「“いると助かる”は、だいぶ違うぞ」
言葉には、軽いくせに重いものがある。
矛盾しているようだが、本当にそうなのだから仕方ない。
たとえば、
「ありがと」
は軽い。
会話の中で何度も出る。
日常の潤滑油みたいなものだ。
重く受け取りすぎる方がむしろ不自然なくらい、そこらじゅうにある。
だが、
「いると助かる」
は違う。
これも一見すると軽い。
大げさではない。
人生を変える告白でもない。
拍手が起きるような台詞でもない。
でも、その言葉は“何かをしてくれた”ではなく、**“そこにいること自体”**を含んでしまう。
だから妙に重い。
便利とか、使えるとか、そういう雑な評価なら、まだ受け流せる。
少し腹は立つが、意味は単純だ。
だが“いると助かる”は困る。
こっちの存在そのものへ、じわっと触ってくるからだ。
その日、俺はそれを家の中で食らった。
---
夕方だった。
富子は台所。
良子とひなは来ている。
父は和室。
健太はいない。
この“健太がいない”という条件だけで、家の騒がしさは三割くらい下がる。
数字に根拠はないが、体感としてはそのくらいある。
俺はリビングで、やや面倒な任務に就いていた。
ひなの学校で使うらしい紙の工作キット。
厚紙。
折る位置。
切る位置。
のりしろ。
説明書。
何で俺がこれをやっているのかと言えば、ひなが最初から俺のところへ持ってきたからである。
もう最近は、その流れにも少し慣れてしまった。
慣れたくはなかったが、慣れてしまったものは仕方ない。
「ここ、なんかずれる」
ひなが言う。
「どこ」
「ここ」
指さされたところを見る。
たしかに少し折り目が甘い。
こういう“あと少しだけちゃんとやれば収まるやつ”は、見てしまうと放置しづらい。
「貸せ」
俺が受け取ると、良子が横から笑う。
「出た、貸せ」
「うるさい」
「でも毎回それ言ってるよね」
そうかもしれない。
いや、かなりそうだろう。
ひなや健太相手の“ちょっと見て”案件では、わりと高確率でそう言っている気がする。
俺は紙の端を揃え、折り目を押し直し、ずれていた差し込み口を少し広げた。
「ほら」
「おお」
ひなの“おお”は小さい。
健太と違って音量が低い。
だが、感心している時の質感は似ている。
「それで入る」
「うん」
ひなが慎重に差し込む。
入る。
形が整う。
「できた」
「だから最初から説明書通りやれって」
「やったよ」
「やってない部分があるから俺に来たんだろ」
「ちょっとだけちがった」
子どもは“ちょっとだけ”で説明しがちだ。
実際には、ちょっとだけのズレが最後に全部を狂わせることも多いのだが。
良子はそれを見ながら、スマホ片手に笑っていた。
「お兄ちゃんさ、ほんとこういうのやるよね」
「やらされてるんだよ」
「でもちゃんとやる」
「言い方が嫌だな」
「事実じゃん」
ひなは完成した紙工作を両手で持って、満足そうだった。
これで終わりかと思った。
だが、当然それでは終わらない。
「おじさん、名前書くとこどこがいい?」
「まだあるのかよ」
「だっている」
「いるけど、自分で考えろ」
「でも、おじさんの方がちゃんとする」
その評価、便利すぎるな。
全部そこへ着地させるな。
俺は工作の裏側を見て、余白の位置を指した。
「ここ」
「わかった」
ひながそこへ名前を書く。
字はまだ少し丸いが、前よりちゃんとしている。
その時、台所の方から富子が声をかけてきた。
「太郎、ついでにお味噌汁見て」
「何でだよ」
「ちょっと手が離せないの」
「俺は別に味噌汁担当じゃないぞ」
「見ればわかるでしょ」
その理屈は本当に雑だ。
だが、焦げてからでは面倒なのも事実だ。
俺は立ち上がって台所へ行き、鍋の火加減を見る。
吹きこぼれてはいない。
軽くかき混ぜる。
戻る。
「大丈夫」
「ありがと」
またそれだ。
小さい用事。
小さい確認。
その一つ一つに呼ばれる。
ここ最近、本当にこの流れが増えた。
父が和室から出てきたのは、その時だった。
「太郎」
「何」
「さっきの封筒、机の上に置いといた」
「わかった」
それだけのやり取り。
短い。
だが、今の父もかなり自然に俺へ言う。
前より普通に“渡すべきものを渡す相手”として処理している感じがある。
良子はそれを見て、何だか妙に満足そうな顔をしていた。
「ほんと、みんなお兄ちゃん経由するよね」
「やめろ、その言い方」
「でもそうじゃん」
ひなも当然みたいに頷く。
「うん」
「お前まで乗るな」
「だってそうだもん」
富子は台所から言う。
「いると助かるのよ」
その一言が、予想していない角度から入ってきた。
俺は少しだけ動きを止めた。
「……何」
「だから、いると助かるって言ってるの」
富子の声はいつも通りだった。
大げさでもない。
しみじみもしていない。
ただ味噌汁を見てもらったことと、ひなの工作を直したことと、そういう細かいものをまとめて、そのまま言っただけみたいな声音。
だからこそ、妙に効く。
良子が軽く笑う。
「それは本当」
やめろ。
追撃するな。
ひなも静かに言う。
「うん」
父は少しだけ黙っていたが、数秒後に短く言った。
「まあ、そうだな」
その一言で、逃げ道がだいぶ減った。
全員が同じ方向を向くな。
こっちの処理能力を考えろ。
「……便利ってことだろ」
俺は何とかそう返した。
それならまだ流しやすい。
便利。
使える。
役に立つ。
そのあたりの雑な分類なら、受け流せる。
だが富子はすぐ否定した。
「ちょっと違うわね」
それが一番困る。
「何が」
「便利っていうより、あんたがいると回りやすいのよ」
やめろ。
言い換えるな。
重さを増やすな。
良子も真面目な声で言う。
「うん。
便利って言うとなんか雑だけど、お兄ちゃんいると助かるのはほんと」
ひなは少し考えてから、自分なりの言い方をした。
「ちゃんといるから」
その言葉で、俺は少しだけ目を閉じたくなった。
前にも聞いた。
ひなの“ちゃんといる”。
それが今、この流れの中に自然に混ざってくる。
父はそれを聞いて、ほんの少しだけ笑ったようだった。
「まあ、そういうことだろ」
やめろ。
最後にまとめるな。
「……何なんだよ」
思わずそう漏らす。
こっちはただ、近いところの小さいことを少しずつ片づけているだけだ。
大したことをしているわけじゃない。
仕事をしているわけでも、何か大きく支えているわけでもない。
それなのに、そういう言い方をされると困る。
富子は鍋をかき混ぜながら言った。
「何って、本当のことでしょ」
軽い。
なのに重い。
それ以上、反論できなかった。
---
夕飯のあと、俺は自室へ戻った。
ドアを閉める。
椅子に座る。
机の上のエナジードリンクに手を伸ばし、開ける。
炭酸の音。
「……いると助かる、か」
口に出してみる。
便利、ならまだいい。
使える、でもいい。
それなら“機能”の話で済む。
少し腹は立つが、処理はしやすい。
だが“いると助かる”は違う。
そこにいること。
呼べること。
返ってくること。
そのへん全部をまとめている。
つまり、役に立つかどうかだけじゃなく、存在の位置まで含まれている。
それが重い。
「便利って言われるより、そっちの方がずっと重いんだよな……」
思わずそう漏らした。
たぶん富子はそこまで考えて言っていない。
良子も、ひなも、父も。
だからこそ余計に本音なのだろう。
何かをしてくれる人。
そこにいてくれると回る人。
困った時に呼べる人。
それが今の俺なのだとしたら、前の自分からはだいぶ遠い場所に来ている気がする。
遠い。
でも、嫌なだけではない。
「……面倒だよな」
その結論だけは変わらなかった。
面倒だ。
とても面倒だ。
重いし、落ち着かないし、期待されたくない気持ちもある。
それでも、その言葉が夜まで残っている時点で、たぶん俺も完全には突っぱねられていないのだろう。
部屋は静かだった。
外の虫の声が少しだけ聞こえる。
俺は椅子の背にもたれ、目を閉じた。
“いると助かる”は、やっぱり重い。
でも、重いからこそ、流せないのかもしれなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




