健太の“とりあえずおじさん”は適当すぎる
危機管理には、その人間の性格が出る。
これはかなり正しい。
落ち着いて状況を整理するやつもいれば、とりあえず一番近い大人へ走るやつもいる。
何が起きたかを順番に説明できるやつもいれば、最初から最後まで勢いで押し切ろうとするやつもいる。
そして健太は、その全部が雑な方だ。
走る。
叫ぶ。
先に焦る。
あとから説明する。
しかも、その説明がたいして説明になっていない。
だが、それでも本人の中では筋が通っているらしい。
子どもの頭の中というのは、本当に独特だ。
問題は、その雑な危機管理の第一選択が、最近かなり高い確率で俺になっていることだった。
その日も、俺はそれを家の二階で食らっていた。
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午後。
自室。
静か。
ベッド。
スマホ。
最高。
休日の昼下がりに、何の義務もなく横になれるというのは、かなり文明的な幸福だと思う。
その幸福を、人生は時々、ものすごく乱暴に破壊してくる。
ドン。
ドアが半分くらい勢いで開いた。
「おじさん!!」
健太である。
ドアの開き方からして、もう駄目だ。
ノックの概念が毎回どこかへ飛んでいる。
「ノックしろ」
「した!」
「しながら開けるな」
「緊急だから!」
その“緊急”は信用していない。
だが、今日の健太はいつもより一段うるさかった。
つまり、本人的にはかなり焦っている。
「何だよ」
「オレの帽子!!」
知らん。
第一声としては、当然そうなる。
「なくなった!」
「知らん」
「さっきまであった!」
「じゃあその辺だろ」
「でももう集合時間!」
そこで少しだけ嫌な予感が輪郭を持った。
「何の集合だよ」
「公園!」
「広い」
「友だち!」
「もっと広い」
説明が毎回ざっくりしすぎている。
健太は両手をぶんぶん振りながら続けた。
「公園で待ち合わせしてて、帽子かぶってく予定だったのに、さっきまであって、でも今なくて、でももう行かなきゃで、でも帽子ないと変だし!」
なるほど。
内容は理解した。
かなりどうでもいい寄りの問題だ。
だが本人にとってはそうではない。
子どもにとって、集合時の持ち物や格好というのは、妙に重いことがある。
「母さんは」
「いない!」
「父さんは」
「まだ!」
「良子は」
「下!」
良子がいるならそっちへ行け。
「じゃあ良子に」
「でもおじさんの方が見つけるの早いし!」
やめろ。
その前提がもう嫌なんだよ。
そこへ、案の定、ひなが廊下の向こうから顔を出した。
「けんた、また?」
「またじゃないって!」
「でもまただよ」
正しい。
ひなのその分類はだいたい正しい。
さらに、良子まで階段を上がってきた。
「何の騒ぎ?」
「健太の帽子」
「あー」
その“あー”だけでだいぶ事情を察している。
最近の良子は、健太の“あー案件”への対応速度が妙に高い。
「どこで最後に見たの?」
良子が聞く。
「えーと」
ここで止まる。
危ない。
危機管理が雑な人間は、最後に見た場所の記憶もだいたい曖昧だ。
「家の前!」
「かぶってたのか?」
俺が聞く。
「たぶん!」
「その“たぶん”いらねえんだよな」
ひなが静かに言う。
「ほんとは、玄関かも」
「どっちだよ」
「でも、おじさんが見た方が早い」
そこでまたそれへ戻すのか。
俺はベッドから起き上がって、サンダルをつっかけた。
「……とりあえず見る」
「やった!」
健太、お前が一番元気になるな。
「何で最初に俺なんだよ」
思わずそう言うと、健太は本当に不思議そうな顔をした。
「だって、とりあえずおじさんでしょ」
その一言で、俺は少しだけ止まった。
とりあえず。
何だその雑な第一選択。
「雑すぎるだろ」
「何が!」
「人の扱いが」
「でもそうじゃん!」
その“でもそうじゃん”を子どもに言われると、こちらは妙に弱い。
なぜなら、その中に悪意が一切ないからだ。
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帽子探しは、結局かなり単純だった。
玄関。
靴箱の上。
椅子。
庭先。
自転車のかご。
そして最終的には、健太の家の勝手口の横に置かれたプラスチックケースの上に、きれいに乗っていた。
「あったぞ」
俺が帽子を持ち上げると、健太は全力で走ってきた。
「うわあ!」
その“うわあ!”の中身が、感嘆なのか安堵なのか自分でもわかっていない感じがする。
「何でそこなんだよ」
「え、何で!?」
「こっちが聞いてる」
健太は帽子を受け取って、しげしげと見た。
「ほんとにあった……」
「いや、なくなるわけないだろ」
「でもなかった!」
「見てないだけだ」
ひなが横から言う。
「けんた、見てないとこと、ないを同じにするから」
かなり正しい指摘である。
良子も笑っていた。
「それね。
健太くん、いつもそこ飛ばすんだよね」
健太はまったく納得していない顔だったが、とりあえず帽子は戻った。
つまり今回の危機は終了である。
「じゃ、行け」
俺が言うと、健太は帽子をかぶってから、なぜかその場で一拍置いた。
「おじさん」
「何」
「ありがと!」
その“ありがと”が、今日はいつもより少しだけ強かった。
帽子ひとつでここまで助かった顔をされると、こちらも少しだけ困る。
「……次からは自分でちゃんと見ろ」
「見る!」
信用度は五割くらいだな、と内心で思う。
いや、三割かもしれない。
だが、そのあとに続いた健太の一言が、今日の本題だった。
「でも、何かあったらとりあえずおじさんでしょ」
俺はその場で本気で眉をひそめた。
「雑すぎるんだよ、それ」
「何で!」
「順番があるだろ。
母親とか父親とか」
「でもいない時あるし」
「それはそうだけど」
「良子ちゃんもいるけど」
健太はそこで少しだけ言葉を探すみたいにして、それから言った。
「でも、おじさんの方が“わかった”って感じする」
その言い方は、子どもなりにかなり頑張っていたのだろう。
わかった。
何が。
たぶん、“来たら何とかなる感じ”のことだ。
良子がそれを聞いて、少しだけやわらかい顔になる。
「健太くん、それかなり本音だね」
「本音だよ?」
健太は本当にそのつもりなのだろう。
雑だ。
雑だが、嘘ではない。
ひなも小さく頷いた。
「けんたの“とりあえず”って、ちゃんと頼ってるやつ」
その解釈は、かなり鋭い。
「だから余計に困るんだよ」
俺がそう言うと、良子が笑った。
「お兄ちゃん、今日かなり刺さってるね」
「刺さるだろ。
人を緊急時の非常口みたいに扱うな」
「でも開くんでしょ」
良子、お前までそういう言い方をするな。
健太はきょとんとしていたが、結局最後にもう一回だけ大きく言った。
「じゃあ行ってくる!」
「今度は帽子忘れるなよ!」
「たぶん大丈夫!」
「その“たぶん”やめろ!」
健太は元気に走っていった。
帽子はちゃんとかぶっている。
たぶん大丈夫だろう。
たぶん。
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家へ戻る途中、ひなが俺の横を歩きながら言った。
「けんた、ほんとに最初おじさん思い浮かべてるよね」
「嫌な言い方するな」
「でもそう」
「何でそうなるんだよ」
「だって、おじさん、けんたの中で“まず呼ぶ人”だもん」
それもまた、便利より重い。
まず呼ぶ人。
子どもの危機管理の最初に配置されている大人。
そんなつもりはこっちにはまったくないのに、生活の中で勝手にそうなっている。
良子が少し先を歩きながら振り返る。
「でもさ、お兄ちゃん」
「何」
「雑な頼り方って、逆に本気じゃないと出ないよ」
その言葉は、軽く言ったようでいて妙に残った。
たしかにそうかもしれない。
敬っている相手には、もっと遠慮する。
様子を見る。
まず母親へ行く。
順番を考える。
でも健太は、何かあった瞬間にこちらへ来る。
それは雑だ。
かなり雑だ。
だが、その雑さの中に、いちばん素直な信頼が入っている。
「……面倒なんだよな、そういうの」
思わずそう漏らす。
ひなが小さく言う。
「でも、ちょっとわかる」
「何が」
「けんた、ほんとにおじさんだと思ってる」
「日本語おかしいだろ」
「違う。
“おじさんなら何とかなる”って思ってる」
その言い換えは、たぶんかなり正確だった。
雑だが本気。
荒っぽいが信頼している。
そういうものが、最近の俺の生活の中には増えていた。
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夕方。
自室。
ベッドに腰を下ろし、帽子騒動を思い返す。
「とりあえずおじさん、ね……」
ひどい呼称だ。
かなりひどい。
だが、言い得てもいるから困る。
何かある。
焦る。
細かい順番は飛ばす。
とりあえず俺へ来る。
その雑さにイラッとはする。
でも、完全に嫌なだけでもない。
健太なりに“ここへ来れば何とかなる”と思っているのだとしたら、それは子どもにとってかなり大きいことなのかもしれない。
「……ほんと、雑すぎるんだよ」
もう一度そう呟いて、少しだけ笑ってしまった。
帽子一つでここまでやられるのもどうかと思うが、たぶん大事なのは帽子じゃなかった。
最初に思い浮かべる相手。
慌てた時に走る先。
それが自分になってしまっていることが、妙に夜まで残る。
前提にされる。
待たれる。
そして今度は、“とりあえず”で呼ばれる。
ただ、本当に最近はそういう空気が濃いのだ。
頼られる。
でも、まだ立派すぎない。
その半端さが、今の俺にはまだちょうどよかった。
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