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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第5章 『頼るのはやめてほしい』

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「梅子さんのネットワークにて包囲完了」



 近所付き合いには、段階がある。


 最初はただの通行人だ。

 顔を見ても名前は知らない。

 知っていても「あそこの家の人」くらい。

 会釈するかしないか。

 それだけの距離。


 次に来るのが、顔見知り。

 挨拶する。

 犬の散歩中に二、三言話す。

 「今日は暑いですね」で済む関係だ。


 そして、そこから先がある。


 名前が通る。

 用事を振られる。

 「あの人なら頼める」と思われる。

 つまり、生活圏の中で戦力としてカウントされ始める。


 正直に言うと、その段階へ入るのはあまり嬉しくない。

 なぜなら、用事が増えるからだ。


 そしてその日、俺は、自分がすでにそこへ片足どころかだいぶ深く入っていることを思い知らされた。


 原因は、もちろん田村梅子である。


 昼前、俺は家の前の掃き掃除をしていた。


 富子に頼まれたからだ。

 この時点で、まず理不尽である。

 自分の家の前なのだから、家族の誰がやってもいい。

 なのに、たまたま外へ出たタイミングでほうきを持たされ、そのままなし崩し的に掃除担当へされる。


 最近、本当にこういうことが多い。


 落ち葉を寄せる。

 砂を掃く。

 小さいゴミをまとめる。

 黙ってやれば五分で終わる。

 そのはずだった。


「あらあら、太郎さーん」


 その呼び方に、俺は手を止めた。


 ……今、“太郎ちゃん”じゃなかったな。


 顔を上げると、道の向こうで梅子さんが手を振っていた。

 笑顔。

 花柄の上着。

 手には回覧板っぽいファイル。


 嫌な予感しかしない。


「こんにちは」


 とりあえず返す。


「こんにちは。

 ちょうどよかったわあ」


 やっぱりだ。


 その“ちょうどよかった”はこちらにとって全然ちょうどよくない。

 だが、最近はもうその法則性に慣れてきてしまっている自分がいる。


「何ですか」


「掲示板のところね、端っこがちょっとめくれてるのよ。

 テープで留めるだけだから、見てもらえないかしら」


 軽い。

 軽そうに聞こえる。

 だが、こういう“テープで留めるだけ”が危ない。

 現場へ行くと追加が生まれる。


「今ですか」


「今、近いし」


 近いし。

 またそれだ。

 この生活圏では、距離が短いことが断りづらさへ直結する。


 俺が微妙な顔をしていると、梅子さんはさらに言った。


「ついでに回覧板、佐藤さんちの次、佐々木さんとこなんだけど、お留守かもしれなくて。

 もし会えたらお願いしたいなあって」


 ほら増えた。


 テープだけじゃないじゃないか。

 最初からそう言え。


 だが、その瞬間、別の声が飛んできた。


「太郎さんなら大丈夫でしょ」


 通りかかった近所のおばさんだった。

 見覚えはある。

 たしか祭り準備の時にもいた。


 俺は少しだけ止まった。


 今、“太郎さん”と言ったか。

 しかも、当然のように。


「そうそう、太郎さん器用だものねえ」


 梅子さんまで続ける。


 何だこの流れは。

 俺はいつの間に、近所のおばちゃんネットワークの中で“器用で頼める人”として登録されたんだ。


「いや、別に器用ってほどじゃ」


「でも前もきれいに貼ってくれたじゃない」


「ああ、祭りの時ねえ」


「助かったものねえ」


 おばちゃん二人が普通に会話している。

 そこに俺の“実績”が共有されている。


 ぞっとする。

 いや、ぞっとするは言い過ぎか。

 だが、かなり落ち着かない。


「……行けばいいんですよね」


 俺がそう言うと、梅子さんは満面の笑みだった。


「助かるわあ」


 やっぱりこの人、押しが強い。

 しかも善意で。

 善意100%だからなおさら質が悪い。


---


 掲示板は集会所の横にあった。


 端っこの紙が、たしかに少しめくれている。

 防災訓練のお知らせだ。

 季節柄、風で剥がれやすいのだろう。


「これくらいなら」


 ポケットから持ってきたテープを出す。

 最近、こういう時のために小さいテープを持ち歩くことがある。

 我ながら嫌な進化である。


「太郎さん、ほんと準備いいわねえ」


 また“太郎さん”だ。


 梅子さんの後ろに、別の近所の人も来ていた。

 犬を連れたおじさん。

 この人も顔は知っている。


「助かるねえ、こういうの気づいてもなかなか誰もやらんから」


 やめろ。

 その褒め方は、次回以降の依頼フラグになる。


「いや、たまたまです」


「でも今やってるじゃない」


 返しが強い。


 テープを貼る。

 空気を抜く。

 端を押さえる。


「ほら」


「おお、きれい」


「きっちりしてるわねえ」


「そういうの得意?」


 質問まで増えた。


 何なんだ。

 面接か。


「別に……」


 その時、背後から聞き覚えのある声がした。


「おじさん!」


 健太。

 やっぱり来るのか。


 ひなもいる。

 良子までいる。

 何なんだこの生活圏は。

 イベント発生率が高すぎる。


「何してるの?」


 健太が聞く。


「見ればわかるだろ」


「貼ってる!」


「そうだよ」


「また頼まれたの?」


 ひなが静かに聞く。


「そうだ」


「おじさん、こういうの多いね」


「多いんだよ」


 良子が横で笑った。


「でも、もう近所で完全に頼られてるじゃん」


「嬉しくない」


「でも今“太郎さん”って呼ばれてたよ」


 そこだ。

 そこが今、一番落ち着かない。


 たしかにさっきからそうだった。

 “佐藤さんちの太郎ちゃん”でもなく、“あそこの息子さん”でもなく、“太郎さん”。


 呼び方が一段階進んでいる。

 それはつまり、家の付属物ではなく、単体の人物として近所の中へ認識され始めているということだ。


 その変化は、思っていたよりじわじわ来る。


「別に呼び方はどうでもいいだろ」


 そう言ったものの、声に少しだけ弱さが混じった気がした。


 梅子さんが回覧板を差し出してくる。


「じゃあこれ、佐々木さんとこ寄ってもらってもいい?」


「まだ増えるんですか」


「ついでだから」


 だからその“ついで”が広いんだよ。


 健太が元気に言う。


「オレも行く!」


「来るな」


「何で!」


「お前が来ると寄り道が増える」


「ひどい!」


「事実だろ」


 ひなはすでに半分ついてくる気だった。


「ひなも行く」


「お前もか」


「だって、おじさん一人だとさびしいかも」


「何でそうなる」


 良子は完全に面白がっている。


「お兄ちゃん、近所クエストに子ども同行ついてるじゃん」


「ゲームみたいに言うな」


「でもそんな感じだよ」


 たしかに、最近の生活は妙にクエスト感がある。

 小さい依頼。

 雑な追加。

 近所の人間関係。

 そしてクリア報酬は、だいたい“助かったわあ”である。

 割に合うのか合わないのか、判断が難しい。


---


 佐々木さんの家は、二本隣の道を曲がったところだった。


 近い。

 本当に近い。

 この距離感がすべてを面倒にする。


 チャイムを押す。

 出てきたのは、穏やかそうなおじさんだった。


「ああ、回覧板? ありがとう」


 そこで終わるかと思った。

 だが終わらない。


「あれ、太郎さん?」


 まただ。


 また自然に名前で来た。


「この前、祭りの準備にいたよね」


「ああ……いました」


「助かったよ。

 若い人がいてくれると」


 若くはない。

 それだけは訂正したい。

 だが、ここでそこを本気で訂正するのも違う。


「いや、別に」


 健太が後ろでぼそっと言う。


「また別にって言ってる」


 お前、ほんとよく聞いてるな。


 佐々木さんは回覧板を受け取りながら、気さくに言った。


「今度、防災の時も声かかるかもね」


 やめろ。

 次回予告をするな。


「いや、それは……」


「太郎さん、ちゃんとしてるから助かるんだよ」


 その一言に、俺はまた少し返事に詰まった。


 便利とか、器用とか、そういう言い方はまだ流せる。

 “ちゃんとしてる”は少し違う。

 しかも子どもだけでなく、大人側からも出ると余計に処理に困る。


「……そうですか」


 何とかそれだけ返した。


 帰り道、良子が横からにやにやしていた。


「お兄ちゃん、今のちょっと効いたでしょ」


「何が」


「太郎さん、ちゃんとしてるから助かるんだよ、ってやつ」


「いちいち復唱するな」


「でもほんとに近所の中で認識変わってるね」


 そこは否定しづらい。


 ひなが俺を見上げる。


「おじさん、もうおじさんだけじゃないね」


「どういう意味だ」


「近所の人にも、おじさん」


「その説明は雑すぎる」


「でもそう」


 健太はもっと適当だった。


「有名人じゃん!」


「違う」


「でも名前知ってた」


「それだけで有名判定するな」


 だが、子ども目線ではそうなのかもしれない。

 近所の大人が自分の知っている大人の名前を自然に呼ぶ。

 それだけで、生活圏の中での位置が少し変わって見えるのだろう。


 家へ戻る前に、梅子さんがまた一言言った。


「ほんと、太郎さんがいると助かるのよねえ」


 いると助かる。

 またその言い方だ。


 俺は少しだけ顔をしかめたが、もう前みたいに完全には流せなかった。


「……そういうの、言わないでください」


「あら、何で?」


「……何となく、重いんで」


 正直にそう言ってしまった。


 梅子さんは一瞬だけ意外そうにして、それから柔らかく笑った。


「でも本当だもの」


 その返しが、ずるかった。

 善意の人は本当にずるい。


---


 家へ戻って自室へ上がる。


 ドアを閉める。

 椅子に座る。

 ようやく一人だ。


「……包囲完了って感じなんだよな」


 思わずそう呟いた。


 梅子さん。

 佐々木さん。

 祭りで見た人。

 掲示板。

 回覧板。

 “太郎さん”。


 近所の中で、自分の名前が前より普通に通る。

 頼られる。

 使われる。

 感謝される。


 外の人ではなくなっている。

 でも、完全に近所付き合いの中心へ入ったわけでもない。

 その中間に、今の俺はいるのだろう。


「……面倒なんだよな」


 そう呟きながら、机の上のエナジードリンクを開ける。


 面倒だ。

 とても面倒だ。

 でも、その面倒の中に、少しだけ自分の席みたいなものができているのも事実だった。


 それをどう処理すればいいのか、まだよくわからない。

 ただ、近所で自分の名前が普通に通じるというのは、思っていたより変な感じだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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