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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第8章 『この生活圏は、もう俺の担当なのだろうか?』

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父は、何も説明しないで俺を呼ぶ





 人との距離が縮まる時、最初に変わるのはたぶん沈黙の扱いだ。


 よく喋るようになるとか、相談が増えるとか、そういうわかりやすい変化ももちろんある。

 だが、それより先に起きる地味な変化がある。


 説明が減る。

 前置きが減る。

 いちいち全部言わなくても、途中まで通じるようになる。

 そして、その沈黙が気まずさではなく、ただの省略になる。


 これは少し怖い。

 なにしろ、省略というのは前提がないと成立しないからだ。

 つまり相手は、こちらが“もうそこまでわかる側”にいると思っている。


 父との関係も、たぶん最近そこへ入っていた。


 劇的な和解なんてものはない。

 酒を飲みながら腹を割って話すようなイベントもない。

 あるのはもっと地味なものだ。


 短い一言。

 玄関先。

 道具箱。

 金物屋。

 そういう生活の細い線の上で、気づけば会話の省略が増えている。


 その日、俺はその完成形みたいなものを見た。


---


 朝。

 俺が一階へ下りると、父はすでに玄関のたたきにしゃがんでいた。


 靴箱の横。

 工具箱が開いている。

 ドライバー。

 小さいネジ。

 蝶番みたいな金具。

 そして、玄関収納の扉が半開きになっていた。


 なるほど。

 何かがズレたのだろう。


 俺はまだ何も聞いていない。

 聞いていないのに、その絵面を見た瞬間、頭の中でだいたいの状況が組み立てられる。

 最近はこういうことが増えた。

 増えたのが、少し嫌で、少しだけ自然でもある。


 父は顔を上げずに言った。


「太郎」


「何」


「それ」


 短い。

 あまりにも短い。

 だが、何を指しているのかはわかった。


 工具箱の横に、少し長めのプラスドライバーが置いてある。

 俺はそれを拾って父へ渡した。


「これか」


「ああ」


 受け取って、父がネジへ当てる。

 回す。

 止まる。


「なめてるな」


「なめてるな」


 会話が雑すぎる。

 しかし通じている。


「長い方」

と父。


「はいはい」


 今度は柄の細いドライバーを取る。

 渡す。

 父が少し力を入れて回す。

 きゅっと音がして、ネジが動いた。


「よし」


「取れたか」


「取れた」


 そこでようやく、父は少しだけ立ち上がった。

 俺は玄関収納の扉を手で支える。


「押さえとけ」


「最初からそう言え」


「押さえてるだろ」


 それはそうだ。

 もう押さえている。

 最近ほんとうにこういうのが多い。


 富子が台所から顔を出した。


「あら、始まってるのね」


「始まってるよ」


「お父さん、お兄ちゃん呼んだの?」


「呼んだ」

と父。


「呼ばれた」

と俺。


 良子まで来て、玄関を覗き込んだ。


「うわ、会話短いなあ」


「うるさい」


「でもすごいね。

 もうそれで通じるんだ」


 その言い方が、少しだけ引っかかった。

 たしかにそうかもしれない。

 前なら、父の“それ”では何もわからなかった。

 今は、少なくとも玄関収納の修理の流れの中では通じてしまう。


 ひなも後ろから覗いていた。


「おじさん、押さえる係?」


「今はな」


「向いてる」


「何でだよ」


「ちゃんと押さえてるから」


 評価が雑だな。


---


 蝶番を外してみると、木のネジ穴が少しゆるんでいた。


「これ、穴広がってる」

と俺。


「そうか」

と父。


「その“そうか”で済ませるな。

 詰めないと無理だぞ」


「何詰める」


 そこももう少し具体的に聞け。

 いや、父にそこまで求めるのも違うのかもしれない。


「爪楊枝とか木片。

 奥埋めて、もう一回締める」


「あるか」


「あるだろ」


「取ってくる」

と父。


 父が立って台所の方へ行く。

 そのすれ違いざま、富子が俺に言った。


「お父さん、最近ほんと普通に太郎呼ぶわよね」


「普通に呼ばれるよ」


「前はもう少し、一人でやろうとしてた気がする」


 それはそうかもしれない。

 父はもともと、家の細かい作業を自分で済ませるタイプだった。

 頼めば手伝えと言うこともあったが、“最初から太郎を組み込む”感じは今ほど強くなかった気がする。


 良子が笑う。


「最近のお父さん、ほんと説明しないよね」


「しないな」


「でも、お兄ちゃんも通じてる」


「通じたくて通じてるわけじゃない」


「でも通じてる」


 そこが一番困るんだよ。


 父が爪楊枝を持って戻ってくる。

 無言で渡す。

 俺が折って穴へ詰める。

 父が蝶番を合わせる。

 俺が扉を少し上へ支える。

 父がネジを締める。


 作業の最中、会話はほとんどない。

 でも、必要な手順は全部流れていく。

 誰が今どこを持って、何を次にやるか。

 それがわりと自然に噛み合っている。


「……何か、普通にやってるな」

と俺は小さく言った。


「何が」

と父。


「いや」


 うまく言葉にならない。

 親子で玄関収納の蝶番を直している。

 それだけのことだ。

 でも、前ならもう少しぎこちなかった気がする。

 少なくとも、ここまで説明なしには動けなかった。


「締めるぞ」

と父。


「はいはい」


 最後のネジが入り、扉をゆっくり閉める。

 開ける。

 閉める。

 ちゃんと動く。


「直ったな」

と父。


「直ったな」


 そこで二人とも手を離した。


---


 作業が終わると、父は工具箱を閉じた。

 俺は玄関の床に落ちた木屑を拾う。

 それも何となく自然だった。


 父が立ち上がって言う。


「ついでに駅前行くか」


「何でだよ」


「金具、予備ほしい」


「今直っただろ」


「またなるかもしれん」


 たしかにそうだ。

 玄関収納はよく使う。

 予備を買っておいてもおかしくはない。


 だが、問題はそこではない。


「何で俺も入ってるんだよ」


 俺が言うと、父は少しだけ首をかしげた。


「いるだろ」


「その“いるだろ”が雑なんだよ」


「さっきいた」


「今もいるけど」


「じゃあいいだろ」


 その理屈で全部押し切るの、本当に父娘そっくりだなこの家。


 良子が横で吹き出した。


「お父さん、それかなり強いよ」


「何がだ」

と父。


「“今いるからそのまま一緒に行く”理論」


「だめか」

と父。


 その問い方が少しだけ素だったので、俺は返事に詰まった。


 だめか。

 そう聞かれると、そこまで強く拒否しづらい。


「……だめってほどじゃないけど」


「じゃあ行くぞ」


 決定が早い。

 そして最近ほんとうに、この人は俺の返事の隙間を拾うのがうまい。


---


 玄関を出て、父と並んで歩く。


 住宅街。

 少し曇った空。

 遠くの犬の声。

 商店街へ向かう道。


「さっきのさ」

と俺が言う。


「何だ」

と父。


「“それ”とか“長い方”とか、あれで通じるの、だいぶどうかと思うぞ」


 父は少しだけ黙ってから、短く言った。


「通じただろ」


「通じたけど」


「ならいい」


 それが父なのだ。

 結果が出ればいい。

 その途中の会話密度にはあまりこだわらない。


 でも、今日の俺は少しだけそこへ踏み込んでみたくなった。


「前はあそこまでじゃなかった気がする」


 父がこっちを見る。


「何が」


「通じ方」


 数秒の沈黙。

 その沈黙も、今はただの沈黙だ。

 昔なら、もっと何かが詰まっていた気がする。


 父は前を向いたまま言った。


「前は、お前がそこにいなかったからな」


 その一言が、歩きながら妙にまっすぐ入ってきた。


「……いたよ」


「家にはな」


 短い。

 でも、それで十分だった。


 家にはいた。

 でも、たぶん“そこ”にはいなかった。

 玄関の修理の流れの中にも、生活の細かい作業の中にも、駅前の金物屋の予備購入の中にも。

 そういう位置に、以前の俺はまだ入っていなかったのだろう。


「最近はいる」

と父。


「だから呼ぶ」


 それだけ。

 ほんとうにそれだけ。

 でも、そこに妙に無駄がなくて、妙に本当っぽかった。


「……説明なしかよ」


「必要か」


「もう少しあってもいい」


「そうか」


 父はそう言って、少しだけ笑った気がした。

 ほんの少しだけ。

 でも、たぶん見間違いではなかった。


---


 金物屋では、予備の金具とネジを見た。


 棚の前で父が一つ持ち上げる。


「これか」


「穴の位置違う」


「こっちか」


「たぶん」


「たぶんか」


「でも近い」


「じゃあこれだな」


 また会話が短い。

 だが、ちゃんと回る。

 店員にも「親子で来てるんですね」と言われる。

 俺は軽く頭を下げ、父は「ああ」とだけ答える。


 その短さも含めて、もうかなり自然だ。


 帰り道、商店街の途中で父が不意に言った。


「太郎」


「何」


「さっきは助かった」


 その言い方は、あまりにも普通だった。

 だからこそ少しだけ止まる。


「……玄関か」


「ああ」


「別に」


「それで通じるからな」


 その最後の一言が、今日いちばん深く残った。


 それで通じるから。

 説明が減る。

 前置きが減る。

 そして短い言葉だけが残る。


 それは、きっと信頼の形の一つなのだろう。

 不器用で、短くて、かなり父らしいやつだ。


---


 家へ戻ると、富子が玄関の扉を開け閉めして確認していた。


「あら、直ってる」


「直した」

と父。


「予備も買った」

と俺。


「ほんと、二人いると早いわねえ」


 その評価をそのまま置くな。

 かなり効く。


 良子が後ろから顔を出した。


「おかえり。

 どうだった?」


「短い会話で全部進んだ」

と俺。


「何それ」

と良子。


「お父さんが“それ”って言って、お兄ちゃんが拾うやつでしょ」

と富子。


「そうそう」

と良子が笑う。


「最近ほんとにそうだよね」


 家の中から見てもそうなのか。

 それが少しだけ面白くて、少しだけ落ち着かない。


---


 夜。

 自室。


 椅子に座る。

 ドアを閉める。

 机の上のエナジードリンクを開ける。


「父はもう、何も説明しないで俺を呼ぶ、か……」


 口に出してみる。


 たぶんそれが、今の父との完成形なのだろう。

 長く話すわけではない。

 感動的な言葉もない。

 でも、一言で呼ばれて、一言で通じて、一緒に動いて、短く終わる。


 昔の俺なら、それを雑だとしか思わなかったかもしれない。

 今はもう、そこに少し別のものが見える。


「説明が減るって、距離の縮み方としては地味すぎるんだよな」


 そう呟いて、少しだけ笑う。


 でも、この作品にはそのくらいが合っている。

 親子が急に何かをわかり合いすぎるより、玄関の蝶番の前で“それ”と“長い方”だけで通じる方が、ずっとらしい。


「……悪くないんだよな、あれ」


 それが結局、いちばん正確な感想だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。


★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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