“今日になる”は、中へ入りすぎている。


---


 午後。


 駅前へ出て、スーパーへ寄る。

 富子に頼まれた料理酒と、父に頼まれた小さい電球。

 ついでにエナジードリンク。

 最近ほんとうに買い物かごの中身が、他人の生活と自分の生存戦略でできている。


 レジを済ませて店を出ると、少し先に凛がいた。

 紙袋を持って歩いている。

 このくらいの遭遇頻度も、もうかなり日常だ。


「よう」


 声をかけると、凛が振り向く。


「こんにちは」


「買い物?」


「見ればわかると思います」


「もうそれ便利ワードすぎるだろ」


「事実なので」


 並んで少し歩く。

 風が弱い。

 空は少し曇っている。

 駅前通りの車の音。


「今日は何ですか」

と凛。


「料理酒と電球」


「かなり家です」


「最近そればっかり言うな」


「だってそうですし」


 そこで、何となく昼の言葉が頭へ戻る。

 ちゃんと今日になる。

 いると流れ出す。

 ああいうやつ。


「なあ」

と俺。


「何ですか」


「俺ってそんなに“今日を始める人”っぽいか」


 自分で言っていてかなり妙な質問だと思う。

 だが、昼からずっと頭の端に残っていた。


 凛は少し考えてから言った。


「始める、というより」

「ちゃんとつながる、じゃないですか」


「何が」


「朝の準備とか、出かける前とか、帰ってきたあととか」


 その整理も、かなり近い。

 やっぱりこの人は妙なところをちゃんと拾う。


「……お前までそう言うのか」


「見てるので」


「便利ワードで逃げるな」


「逃げてないです」


 凛はそこで、ほんの少しだけ声をやわらげた。


「でも、たしかにそういう位置だと思います」


 その言い方が、コンビニの店員としての観察でもなく、にぼし姫としての刺しでもなく、かなりまっすぐだった。


 そういう位置。

 生活の中で、今日をちゃんとつなぐ位置。


「……重いな」


 俺がそう言うと、凛は少しだけ目を細めた。


「そういうのは、軽い人には来ないと思います」


 その返しがずるかった。

 励ましているわけではない。

 持ち上げすぎてもいない。

 でも、ちゃんと受け取る側の言葉になっている。


---


 家へ戻ると、富子が料理酒を受け取り、父が電球を見て「これだな」と頷き、ひなは「おかえり」とだけ言った。


 その“おかえり”が、今日は少しだけ妙に聞こえる。


 良子が冷蔵庫の前から顔を出す。


「お兄ちゃん」


「何」


「今日のやつ、まだ気にしてるでしょ」


「何が」


「“ちゃんと今日になる”」


 こいつは本当に嫌なところへ気づく。


「別に」


「それ弱い時の別に」


 ひながその横で、まっすぐ言う。


「でもほんとだよ」


 ほんとうに、今日はそこを何度も重ねてくるな。


「おじさんいると、忘れないし」

とひな。


「聞けるし」

と良子。


「決まるし」

とひな。


「流れるし」

と良子。


「だから読み上げるなって」


 二人がこういう時だけ妙に息ぴったりなの、ほんとうに困る。


---


 夜。

 自室。


 椅子に座る。

 エナジードリンクを開ける。

 扇風機の風。

 部屋の静けさ。


「おじさんがいると、ちゃんと今日になる、か……」


 その言葉を、もう一度口に出してみる。


 かなり重い。

 かなりだ。


 助かるより重い。

 安心するより重い。

 役に立つより、もっと生活に近い。

 朝の流れ。

 出かける前の確認。

 持ち物。

 迷い。

 待ち時間。

 帰ってきた後の一息。

 そういう“今日”の細かい接続点へ、自分が少しずつ入っている。


「……そこまで来たのかよ」


 ぽつりとそう呟く。


 たぶん来たのだろう。

 それは急にではない。

 何度か見て、何度か答えて、何度か付き添って、その積み重ねでこうなった。


 だから、本物っぽい。

 そして本物っぽいから、簡単には流せない。


「面倒なんだよなあ……」


 そう言って、少しだけ笑う。


 面倒だ。

 とても面倒だ。

 でも、完全に嫌ではない。

 そこがやっぱり一番ややこしい。


 もし本当に嫌なら、“今日になる”なんて言葉にここまで引っかからない。

 だが実際には、夜の部屋でこうして反芻している。


「…こういう一言で締まっていくんだろうな」


 そう呟く。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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