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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第6章 『このへんって近すぎる』

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エピローグ 自室から少し遠くなっても、帰る場所は変わらない





 人が少しずつ変わる時、たいてい本人にはよくわからない。


 昨日と今日で別人になるわけではないからだ。

 朝起きた瞬間に急に前向きになるとか、ある日を境に社交的になるとか、そういうわかりやすい進化イベントは現実にはあまりない。


 変化というのはもっと地味だ。

 前なら嫌だった場所に、今は文句を言いながら行ける。

 前なら避けていた役目を、今は“面倒だな”と思いながらも引き受ける。

 その積み重ねで、気づけば少し遠くまで行けるようになっている。


 それが成長なのか、慣れなのか、諦めなのかは、正直よくわからない。

 たぶんその全部だ。


 ただ、ひとつだけはっきりしていることがある。

 少し遠くまで行けるようになったのは、最後に戻る場所が変わっていないからだ。


 その日、俺はそのことを、かなり雑多でかなりうるさい一日の終わりにようやく飲み込んでいた。


---


 朝。


 休日のくせに、下が少しうるさかった。


 この作品における休日の朝は、だいたい平和から始まらない。

 少し前までなら、それを不幸と断じていたと思う。

 今はもう、天気みたいなものだと思い始めている。

 曇りのち依頼。

 ところにより健太。

 そういう感じである。


「太郎ー」


 富子の声。


 ベッドの上で目を開ける。

 カーテンの隙間から差し込む光。

 まだ少し寝ていたい。

 だが、呼ばれた時点で完全に無視するほどの気力もない。


「何ー」


「ちょっと見てー」


 その“ちょっと見て”は信用できない。

 できないが、最近はそれを聞いた瞬間に“どの程度の面倒か”を予想する癖までついてきてしまった。


 階段を下りる。

 リビングへ行く。


 富子がキッチンの前に立って、電池のパックを持っていた。

 父は和室の前で工具箱っぽい箱を開けている。


「何」


「これ、単三だっけ単四だっけ」


「何に使うやつ」


「ひなの電動鉛筆削り」


「知らんよそんなの」


「でも見ればわかるでしょ」


 その理屈、本当に強いな。


 箱を見る。

 単三だった。

 それを渡す。

 終わり。


「ほら」


「ありがと」


 たったそれだけ。

 たったそれだけなのに、朝一番の“確認役”として動かされる感じが、最近わりと定着している。


 父がそこへ一言足す。


「あとで駅前出るなら、これ見てくれ」


 小さな部品の入った袋を持ち上げる。

 また駅前か。

 いや、もう今の俺にとって駅前は完全な未知エリアではない。

 だが、それでも“近所”認定はしていない。

 そこだけは譲らない。


「何これ」


「電気屋で型だけ見たい」


「父さん一人で行けるだろ」


「行けるが」


 その“行けるが”のあとに、すでに俺が組み込まれている感じがするのが嫌だ。


 良子も来た。

 タイミングが悪すぎる。


「お兄ちゃん駅前行くの?」


「まだ確定してない」


「じゃあ、ついでにひなのノート」


「増やすな」


「あとプリン」


「最後にそれ足すな」


 ひなが後ろから言う。


「グミも」


「お前らな」


 健太までいた。


「オレ、消しゴムほしい!」


「お前は自分で買え」


「何で!」


「知らん!」


 朝からタスクが増殖していく。

 しかも、ひとつひとつは小さい。

 小さいからこそ断りづらい。

 これが一番よくない。


「……今日は多いんだよ」


 思わずそう漏らす。


 良子が笑う。


「でも最近のお兄ちゃん、こういうの処理早いよね」


「処理って言うな」


「でもそうじゃん」


 父もそこで短く言う。


「前より動ける」


 その評価も、今となっては少しだけ受け取り方が変わってきている。

 前ならもっと素直に嫌だったかもしれない。

 今は、嫌だけではない。


 それがいちばん困る。


---


 昼前。

 俺は結局、駅前へ向かっていた。


 レジ袋ではなく、今日はリュック。

 ノート。

 部品。

 電池。

 ついでに飲み物。

 歩きながら、少しだけ思う。


 この感じも、だいぶ“普通”になってきた。

 駅前まで出る。

 用事をいくつか片づける。

 家族の頼まれものと自分の用事が混ざる。

 前の俺には、ちょっと想像しづらかった日常だ。


 駅前の空気。

 人通り。

 店。

 音。

 全部、以前ほど重くない。

 完全に楽とは言わない。

 だが、立っていられないほどではない。


 父に頼まれた部品はすぐ済んだ。

 ひなのノートも買えた。

 プリンも買った。

 健太の消しゴムは、本人の分だということで結局一個だけ買ってしまった。

 この判断が甘いのか優しいのかは、自分でもよくわからない。


 ドラッグストアの前を通った時、見覚えのある人に会った。

 ピアノ教室まわりの保護者だ。

 軽く会釈される。

 こちらも返す。

 それだけ。

 それだけなのに、“駅前でも顔が通る”感じが少しだけ増している。


 面倒だ。

 でも、前よりは普通に返せる。


 そのあと、商店街の手前で凛ともすれ違った。


「あ」


 短い声。

 こちらも軽く手を上げる。


「よう」


「こんにちは」


 短い。

 でもそれで十分だ。

 立ち止まらなくてもいい。

 かといって、わざと避ける必要もない。

 その距離感が、今の俺たちらしかった。


 駅前の用事を終えて、商店街を抜ける。

 住宅街へ入る。

 少しずつ、人の流れと音が減っていく。


 その変化の中で、ふと思う。

 今日はもうかなり“外側”まで来た。

 駅前。

 ドラッグストア。

 電気屋。

 商店街。

 途中で凛。

 知っている顔。

 覚えられている空気。

 少し前の俺なら、ここまで動いた日はもっと強く疲れていたかもしれない。


「……まあ、前より立ってはいられるんだよな」


 小さくそう呟く。


 別に平気なわけではない。

 でも前よりは、ここにいても、ここを歩いていても、そこまで息苦しくない。


---


 帰宅すると、いつものように家の空気が待っていた。


 富子が袋を受け取り、

 良子がノートを確認し、

 ひながグミとプリンの所在を気にし、

 健太が消しゴムに飛びつく。


「おじさん、買えた?」


「買えた」


「やった」


「オレの消しゴム!」


「一個だけだからな」


「ありがとう!」


 父が和室から出てきて、部品の袋を受け取る。


「助かった」


「どうも」


 短いやり取り。

 でも、それで十分だ。


 ひなが俺を見て言う。


「おじさん、今日も外いたね」


「いたよ」


「駅前?」


「そう」


「前よりへいきそう」


「そう見えるか」


「うん」


 その“うん”は、あいつなりにかなり確信がある時のやつだ。


 良子も頷く。


「たしかに。

 前より“行って帰ってくる人”になってるよね」


「嫌な言い方するな」


「でもたぶん、悪い意味じゃないでしょ」


 それは、その通りだった。


 富子が台所から言う。


「部屋にずっといるのもいいけど、少しくらい外行けると助かるものね」


「外行けると助かる、か」


「何よ」


「いや、別に」


 最近、本当に“助かる”の種類が増えた。

 家の中でも。

 外でも。

 便利とか、使えるとかじゃなく、もう少し生活そのものに近い言い方で。


 それは重い。

 でも、今は少しだけ前より受け止め方を知っている気がした。


---


 夕方を過ぎて、ようやく自室へ戻る。


 ドアを閉める。

 椅子に座る。

 机。

 棚。

 ベッド。

 少しぬるい空気。

 読みかけの本。

 充電ケーブル。

 全部、俺の配置のままだ。


「はあ……」


 深く息を吐く。


 今日も、そこそこ外にいた。

 駅前まで行って、商店街を通って、いろんな店を回って、知ってる顔とも知らない顔とも少し話して、帰ってきた。


 面倒だ。

 かなり面倒だ。


 でも、こうして部屋へ戻ると、今日一日がちゃんと“戻れる範囲の中の出来事”として整う気がする。


 たぶんそれが大事なのだ。


 外へ出る。

 少し遠いところまで行く。

 前より広い生活圏の中で立つ。

 それができるのは、最後にこの部屋へ戻ってこられるからだ。


「自室から少し遠くなっても、帰る場所は変わらない、か」


 声に出してみる。


 この部屋は前みたいに完全な結界ではない。

 ひなも来る。

 健太も来る。

 たまに美咲も来る。

 避難所みたいに扱われることもある。


 それでも、最後に戻ってきた時の静けさは、まだちゃんと俺のものだ。

 今日一日が、ここで少し整う感じも変わっていない。


「……だからか」


 たぶん、そうなのだ。


 自室から少し遠い場所でも、前より立っていられる。

 駅前でも、商店街でも、学校周辺でも、習い事の前でも。

 それは、自分が急に強くなったからではない。


 帰る場所が変わっていないからだ。


 この部屋へ戻れば、また呼吸が整う。

 机と椅子と棚の位置が、今日までの自分を元へ戻してくれる。

 だから、少しくらいなら外へ出てもいいと思える。


「……帰る場所がまだここだから、か」


 その言い方が、今の俺にはいちばんしっくりきた。


 部屋を捨てたわけじゃない。

 外へ完全に開いたわけでもない。

 ただ、帰る場所を残したまま、前より少し遠くまで行けるようになった。


 それなら、今はそれで十分だった。


 俺は机の上のエナジードリンクを開け、一口飲んでから椅子へ深く座り直した。


「自室から少し遠い場所でも、前より立っていられる。

 でもそれは、帰る場所がまだここだからだ」


 その言葉を最後に、部屋の中はまた静かになった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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