「にぼし姫、答え言ってるだろ」
答え合わせには、体力がいる。
これを軽く見る人は多い。
いや、多いかどうかは知らない。
少なくとも、物語の中ではよく軽く処理される。
気になる相手がいる。
正体が怪しい。
じゃあ聞けばいい。
確認すればいい。
たったそれだけの話だ、と。
だが現実は違う。
聞いた瞬間、今の曖昧さは終わる。
違っていたとしても終わる。
合っていたとしても終わる。
どちらにしても、“今まで通りのふり”は少しやりにくくなる。
つまり答え合わせとは、ただ情報を確定させる行為ではない。
今の距離や空気を、少し壊す覚悟のことだ。
そして俺は、その覚悟がずっと足りなかった。
にぼし姫。
風間凛。
ほぼそうだろうと思ってから、もうかなり経つ。
ヒントは多い。
生活圏も重なりすぎている。
タイミングも言い回しも、たまに笑えるくらい近い。
それでも俺は、ずっと手前で止まってきた。
だが、その日は少し違った。
---
夕方、俺はコンビニにいた。
理由は、だいぶいつも通りだ。
富子に頼まれた牛乳。
良子に追加されたプリン。
ひなが“あるといい”と言ったグミ。
ついでに自分のエナジードリンク一本。
最近、本当に買い物袋の中身が生活感に寄りすぎている。
以前の俺なら、コンビニの袋といえばエナドリと菓子と適当な夜食くらいだった。
今はそこへ牛乳とプリンと生活用品が混ざる。
自分でも妙に変な感じはする。
店内は涼しかった。
冷房。
商品棚。
軽いBGM。
いつもの空気。
そして、いつものようにレジには凛がいた。
「いらっしゃいませ」
「……どうも」
この返しも、もう半分癖だ。
改善の余地はあると思うが、改善したところでどうにかなる気もしない。
商品を置く。
凛が読み取る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
「今日はお菓子少なめですね」
凛が言った。
俺は一瞬だけ止まり、それから答える。
「……まあ」
「ちゃんと頼まれものを優先してる感じです」
その言い方が、妙に具体的で困る。
「何だその評価」
「見たままです」
出た。
その“見たままです”。
この短さ。
にぼし姫っぽさを隠す気が、最近だいぶ薄い。
「最近、それ多いな」
思わずそう返した。
凛は目線をレジ画面に落としたまま聞く。
「何がですか」
「見たままって言い方」
「そうでしたっけ」
そういうとこだ。
覚えてるのか、覚えてないふりなのか、全部が微妙に曖昧で、その曖昧さごとこっちへ投げてくる。
「……してるだろ」
凛はそこでようやく少しだけこっちを見た。
「じゃあ、してるのかもしれません」
ほら、そういうところだよ。
認めるようで認めない。
否定も肯定も半歩ずつ外す。
その返し方が、もう本当ににぼし姫のそれなのだ。
会計の表示が出る。
俺は財布を出した。
小銭。
レシート。
そのどれもがいつも通りなのに、会話の温度だけが少し違う。
「袋どうしますか」
「いる」
「そうですよね」
その一言に、俺はわずかに眉をひそめた。
「何だよ、その“そうですよね”」
「最近は要る方が多いので」
牛乳。
プリン。
グミ。
たしかに袋なしでは少し面倒だ。
凛は袋へ商品を入れながら、何でもない顔で続ける。
「前は、一本だけとか多かったですし」
そこまで把握しているのか。
「……客の買い物、そんなに覚えるか?」
俺はとうとう聞いていた。
凛は手を止めずに答える。
「人によると思います」
「お前は」
「たまに覚えます」
「たまに、ね」
「よく来る人は、わりと」
俺は少しだけ息を吐いた。
その返しの一つ一つが、答えみたいで答えじゃない。
でも、もうそれすら少し面倒になってきていた。
レジ袋を受け取る。
その時、凛が軽く言った。
「生活感、悪くないと思いますけど」
またそれだ。
「前も言ったな」
「言いましたか」
「言った」
「じゃあ、そう思ってるんでしょうね」
そこで、俺の中の何かが少しだけ切り替わった。
劇的な変化ではない。
覚悟が決まった、みたいな派手なものでもない。
ただ、もうこれ以上“たまたま”を積み上げるのもしんどい、という種類の諦めに近かった。
俺は商品袋を持ったまま、レジの前で少しだけ立ち止まった。
「お前さ」
凛が顔を上げる。
「何ですか」
「……にぼし姫だろ」
言ってしまってから、自分でも数秒ほど固まった。
やった。
言った。
かなり直球だ。
もっと遠回しに行くつもりだったのに、思ったよりまっすぐ出た。
凛は驚かなかった。
ここでまず、かなり終わっている。
少しだけまばたきをして、それから、ごく普通の声で言う。
「誰ですか」
その返しに、俺は思わず半笑いになった。
「お前な……」
その“誰ですか”は、逃げの形としては一応正しい。
だが、驚いていない時点でかなり苦しい。
「知らないふりするには、だいぶ遅くないか」
俺がそう言うと、凛は袋をもう一枚整えながら、小さく返す。
「確認したかったんですか」
その問い方に、俺は少しだけ言葉を失う。
したかったのか。
たぶん、したかった。
でも、それだけでもなかった。
「……したくないと思ってた」
「思ってた」
「でも最近、さすがにヒント多すぎるんだよ」
凛はそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。
笑った、というほどではない。
だが、そう見えた。
「そうかもしれません」
認めるのかよ。
「じゃあやっぱり」
「そこまで言ってません」
「今のはだいぶ言ってるだろ」
レジ越しにこんな会話をしている時点で、もうかなりおかしい。
店の空気はいつも通りだ。
後ろに客もいない。
だから成立してしまっている。
成立していること自体が、少し変だった。
凛は視線を少しだけ落としてから、静かに言った。
「最初からわかってたわけじゃないですよね」
その聞き方が妙にやさしい。
責めるでもなく、確認するでもなく、ただ並べるみたいな。
「……たぶん途中からだ」
俺は正直に答えていた。
「店の外で会ってから、だいぶ怪しかった」
「そうなんですね」
「あと、言い方」
「言い方」
「短い返し方とか。
変なところで妙に合う感じとか」
そこまで言ってから、自分でも少し気まずくなる。
何だその分析は。
観察レポートか。
だが凛は特に笑わなかった。
「こっちも、途中からは気づいてると思ってました」
その返しで、俺は完全に観念した。
「じゃあもう答え言ってるだろ、それ」
「どうでしょう」
「いや、今のでだいぶ出たぞ」
「否定も肯定もしてません」
「その逃げ方ずるいんだよ」
そこで凛は、少しだけ首を傾けた。
「そっちも、ずっと聞かなかったじゃないですか」
痛いところを突くな。
「面倒だったんだよ」
「私もです」
その一言で、妙に肩の力が抜けた。
面倒だった。
向こうも。
それは少し意外で、少し安心した。
「……お前もかよ」
「生活圏で変に気まずくなるの、嫌なので」
その言い方が、妙に可笑しかった。
だって、まったく同じことをこちらも考えていたのだから。
俺は小さく息を吐いた。
「じゃあ何なんだよ、この感じ」
「たぶん、答えは出てるけど、言い切るほどでもない感じです」
そのまとめ方は、本当にこの作品らしいというか、この状況らしいというか。
劇的でもない。
決着でもない。
ただ、かなりのところまで互いにわかっていて、それでも今の距離を壊し切らない位置に立っている。
「……ずるいな、それ」
「そうかもしれません」
またそれだ。
だが、もうその返しに以前ほど過剰には反応しなかった。
たぶん、ひとつ段を越えたからだ。
凛は最後にレシートを差し出しながら、何でもない顔で言った。
「とりあえず、プリン溶ける前に帰った方がいいですよ」
「溶けないだろ」
「気持ちの問題です」
「それ、にぼし姫っぽい」
「誰ですか」
「もういいよそれは」
そこでようやく、凛はほんの少しだけ笑った。
今度こそたぶん、ちゃんと笑った。
---
店を出る。
外の空気は少しぬるい。
夕方の光。
車の音。
レジ袋の重さ。
「……何だったんだ、今の」
思わずそう漏れる。
答え合わせをした、のだろうか。
いや、完全にはしていない。
凛は最後まで明言しなかったし、俺も最後の最後で“じゃあそうなんだな”と言い切ったわけではない。
だが、もう十分だった。
最初からわかってたわけじゃない。
途中から気づいてた。
生活圏で気まずくなるのは面倒。
答えは出てるけど、言い切るほどでもない。
それだけ共有できれば、たぶん今の俺たちには足りる。
「……お前もう答え言ってるだろ、ほんと」
そう呟いて、少しだけ笑ってしまった。
前の俺なら、今ごろもっと混乱していたかもしれない。
だが今は、妙に静かだった。
たぶん、ずっと引っ張っていたものが、少しだけ整ったからだ。
---
夜。
当然のようにチャットを開く。
白狼77がいる。
にぼし姫もいる。
少しだけ指が止まる。
今夜は、前までと同じではない。
たぶん向こうも、そう思っている。
白狼77が先に来た。
『太郎、生きてる?』
何だその確認は。
『生きてる』
と返す。
『今日は珍しく静かだな』
と白狼77。
『そうですね』
とにぼし姫。
その“そうですね”に、前までと少し違う温度を勝手に感じる。
いや、温度が違うのはたぶんこっちだ。
『お前さ』
と俺は打つ。
『はい』
と、にぼし姫。
『もう答え言ってるだろ』
送る。
白狼77が即反応した。
『!?』
『何があった!?』
うるさい外野だな、本当に。
にぼし姫は少し間を置いてから返した。
『言ってないと思います』
『言ってる』
と俺は返す。
『じゃあ、そういうことでいいんじゃないですか』
その返しで、俺はまた少しだけ笑ってしまった。
そういうこと。
たぶん、それでいいのだろう。
白狼77は一人で盛り上がっていた。
『は???』
『何それ何それ』
『お前らだけ先に進むなよ』
『外野は黙ってろ』
と俺は返す。
『うわ、太郎が強い』
と白狼77。
にぼし姫が短く入る。
『外野席で楽しみすぎなんですよ』
その一言が、妙にしっくり来た。
俺は椅子に深く座り直し、スマホを見ながら思う。
たぶん、答えはもう出ている。
ただ、言葉にするかどうかだけが残っている。
そして今は、その言葉を無理に全部言い切らなくてもいい気がした。
生活圏は続く。
コンビニも続く。
チャットも続く。
それなら、このくらいの確かさでしばらく進めるのも、悪くないのかもしれない。
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