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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第6章 『このへんって近すぎる』

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ひなの習い事は、おじさんの待機任務つき



 待機という言葉には、妙な敗北感がある。


 出動でもない。

 攻略でもない。

 解決でもない。

 待機だ。


 何かが起きるまでその場にいる。

 起きなければ、基本的には何もしない。

 成果があるようでない。

 ないようで、でもいないと困るかもしれない。

 そういう曖昧な役割だ。


 昔の俺は、この手の役割があまり好きではなかった。


 何をすればいいのかがはっきりしないからだ。

 道具も使わない。

 技術もいらない。

 ただ、その場にいるだけ。


 だが人間関係というのは時々、その“いるだけ”に妙な意味を乗せてくる。

 それが一番面倒で、一番処理に困る。


 その日、俺はまたしてもそのタイプの任務についていた。


---


 発端は、昼過ぎの良子からのメッセージだった。


『お兄ちゃん、今日ひなのピアノなんだけど』


 そこで嫌な予感がした。


 うちの家族から来るメッセージは、文頭でだいたいわかる。

 雑談ではない。

 要件だ。

 しかも十中八九、こちらの可動域を前提にしたやつである。


『何』

と返す。


『迎えお願いしていい?』


 来た。


『何で俺』

と返す。


『今日ちょっと買い物が長引きそうで』

『お母さんも今出てるし』


 その言い方だと、断る側が心の狭い人間みたいになる。

 実際にはそうでもない。

 ただ、自分の部屋にいたいだけだ。


『父さんは』

と送る。


『今日町内会の人来るって言ってた』

『たぶん今ちょうど家』


 ああ、そういえば父が午前中にそんなことを言っていた気がする。

 和室に誰か来るなら、たしかに動きにくいかもしれない。


『近いし、終わるまで待っててくれるだけでいいから』

と良子。


 その“近いし”と“待っててくれるだけ”が、毎回ずるい。

 簡単そうに聞こえる言葉を二つ並べて、断りづらさだけを上げてくる。


『何時』

と返す。


『四時半くらい』

『教室の前でひな待っててくれたら助かる』


 四時半。

 まだ少し時間はある。

 あるが、そうやって少し時間があると、逆に“なら行けるでしょ”の空気が濃くなるのが良くない。


 俺はベッドの上で天井を見た。


「……待機任務かよ」


 声に出すと、余計に嫌な響きだった。


 だが結局、四時を少し過ぎた頃には、俺はサンダルを履いて家を出ていた。


---


 ピアノ教室は駅前へ行く手前、商店街を抜けた先の古いビルの二階にあった。


 一階は空き店舗になっている。

 二階に小さな教室がいくつか入っていて、ピアノ、英語、習字あたりが週ごとに使われている。

 いかにも“地域の子どもたちが通う場所”という感じの建物だ。


 俺が着いた時には、まだ少し早かった。


「早すぎるな……」


 つい口に出る。


 待つだけの任務において、“少し早い”はかなり長い。

 十分が十五分に感じるし、五分でも妙に伸びる。


 建物の前には小さな駐輪場。

 横に自販機。

 少し先にコインパーキング。

 そして、それぞれの場所に、同じような立場らしい大人がちらほらいた。


 腕を組んで立っている父親。

 スマホを見ている母親。

 近所の知り合いらしい二人で喋っている祖母同士。


 この空気が、まだ少し苦手だ。


 完全な部外者ではない。

 でも、完全に馴染んでもいない。

 ただそこにいる大人として、存在だけが浮かない程度に溶け込む必要がある。


 これが地味に難しい。


 最初、入口のすぐ横に立ってみた。

 だが近すぎる気がする。

 次に少し離れた街灯の下へ移動した。

 今度は遠い気がする。

 何なんだこのゲームは。

 待機ポジションの正解が見えない。


「……めんどくさいな」


 自販機で缶コーヒーを買う。

 特に飲みたかったわけではない。

 ただ、何か手に持っていた方が“ただ突っ立ってる人”感が少し減る気がした。


 プシュ、と音を立てて缶を開ける。

 ちゃんと冷えている。

 少し甘い。

 待機任務の報酬としてはまあまあだ。


 スマホが震えた。


 良子からだ。


『着いた?』


『着いた』

と返す。


『ありがと』

『ひなに、おじさん来るって言ったらちょっと安心してた』


 その一文で、また微妙な顔になる。


「そういうのが一番面倒なんだよな……」


 安心してた。

 その言い方はよくない。

 ただ迎えに行くだけの任務に、妙に意味が乗ってしまう。


 だが、そう思ってしまった時点で、もうこちらも完全には他人事でいられていないのだろう。


---


 五分。

 八分。

 たぶんそのくらい。


 待っている時間は、本当に変な伸び方をする。


 特に何かが起きるわけではない。

 目の前を自転車が通る。

 子どもが一人走っていく。

 向かいの店のシャッターが少しだけ上がる。

 それだけだ。


 だが、その“それだけ”を見ているしかない時間というのは、思ったより長い。


 建物の二階から、ピアノの音が小さく漏れてくる。

 止まって、また始まる。

 たぶんレッスンの区切りだろう。


「前の俺なら、やってないんだよな」


 ぽつりと呟いた。


 迎えに来て、外で待つ。

 特に何かをするわけでもない。

 ただ“出てきた時にいる人”になる。


 前の俺なら、その役割をかなり軽く見たはずだ。

 電話が来たら出ればいい。

 終わったら連絡してくれればいい。

 そう言って、自室にいたかもしれない。


 今も、その方が合理的ではあると思う。

 だが、ひなにとってはそうではないのだろう。


 出てきた時、顔を上げた先に知っている人がいる。

 その“いる”が少し安心になる。


 それは理屈としてはわかる。

 わかるから困る。


---


 やがて、二階の扉が開いた。


 先に一人、小さな男の子が出てくる。

 母親らしい人のところへ走っていく。

 少し遅れて、別の女の子。

 その子は祖母らしい人に駆け寄る。


 そして、その次にひなが出てきた。


 ピアノバッグを肩にかけて、片手に楽譜の入った薄いケースを持っている。

 階段を降りて、入口を出て、きょろっと周囲を見る。


 その視線がこちらを捕まえた瞬間、顔がふっとほどけた。


「あ」


 その小さな声が、今日の任務の意味を全部持っていく。


 俺は自販機の横から軽く手を上げた。


「おう」


 ひなは小走りでこっちへ来た。


「ほんとにいた」


「その確認いるか?」


「だって、まだかなってちょっと思った」


「早めに来てるよ」


「ずっと?」


「まあな」


 そう答えてから、自分でも少しだけ変な感じがした。

 俺は今、“ずっと待ってた人”としてここに立っている。


 ひなは俺の顔を見て、それから少しだけほっとしたように息をついた。


「じゃあよかった」


「何が」


「出た時に、おじさんいたから」


 その言い方は、小さい。

 でも十分だった。


 待っていたこと。

 そこにいたこと。

 それがちゃんと意味になっている。


「……そうかよ」


 俺はそれしか返せなかった。


「うん」


 ひなは頷いて、バッグを持ち直した。


「帰る?」


「帰るか」


 並んで歩き始める。

 夕方の道。

 商店街の方から揚げ物の匂いが少し流れてくる。

 空は昼よりやわらかい色になっていた。


「今日、どうだった」


 俺が聞くと、ひなは少し考えた。


「ちょっとだけできた」


「またその評価か」


「でもほんとにちょっとだけ」


 便利な言葉だな、それ。


「見せてみ」


 ひながケースを少し開けて、楽譜の端を見せる。

 赤鉛筆で先生らしい丸がいくつかついている。


「へえ、前より増えてるな」


「うん」


「じゃあちゃんとやってるじゃん」


「……ちょっとだけね」


 そこでまた少し笑ってしまう。

 あいつは本当に、自分の手柄を盛らない。

 控えめなのか、評価が厳しいのか、その両方か。


 少し歩いたところで、ひながぽつりと言った。


「おじさん、今日ほんとに待ってるだけだったね」


「それな」


「つまんなかった?」


 その問い方が少しだけまっすぐだったので、俺はすぐに答えられなかった。


 つまらない、で切ることもできる。

 待機任務は長いし、立っているだけだし、俺向きではない。


 だが、今日のひなの顔を見たあとだと、“つまらなかった”だけでもない気がした。


「……長かった」


「うん」


「でも、お前が出てきた時に、俺がいた方がいいなら、それでいいんじゃないか」


 言ってから、自分でも少し照れくさい。

 何だその発言は。

 俺はいつからそういう保護者寄りのことを言うようになった。


 だがひなは、変に笑わず、からかわず、ただ頷いた。


「うん。よかった」


 その一言で、今日の任務は終了した気がした。


---


 帰宅すると、良子が玄関で待っていた。


「ごめん、遅くなった」


「別に」


 ひながすぐピアノバッグを置いて、今日のことを喋り始める。

 良子がそれを聞いている横で、小さく俺に言った。


「助かった」


「待ってただけだよ」


「それが助かったんだって」


 またそれだ。


 俺は靴を脱ぎながら言う。


「今日そういうの多いな」


「そういう時もあるでしょ」


 良子は笑う。


「ひな、出た時お兄ちゃんいて、ちょっと安心したって」


「本人にも言われた」


「でしょ」


 当たり前みたいに言うな。

 こっちは一々ちょっと引っかかっているんだよ。


 父が和室から顔を出した。


「迎え行ってたのか」


「そうだよ」


「どうだった」


「待ってただけ」


 父は少しだけ頷いた。


「それで十分だろ」


 またそれだ。

 父は最近、この“それで十分”をよく使う。

 大げさに持ち上げもしないが、軽くもしすぎない。

 今の俺にはたぶん、そのくらいがいちばん助かる。


---


 夜。

 自室。


 椅子に座って、エナジードリンクを開ける。

 炭酸の音が、少し静かな部屋に広がる。


「待機任務つき、か……」


 思わずそう呟く。


 今日の俺は、何も直していない。

 何も運んでいない。

 何も買ってもいない。

 ただ、教室の前に立って、二階から出てくる子どもたちを見て、ひなが出てくるのを待っていただけだ。


 なのに、その“だけ”が妙に残っている。


 待つというのは、見た目が地味だ。

 成果も見えづらい。

 だが、出てきた子どもの顔が少しほっとするなら、それはたぶん意味のある時間なのだろう。


「……嫌いじゃないわけじゃないのかもな」


 その言葉が、思っていたより自然に出た。


 好きではない。

 長いし、面倒だし、立ち位置も難しい。

 でも、嫌いじゃないわけじゃない。


 その程度の変化で、今は十分だった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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