↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第8章 『この生活圏は、もう俺の担当なのだろうか?』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/95

梅子さん、俺の担当範囲を勝手に決めないでください





 世の中には、勝手に決まるものがある。


 天気とか。

 花粉の飛散量とか。

 近所のおばさんネットワーク経由で共有される情報とか。

 そういうものは、本人の意思とは関係なく、気づいた時にはもう確定している。


 そして最近、俺の担当範囲もどうやらそのカテゴリに入りつつあった。


 いや、正確に言うなら、**俺以外の人間の中ではもうかなり確定している**。

 家の中だけでも嫌なのに、これが近所と会館と商店街にまで広がっているのだから、本当に質が悪い。


 しかも、こういうのを推し進めるのはたいてい悪人ではない。

 むしろ逆だ。

 感じがいい。

 明るい。

 善意で動く。

 だから断りづらい。


 その代表格が、言うまでもなく田村梅子さんである。


 その日も俺は、家の前でそれを思い知らされていた。


---


 昼前。

 俺は玄関の脇で、父の自転車のチェーンに油をさしていた。


 別に趣味ではない。

 少し前から漕ぐたびにしゃりしゃり音がすると父が言っていて、さっき見たらたしかに乾いていた。

 そういう、小さくてすぐ終わる作業が最近やたら多い。


 スプレーを軽く吹く。

 ペダルを回す。

 もう一度吹く。

 確認。

 終わり。


「……こういうのだけは、すぐ終わるんだよな」


 そう呟いた瞬間だった。


「あらあら、太郎さん」


 声でわかる。

 明るい。

 やわらかい。

 そして、かなり危険だ。


 顔を上げると、やっぱり梅子さんだった。

 トートバッグ。

 帽子。

 にこにこしている。

 この人がにこにこして近づいてくる時、こちらの平穏はだいたい終わる。


「こんにちは」


「こんにちはあ。

 ちょうどよかったわ」


 始まった。

 その入りを本当にやめてほしい。


「何ですか」


「会館の掲示板ね、今日ちょっと貼り替えなのよ」


「知りません」


「そうだったかしら」


「聞いてません」


「でもまあ、大丈夫よね」


 何が大丈夫なんだ。

 会話の流れだけで人員を確保するな。


「何で俺なんですか」


「だって、太郎さん担当でしょ」


 俺はその場で本気で止まった。


「……何の」


「このへんの、ちょっとしたこと」


 雑すぎる。

 そして、かなり核心でもある。

 そこをそんな軽さで言い切るな。


「担当じゃないです」


「あら、でもみんなそう思ってるわよ」


 言うな。

 さらっと言うな。

 かなり効くからな。


 そこへ、近所のおばさんがちょうど通りかかる。


「あら、太郎さん。

 会館行くの?」


「今初めて聞きました」


「え、そうなの?」

とおばさん。


「でも来るわよね?」

と梅子さん。


「その前提が嫌なんですよ」


 おばさんは少し笑いながら言う。


「でも、太郎さんいると早いしねえ」


「それなんですよ。

 その評価を免罪符みたいに使うの」


 梅子さんはきょとんとしていた。


「免罪符って何」


「勝手に担当範囲を広げる時のやつです」


「広がってるというか、もうそのへん全部じゃない」

とおばさん。


 やめろ。

 本人の前で地図を広げるな。


---


 結局、会館へ行く流れになった。


 断れなかった。

 というより、断るタイミングがまたしても消えた。

 梅子さんはそのへんが本当にうまい。

 確認より先に、周囲の認識を固める。

 そして“え、違うの?”みたいな顔をする。

 善意の包囲網としてかなり完成度が高い。


 会館前に着くと、すでに二人ほどのおばさんがいた。

 掲示板の前に、紙の束と透明ファイル。

 脚立まで出ている。

 嫌な予感がする。


「あ、太郎さん来た」

と会館のおばさん。


「こんにちは」


「助かるわあ。

 上のとこ、ちょっと留め直したくて」


 見ろ。

 もう完全に人員扱いだ。


「脚立は自分で上ってください」


「上るのは上るけど、押さえてくれる人いた方が安心でしょ」


 そこも地味に断りづらい理屈だ。


 掲示板の前に立つ。

 会館のおばさんが脚立へ上る。

 俺が下を押さえる。

 梅子さんが紙を渡す。

 別のおばさんが順番を確認する。


 この光景のどこをどう見ても、俺だけが外部の人間ではない。

 かなり普通に組み込まれている。


「これ剥がして」

と上から声がする。


「はいはい」


「次これね」

と梅子さん。


「順番逆じゃない?」

と別のおばさん。


「いやそれはこの前ので」

と俺。


 三人が一瞬こっちを見る。


「太郎さん、わかるの?」

と梅子さん。


「前の貼り方がそうだったからです」


「ほらやっぱり」

と梅子さん。


 その“ほらやっぱり”が最悪だった。

 当たってほしくないところほど、きれいに当ててくる。


 掲示板の紙を貼り終える。

 脚立を畳む。

 それで終わりかと思ったら、会館のおばさんが振り返った。


「太郎さん、そのついでにこっちの箱もちょっとだけ寄せてもらえる?」


 始まった。

 枝が増えた。


「何で増えるんですか」


「だって今いるし」

と梅子さん。


 もうほんとうに、その理屈を地域で統一ルールみたいに使うのやめてくれ。


---


 箱を寄せて、ついでに花壇の札も立て直して、やっと一段落した頃には、俺は会館前のベンチに座っていた。


 紙コップの麦茶を渡される。


「はい、太郎さん」


「どうも」


「ほんと助かるわねえ」

と会館のおばさん。


「担当だから」

と梅子さん。


「担当じゃないです」

と俺。


「え、違うの?」

と会館のおばさん。


「違います」


「でも、会館まわりと、商店街ちょっとと、家のことと、子どもたちのことはやってるじゃない」

と梅子さん。


 そこで俺は紙コップを持ったまま固まった。


 会館まわり。

 商店街ちょっと。

 家のこと。

 子どもたちのこと。


 それをそんなふうに分類されると、妙に具体的で困る。

 しかも、言われてみればたしかにそうなのだ。


「……勝手に業務範囲を整理しないでください」


 そう言うと、おばさんたちは笑った。

 笑うな。

 かなり本気なんだぞ。


 そこへ、商店街の文房具屋の店員が通りかかった。


「あ、太郎さん。

 今日は会館ですか」


「今日は、って何だよ」


「このへん全部にいる感じしますよね」


 そこまで言うか。

 文房具屋側からもその認識なのか。


「だからそれなんですよ」

と俺。


「俺の担当範囲を、勝手に確定しないでください」


 店員さんは少し笑ってから言った。


「でももう、かなり確定してるように見えますよ」


 本人以外の全員が、同じ見解を持っている。

 それが一番怖い。


---


 少しして父が会館の前を通った。


「ああ、いたのか」

と父。


「いたよ」


「梅子さんに捕まったか」


「そうだよ」


 父はそれを聞いても驚かなかった。

 ただ、会館前の掲示板を見て、箱の位置を見て、それから短く言った。


「きれいになったな」


「俺がやったからな」


「そうだろうな」


 その一言もまた、妙に自然だ。


 父にとってもたぶん最近、俺がこういう場にいるのはそこまで不思議ではなくなっている。

 それが少し面白くて、少し落ち着かない。


「お父さんもそう思うでしょ?」

と梅子さん。


「太郎さん、このへん担当よねえ」


 父は少しだけ考えてから言った。


「まあ……その辺はそうかもな」


「父さんまで!」


 そこで親まで認定側へ回るなよ。


 でも、父のその言い方は、適当な同意ではなかった。

 短いが、本当にそう見ている声音だった。


「家のことも見るし」

と父。


「外も少し見る」


「それはそうだけど」


「ならまあ、その辺だろ」


 雑だ。

 だが、この家の人間はみんな、核心に近い時ほど雑な言い方をする。

 そこがずるい。


---


 会館を出た帰り道、商店街の途中で良子とひなに会った。


「あ、お兄ちゃんいた」

と良子。


「いたよ」


「ほんと会館まで行ってたんだ」

とひな。


「行ってた」


 良子は会館の方を見て、すぐに状況を理解した顔をした。


「また梅子さんルート?」


「まただよ」


「担当だねえ」


「お前まで言うな」


 ひなはそこで、かなり当然みたいに言った。


「でも、おじさんの担当範囲ってそのへん全部だと思う」


「だから勝手に広げるなって」


「広げてないよ」

とひな。


「最初からそう」


 その言い方は、ある意味いちばん強かった。

 最初からそう。

 ひなの中では、もうそういう見え方をしているのだろう。


「家と」

とひな。


「健太と」

と良子。


「駅前と」

とひな。


「商店街と」

と良子。


 二人で読み上げるな。

 担当表みたいにするな。


「……ほんと、嫌な連携だなお前ら」


 そう言いながらも、少しだけ笑ってしまった。

 ここまでくると、完全に否定するのも難しい。

 実際、そのくらいにはもう広がってしまっている。


---


 夜。

 自室。


 椅子に座り、エナジードリンクを開ける。

 炭酸の音。

 静かな部屋。

 やっぱり最後はここへ戻る。


「俺の担当範囲を、勝手に確定しないでください……か」


 改めて口に出す。


 会館。

 商店街。

 家。

 子どもたち。

 駅前。

 凛。

 父。

 富子。

 良子。

 ひな。

 健太。


 全部を一つの地図にすると、思っていたよりずっと広い。

 そして、そのほとんどで“太郎がいると回る”みたいな認識ができてしまっている。


「……勝手にだよな、ほんとに」


 そう呟いて、少しだけ笑う。


 勝手に決まった。

 勝手に広がった。

 でも、完全に嫌なら、もっと前で切っていたはずだ。

 会館にも行かない。

 掲示板も触らない。

 商店街で会釈も返さない。

 そういう選択肢だって、たぶんあった。


 それをしなかったのは、結局のところ自分なのだろう。


 背もたれに体を預ける。


 世界の担当ではない。

 そんな大それたものじゃない。

 でも、この生活圏の中の、かなり広い“そのへん”については、もう俺の担当と言ってしまっていいのかもしれない。


 まだ完全には認めたくない。

 でも、もうほとんどそうだ。


 その中途半端さが、今の俺にはちょうどよかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。


★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。