「白狼77、お前は外野で楽しみすぎだ」
外野というのは、だいたい楽しそうだ。
野球の話ではない。
いや、半分くらいは野球の話でもある。
グラウンドの中で当事者が胃を痛めている時に限って、外から見ている人間は好き勝手なことを言う。
「そこ振れよ」とか、
「今のは行けただろ」とか、
「次は打てるって」とか。
言うだけなら簡単だ。
人間関係もそれに似ている。
当事者が一番面倒くさくて、一番落ち着かなくて、一番処理に困っている。
なのに外から見ているやつほど面白がる。
そしてその“外”がネット越しになると、無責任さに拍車がかかる。
つまり何が言いたいかというと、白狼77はかなりうるさい。
その夜、俺は自室で静かに削られていた。
部屋は平和だった。
机。
ノートPC。
小さく唸る扇風機。
読みかけのラノベ。
エナジードリンク。
俺に必要なものはだいたい揃っている。
現実の生活圏が最近うるさめだからこそ、夜の部屋はなおさら大事だ。
ドアを閉めて、チャット画面を開いて、余計なことを考えずに文字だけでやり取りする。
本来なら、それはかなり楽なはずなのだ。
ただし、そこに白狼77がいなければ、という条件つきである。
ログインしてすぐ、嫌な予感はした。
白狼77。
いる。
にぼし姫。
いる。
この並びの時点で、だいたいろくなことにならない。
案の定、最初の一投目から白狼77は雑だった。
『太郎って最近、明らかに生活圏イベント増えてるよな』
やめろ。
何だその雑な総括は。
しかも否定しづらいのが腹立つ。
『知らん』
と返す。
『出た知らん』
『知らんじゃないんだよ』
と白狼77。
にぼし姫が短く入る。
『前より外出てますよね』
俺は画面を見たまま少し止まった。
その言い方が、本当に毎回ちょうど嫌なところを突いてくる。
『出てない』
と返す。
『出てる』
と白狼77。
『出てます』
とにぼし姫。
何なんだこの挟み撃ちは。
『何でお前らそんな把握してんだよ』
それはかなり本音だった。
白狼77が即座に返す。
『ログがあるから』
そんなログはいらない。
俺の生活圏イベント履歴を勝手に管理するな。
にぼし姫も、さらっと追撃する。
『買い物内容も変わってきましたし』
そこで俺は、ベッドへ少しだけ背を預けた。
またそれだ。
最近の買い物内容。
生活感。
補給から買い出し。
本当に、この話題をよく拾う。
『お前それ好きだな』
と俺は返した。
『何がですか』
とにぼし姫。
『買い物内容の変化』
送ってから、少しだけ後悔した。
今のはだいぶ直接的だ。
こっちが相手を気にして観測していることを、ほぼ自白している。
白狼77が見逃すわけがなかった。
『はい出た』
『太郎、そこ気にして見てるんじゃん』
『うるさい』
『気にしてないやつは“好きだな”って言い方にならんのよ』
正論やめろ。
にぼし姫は少し間を置いてから、こう返した。
『変化って見てると面白いので』
その一言が、何となく腹立たしく、何となく嬉しく、何となく落ち着かない。
つまり一番困るやつだった。
『何が面白いんだよ』
『前はエナジードリンクとお菓子ばっかりだったのに、最近は牛乳とか洗剤とかプリンとか増えてるところです』
細かい。
観測が細かい。
しかも具体的だ。
『近所のコンビニ店員かよ』
と白狼77。
俺は本気でスマホを取り落としかけた。
『やめろ』
と即返す。
『何が?』
『今の反応でむしろ答え寄りなんだけど』
と白狼77。
にぼし姫が短く言う。
『たまたま詳しいだけです』
もうそれ、逃げる気あるのか?
『たまたまでそこまで把握しないだろ』
と白狼77。
『興味があると見ますよ』
とにぼし姫。
その“興味がある”が、妙に引っかかった。
誰に。
何に。
買い物内容にか。
生活の変化にか。
俺に、か。
そこまで考えてしまった時点で、だいぶ白狼77の思う壺である。
『太郎、今かなり黙ったな』
と白狼77。
『黙ってない』
と返す。
『その返しの遅さでわかる』
うるさい。
本当にうるさいなこいつは。
俺はエナジードリンクを一口飲んだ。
炭酸の刺激で少しだけ頭を冷やす。
『お前さ』
と俺は打った。
少し止まる。
誰に向けてだ。
白狼77か。
にぼし姫か。
両方か。
結局そのまま送る。
『どっちに言ってるの』
と白狼77。
『どっちでもいい』
と返す。
『雑だなあ』
『でもそういう時はだいたい、にぼし姫の方なんだよな』
と白狼77。
ほんとに、こいつは変なところだけよく見ている。
『違う』
と打つ。
『違わないだろ』
『お前、にぼし姫相手だけ反応の温度違うもん』
そこへ、にぼし姫がまた短く入る。
『そこはまあ、わかります』
やめろ。
お前まで乗るな。
そこへ合意形成を持ち込むな。
『何がわかるんだよ』
『反応の違いです』
それが一番困る。
自分の反応を、相手本人に観測されている。
しかもそれを、わざわざ言葉にされる。
白狼77の雑な茶化しより、そっちの方がよほど効く。
白狼77は完全に楽しそうだった。
『おいおい、にぼし姫がちゃんと殴りにきてるじゃん』
『太郎もう無理だろこれ』
『無理って何が』
と俺は返す。
『しらばっくれもだよ』
『別にしらばっくれてない』
『いや、お前ずっとそうだろ』
『“ほぼわかってるけど確認したら負けな気がする”って顔してる』
俺は少しだけ黙った。
たぶん、その通りだった。
しかも“顔してる”と言われたのに、相手は画面越しだ。
それでも見抜かれている感じがするのがさらに嫌だ。
にぼし姫が言う。
『確認したら負けって、変な考え方ですね』
『面倒なんだよ』
と俺は返した。
『何が』
と白狼77。
『全部だよ』
『雑』
と白狼77。
『でも正しいです』
とにぼし姫。
その補強はいらない。
『太郎、結局どうなったら一番面倒なん?』
と白狼77。
やめろ。
深掘りするな。
だが、こういう時に限って、こちらも少しだけ本音が出る。
『今の距離が変わるのが面倒』
送ってから、少しだけ天井を見た。
かなり言ったな、今のは。
白狼77がすぐ食いつく。
『おおー』
『本音出た』
『うるさい』
にぼし姫は少しだけ間を置いてから返した。
『今の距離って、そんなに悪いですか』
その一言で、また俺は止まる。
悪いわけではない。
むしろ、たぶん悪くない。
だから困るのだ。
『悪くないから面倒なんだよ』
と返す。
白狼77が笑う。
『何その哲学』
『でもまあ、わかる』
『お前はわからなくていい』
『外野だからな』
と白狼77。
そこだけは本当にその通りだった。
『外野は楽しそうでいいよな』
と俺が打つ。
『楽しいよ?』
と白狼77。
即答するな。
『最悪だなお前』
『だって当事者じゃないし』
『一番面白い席だろ』
清々しいまでの外野発言である。
こいつ、本当に一切隠さないな。
にぼし姫がそこで珍しく少し長めに打ってきた。
『でも、外から見てると、太郎さんが思ってるよりずっと普通に見えますよ』
俺は少しだけ眉をひそめた。
『何が』
『生活してる感じも、人と関わってる感じも』
『そんなに不自然じゃないです』
その言葉は、白狼77の茶化しとはまるで違うところへ落ちてきた。
面白がっていない。
ただ、本当にそう見えていると伝えてくるだけ。
それが、むしろ効く。
俺はしばらく考えてから返した。
『普通って何だよ』
にぼし姫はすぐには返さなかった。
数秒。
十秒。
そのくらい。
『うまく言えませんけど』
『前よりずっと、ちゃんとそこにいる感じです』
その表現に、俺は少しだけ息を止めた。
ちゃんとそこにいる感じ。
ひなが時々言う“ちゃんといる”に近い。
なのに、にぼし姫の言い方だと少しだけ違う。
生活圏の中で、逃げずに、雑にでも、そこに存在している感じ。
たぶん、そういうことだ。
白狼77が珍しく少し静かになってから言う。
『それはまあ、わかる』
お前が真面目になるな。
調子が狂う。
『外野なのに』
と俺が返すと、白狼77がすぐ戻った。
『外野だからこそ見えることもあるだろ』
それも少しだけ正しいのが癪だった。
しばらく三人とも黙った。
チャットなのに、沈黙がある。
だが、その沈黙は妙に嫌ではなかった。
俺は最後にこう打った。
『お前は外野席で楽しみすぎだ』
もちろん白狼77への言葉だ。
『否定しない』
と白狼77。
『でも太郎、それ言うってことは、もうだいぶ進んでるよ』
何がだ。
そう思ったが、聞かなかった。
聞くとまた面倒そうだった。
にぼし姫は短くこう返した。
『まあ、外野がうるさいくらいがちょうどいい時もあります』
その締め方も、やっぱり少しだけずるい。
結局、白狼77は最後まで外野として楽しそうで、俺は最後まで当事者として少し削られていた。
それでも、今日のやり取りの中には、いつもより少しだけ、落ち着いたものもあった気がする。
外野はうるさい。
だが、うるさいだけで終わらない夜もあるらしい。
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