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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第8章 『この生活圏は、もう俺の担当なのだろうか?』

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にぼし姫、お前は最初からいたんだな





 人との距離は、ある日いきなり変わるものではない。


 少なくとも、俺の人生ではだいたいそうだ。

 劇的な事件があって、雷に打たれたみたいに何かが変わる。

 そういうのは物語の中では強いが、日常の中では案外少ない。


 実際にはもっと地味だ。

 何度か会う。

 何度か話す。

 最初は妙に意識していたことが、少しずつ普通になる。

 普通になったあとで、逆に“あれ、これ普通じゃないな”と気づく。


 それがいちばん厄介だ。


 なにしろ、こちらが気づいた時には、もうだいぶ進んでいる。

 最初の一歩がどこだったのか、あとからうまく思い出せない。

 でも、たしかに積み重なっている。

 そして、その積み重ねが誰か一人に対してだけ妙に濃いと、人はようやくそこで“特別”の輪郭を見始める。


 にぼし姫。

 風間凛。

 この二つの名前の間にも、たぶんそういう積み重ねがあった。


 その日、俺はそれをかなり静かな形で思い知ることになった。


---


 夜。

 自室。

 机。

 ノートPC。

 扇風機。

 エナジードリンク。


 かなりいつもの布陣だった。

 この部屋へ戻ると、やっぱり一日の余計なざわつきが少しずつ下へ沈む。

 それは変わらない。

 むしろ、外側の生活圏が広がったぶんだけ、この部屋へ戻る意味は前より少し強くなっている気さえする。


「……入るか」


 そう呟いてログインする。


 白狼77。

 いる。

 にぼし姫。

 いる。


 この並びも、もう見慣れた。

 以前なら、この画面を開いた時点で少しだけ身構えていた気がする。

 今はもう違う。

 白狼77はうるさい。

 にぼし姫は刺してくる。

 その前提でわりと普通に入れる。


 すぐに白狼77が飛んできた。


『太郎、今日ちょっと遅いな』


『別に』

と返す。


『出た別に』

『最近その返し多いぞ』

と白狼77。


 にぼし姫が短く入る。


『今日は静かですね』


 その一言で、俺は少しだけ笑った。


『お前、そこ毎回拾うな』

と打つ。


『見てるので』

とにぼし姫。


『便利な言葉だな』

と俺。


『そっちも便利な言い訳ばっかりです』

とにぼし姫。


 そこへ白狼77が割り込む。


『何だよこの安定感』

『お前らもう漫才の型できてるじゃん』


『外野うるさい』

と俺。


『はいはい』

と白狼77。


 会話のテンポが、前よりずっと自然だ。

 いや、自然というより、もう生活に近い。

 ログインして、白狼77が雑に振って、にぼし姫が妙な角度から刺して、俺が面倒くさそうに返す。

 その流れがほぼ日課みたいになっている。


 それが妙に引っかかった。


『なあ』

と俺は打った。


『何ですか』

とにぼし姫。


『お前って、最初からこんな感じだったか?』


 白狼77が即座に反応した。


『何その聞き方』

『重いぞ急に』


『うるさい』

と返す。


 にぼし姫は少しだけ間を置いてから返した。


『どんな感じですか』


 そこを聞き返すのか。

 いや、にぼし姫らしいといえばらしい。


『こう……普通にいる感じ』

と打つ。


『前はもっと当ててきただろ』

『今は何か、もう生活の一部みたいな』


 送ってから、自分で少しだけ止まる。

 かなり本音だった。

 そして、かなり言いすぎた気もする。


 白狼77が大騒ぎし始めた。


『うわ出た』

『生活の一部だってよ』

『お前それ自分で言うのかよ』


『外野席は黙ってろ』

と俺。


 にぼし姫は意外とすぐには返さなかった。

 珍しく、少し長めに間が空く。

 その間が、画面越しなのに妙に濃い。


 やがて、短く返ってきた。


『最初からいたと思います』


 その一文で、今度は俺が止まる。


 最初からいた。

 その言い方は、かなり静かで、かなり強かった。


『何だよそれ』

と打つ。


『チャットにもいたし』

『生活圏にもいました』

とにぼし姫。


『そっちが気づくのが遅かっただけじゃないですか』


 その返しは、反論しづらいどころか、かなり正しい気がした。


 最初の頃の俺は、にぼし姫を“当ててくる相手”としてしか見ていなかった。

 凛のことも、“コンビニの店員”として妙に意識していた。

 でも実際には、その二つは最初からかなり近いところにいたのかもしれない。


 コンビニ。

 帰り道。

 チャット。

 生活の愚痴。

 買い物袋。

 疲れた顔。

 そういう、小さい日常のそばに、たしかにずっといた。


『……それは、まあ』

と俺が打つ。


『たしかにそうかもな』


 白狼77がそこへまた騒ぐ。


『はい出た』

『今日は素直祭りかよ』


『うるさい』

と返す。


 だが、白狼77の茶化しを抜いても、今の感覚はかなり本物だった。

 にぼし姫は、あとから突然現れた何かではない。

 最初から、生活の近いところにいた。

 こちらがそれを、変な角度からばかり見ていただけだ。


『お前さ』

と俺はもう一度打つ。


『何ですか』

とにぼし姫。


『最初からそこにいたんだな』


 また、少しだけ間が空いた。


 今度の返事は、短い。


『いましたよ』


 それだけ。

 でも、それで十分だった。


 白狼77が今度はわりと静かに言う。


『何か今日、いい感じに進んでんな』


 その言い方が少し可笑しくて、俺は小さく笑った。


『進んでるっていうか』

と俺は打つ。

『今さら確認してるだけだろ』


『今さらなのはほんとそうですね』

とにぼし姫。


『遅いです』


『うるさい』

と返す。


『でも、遅くても気づいたならいいんじゃないか』

と白狼77。


 お前がそういうまとめ方をすると、妙に腹立つな。


 だが、たしかにそうかもしれない。

 遅い。

 かなり遅い。

 でも、気づかなかったままよりはずっといい。


---


 チャットを閉じたあと、部屋は静かだった。


 扇風機の音。

 窓の外の虫の声。

 机の上の缶。

 いつもの夜。


 でも、そのいつもの夜の中に、今のやり取りだけが少し違う温度で残っていた。


「にぼし姫、お前は最初からそこにいたんだな……」


 思わずそのまま口に出す。


 チャットの相手として。

 コンビニの店員として。

 生活圏の中で何度も会う人として。

 疲れを拾う人として。

 返事の雑さに気づく人として。


 最初からいた。

 ずっと近いところに。

 そして、その近さがじわじわ積み重なって、今の“少し違う”になった。


「……そう考えると、かなり長いんだよな」


 ぽつりとそう呟く。


 派手な告白はない。

 何かが劇的に決まったわけでもない。

 でも、最初からずっとそこにいて、今もまだそこにいる。

 それは、たぶんこの作品における恋愛のかなり大きな答えなのだろう。


「悪くない、どころじゃないのかもな」


 そう言ってから、少しだけ自分で照れくさくなる。

 ここで一気にきれいな言葉へ飛ぶのは、たぶんまだ違う。

 俺は最後まで俺のままでいいし、この物語も最後まで日常の温度で締めた方がいい。


 それでも、今日ここで一つはっきりした。

 凛は、あとから急に特別になったわけじゃない。

 最初からずっと近くにいて、そのまま少しずつ特別になっていったのだ。


 その静かな重さが、今の俺にはかなりちょうどよかった。


---


 翌日、夕方。

 コンビニへ寄る。


 エナジードリンク一本。

 ついでにスナック菓子。

 レジには凛がいる。


「いらっしゃいませ」


「……どうも」


 商品を置く。

 ピッ。

 いつもの流れだ。


 凛は何でもない顔で言った。


「今日は早いですね」


「たまたま」


「そうですか」


 短い。

 普通だ。

 でも昨日の会話のあとだと、その普通さが妙に心地いい。


「お前さ」

と俺は言う。


「何ですか」

と凛。


「まあ……昨日のあれ」


「はい」


「いたなら、しょうがないな」


 我ながら何の言い方だと思う。

 もっとマシな伝え方はあった気がする。

 でも今の俺から出たのは、それだった。


 凛は一瞬だけ止まって、それから少しだけ口元をゆるめた。


「そうですね」


 それだけ。

 でも、その“そうですね”がやけにきれいに落ちた。


 レジ袋を受け取って店を出る。

 ガラスの自動ドアが閉まる。

 夕方の光。

 駅前通りのざわつき。


 何かが大きく変わったわけではない。

 でも、昨日までより少しだけ、線が一本きれいにつながった気がした。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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