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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第7章 『いないと困るらしい?』

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梅子さん、俺を地域インフラにしないでください





 インフラという言葉には、妙な恐ろしさがある。


 電気。

 水道。

 ガス。

 道路。

 そういうものは、ある時は誰も気にしない。

 存在していて当然。

 使えて当然。

 止まって初めて「困る」と言われる。


 だから怖い。


 人間関係の中で誰かが“インフラっぽく”扱われ始めた時、それはたいてい褒め言葉の顔をしている。

 助かる。

 いてくれると回る。

 やっぱり頼りになる。

 そう言われる。


 だが、その実態はわりと危ない。

 存在が前提になっている。

 いない時の代替ルートが考えられていない。

 そして本人だけが、いつの間にそこまで行ったのか把握していない。


 その日、俺はまさにその危険領域へ片足を突っ込んでいた。


 もちろん原因は田村梅子である。


---


 昼前。

 俺は家の前でゴミ箱を洗っていた。


 なぜそんなことをしているのかと問われれば、富子に「ついでだから」と言われたからである。

 朝、燃えるゴミを出したあと、袋の中で何かが微妙に漏れていたらしく、底の方が少し汚れていた。

 それを見た富子が、ホースを持っている俺に向かって「じゃあついでにそれも」と言った。

 ついでの使い方が雑すぎる。


 ホースの水でざっと流し、ブラシでこする。

 泡。

 日差し。

 地味である。

 だがこういう地味作業は、始めてしまうと最後までやった方が早い。


「あらあら、太郎さん」


 来た。


 顔を上げると、道の向こうから梅子さんが手を振っていた。

 笑顔。

 小さなトートバッグ。

 絶妙に“用事があります”の装いである。


「こんにちは」


 警戒しつつ返す。


「こんにちはあ。

 ちょうどよかったわ」


 やめろ。

 その入りを本当にやめろ。


「何ですか」


「今日ね、会館の前のテーブル出しあるでしょ」


「知りません」


「そうだったかしら?」


「聞いてません」


「でもまあ、大丈夫よね」


 大丈夫ではない。

 大丈夫ではないのだが、この人は人の了承を“会話の途中で自然に取れたことにする”技術が高い。


「何のテーブルですか」


「ちょっと掲示の準備と、お菓子を並べる台」


 その説明だけだと軽い。

 だが経験上、軽い説明の仕事ほど現地で枝が増える。


「人いるでしょ」


「いるけど、太郎さんいると早いのよお」


 それだ。

 その言い方がまず危ない。


 俺が黙ると、梅子さんは何でもない顔で続けた。


「もう会館の人にも、太郎さん来るって言っちゃったし」


 俺はそこで本気で手を止めた。


「……言ったんですか?」


「ええ」


「何でですか」


「いると思ったから」


「いや、それ俺に確認してないですよね」


「でもいるでしょ?」


 その“でも”で全部押し切るの、ほんとによくない。


 そこへ、近所のおばさんまで通りかかった。


「あら、太郎さん。

 今日は会館の方ね」


 何でみんなもう知ってるんだよ。


「いや、今初めて聞きました」


「え、そうなの?」

とおばさん。


「でも来るんでしょ?」

と梅子さん。


「その流れが強いんですよ」


「だって助かるもの」

とおばさん。


「そうそう」

と梅子さん。


 この合唱が一番きつい。

 感じのいい大人二人が善意でうなずき合う空間に、こちらの逃げ道はあまりない。


「……俺を地域インフラにしないでください」


 思わずそう言うと、梅子さんは目を丸くした。


「何それえ」


「ある前提で話が進んでるってことです」


「でも、いてくれると回るのよ」


「それがもう危ないんですよ」


 おばさんは少し笑っていた。


「太郎さん、ほんと最近言い方が面白いわねえ」


 面白くしてるんじゃない。

 本気で抵抗しているだけだ。


---


 結局、ゴミ箱を乾かしてから会館へ行くことになった。


 断れなかった。

 というより、断るタイミングが消えた。

 “来るって言っちゃった”はかなり強い。

 先に向こうへ話が行っていると、人は思っている以上に引き返しづらい。


 会館までは歩いて数分。

 近い。

 悔しいが近い。

 だからなおさら使われる。


 着くと、会館前にはすでに二人ほどのおばさんがいた。

 折りたたみテーブルと、小さい椅子が端に寄せてある。

 紙袋。

 掲示用のボード。

 麦茶の入ったポット。

 つまり、ただのテーブル出しだけではない空気が濃い。


「あら、太郎さん来た」


「こんにちは」


「助かるわあ」


 出た。

 その第一声。


「何からですか」


 俺が聞くと、会館のおばさんがすぐに指示を出す。


「まずそのテーブル広げて、こっちに運びたいの。

 そのあと、掲示の板立ててもらえる?」


 ほら増えた。

 最初から二件目が乗っている。


 折りたたみテーブルを開く。

 会館の前の日陰に置く。

 ボードの脚を広げる。

 掲示板の位置を少しずらす。

 やること自体は地味だ。

 でも、こういう“誰かがやればすぐ終わる小さい作業”が、地域というものを回しているのかもしれない。


「そこ、ちょっと右」


「はい」


「もう少しだけ」


「このくらい?」


「そうそう」


 何で俺が会館前で位置調整してるんだろう、と思う。

 でももう始めてしまったので最後までやるしかない。


 そこへ、商店街の文房具屋の店員が通りかかった。


「あ、太郎さん」


 またか。


「こんにちは」


「何してるんですか」


「……地域インフラ化です」


 思わずそう返すと、店員さんが吹き出した。


「それ自分で言うんだ」


「言いたくもなりますよ」


 梅子さんが嬉しそうに言う。


「ほんと助かるのよお」


「だからそれを外で言わないでください」


「何で?」


「範囲が広がるからです」


「もう広がってるでしょ」

と文房具屋の店員。


 否定できない。

 否定できないのがつらい。


---


 テーブルの上にお菓子の袋を並べる。

 麦茶のポットを置く。

 掲示板へ町内のお知らせを挟む。

 それで終わりかと思ったら、会館のおばさんが言った。


「太郎さん、そのひも少し切ってくれる?」


 増えた。

 やはり増えた。


 梅子さんが横から笑う。


「やっぱりねえ」


「何がですか」


「太郎さんいると、みんなちょっとずつ頼みやすくなるのよ」


「最悪じゃないですか」


 会館のおばさんは悪びれもなく頷いた。


「だって上手いんだもの」


「そんなことないです」


「あるわよ。

 お父さんより、こういう細かいの向いてるわ」


 そこで父を比較対象に出すのはやめてほしい。

 妙に納得してしまうから。


 ひもを切り、袋を整え、掲示板の端を押さえる。

 気づけば、俺は完全に作業担当になっていた。


「あ、太郎さん。

 そのあとちょっとポット運んでもらっていい?」


 もう笑うしかなかった。


「……ほら、こうやってインフラになるんですよ」


 文房具屋の店員がまた笑う。


「たしかに。

 もう“いると助かる”じゃなくて“いる前提”ですね」


 やめろ。

 言語化するな。

 かなり効く。


---


 作業が一段落した頃、ようやく俺は会館の前のベンチに腰を下ろした。


 梅子さんが紙コップに麦茶を入れて渡してくる。


「はい」


「どうも」


「助かったわあ」


「今日それ何回目ですか」


「本当のことだもの」


 そこはもう、たぶん一生変わらないのだろう。


 少し離れたところで、会館のおばさんが別の人に言っているのが聞こえた。


「太郎さんいると早いのよ」


 それが妙に、地味に、刺さった。


 大げさではない。

 表彰されるような言葉でもない。

 ただ、生活の現場で出てくる、本当に雑多で本当の評価。


「……ほんとにインフラっぽいんだよな」


 思わずそう呟く。


 電気や水道ほど偉大ではない。

 だが、小さい作業や困りごとが詰まりそうになった時、いるとちょっと流れが良くなる。

 その程度の、でも確かな機能。


 それを人に対して使うのはどうかと思うが、感覚としてはかなり近かった。


 梅子さんが隣で言う。


「何か言った?」


「いや、何でもないです」


「太郎さん、ほんと最近よく来てくれるわねえ」


「来てるというか、連れてこられてるんです」


「でも来るじゃない」


 またそこだ。


「……それ言われると弱いんですよ」


 正直にそう言うと、梅子さんは少しだけやさしい顔になった。


「来ない人は、最初から来ないもの」


 その言い方も、ずるかった。


 善意の人は本当にずるい。

 こっちが全面的に拒絶しづらい角度から、本当のことを置いてくる。


---


 家へ戻ると、富子がすぐに聞いてきた。


「どうだった?」


「会館で地域インフラ化してきた」


「何それ」


 良子がちょうど来ていて、そこで盛大に笑った。


「お兄ちゃん、それかなり言い得てる」


「笑うな」


「でもわかるわ。

 最近ほんと、“太郎さんいれば大丈夫”枠じゃん」


「やめろ」


 ひなも当然みたいに言う。


「おじさん、会館でもそうなんだ」


「“でも”って何だよ」


「どこでもだいたいそう」


 子どもがそういう真理みたいなことを平然と言うの、本当にやめてほしい。


 父が和室から顔を出した。


「会館行ってたのか」


「行ってた」


「何で」


「俺に聞くな。

 梅子さんに聞け」


 父は少しだけ笑った。


「まあ、そうなるか」


「そうなるな」


 そこで普通に納得するな。

 だが父までそれを自然に受け取っている時点で、たぶんもうかなり定着しているのだろう。


---


 夜。

 自室。


 机の前に座り、エナジードリンクを開ける。

 今日もちゃんとこの部屋へ戻ってきた。


「俺を地域インフラにしないでください、ね……」


 改めて口に出すと、かなり変な台詞だ。

 だが、実感としては妙に正確だった。


 会館。

 商店街。

 掲示。

 テーブル。

 ポット。

 ひも切り。

 全部、小さい。

 全部、誰かがやれば終わる。

 だからこそ、“太郎さんいれば早い”になってしまう。


 便利。

 助かる。

 いる前提。

 その積み重ねが、家の外でもかなり進んでいる。


「……面倒なんだよなあ」


 そう呟いて、少しだけ笑う。


 面倒だ。

 かなり面倒だ。

 でも、会館の前で麦茶を飲んでいた時間のことを思い返すと、完全に嫌だったわけでもない。


 あの場で、自分の役割はたしかにあった。

 派手ではない。

 小さい。

 でも、ちゃんとそこにあった。


 それをどう呼ぶのか、まだ自分でもうまく決められない。

 ただ少なくとも、俺の生活圏はもう家の中だけではなくなっているのだろう。


 最後に戻る場所がここだから、たぶんまだギリギリ笑っていられる。

 地域インフラ一歩手前でも、そこまでは壊れずに済んでいる。

 今はたぶん、そのくらいでちょうどよかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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