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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第7章 『いないと困るらしい?』

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プロローグ それ俺がいる前提の話ですよね?




 人がいちばん怖いのは、たぶん雑な信頼だ。


 深刻な信頼ではない。

 泣きながら「お願い、あなただけなの」みたいなやつではない。

 ああいうのは、むしろ心の準備ができる。

 重いし、面倒だし、できれば来てほしくないが、少なくとも“今から大事なことが来る”という覚悟はできる。


 問題はもっと日常的で、もっと逃げづらい方だ。


 「あとでお願いね」

 「来るでしょ」

 「ついででいいから」

 「いると思ってた」


 そういう、会話の流れの中に紛れ込んでくる自然すぎる前提。

 しかも、それを言っている側にほとんど悪気がない時、人は本当に困る。


 俺はその日、朝からそれを浴びていた。


---


 休日の朝だった。


 休日の朝というのは、本来、人類に与えられた数少ない救済であるべきだ。

 目が覚めてもすぐには起きず、天井を見て、スマホを見て、もう一度寝るかどうか迷う。

 そういう何もしない時間のために、人は平日を耐えているところがある。


 なのに、その日は下が少し早い段階からうるさかった。


 食器の音。

 引き出しの音。

 誰かの足音。

 話し声。


「太郎ー」


 富子である。


 俺はベッドの上で片目を開けた。


「何ー」


「あとで駅前行くなら、洗剤見てきてー」


 そこで俺は、まだ起き上がってもいないのに眉をひそめた。


 まずおかしい。

 “あとで駅前行くなら”とは何だ。

 その予定は俺の中でまだ存在していない。


「行かねえよ」


 布団の中からそう返す。


「行くでしょ」


 なぜ確定口調なんだよ。


「何でそうなる」


「だってお父さん、駅前の電気屋さん寄るって言ってたし」


 ああ。

 そういえば昨日、父が部品か何か見たいと言っていた気がする。

 だがそれは父の予定であって、俺の予定ではない。


「それ父さんの用事だろ」


「でも行くならついででいいじゃない」


 ついで。

 出た。

 この家の支配言語である。


 俺は嫌な予感を抱えたまま起き上がり、階段を下りた。


---


 リビングでは、父が和室の前で小さなメモを見ていた。

 富子は詰め替え用洗剤のパックを手にしている。

 この時点で、もうかなり危ない。


「何だよ」


 俺が言うと、父がメモを軽く持ち上げた。


「電気屋で、型番だけ見たい」


「行けば」


「行くぞ」


「一人で行けるだろ」


「行けるが」


 そこで言葉が切れる。

 この“行けるが”のあとに、自然に俺が入ってくる感じが嫌だった。


 富子が横から当然みたいに言う。


「だから、ついでに洗剤もお願いね」


「俺、まだ行くって言ってないんだけど」


「でも行くでしょ」


 その“でも”の使い方、本当に雑だな。


 父は短く言った。


「米屋も寄るかもしれん」


 増えた。

 予想通り増えた。


「何でだよ」


「切れそうらしい」


 富子が頷く。


「そうなのよ」


「それ、二人で行けばいいじゃん」


「でもお父さん、米持つとほか面倒になるでしょ」


「そうか?」

と父。


「なるのよ」

と富子。


 夫婦間で完結してくれ。

 なぜそこへ俺を編成する。


 そこへ、玄関が開いた。


「おはよー」


 良子だった。

 このタイミングで来るのはかなり悪い。


「何でいるんだよ」


「ひど。

 実家来ちゃ駄目?」


「この流れで来るな」


「何の流れ?」


 絶対わかってる顔をしてとぼけるな。


 案の定、富子がすぐ言った。


「お兄ちゃん駅前行くみたいだから、何かある?」


 おい。

 本人の了承を完全に飛ばすな。


「あるよ」

と良子。


 即答だった。

 やっぱりな。


「ひなのノート。

 あとプリン。

 あと、見つけたらでいいからあのシールつきのメモ帳」


「増やすな」


「見つけたらでいいって言ってるじゃん」


「その枕詞は免罪符じゃないんだよ」


 そこへ、さらに小さな足音。


「おはよう」


 ひなだった。

 後ろから健太まで来ている。


「オレも来た!」


「何でお前もいるんだよ」


「遊ぶから!」


 朝から人が多い。

 というか、今日の生活圏の主要人物がほぼ揃っている。

 嫌な予感しかしない。


 ひなはリビングへ入るなり、当然みたいに聞いた。


「おじさん、駅前行くの?」


「まだ決まってない」


「でも行くんでしょ」


 お前までその口調か。


「何でそう思う」


「だってもうみんなその話してる」


 たしかにしている。

 してしまっている。

 この家では、一度会話の流れに乗った予定は、本人の同意が多少遅れてもだいたい成立する。


 健太が勢いよく言った。


「オレ、消しゴム!」


「お前の分は知らん」


「何で!」


「関係ないからだよ」


「でも駅前行くなら買えるじゃん!」


 その理屈を子どもが使い始めるの、本当にやめてほしい。


 良子が笑う。


「お兄ちゃん、今すごい顔してる」


「どんな顔だよ」


「“それ俺がいる前提の話ですよね?”って顔」


 図星だったので腹が立つ。


「……いや、実際そうだろ」


「そうだよ」

とひなが頷く。


 お前は頷くな。


「何でそうなるんだよ」


「だっておじさんいるし」


 理由が雑すぎる。

 だが、雑すぎるからこそ、ひなの中では本気なのもわかる。


 富子が洗剤のパックを机に置いた。


「じゃあ決まりね」


「決まってない」


「決まったわよ」


「だから俺がまだ」


 そこへ父が短く言った。


「十時には出るぞ」


 完全に時間まで設定された。

 終わった。


 俺はそこで天井を見上げた。


「……それ俺がいる前提の話ですよね?」


 本気だった。

 かなり本気だった。


 だが、周囲の反応は薄かった。


「そうだけど?」

と良子。


「うん」

とひな。


「だってそうじゃん」

と富子。


「違うのか」

と父。


 何なんだ。

 この満場一致は。


 健太だけが少しズレていた。


「オレもいる前提でいい?」


「駄目だ」


「何で!」


「そこだけは駄目だ」


---


 十分後、俺は結局、玄関で靴を履いていた。


 納得はしていない。

 していないが、家の空気というのは時々、本人の意思より先に段取りを完成させる。

 そこへ逆らい切るのは意外と難しい。


 父はすでに外に出ている。

 富子は台所から「洗剤忘れないでね」と飛ばし、良子は「ノート、B5で方眼」と追加確認し、ひなは「プリン、カラメル多そうなやつ」とわけのわからない注文までつけてきた。


「見てわかるかそんなの」


「なんとなく」


「信用できない」


 玄関の外まで見送りに出てきた健太が手を挙げる。


「おじさん!

 消しゴム!」


「知らん!」


「えー!」


「お前は自分の母親に言え!」


 ひながその横で小さく言う。


「でも、たぶん買ってくるよ」


 お前、何でそこで予言するんだよ。


「買わない」


「でもおじさん、そういう時たまに買う」


 ……否定しきれないのが嫌だった。


 良子が玄関の柱に寄りかかりながら笑う。


「ほんと、もうお兄ちゃん前提なんだよね」


「嫌な言い方するな」


「でも本当じゃん」


「本当でも嫌なもんは嫌なんだよ」


 そこで、富子が少しだけやわらかい声で言った。


「だって、いると回るんだもの」


 その一言だけ、少し違う温度だった。


 重い。

 かなり重い。

 朝からそういうのを入れてくるな。


「……朝からそういうのやめろ」


「何で?」


「何でもだよ」


 ひなはきょとんとしたまま言う。


「でも、ほんとだよ」


 子どもの“ほんと”は強い。

 盛ってないぶん、まっすぐで困る。


 俺はもうそれ以上返す気力もなく、サンダルを踏み鳴らして外へ出た。


---


 父と並んで駅前へ向かう道。


 朝の住宅街。

 商店街の準備。

 開き始めるシャッター。

 自転車の音。

 空は明るい。


 父が横で言う。


「そんなに嫌か」


「嫌だよ。

 聞いてないのに俺前提で話が進んでるんだぞ」


「最近はそうだろ」


 その一言に、少しだけ言葉が止まる。


「……父さんまでそう思ってるのか」


「違うのか」


「違わなくはないけど」


 そこを父にあっさり返されると、妙に引っかかる。


 父は歩きながら続けた。


「いると早いし」


「またそれか」


「事実だろ」


 事実を積み上げられると弱い。

 なぜなら、こちらも完全には否定できないからだ。


 駅前に着いてからの流れは、もういつも通りだった。


 電気屋。

 米屋。

 ドラッグストア。

 文具店。

 最後にコンビニ。


 父は必要なところだけ短く言い、俺は文句を言いながらも順番に回す。

 前よりこの連携が自然になっているのがまた少し癪だ。


 文具店でノートを選びながら、ふと自分でも思う。

 前なら、この時点でもっと疲れていたかもしれない。

 今も面倒は面倒だ。

 だが、思考はちゃんと回る。

 何を先に済ませて、どこでついでをまとめて、帰りに何を回収するか。

 そういう段取りを、わりと普通に組んでいる。


 それが、少しだけ引っかかった。


 結局、コンビニでプリンと、健太用の消しゴムまで買ってしまった。

 ひなの予言は最悪の形で当たった。


「何で買うかな俺……」


 会計を終えて店を出たところで、思わずそう漏らす。


 父が米袋を持ち直しながら言う。


「そういうとこだろ」


「何が」


「前提にされるのは」


 その言い方は、たぶんかなり正しかった。

 頼めばやる。

 文句は言う。

 でもやる。

 そして、買うなと言いながら買ってしまう。


 そういう積み重ねで、人は誰かの予定の中へ組み込まれていくのかもしれない。


---


 家へ戻ると、案の定、誰も驚かなかった。


 富子は洗剤を受け取り、

 良子はノートを見て「うん、これこれ」と頷き、

 ひなはプリンを確認し、

 健太は消しゴムを見つけて叫んだ。


「買ってるじゃん!」


「うるさい」


「やっぱおじさん!」


「その言い方やめろ」


 ひなが小さく言う。


「ほらね」


「ほらねじゃない」


 良子が笑う。


「だから言ったじゃん。

 お兄ちゃん前提なんだって」


「お前らが勝手にそうしてるんだろ」


「でも、ちゃんと成立してる」


 そこだけは、何も言い返せなかった。


 父は和室へ戻る前に、短く言った。


「助かった」


「……どうも」


 その一言も、今の俺には少し重い。


---


 夜。

 自室。


 椅子に座る。

 ドアを閉める。

 静かだ。


「それ俺がいる前提の話ですよね、か……」


 朝の自分の言葉をそのまま口に出してみる。


 あれは抗議だった。

 かなり本気の。

 でも、周囲にはまったく刺さらなかった。


 なぜなら、本当にもうそうだからだ。

 家の中では、俺がいる前提で細かい予定が組まれ始めている。

 あとで行くでしょ。

 ついでにお願いね。

 来ると思ってた。

 そういう言葉が、冗談ではなく生活の一部になっている。


「……面倒なんだよなあ」


 それが本音だった。


 面倒だ。

 とても面倒だ。

 でも同時に、その面倒の中には確かに“俺がそこにいる意味”みたいなものも混ざっている。


 それがさらに面倒だった。


 机の上のエナジードリンクを開ける。

 炭酸の音が小さく部屋に広がる。


「前提にされるのって、頼まれるのよりちょっと重いんだよな」


 そう呟いたあと、しばらく天井を見ていた。


 頼まれる。

 助かる。

 便利。


 そして俺はたぶん、まだそれに慣れ切れていない。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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