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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第1章 『とりあえずで回すな』

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「期間限定いちご争奪戦」



人は時に、自分のためではない戦いを強いられる。


それは正義や使命感のような立派なものではない。

もっと些細で、もっと逃げにくい種類のものだ。


たとえば、子どもが何気なく口にした「これ食べたい」を、たまたまその場にいた大人が拾ってしまった時などがそうである。


その日も、始まりは実に小さかった。


昼下がり。

佐藤家のリビングでは、エアコンの風にあたりながら、富子が洗濯物を畳み、良子がスマホを見て、ひながその横で雑誌だかチラシだかを広げていた。

俺はいつものように、部屋の隅で麦茶を飲みながら存在感を薄くしていた。


平和だった。

少なくとも、その瞬間までは。


「あ、これ」


ひなが何かを見つけた声を出した。


顔を上げると、コンビニの新商品案内らしい小さな冊子を見ている。たぶん店頭でもらってきたものだろう。季節限定スイーツや飲み物の写真が並んでいた。


「ママ、これ食べたい」


ひなが指差した先には、やけに赤いスイーツの写真があった。

**期間限定いちごミルククリーム大福**。

何でもかんでもいちごとミルクを合わせればいいと思っている節はあるが、見た目はたしかに子どもが好きそうだ。


良子はスマホから目を離さずに言った。


「へえ、よかったね」


「たべたい」


「うん」


「たべたい」


「圧が強いな」


良子がようやく顔を上げた。


「今から買いに行くのは無理だよ。あとでね」


「あとでっていつ?」


「そのうち」


「それ、ぜったいわすれるやつ」


ひなの勘は正しい。


良子はちょっと笑って、富子の方を見た。


「お母さん、近くのコンビニにあるかな」


「さあ。あるんじゃない?」


「ひなが欲しいって」


「へえ、かわいいわね」


会話の温度は高いのに、誰も立ち上がらない。

大人とはそういう生き物だ。子どもの“今”と、自分の“面倒”を天秤にかけて、だいたい後者を優先する。


ひなは不満そうにチラシを見つめたまま、今にももう一段圧を上げそうだった。


その時、良子が何気ない顔で、しかし実に自然な流れで言った。


「お兄ちゃん、行ってきてよ」


俺は麦茶を吹きそうになった。


「は?」


「コンビニ。近いじゃん」


「近いけど」


「じゃあいいじゃん」


どういう理屈だ。


ひながぱっとこっちを見る。

その目が少しだけ期待を帯びた瞬間、断りにくさが一気に増した。


良子は続ける。


「私、今ちょっと手が離せないし」


「スマホ見てるだけだろ」


「情報収集」


「何の」


「主婦のいろいろ」


雑だな。


富子も洗濯物を畳みながら言う。


「ついでに牛乳もなくなりそうなのよねえ」


やめろ。

ついでを足すな。任務は単純であるほど生還率が高い。


「今から?」


「今だから」


最近その返し流行ってるのか。


俺はしばらく黙っていた。

別に、コンビニへ行くことそのものが不可能なわけではない。何度も行っている。だが、何度行っていても“行ける”と“行きたい”は別である。


しかも問題のコンビニには、風間凛がいる可能性が高い。

この時間帯は微妙だ。昼でもなく深夜でもない。だがシフトによっては普通にいる。


ひなが小さな声で言った。


「……だめ?」


卑怯だと思う。


そういう、悪意のない聞き方をするのは卑怯だ。

大人には、断りづらいものがある。


俺はチラシをちらりと見た。

いちごミルククリーム大福。

どう考えても、食べなくても死なない。

だが、欲しいと思ってしまった子どもにとっては今かなり大事なものなのだろう。


俺は長く息を吐いた。


「……あればな」


ひなの顔がぱっと明るくなる。


「ほんと?」


「あるとは言ってない。確認するだけだ」


「やった!」


人の話を聞いていない。


だが、その嬉しそうな声を聞いてしまうと、もう完全には引き返せなかった。


良子がにやにやしながら財布も持たずに言う。


「ありがと、お兄ちゃん」


「まだ行くって確定してない」


「今のは確定でしょ」


「違う。確認だ」


「はいはい」


雑である。


富子が台所から顔だけ出した。


「牛乳も忘れないでよ」


「だから足すなって」


「どうせ行くんだから一緒でしょ」


それは違う。

単独任務と複合任務では難易度が違う。手に持つものの数、店内滞在時間、レジでの会話、すべてが変わる。


だが、反論しても無駄なことはわかっていた。


俺はしぶしぶ立ち上がり、財布とスマホを取りに二階へ上がった。


部屋に入る。


財布。鍵。スマホ。

メモは――いらない。牛乳と大福だけなら覚えられる。たぶん。

いや、期間限定商品は正式名称まで覚えておいた方がいいかもしれない。適当に“いちごのやつ”と言うのは危険だ。違う商品を持ち帰った場合、ひなの落胆はかなりのものになる。


俺は自分のスマホでコンビニ公式アプリを開いた。

商品一覧。

写真。

名称確認。

よし。


「……いちごミルククリーム大福」


小さく復唱する。

我ながら何をしているのだと思うが、こういう確認が生死を分けることもある。少なくとも精神的には。


外は少し暑かった。

だが昼のピークは過ぎている。日差しもわずかに傾き始め、まだマシな時間帯だ。

それでも夏の外出は面倒くさい。服が肌に張り付くし、汗もかく。しかも今日は任務内容がはっきりしているぶん、失敗が許されない。


玄関で靴を履いていると、ひなが小走りで来た。


「おじさん!」


「何」


「いちごのやつ、ピンクのやつだよ」


「わかってる」


「ほんと?」


「画像見た」


「すごい」


別にすごくはない。

だが、確認を怠らなかった点に関しては評価されてもいい気がした。


良子が後ろから言う。


「ついでに自分のエナドリ買わないでよ」


「何でバレてるんだよ」


「顔」


富子も重ねる。


「買う顔してるもの」


母娘そろってその評価基準を共有するな。


俺は何も言い返さず、外へ出た。


コンビニまでの道はいつもと同じだ。

だが、手ぶらで行く時と“何かを頼まれている”時とでは、景色の見え方が微妙に違う。


今の俺はただの夜食調達係ではない。

限定品確保の任を帯びた、臨時の兵站担当だ。


売り切れていたらどうする。

似た商品で代用できるのか。

牛乳は一リットルか、五百か。

そもそも凛がレジにいた場合、平常心を維持できるのか。


考えることは多い。


店の看板が見えてきた。

自動ドアの前で一瞬だけ呼吸を整える。


よし。


店内に入る。

冷房の風が頬に当たり、生き返る気がした。


まず確認すべきはスイーツ棚。

入口近くの冷蔵ケースへ向かう。


あった。


いや、正確には“あるにはある”だ。


棚の端。

その一角に、目当ての**いちごミルククリーム大福**が並んでいる。

だが、残りが少ない。三つ。いや、二つか。奥に一つ見える。

その時、ちょうど前方から若い女が冷蔵ケースへ近づいてきた。


俺は内心で身構えた。


まさか。

いや、まさかなのか?

こういう“期間限定でかわいいスイーツ”に興味を持ちそうな層ではある。敵と言うには無害そうな客だが、目標物に対して同じ方向へ伸びる手はすべて脅威になり得る。


女はプリンの棚を開けた。


セーフ。


俺はすぐさま冷蔵ケースから大福を一つ取った。

同時に、なぜか妙な達成感が込み上げる。


「よし……」


声が漏れた。


たった一個の大福だ。

だが、目当ての限定品をちゃんと確保できたという事実は大きい。ひなの“あとで絶対忘れるやつ”に対する小さな反論にもなる。


次は牛乳。


飲料コーナーへ行く。

五百ミリか一リットルか、一瞬迷う。

富子が“なくなりそう”と言っていたのなら、一リットルだろう。

重い。

しかし家の中の需要に応えるならここは妥協できない。


さらに、自分用のエナジードリンクに視線が吸い寄せられる。


いかん。


良子と富子の言葉が頭をよぎる。

顔でバレている。

だったら買わない方がいいのか。

いや、そもそも隠す必要はない。別に悪いことではない。

だが、今は任務中だ。私的補給を混ぜると集中が散る。


俺はエナドリの棚を見つめたまま、しばらく悩んだ末、一本だけ手に取った。


「一本だけなら……」


誰への言い訳なのか自分でもわからない。


そのままレジへ向かう。


そして、やはりというべきか、レジには風間凛がいた。


俺は心の中で短くため息をついた。


いる。

まあ、いるだろうと思ってはいた。

この店は、行くたびにだいたい凛がいる気がする。実際にはそんなことはないのだろうが、印象に残る相手というのは出現率まで歪める。


凛はレジ台の前で、補充用らしい箱を足元へ寄せていた。こちらに気づくと、いつもの淡々とした調子で顔を上げる。


「いらっしゃいませ」


「……どうも」


やめろ、その“どうも”は。

毎回思うのに毎回出る。条件反射か。


俺は商品をレジへ置いた。

大福、牛乳、エナドリ。


凛の視線が一瞬だけ商品へ落ちる。

たぶんそれだけで意味はない。

意味はないはずだ。

だが、こちらは勝手に意味を読み取りそうになる。


「袋、どうしますか」


きた。


牛乳がある時点で、袋なしは厳しい。

だが、ここで即答できるかどうかが重要なのだ。


「お願いします」


よし。今回は一拍遅れずに言えた。


凛は商品を通しながら、何気ない声で言った。


「限定のやつ、人気あるみたいですね」


俺の心拍が上がった。


何に対してだ。

大福か。

大福だろう。

だが、それをこっちに話しかける必要はあったか?

いや、必要はないが、店員として自然な雑談の範囲かもしれない。

落ち着け。


「……ああ、まあ」


情けない返事しか出ない。

ひなのためだと言えばまだ自然だったかもしれない。だが、そこで“姪が欲しがっていて”と説明するほどの会話量をこの場で発生させるのはしんどい。


凛は続けた。


「昨日入った分、けっこう減ってたので」


「そうなんだ」


何の“そうなんだ”だ。


だが、会話が続いてしまった以上、無視もできない。

俺は妙に喉が乾くのを感じながら、レジ台を見つめた。


「甘いもの、好きなんですね」


死んだ。


いや、違う。

別に死んではいない。

ただ、今の一言はかなり危険だった。


違う。

俺が食うわけじゃない。

もちろん食ってもいいが、今日は違う。

だが、それをここでわざわざ訂正すると、逆に弁解っぽい。しかも横にはエナドリ。甘党の夜型中年という構図が一気に完成する。


「……いや、その」


言葉に詰まる。


凛が少しだけ首を傾げた。

表情は大きく変わらないが、ほんのわずかに“何か変なこと聞いたかな”くらいの空気がある。たぶん。


ここで俺は決断した。

変な誤解をそのまま放置するよりは、事実を言う方がまだいい。


「姪に頼まれて」


「あ、そうなんですね」


凛はすぐ納得したように頷いた。

その反応が自然すぎて、逆にこちらが少しだけ間抜けになる。


「じゃあ、見つかってよかったですね」


さらっと言われたその一言が、妙に柔らかく聞こえた。


いや、きっと普通だ。

普通の接客の範囲だ。

こちらが勝手に過剰解釈してはいけない。


「……まあ、はい」


俺はぎこちなく頷いた。


凛はエナドリをスキャンしながら、今度は何も言わなかった。

むしろその無言がありがたかった。


会計を済ませ、袋を受け取る。


「ありがとうございました」


「……どうも」


また言った。

もうこれは治らないのかもしれない。


店を出る。


外の空気が思ったより熱くて、少しだけ現実に戻る。


「姪に頼まれて、か……」


口の中で小さく繰り返す。


別に嘘ではない。

だが、その事実を他人に向けて口にしただけで、自分がただの中年ニートではなく“姪のおつかいを頼まれる親族”として一瞬だけ再定義されたような妙な感覚があった。


変な話だ。


俺は袋の中を確認した。

大福、牛乳、エナドリ。

完璧だ。


帰宅すると、玄関の音を聞きつけたひながすぐに走ってきた。


「おかえり!」


その言い方だと、俺がどこかへ旅に出ていたみたいだ。


「……ああ」


「ある?」


「ある」


「やった!」


俺が袋から大福を出すと、ひなの顔が本気で明るくなった。

良子も後ろからやってきて、少し驚いたように言う。


「ほんとに買ってきたんだ」


「何だと思ってた」


「途中でめんどくさくなって牛乳だけで帰ってくるかと」


「ひどいな」


「だってお兄ちゃんだし」


言い返せないのが悔しい。


ひなは大福のパッケージを両手で持って、嬉しそうに富子のところへ見せに行った。


「おばあちゃん!あった!」


「よかったわねえ」


富子はそれを見て笑い、それから俺の持っている牛乳にも気づいた。


「あら、牛乳もちゃんと買ってきた」


「頼まれたからな」


「えらいえらい」


子ども扱いするな。

……いや、今のは半分くらい本気で褒めているのかもしれない。そう思うと、逆に反応に困る。


良子が袋を覗き込んで、にやりとした。


「はい出た。エナドリ」


「一本だけだ」


「一本だけ、じゃないのよ常習犯は」


「犯罪みたいに言うな」


「顔に出てたもんね」


富子まで笑う。


「やっぱり買った」


「うるさいな……」


だが、いつもほど居心地は悪くなかった。


ひながリビングのテーブルで大福を開け、ひと口食べた瞬間に「おいしい!」と声を上げたのが、たぶん効いていた。


ああいう、まっすぐな喜びは強い。

苦労というほどの苦労ではない。コンビニへ行って買ってきただけだ。

それでも、誰かがあんなふうに喜ぶと、“面倒だった”が少しだけ別のものに変わる。


ひながもぐもぐしながら俺を見た。


「おじさん、ありがと」


俺はその視線をまともに受けられず、少しだけ顔を背けた。


「……別に」


「またそれ」


良子が笑う。


「素直にどういたしましてくらい言えば?」


「うるさい」


「照れてんの?」


「違う」


違うと言ったが、たぶん少しはそう見えただろう。


ひなは気にした様子もなく、二口目を食べている。

富子は牛乳を冷蔵庫へ入れ、良子は俺のエナドリを見てまた何か言いたそうにしていた。


家の中の時間は、こうして小さなことで回っていく。


俺は自分のコップに麦茶を注ぎ直しながら、さっきのコンビニでのやり取りをぼんやり思い返した。


凛の「見つかってよかったですね」。


あれはたぶん、ただの社交辞令だ。

ただの接客の延長。

そういうものだとわかっている。


だが、それでも。


姪に頼まれた。

見つかってよかった。

ありがとう。


今日はそういう言葉が、いつもより少し多い日だった。


俺はリビングの隅に戻り、静かに腰を下ろした。


外はまだ夏の光を残していて、エアコンの風はちょうどよく冷たい。


目の前では、ひなが嬉しそうに大福を食べている。

良子はそれを見ながら「こぼすな」と言い、富子は「お皿使いなさい」と言っている。


その一連の声を聞きながら、俺は小さく息を吐いた。


どうせなら、牛乳だけでなく大福もちゃんと確保できてよかった。


少なくとも今日は、それでいい。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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