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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第6章 『このへんって近すぎる』

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プロローグ 駅前までが近所扱いになってる





 近所の定義は、人によって違う。


 これはかなり大事なことだ。

 徒歩三分までを近所と言う人もいれば、自転車で十分ならまあ近所という人もいる。

 もっと雑な人になると、電車に乗らなければ全部近所みたいな顔をする。

 その感覚で人を巻き込むのはやめてほしい。


 うちで言えば、富子がかなりそのタイプだった。


 あの人にとっての“ちょっとそこまで”は、普通の人間より二段階くらい広い。

 コンビニはもちろん、スーパーも“すぐ”。

 ホームセンターも“まあ近い”。

 そして最近では、駅前までもその範囲に入り始めている。


 納得いかない。


 駅前はもう近所ではない。

 少なくとも俺の中ではそうだ。

 人が多い。

 店が多い。

 ついでが増える。

 つまり、面倒が濃い。


 その日の俺は、まさにその“面倒の濃いエリア”へ押し出されようとしていた。


---


 朝。


 俺は自室でだらだらしていた。


 だらだらという言葉には、もっと敬意が払われるべきだと思う。

 あれは無為ではない。

 心の余白を整える作業である。

 動画を流し、スマホを見て、何となく本棚へ目をやり、でもまだ何もしない。

 そういう時間が人には要る。


 その大事な作業の最中、一階から富子の声が飛んできた。


「太郎ー」


 出た。


「何ー」


「あとで駅前行くなら、電池買ってきてー」


 俺はベッドの上で片目を開けた。


 待て。

 最初から前提がおかしい。


「行かねえよ」


 まずそこを否定する。


「行くでしょ」


 何で断定なんだよ。


「何でそうなる」


「だってお父さん、時計屋さん寄るって言ってたし」


 時計屋。

 ああ、父がこの前、腕時計の電池が切れたとか何とか言っていた気がする。


「それ父さんの用事だろ」


「でもついでに駅前行くなら一緒でしょ」


 もう始まっている。

 “ついで”の拡大解釈が始まっている。


 俺は諦め半分で階段を下りた。


 リビングへ行くと、父が和室の前で腕時計を手にしていた。

 たしかにそれっぽい。

 富子は乾電池の空パックを持っている。


「何だよ」


「これな」


 父が腕時計を少し持ち上げる。


「電池交換、駅前の店の方が早いらしい」


「じゃあ行けば」


「行くぞ」


 短い。


「一人で行けるだろ」


「行けるが」


「じゃあ何で俺」


 そこで父は少しだけ間を置いてから言った。


「帰り、米屋も寄るかもしれん」


 増えた。

 予想通り増えた。


「それも一人で行けるだろ」


「持つのが面倒だ」


 珍しく正直だな。


 富子が横から乗ってくる。


「ほら、じゃあちょうどいいじゃない。

 電池も買えるし」


「ちょうどよくない」


「あと洗剤も見てきて」


「増やすな」


「駅前まで行くならドラッグストアもあるでしょ」


 駅前まで行くなら、ではない。

 行くことが確定してから言え。


 だが、この家ではいつもこうだ。

 一つの外出予定が見えると、その導線へ家中の細かい用事が流れ込んでくる。

 気づけば買い物袋が重くなり、目的地が増え、帰宅時の疲労だけが残る。


 そこへさらに、二階から足音がした。


 嫌な予感がする。


「おはよー」


 良子だった。

 最悪のタイミングである。


「何でいるんだよ」


「ひど。実家来ただけじゃん」


「この流れで来るな」


「何の流れ?」


 とぼけるな。

 絶対察してるだろ。


 案の定、富子がすぐ言う。


「お兄ちゃんたち駅前行くから、何かある?」


 早い。

 連携が早い。

 しかも本人の意思確認を完全に飛ばしている。


「ある」


 良子が即答した。


 やっぱりな。


「ひなのノートなくなりそうだから、それお願い。

 あとプリン」


「最後の一個いらねえだろ」


「いるよ」


「何で」


「帰ってきて冷蔵庫にプリンあると、人ってちょっと機嫌よくなるから」


 その理屈はわからなくもないのが腹立たしい。


 父が短く言う。


「ノートくらいならいいだろ」


「父さんまで何でそっち側なんだよ」


「ついでだろ」


 出た。

 ついで。

 この家の支配言語である。


 その時、また玄関が開いた。


「おじゃましまーす」


 ひなだった。

 後ろから健太の声もする。


「オレも来た!」


 何でだ。

 何で今日に限って、生活圏の主要人物が朝からこんなに揃うのか。


 ひながリビングへ入ってきて、俺を見てすぐ言う。


「おじさん、駅前行くの?」


「まだ決まってない」


「行くでしょ」


 お前までその言い方をするな。


「何でそう思う」


「だって、みんなもうその話してる」


 たしかにしている。

 してしまっている。

 この家では、一度話題が流れ始めると、それはもう半分決定なのだ。


 健太は勢いだけで言った。


「オレ、文房具屋行きたい!」


「お前は行かない」


「何で!」


「人数が増えると面倒が増える」


「でも楽しそう!」


「お前だけな」


 良子が笑う。


「お兄ちゃん、もう顔が“駅前遠征任務”になってる」


「うるさい」


「でもほんとそうだよ。

 頭の中で順番並べてるでしょ」


 図星だった。


 たしかにもう、俺の脳内では簡易マップができている。


 時計屋。

 ドラッグストア。

 文具店。

 米屋。

 場合によってはコンビニ。

 そしてついでにプリン。


 何なんだこれ。

 普通に一冊のRPG序盤の街じゃないか。


「……駅前までを近所扱いするの、やめろよほんと」


 思わずそう漏らす。


 富子は平然としていた。


「近いじゃない」


「近くない」


「歩いて行けるし」


「歩いて行けることと近いことは別だろ」


 父は時計をポケットへ入れながら言う。


「そんなに大げさでもない」


「いや大げさだよ。

 駅前はもう近所じゃない」


 ひなが少し考えてから言った。


「じゃあ、近所の外側?」


「そうだよ」


「でも、すぐ行ける」


「お前ら、距離感のバグり方が同じなんだよな」


 良子がそこへ、妙に楽しそうな顔で言った。


「でもたしかに、お兄ちゃん前より駅前行くようになったよね」


 その言葉に、少しだけ止まる。


 たしかにそうだ。

 前なら、駅前へ出ること自体もっとイベント感があった。

 服を選び、気分を作り、行く理由を固めないと動きにくかった気がする。


 今は、文句を言いながらでも結局行っている。

 ついでで押し出され、頼まれごとで動き、帰ってくる。


 それがいいことかどうかはさておき、変化ではある。


「……だからって近所ではない」


 俺は最後までそこだけは譲らなかった。


---


 結局、父と二人で出ることになった。


 健太は本気でついてきたそうだったが、さすがに止められた。

 ひなは「プリンよろしく」とだけ言い、良子は「ノートB5のやつね」と雑に追加し、富子は「洗剤も忘れないで」と当然のように送り出した。


 何でこんなに背負って出るんだ。


 玄関を出る時点で、俺の中ではすでに遠征だった。


 父は歩きながら言う。


「そんなに嫌か」


「駅前は面倒なんだよ」


「店がある方が便利だろ」


「便利なのと、面倒じゃないのは別だ」


「そうか」


 そこで会話が一度切れる。

 父とのこういう短い往復にも、もうだいぶ慣れた。


 住宅街を抜け、商店街に入る。

 そこからさらに少し歩くと、駅前の空気が濃くなる。

 人が増える。

 音が増える。

 看板が増える。

 それだけで、俺の中では“近所の外”感がある。


「やっぱり近所じゃないな」


「まだ言ってるのか」


「大事なことだろ」


 父が少しだけ笑った気がした。


 駅前の時計屋は、思ったよりすぐ済んだ。

 電池交換には少し時間がかかるらしく、三十分後にまた来てくれと言われる。


「ほらな」


 俺が言う。


「だから面倒なんだよ」


「待ってる間に他の買い物できるだろ」


「そういう話じゃない」


 だが、結局その待ち時間でドラッグストアへ行き、乾電池と洗剤を買い、文具店でノートを買い、ついでにひなが使いそうな可愛いシールまで良子に頼まれて追加された。


「何でシールまで」


「写真送ったら、いるって」


「便利に使うなあいつも」


 父はその横で米屋の袋を持ち上げながら言う。


「プリンは最後でいいな」


「それはそう」


 その判断だけは一致した。


 駅前を父と二人で歩く。

 店から店へ。

 用事から用事へ。

 昔の俺なら、こういう“目的が複数ある外出”だけでだいぶ消耗していたかもしれない。


 今も疲れる。

 かなり疲れる。

 だが、足が止まるほどではない。


「太郎」


「何」


「次、時計取りに戻るぞ」


「はいはい」


 返事が妙に自然に出た。

 それが自分でも少し引っかかる。


 時計を受け取り、最後にコンビニでプリンを買う。

 この“最後にプリンを買う”という行為が、妙にこの家らしい。

 用事の締めが甘味である。


 帰り道、袋はそこそこ重かった。

 父が米、俺が洗剤と文具とプリン。

 こういう荷物分担まで、最近は前より自然だ。


「ほら」


 父が米袋を少し持ち直しながら言う。


「近所みたいなもんだろ」


「違う」


「でももう普通に来てる」


 その一言が、少しだけ残った。


 普通に来てる。

 たしかにそうだ。

 文句は言う。

 かなり言う。

 だが、来てはいる。

 駅前まで。

 しかも頼まれごとをいくつも抱えて。


「……納得はいかないけどな」


「それでいいだろ」


 父は短くそう言った。


---


 家へ戻ると、富子がすぐに袋を受け取った。


「買えた?」


「買えた」


「洗剤も?」


「ある」


「ノートは?」


「ある」


「プリン!」


 ひなが一番最初に反応した。

 やっぱりそこか。


「あるよ」


「やった」


 健太まで横から言う。


「オレのは?」


「ない」


「何で!」


「お前の依頼じゃないからだよ」


 良子はノートを見ながら笑っていた。


「お兄ちゃん、駅前任務おつかれ」


「誰のせいだと思ってる」


「でもちゃんと全部買ってきたじゃん」


「だからって近所扱いはしない」


「まだ言ってる」


 ひながそこで当然みたいに言った。


「でも、おじさん、前より駅前行けるよね」


 俺は少しだけ黙った。


 たしかにそうだ。

 前より行ける。

 前より、そこで立っていられる。

 前より、複数の用事を抱えてもどうにか回せる。


 だからといって、近所ではない。

 そこだけは譲れないが、変化まで否定はできなかった。


「……まあ、前よりはな」


 それが精いっぱいだった。


 良子が、少しだけやさしい顔で言う。


「それで十分じゃん」


 たぶん、その通りなのだろう。


---


 夜。

 自室へ戻る。


 ドアを閉める。

 椅子に座る。

 机の上のエナジードリンクを開ける。


「駅前までが近所あつかいになってきた、か……」


 言葉にすると、やっぱり納得はいかない。

 だが、前よりそこへ行けるようになったのは事実だった。


 大きな変化じゃない。

 社会がどうとか、人生がどうとか、そういう話ではない。


 ただ、少し前の俺なら、駅前というだけで気持ちが重かった。

 今は文句を言いながらでも、ついでで押し出されても、どうにか行って帰ってこられる。


 その違いは、思ったより小さくないのかもしれない。


「……それでも近所じゃないけどな」


 最後にそう呟いて、俺は少しだけ笑った。


 譲れない線が残っているくらいで、たぶんちょうどいい。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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