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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第5章 『頼るのはやめてほしい』

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「自宅警備員、外で待つことを覚える」



 待つ、という行為は、見た目が地味だ。


 やることがない。

 成果も見えづらい。

 その場で立っているだけに見える。

 ゲームで言えば、プレイヤーが一番面白くない時間である。


 だから俺は、昔からあまり好きではなかった。


 何かを直すとか、運ぶとか、設定するとか、そういう“やったら変化が出る作業”の方がまだいい。

 待つのは違う。

 あれは何もしていないように見えて、でもその場を離れられない。

 自由がないくせに、達成感も薄い。


 かなり割に合わない。


 だが、その日、俺は外で待っていた。


 自宅警備員のくせに、家の外で。

 しかも特に何かを修理するわけでも、買い物をするわけでもなく、ただ待つためだけに。


 人生は本当に、何がどうなるかわからない。


---


 発端は良子からの電話だった。


 夕方前。

 俺は自室で平和にしていた。

 窓の外は少し暗くなり始めていて、まだ夜ではないが、夏の終わりらしい柔らかい色が差していた。


 机。

 スマホ。

 半分残ったエナジードリンク。

 かなりよい。


 その平和を、着信音が少し雑に壊した。


「……何だよ」


 画面を見る。

 良子。


 嫌な予感がした。

 家の中にいる人間からの連絡は、だいたい“今いるなら”案件に繋がる。


「もしもし」


『お兄ちゃん、今部屋?』


「いるけど」


『ちょっと頼みたいことあって』


 来た。

 嫌な予感、的中である。


「何」


『ひなの習字、今日迎え行く予定だったんだけど、ちょっとこっち出るの遅れそうで』


「知らん」


『知らんじゃないの。

 だから、先に行って待っててくれない?』


 俺はベッドの方へ体重を預けた。


「何で俺」


『近いし』


 出た。

 この生活圏における最強の呪文。

 近いし。


「お前、その理屈ほんと便利に使うよな」


『だってほんとに近いし。

 あと、ひな一人で出てきた時に知ってる人いた方がいいでしょ』


 それを言われると少し弱い。


 ひなの習字教室は、商店街の先にある古い文化教室みたいなところだ。

 歩いて行ける距離。

 近い。

 腹立たしいことに、本当に近い。


「何時」


『あと二十分くらいで終わる』


「早いな」


『だからお願い。

 終わるまで外にいてくれるだけでいいから』


 外にいてくれるだけ。

 それはつまり、待機任務である。

 作業ではない。

 待つだけだ。

 俺があまり好きではない種類のやつ。


「……父さんは」


『今日まだ和室で何かやってるでしょ。

 お兄ちゃんの方が動きやすいかなって』


 それはたぶんそうだ。

 悔しいが、そうなのだ。


「母さんは」


『買い物』


「何でこういう時だけ、みんな微妙に埋まってるんだよ」


『生活ってそういうもんでしょ』


 その返しは雑に正しい。


 俺はしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。


「……わかった」


『助かる!

 ひなには、おじさん行くって言っとく』


「それ先に言うなよ」


『もう言った』


「早いんだよ!」


 だが切られたあとで怒っても遅い。

 良子は本当に、この手の仕事の振り方だけは手慣れてきている。


---


 一階へ下りると、父が和室の前にいた。


「出るのか」


「ひなの迎え」


 俺がそう言うと、父は少しだけ頷いた。


「習字か」


「らしい」


「暗くなる前でよかったな」


 その言い方が妙に普通で、少しだけ助かった。

 “お前が行くのか”みたいな変な驚きもなく、ただ状況として受け取っている。


「待つだけだよ」


「それで十分だろ」


 父は短くそう言った。


 その一言も、今の俺には少し残る。

 待つだけ。

 でも十分。


 昔の俺なら、たぶんその“だけ”を理由に行きたくないと思った。

 今も思わないわけではない。

 だが父の言い方は、そこを軽く切り分けてくる。


「まあな」


 俺はそう返して、サンダルを履いた。


---


 習字教室のある建物は、商店街を少し抜けた先の古い二階建てだった。


 一階は空き店舗になっていて、二階にピアノ教室と習字教室が入っている。

 外壁は少し色あせているが、手すりや看板はきちんとしていて、地域の子どもがよく出入りしている場所でもある。


 俺が着いた時には、まだ少し早かった。


「……早すぎたな」


 腕時計代わりのスマホを見る。

 終了予定まで十分以上ある。


 最悪だ。

 待機任務において“少し早い”はかなり長い。

 ただの十分が妙に長く感じる。


 建物の前には小さな駐輪場。

 横に自販機。

 少し離れたところに街灯。

 人通りはそこそこあるが、多くはない。


 俺は最初、入口の横に立った。

 だが何となく落ち着かない。

 関係者でもない男が無言で入口の横に立っていると、それはそれで見た目が怪しい。


 少し離れてみる。

 今度は遠い。

 ひなが出てきた時に気づきにくい気がする。


「……めんどくせえな」


 思わずそう漏らす。


 待つだけなのに、立ち位置の正解がない。

 これだから待機任務は好きじゃないのだ。


 結局、自販機の横に立って缶コーヒーを一本買った。

 買う必要はなかったが、何か手に持っている方がまだ自然な気がする。


 缶を開ける。

 ぬるくはない。

 ちゃんと冷えている。


 その時、二階から子どもの声が少しだけ聞こえた。

 習字教室のものか、隣のピアノ教室のものかはわからない。

 こういう時、建物の外で待っている大人というのは案外多いのかもしれない、と少し思う。


 実際、向かいの電柱の近くには祖父母らしい二人組がいた。

 少し先には自転車にまたがった母親らしい人もいる。

 みんな待っている。

 スマホを見たり、空を見たり、ただ建物を見たり。


 何もしていないようで、でもちゃんとそこにいる。


「……そういうもんか」


 俺は小さく呟いた。


 前の俺なら、こういう場所に立っている自分を想像もしなかったかもしれない。

 誰かの迎え。

 しかも自分の子どもでもない姪の。

 用事が終わるまで、外で立って待つ。


 地味だ。

 地味すぎる。

 だが、ひなにとっては意味があるのだろう。

 少なくとも良子はそう思っていたし、たぶん父もそう思っていた。


 スマホが震える。


 良子からだった。


『着いた?』


『着いた』

と返す。


『ありがと』

『ひな、ちょっと安心してた』


 その二文に、また微妙な気分になる。

 頼られるのは面倒だ。

 でも、安心してた、と言われると少しだけ立ち位置が変わる。


『まだ終わってない』

と返す。


『待つだけでいいから』

と良子。


 わかってる。

 だが、その“待つだけ”が思っていたより長いのだ。


---


 五分。

 七分。

 十分。


 待っている時間というのは、本当に変な伸び方をする。

 スマホを見れば短くなるわけでもない。

 むしろ“まだ二分しか経ってないのか”が増えるだけだ。


 俺は缶コーヒーを飲みながら、建物の二階を見ていた。

 窓の向こうには時々人影が動く。

 何となく、あれがひなかもしれないと思うが、よくわからない。


 歩道を自転車が通る。

 犬の散歩のおばさんが通る。

 商店街のシャッターが一つ閉まる。


 ただそれだけのことが、妙に目に入る。


 待っている間、人は周囲をよく見る。

 見てしまう。

 動けないぶんだけ、視線だけが散るのだろう。


「前の俺なら、たぶんやってないんだよな」


 思わずそう口に出た。


 頼まれても、何か理由をつけて断ったかもしれない。

 あるいは“終わったら電話して”で済ませたかもしれない。

 そうすれば家を出ずに済む。

 外で無意味に立たずに済む。


 だが今の俺は、ここにいる。


 別に、立派だからではない。

 面倒くさがりなのは変わらない。

 部屋の方が好きなのも変わらない。

 ただ、ひなが出てきた時に、知っている顔が一つある方がいい。

 その程度の理屈に、昔より少しだけ逆らわなくなった。


 それだけだ。


 それだけなのだが、それだけで人は前と違う場所に立ってしまうことがある。


---


 やがて、二階の扉が開いた。


 何人かの子どもが先に出てきた。

 手に半紙の筒。

 習字道具のバッグ。

 親らしい人のところへ走っていく子もいる。


 少し遅れて、ひなが出てきた。


 肩から習字バッグ。

 手に作品を丸めた筒。

 玄関を一歩出たところで、きょろっと周囲を見る。


 そして、こっちを見つけた。


「あ」


 小さい声だったが、その瞬間に顔がほどけたのがわかった。


 俺は自販機の横から軽く手を上げる。


「おう」


 ひなは小走りでこっちへ来た。


「ほんとにいた」


「何だその確認」


「だって、もしかしたらまだかなって思った」


「早めに来てるよ」


「ずっといた?」


「まあな」


 その問いに少しだけ、自分でも変な感じがした。

 “ずっといた”と言えるだけの時間を、俺はここでちゃんと過ごしていたのだ。


 ひなは俺の顔を見てから、持っていた筒を少し持ち直した。


「じゃあよかった」


「何が」


「出た時に、おじさんいたから」


 その言い方は、説明が足りないようでいて、十分だった。


 出た時に知ってる人がいる。

 待っている人がいる。

 それだけで、子どもにとっては少し安心するのだろう。


「……そうかよ」


 俺はそれしか返せなかった。


「うん」


 ひなは頷く。

 それ以上、余計なことは言わない。

 そういうところも、あいつらしい。


「帰るか」


「うん」


 並んで歩く。

 夕方の道。

 さっきまで一人で立っていた場所を、今は二人で通り過ぎる。


「今日、字うまく書けた?」


 俺が聞くと、ひなは少し考えてから答えた。


「ちょっとだけ」


「その評価便利だな」


「でもほんとにちょっとだけ」


「見せろよ」


 ひなが筒の中の紙を少しだけ引き出す。

 墨のにじみ。

 まだ少し曲がっている線。

 でも、前より形になっているのはわかる。


「へえ、ちゃんとしてるじゃん」


「ほんと?」


「ほんと」


 ひなは少しだけ嬉しそうだった。


「おじさん、今日待ってるだけだったね」


「それな」


「つまんなかった?」


 俺は一瞬だけ考えた。


 つまらない、という言い方もできる。

 地味だったし、長く感じたし、立っているだけだった。

 でも、そこで“つまらなかった”とだけ答えるのも、何か違う気がした。


「……長かった」


「うん」


「でも、まあ」


「まあ?」


「お前が出てきた時に俺がいた方がよかったなら、それでいいんじゃないか」


 言ってから、自分でも少しだけ照れくさくなる。

 何だその保護者みたいな発言は。


 だがひなは、変に茶化さず、ただ頷いた。


「うん。よかった」


 その一言で、たぶん今日の待機任務はそれなりに完了したのだろう。


---


 家へ戻ると、良子がすぐに出てきた。


「ごめん、間に合わなかった」


「別に」


 ひなはすぐ作品を見せに行く。

 良子がそれを褒める。

 富子も奥から顔を出す。

 いつもの家の流れだ。


 その横で、良子が小声で言った。


「ありがと」


「待ってただけだよ」


「それが助かったんだって」


 またそれだ。


 今日そういうの多いな、と思う。

 いや、最近ずっと多いのかもしれない。


「ひな、終わって出た時、お兄ちゃんいたの嬉しかったって」


「……本人にも言われた」


「でしょ」


 良子は笑う。


「お兄ちゃん、前ならこういうの結構嫌がってたよね」


「今も嫌だよ」


「でも行ったじゃん」


「近かったからな」


「出た、近かったから」


 それはもう、この生活圏における最大の言い訳であり、最大の罠でもある。


---


 夜。

 自室。


 机の前に座り、スマホを置く。

 部屋は静かだ。


「待つだけ、ね」


 そう呟く。


 今日の俺は、何も直していない。

 何も買っていない。

 何も設定していない。

 ただ外で立って、時間を見て、二階の窓を眺めて、ひなが出てくるのを待っていただけだ。


 なのに、その“だけ”が、思っていたより妙に残っている。


 待つだけのこと。

 前の俺なら、たぶんそれを切り捨てた。

 意味が薄い。

 効率が悪い。

 家にいた方が楽。

 そう思ったはずだ。


 だが今は、そういう“何もしないように見える役割”の中にも、少し意味があるらしいとわかってしまった。


「……外で待つことを覚えるとか、何なんだよほんと」


 自分で言っていて少し笑う。


 大げさだ。

 かなり大げさだ。

 でも、昔の俺には本当になかった感覚でもある。


 誰かのために外で待つ。

 その人が出てきた時に、そこにいる。

 たったそれだけのこと。


 でも、その“たったそれだけ”が、人によっては少し安心になる。


「まあ、嫌いじゃないわけじゃないのかもな」


 その結論は、少しだけ意外だった。


 好きとまでは言わない。

 面倒だし、長いし、落ち着かない。

 でも、嫌いじゃないわけじゃない。


 その程度の変化で、今は十分だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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