大型店という名の遠征任務
大型店には、人の判断力を鈍らせる何かがある。
広い。
明るい。
何でもある。
それだけならまだいい。
問題は、ああいう場所へ行くと、人は急に“ついでにこれも見よう”を言い始めることだ。
いや、言い始めるというより、本性が出るのかもしれない。
近所のドラッグストアなら我慢していた欲求が、巨大な売り場の前では平然と顔を出す。
洗剤を見るついでに柔軟剤。
文房具を見るついでに収納ケース。
子どものノートを見るついでにシール。
米を見るついでにお菓子。
“ついで”という言葉は、広い店内に出ると異様に増殖する。
だから俺は大型店が少し苦手だ。
行けば何とかなる。
何なら店内表示や売り場の配置を見て、最短ルートを考えるのはわりと得意な方だ。
だが、得意と好きは別である。
そして大型店は、得意な人間にばかり仕事が集まりやすい。
これがよくない。
その日、俺はまさにその悪い条件のそろった遠征任務に出ていた。
---
発端は土曜の朝だった。
富子が言う。
「今日、ちょっとあっちの大型店行きたいのよね」
この“ちょっと”が長くなることは、もはや経験則で知っている。
台所の前でコーヒーを飲んでいた俺は、すぐに警戒態勢へ入った。
「何しに」
「洗剤と、あと収納ケース見たいの」
「じゃあ父さんと行けば」
俺がそう言うと、和室の前にいた父が新聞をたたみながら言った。
「行くぞ」
短い。
だが、その“行くぞ”に俺は入っていないはずだ。
はずなのに、富子が当然のように続ける。
「太郎も来て」
出た。
「何で」
「一人だと荷物多いし」
「父さんいるだろ」
「お父さんは見るのが早すぎるのよ。
ちゃんと比較してくれないじゃない」
その評価はちょっとわかる。
父は目的物を見つけると、必要十分で終えたいタイプだ。
一方、富子は“せっかくだから他も見たい”派である。
この二人だけで大型店へ行くと、どこかで温度差が出るのだろう。
「俺は比較役かよ」
「向いてるでしょ」
言い切るな。
そこへ良子まで来た。
何なんだ。
今日も生活圏の主要人物が集まるのが早い。
「大型店行くの?」
「まだ決まってない」
「決まってるよそれ」
お前まで。
「じゃあ、ひなの上履き入れ見てきて。
今のやつ、ちょっと小さいの」
「現地で連絡しろ」
「いや、写真送るから」
「最初からそうしろよ」
ひなは良子の後ろから、かなり当然みたいに言った。
「あとシール」
「何でだよ」
「だって大型店だよ?」
その理屈は雑すぎる。
大型店ならシールが追加されていい理由にはならない。
健太までいた。
いつからいたんだお前。
「オレ、お菓子売り場行く!」
「お前は行かない」
「何で!」
「暴走するからだ」
「しない!」
する。
かなりする。
だが良子は、健太のその様子を見て少し考え込んだ。
「……でも、ひなと健太くんも連れてった方が早いか」
「何でそうなる」
「どうせそのあと買い物あるし。
まとめて済むじゃん」
まとめて済む。
この家系の人間は、本当にその言葉が好きだな。
富子もすぐ乗る。
「じゃあみんなで行きましょうか」
「やめろ。
それが一番面倒なんだよ」
「でもその方が一回で済むし」
父がそこで短く言った。
「車出すか」
終わった。
完全に始まった。
俺はその場で目を閉じた。
「……大型店という名の遠征任務じゃねえか」
良子が吹き出す。
「ほんとにそう」
「笑うな。
お前が増やしてる側だからな」
---
大型店までは車で二十分弱だった。
駅前より遠い。
この時点で、俺の中では完全に“近所”ではない。
だが車の中の空気は妙に軽かった。
運転は父。
助手席に富子。
後部座席に俺、良子、ひな、健太。
詰めすぎではないかと思ったが、案外どうにかなっている。
健太は最初の五分で窓の外に飽き、ひなは静かにバッグの中を整理していた。
良子はスマホで“これあったら見て”リストを作っている。
富子は父に道を指示し、父は短く返事をしている。
何だこれ。
家の延長みたいな車内だな。
「お兄ちゃん」
良子がスマホをこっちへ向ける。
「これ、もし安かったら見て」
「増やすな」
「まだ一個だよ」
「もう増えてる時点で駄目なんだよ」
ひなが横から言う。
「おじさん、今日つかれそう」
「もう疲れてる」
「まだ着いてないよ?」
「だからだよ」
健太は相変わらず元気だった。
「オレ、カート押したい!」
「やめろ」
「何で!」
「事故る」
「事故らない!」
その“事故らない”が一番信用できない。
父が前から言う。
「店着いたら走るなよ」
「はーい!」
返事だけは立派だな。
---
駐車場の広さでまず気が重くなった。
「広……」
思わずそう呟く。
大型店というものは、建物の前からもう圧がある。
駐車場。
カート置き場。
ファミリー。
買い物袋。
全部が“今日は長くなるぞ”と言っている気がする。
中へ入る。
冷房。
高い天井。
通路。
でかい案内板。
もうこの時点でちょっとしたダンジョンだ。
「まず洗剤」
富子が言う。
「次に収納ケース」
「次って言うな。
最初から複数前提かよ」
「だってそうでしょ」
そうなのが悔しい。
俺は案内板を見る。
日用品。
収納。
文具。
食品。
子ども用品。
最短ルートを一瞬で組み立てる。
「先に日用品からだな。
そのあと収納、帰りに文具と食品」
言った瞬間、父が少しだけこちらを見た。
「早いな」
「こういうのだけはな」
得意だからこそ損をする。
洗剤売り場は広かった。
そして当然のように、富子は比較を始める。
「こっちの方が安いかしら」
「容量が違う」
「じゃあこっち?」
「そっちは詰め替え」
「こっちは」
「柔軟剤」
「ややこしいわねえ」
わりと基本だと思う。
父は少し離れたところで黙ってカートを持っていた。
俺が比較し、富子が悩み、父が運ぶ。
役割分担としては綺麗だが、俺の立場だけ少し納得がいかない。
健太は途中でお菓子売り場へ吸われそうになった。
ひなが袖を引っ張って止める。
「けんた、今ちがう」
「何で!」
「今は洗剤」
「洗剤おもしろくない!」
「そうだよ」
そこだけは俺も全面的に同意だった。
収納ケース売り場では、さらに面倒が増した。
サイズ。
深さ。
色。
フタの有無。
「これでいいんじゃない」
父が一つを持ち上げる。
「でももう少し深い方が」
富子が言う。
「じゃあこっちか」
「でもそれだと棚に入るかしら」
知らん。
いや、知らないと言いたいが、家の棚の大きさは何となくわかる。
この“わかってしまう”のが一番よくない。
「……たぶんこれ」
俺が中間サイズを指すと、富子が頷く。
「それね」
採用されるの早いな。
結局俺なのかよ。
良子からスマホが飛んでくる。
『上履き入れとシール忘れないで』
忘れたい。
心から忘れたい。
---
文具売り場と子ども用品を回った時点で、すでにそこそこ疲れていた。
ひなの上履き入れは、紺色でシンプルなものに決まった。
シールはなぜか二つになった。
健太が自分の分を主張したからだ。
「何で俺がそれを許可する流れなんだよ」
「だって、オレも来たし!」
「来たから何だよ」
「遠いし!」
その理屈は初めて聞いた。
遠征参加報酬みたいに言うな。
父は食品売り場で米を見ていた。
富子は“せっかくだから”で菓子パンを追加している。
良子はひなのシールを見ながら「やっぱこっちも可愛いな」とか言い始めている。
誰も収束させる気がない。
「……お前らな」
思わずそう漏らすと、ひなが真顔で言った。
「おじさん、もうちょっとで終わるよ」
「何を根拠に」
「なんとなく」
その“なんとなく”が信用できないのは、子どもも大人も一緒だった。
とはいえ、最終的には本当に終わった。
カートの中はだいぶ賑やかだったが、全部の用事は片づいた。
レジを抜けて袋詰め台の前に立った時、俺は本気で少しだけ達成感を覚えていた。
悔しいが、これは遠征任務完了である。
「おつかれ」
良子が笑う。
「疲れた」
「でも全部見つかったじゃん」
「見つけたんだよ」
父が米袋を持ち上げながら言う。
「まあ、いないと時間かかったな」
その一言に、富子も頷いた。
「ほんと。
太郎いると早いのよね」
またそれだ。
大型店という場所は、“いると助かる”がより可視化されやすいのかもしれない。
やめてほしい。
でも少しだけ、今日はそれを完全には否定できなかった。
---
帰りの車の中、健太は途中で寝た。
あれだけ騒いで、寝る時だけ急に静かになるのはずるい。
ひなは新しいシールの袋を膝に置いて、満足そうだった。
良子も上履き入れを見て納得している。
富子は“やっぱり大きい店は一回で済むからいいわねえ”と言い、父は短く「疲れるがな」と返した。
そのやり取りを聞きながら、俺は窓の外を見ていた。
大型店はやっぱり面倒だ。
遠いし、広いし、ついでは増えるし、子どもは散る。
だが前ほど、“無理だ”という感じでもなかった。
疲れはする。
かなりする。
でも、一つ一つの用事を並べて、順番をつけて、回していくこと自体はもうそれなりにできる。
「……近所の外へ行くと、面倒は増えるんだよな」
小さくそう言うと、隣のひなが聞きつけた。
「でも、できた」
「まあな」
「おじさん、遠くてもちゃんとしてた」
その評価の語彙、本当に固定されてきたな。
「遠いって言っても車で二十分だぞ」
「でも、ひなの中では遠い」
「お前基準だとたぶんそうか」
子どもにとっては、大型店はもう十分に遠征なのだろう。
それなら今日の俺は、たしかに“遠征任務”をこなしたのかもしれなかった。
---
夜。
自室。
ドアを閉める。
椅子に座る。
机の上のエナジードリンクを開ける。
「……大型店ってだけで疲れるんだよな」
思わずそう漏らす。
広い売り場。
増えるついで。
比較。
カート。
袋詰め。
全部、小さいようで地味に削ってくる。
でも、その疲れ方の質は、前とは少し違っていた。
昔なら、途中でもっと強く“帰りたい”が前に出たかもしれない。
今は“面倒だな”を言いながら、最後まで付き合って帰ってきている。
「近所の外まで行くと面倒は増える。
でも、前ほど無理ではない、か」
その言葉が、思ったより素直に出た。
広がる。
でも一気には変わらない。
相変わらず面倒で、相変わらず文句を言う。
それでも、前より少し遠い場所まで行ける。
その程度で、たぶん今は十分だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




