「風間凛、さすがにヒント出しすぎでは?」
ヒントが多すぎると、人は逆に動けなくなる。
これは推理小説の話ではない。
いや、半分くらいは推理小説の話でもある。
犯人候補が一人だけ妙に怪しい。
でも怪しすぎる。
怪しすぎると、逆に「そんなわかりやすいわけないだろ」と思ってしまう。
人間の脳はそういうふうにできているらしい。
問題は、それが現実でも普通に起きることだ。
にぼし姫。
風間凛。
ネット。
コンビニ。
店の外。
短い言い回し。
変なタイミングの一致。
ここまで材料が揃っているのに、俺はいまだに決定打を避け続けていた。
避けているというか、正確には、**自分から試合終了の笛を吹きたくない**のだと思う。
もし違ったら痛い。
もし合っていたら、それはそれで今後のコンビニが妙に落ち着かなくなる。
どちらに転んでも面倒。
だから人は、たまに“ほぼ答えが出ている状態”にしがみつく。
その日の俺も、まさにそうだった。
---
昼過ぎ、俺はコンビニにいた。
理由は単純だ。
富子に醤油を頼まれた。
ついでに箱ティッシュ。
ついでに、ひなが来るかもしれないからプリン。
ついでが多い。
この家の依頼は本当に毎回そうだ。
そこへ、当然のように自分のエナジードリンクも一本加わる。
この一本だけは私費である。
ここは重要だ。
店内はいつも通りだった。
冷房。
揚げ物の匂い。
雑誌棚。
飲み物ケースの冷気。
何も変わらない。
変わらないはずなのに、最近この空間は少しだけ落ち着かない。
理由は明白だった。
レジに凛がいる。
いや、別にそれ自体は珍しくない。
むしろ珍しくないことが問題なのだ。
ここにいて、あそこにもいて、夜はチャットにもいるかもしれない。
その重なりが、最近の俺にはずっと引っかかっている。
商品を持ってレジへ行く。
「いらっしゃいませ」
「……どうも」
この“どうも”やめたいな、と毎回思う。
思うのに、結局出る。
もう条件反射に近い。
凛はいつもの調子で商品を読み取った。
ピッ。
醤油。
ピッ。
ティッシュ。
ピッ。
プリン。
ピッ。
エナドリ。
そして、レジ画面を見ながらぽつりと言った。
「今日はだいぶ家庭的ですね」
俺は少しだけ止まった。
「……何が」
「買い物です」
視線が商品へ落ちる。
たしかにそうだ。
醤油。
ティッシュ。
プリン。
どう見ても生活感がある。
「まあ……頼まれものだからな」
「最近そういうの増えましたよね」
そこを見ているな、本当に。
客の買い物内容なんて、毎回覚えるものなのか。
いや、覚える人は覚えるのかもしれない。
夜勤や夕方シフトで、近所の常連ならなおさら。
そう頭ではわかっている。
わかっているが、今の俺には一言一言が全部材料になる。
「増えたかもな」
否定する気にもならず、そう返した。
凛は少しだけ頷いた。
「前より、ちゃんと生活してる感じします」
その言葉が、不意打ちで妙に刺さった。
ちゃんと生活してる感じ。
別に褒めたのでも、茶化したのでもない。
ただ事実を見て言っただけ、みたいな声。
それが余計に困る。
「……どういう評価だよ」
「見たままです」
出た。
その“見たままです”の投げ方。
にぼし姫でも言いそうだ。
俺がそれ以上返せずにいると、凛はレジ袋を一枚引き出しながら言った。
「前は、補給って感じだったので」
来た。
補給。
やっぱりそこを拾うのか。
俺が以前使った言い回し。
チャットでも使った。
そして凛も使う。
「……その単語好きだな」
思わずそう返すと、凛は少しだけ目を上げた。
「そっちが先に使ってたので」
俺は完全に固まった。
「え?」
言った瞬間、自分でもわかった。
今の“え?”はだいぶ露骨だった。
凛は一拍置いてから、さらっと続ける。
「前に、言ってましたよね。
エナジードリンク買う時」
ああ、そっちか。
いや、そっち“も”なのか。
たしかに言った。
レジで言った気がする。
“補給”とか何とか。
自分でもだいぶ痛い言い方だと思った記憶がある。
「……ああ」
何とかそう返す。
助かったのか、助かっていないのか、自分でもよくわからない。
少なくとも“チャット側の補給”までは踏み込まれていない。
だが、こっちが勝手にそっちを連想して心拍数を上げている時点で、もうだいぶ駄目である。
凛は何事もなかったみたいに袋へ商品を入れていく。
「プリン、スプーンつけますか」
「……ああ」
「ひなちゃん用ですか」
やめろ。
そこまで見ているのか。
いや、プリンとひなの組み合わせは、たしかに最近この店でそこそこ観測されているかもしれない。
だが、それを普通に言われると妙に生活圏の重なりが濃くなる。
「何でそう思う」
「違うんですか」
違わない。
違わないが、その問い返し方もにぼし姫っぽくて良くない。
「……まあ、来るかもしれないし」
「そうなんですね」
短い。
だが、この短い相槌一つで、妙に会話が終わっていない感じが残るのが厄介だ。
会計を済ませる。
袋を受け取る。
「ありがとうございました」
「……どうも」
レジを離れようとして、一歩だけ進んだ時だった。
凛が、ごく普通の調子で言った。
「生活感って、ある方が落ち着くこともありますよ」
俺は足を止めた。
振り向く。
凛はもう次のレジ操作に入っていた。
こっちを見てもいない。
独り言みたいにも聞こえるし、こっちへ投げた言葉にも聞こえる。
「……何なんだよ」
小さく呟いて、俺はそのまま店を出た。
さすがにそれは、ヒントというか、別の何かが多い。
---
家へ帰る途中も、さっきの言葉が頭に残っていた。
前よりちゃんと生活してる感じ。
生活感。
ある方が落ち着くこともある。
それは、ただの店員の世間話としては少し踏み込みが深い気もするし、別にそうでもない気もする。
生活圏の近い相手同士なら、それくらい言うこともある。
だから厄介なのだ。
決定打ではない。
でも、決定打じゃない言葉ばかりが蓄積していく。
「ほんとに多いんだよな……」
思わずそう漏らす。
ヒントが。
温度が。
一致が。
それでも俺は、まだ“それってさ”の一言を言えない。
---
夜。
当然のように、にぼし姫がいた。
白狼77もいる。
この組み合わせの時点で、もう少し嫌な予感がする。
白狼77が先に書き込んできた。
『太郎って最近、買い物内容が生活感あるよな』
やめろ。
何だその話題の入り方は。
今日それを店内で言われたばかりなんだよ。
『知らん』
と返す。
『知らんことないだろ』
『前よりだいぶ家庭寄りじゃん』
『補給から買い出しになってますよね』
と、にぼし姫。
俺はスマホを見たまま、少し無言になった。
やめろ。
“補給から買い出し”は、今日の店内会話とかなり近い。
偶然で済ませるには、もう少し工夫してほしい。
『お前さ』
と打つ。
少し止まる。
何て続ける。
“ほんとにヒント多いな”か。
“さすがに怪しいぞ”か。
どっちも弱い。
弱いし、こちらがかなり疑っていることを自白するみたいで癪だ。
その間に白狼77が入ってきた。
『にぼし姫、今のはだいぶ答え寄り』
『そうですか?』
とにぼし姫。
『太郎の生活ログ把握しすぎなんよ』
と白狼77。
『近所のコンビニ店員みたいなこと言うな』
と、白狼77が続けた瞬間、俺は本気でスマホを落としかけた。
何でそこをそのまま言うんだ。
外野は本当に雑だな。
『やめろ』
と即返す。
『何が?』
『今の反応でむしろ確定感出たけど』
と白狼77。
にぼし姫が短く来る。
『ヒントが多いと、逆に動けなくなる人っていますよね』
俺はしばらく画面を見つめた。
今のは、一般論か。
それとも、完全にこっちを見て言っているのか。
たぶん後者だ。
いや、そう見えるだけかもしれない。
でも、そう見える時点でもうだいぶ危ない。
『……多いんだよ』
と、俺は返した。
『何が?』
と白狼77。
『ヒントが』
送ってから、自分で少しだけ目を閉じた。
かなり言ったな、今のは。
にぼし姫の既読がつく。
数秒。
そして返ってきた。
『答えが欲しいわけじゃないんですね』
その一言に、俺は何も返せなかった。
図星だった。
答えが欲しいのかと聞かれれば、欲しいのかもしれない。
だが同時に、欲しくない。
答えが出ると、今の曖昧で変な距離が少し変わる。
その変化に対して、まだこちらの準備が追いついていない。
白狼77がここで珍しく少しだけ引いた。
『あー』
『それはまあわかる』
わかるのか。
お前にもそういう感情があるのか。
『生活圏でそれは面倒だよな』
と白狼77。
それは珍しく正しかった。
『面倒なんだよ』
と返す。
『さすがにそれはヒントが多いし』
『だからって確認するほどの勇気は出ないし』
『今のままでもそこそこ面倒だし』
そこまで打って、もうかなり本音だなと思う。
だが止まらなかった。
にぼし姫はそれを読んで、少し間を置いてからこう返した。
『じゃあ、今のままでいいんじゃないですか』
その一言が、妙にやさしかった。
やさしいと言っても、甘やかす感じではない。
別に急がなくていい、とでも言うみたいな。
追い詰めない温度。
それが余計に、凛っぽかった。
『……それもそうか』
と俺は返す。
『今日は素直ですね』
とにぼし姫。
『疲れてるからだろ』
と白狼77。
たしかにそうかもしれない。
今日は店内でかなり削られた。
そのあとこの会話では、もう防御の角度を維持できない。
『今日はもう寝る』
と打つ。
『撤退早い』
と白狼77。
『生活感あるので』
とにぼし姫。
その最後の一言で、また少しだけ笑ってしまった。
「……ほんと多いんだよな」
スマホを伏せてから、もう一度呟く。
ヒントが多い。
生活圏も。
接点も。
温度も。
でも今のところは、それでいいのかもしれない。
答えにしないまま、少しずつ近づいてしまっている感じごと。
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