にぼし姫だと隠してないだろ
隠しごとには、賞味期限がある。
最初は効く。
少しずつ匂わせる。
偶然っぽく重ねる。
わかるか、わからないか、そのあたりで相手を転がす。
そういうのは、ある時期まではちゃんと機能する。
だが一度、双方の中で“たぶんそうだろう”が成立してしまうと、隠しごとは別のものになる。
演出ではなく、習慣だ。
わかっているのに一応続ける、みたいな奇妙な挨拶になる。
そしてそこから先は、隠しているかどうかより、**そのあとどういう距離で話すか**の方が大事になる。
俺と、にぼし姫。
いや、風間凛。
この関係も、たぶんもうそこへ入っていた。
向こうも、それがわかっている。
でも、だからといって全部を明文化するほど野暮でもない。
そういう、中途半端で少し楽な場所だ。
その日の夜、俺はその“次の段階”に静かに足を踏み入れていた。
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自室。
夜。
扇風機の弱い風。
机。
ノートPC。
エナジードリンク。
わりと理想的な布陣である。
現実側の生活圏が広がるほど、夜の部屋の価値は増す。
昼間は駅前だの習い事だの学校周辺だの、最近の俺はだいぶ動かされている。
だからこそ、ドアを閉めてチャット画面を開く時間は、前より少し大事になっていた。
ログインしてすぐ、いつもの名前が見えた。
白狼77。
いる。
にぼし姫。
いる。
この組み合わせは、以前ならそれだけで少し身構えた。
今も、まったく警戒しないわけではない。
だが前ほど“何かを当てられる”緊張はない。
もうだいたい、当たり終わっているからだ。
白狼77が最初に投げてきた。
『太郎、今日も外いたろ』
雑だな。
ほんとに雑だなこいつは。
『知らん』
と返す。
『出た知らん』
『最近その否定まったく機能してないぞ』
と白狼77。
にぼし姫が短く入る。
『今日は文具店っぽい感じでした』
俺はスマホを見たまま、少しだけ眉を上げた。
その言い方。
もう隠す気があるのかないのかわからない。
『何だよそれ』
と返す。
『紙とノートの気配です』
と、にぼし姫。
白狼77がすぐ乗る。
『気配て』
『もうエスパー枠じゃん』
『観測です』
とにぼし姫。
前までなら、ここでいちいち
“何でわかるんだ”
“どこまで見てるんだ”
と少し削られていた気がする。
今は、もう少しだけ違う。
『観測好きだな』
と俺は返した。
『そっちも、最近よく言いますよね』
とにぼし姫。
『何を』
『好きだなって』
その一言に、白狼77が即座に騒ぐ。
『はい出た』
『そういうとこな』
『お前らもう当てるとか隠すとかじゃなくなってんじゃん』
それは、たぶん少し正しい。
俺はエナドリを一口飲んでから返した。
『外野はうるさい』
『うわ、太郎が普通に外野扱いしてる』
『前よりだいぶ余裕あるな』
と白狼77。
余裕というより、前ほどそこで突っ張る意味がなくなっただけだ。
それは大きな違いでもある。
にぼし姫がまた短く入る。
『慣れましたか』
その問い方は、相変わらず少しずるい。
何に、とこっちへ聞き返させる余白をちゃんと残している。
『何に』
と俺は返す。
『いろいろです』
ほらそうだ。
“いろいろ”で逃がす。
だが今は、その逃がし方自体も前より少し可笑しく見える。
『雑だな』
と俺が返すと、にぼし姫はすぐにこう来た。
『そっちの方が最近雑です』
白狼77が笑う。
『言われてるぞ太郎』
『どうなんだよ』
『知らん』
と俺は返す。
『その“知らん”が一番雑なんだよ』
と白狼77。
にぼし姫はそこで、少しだけ長めに打ってきた。
『でも、前より話しやすくなったのは本当です』
その一文で、画面の空気が少しだけ静かになる。
白狼77ですら、すぐには何も挟まなかった。
それくらい、まっすぐだった。
俺は少しだけ天井を見た。
たしかにそうだ。
前より話しやすい。
店の外でも。
チャットでも。
全部を探っていた頃より、ずっと。
『まあ、それはある』
と返す。
送ってから、自分で少しだけ驚く。
かなり素直だ。
今日は本当に、そういう日らしい。
白狼77がすぐに食いつく。
『おいおい素直かよ』
『今日どうした』
『面倒が減っただけだろ』
と俺は返す。
『何の』
と白狼77。
『いちいち探る面倒』
それはかなり本音だった。
今はもう、全部の言葉に勝手に意味を乗せすぎなくていい。
店員の一言も、チャットの短文も、“何かのヒントか”と毎回構えなくてよくなった。
もちろん完全に消えたわけではない。
だが前ほどではない。
にぼし姫が言う。
『それはこっちも同じです』
その一言が、思っていたより深く入った。
『お前もか』
と返す。
『生活圏で毎回変に探られると面倒なので』
それは以前、店のレジでも聞いたような気がする。
いや、聞いたというより、空気として受け取っていたのかもしれない。
白狼77が、珍しくわりと真面目に言った。
『まあでもそれ、先に進んだってことだろ』
『前はそこで止まってたわけじゃん』
先に進んだ。
そう言われると少しこそばゆい。
だが、たぶん間違ってはいない。
『進んだっていうほど大げさでもない』
と俺は返す。
『太郎って、こういう時ほんとに言い方だけ地味にするよな』
と白狼77。
『地味でいいんだよ』
『派手にする関係じゃないだろ』
送ってから、少しだけ画面を見る。
今のは、前よりかなり自然に出た。
この関係は派手ではない。
告白だの、劇的な再会だの、そういう類ではない。
生活圏の中で、じわじわ重なって、少しずつ特別になってしまっただけのものだ。
にぼし姫は、それを否定しなかった。
『たしかに、派手ではないですね』
『だろ』
と俺が返す。
『でも、そのくらいの方がいいこともあります』
その一文に、白狼77がまた騒ぎ始めた。
『何それ何それ』
『外野を置いていくなよ』
『うるさい』
と俺。
『いやでもさ』
と白狼77。
『お前ら、前は“当てるな・隠すな・でも言うな”みたいな謎ループだったのに、今もう普通に会話してるじゃん』
それは、たしかにそうだった。
謎ループ。
ひどい言い方だが、かなり正確でもある。
疑う。
否定する。
匂わせる。
止まる。
また疑う。
あの頃はそれだけでだいぶHPを使っていた。
今は違う。
白狼77がうるさいのは変わらないが、少なくともにぼし姫とのやり取りそれ自体で削られることは減った。
『バレたあとの方が、むしろ普通に話せることもあるらしい』
と俺は打った。
にぼし姫からすぐ返ってくる。
『今さらですか』
それが少し可笑しくて、俺は本当に少しだけ笑った。
『今さらだよ』
『遅いですね』
『うるさい』
と返す。
白狼77がすかさず入る。
『それ、もはやにぼし姫の返し方じゃなくて凛の返し方じゃん』
その一文を見て、前までなら少し身構えていたかもしれない。
だが今は、そこまでではない。
『そういうこと言うな』
と俺は返す。
『外野席なので』
と白狼77。
『じゃあ黙ってろ』
と俺。
『ひど』
と白狼77。
にぼし姫がそこで、何でもない顔をした短文を落としてきた。
『外野がうるさいくらいの方が、逆に普通かもしれません』
その言い方が、前より少しだけやわらかく感じる。
『何だそれ』
と返す。
『静かすぎると、変に意識するので』
まただ。
また少し核心に近いことを、何でもない一文の顔で置いてくる。
でも今は、それを“ヒント”として受け取る感じではない。
ただ、相手もそう思っているのだと受け取れる。
『それはまあ、わかる』
と俺は返した。
白狼77がすぐに騒ぐ。
『おい今日は素直すぎるだろ太郎』
『逆に怖いわ』
『疲れてるだけだよ』
と返す。
にぼし姫がすぐに言う。
『それもあるでしょうね』
『観測かよ』
と俺。
『そうです』
とにぼし姫。
ほんとにもう、そこは迷わないんだな。
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チャットを閉じたあと、部屋は静かだった。
扇風機の音。
机の上の缶。
窓の外の虫の声。
「……次の段階、ね」
思わずそう呟く。
隠してないだろ、の次。
当てた、当ててない、の次。
もうそれを材料に遊ぶ時期ではなくなって、知ってる前提でどう普通に話すかの段階。
そう考えると、たしかに少し進んだのかもしれない。
劇的な変化ではない。
恋人になったわけでもない。
毎日連絡を取り合うような関係でもない。
ただ、生活圏の中で、現実とネットの線が前よりきれいにつながった。
それだけ。
でも、その“それだけ”が前の俺にはけっこう大きかった。
「まあ……悪くないか」
その結論が、今のところはいちばん正確だった。
派手ではない。
でも、悪くない。
この作品には、そのくらいの進み方の方が似合う。
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