「健太、お前はトラブルを持ち込む天才なのか?」
近所の小学生には、二種類いる。
静かなやつと、そうでないやつだ。
そして、健太は後者である。
かなり後者である。
むしろ後者の代表選手みたいな顔をしている。
声が大きい。
動きが雑。
勢いで物を扱う。
考える前に走る。
困るとすぐ来る。
しかもその“困る”の大半が、自分で雑に動いた結果である。
つまり、トラブルの発生源としてはかなり優秀だ。
こちらとしてはまったく嬉しくない方向に。
その日も、俺は自室で平和にしていた。
平和という言葉はいい。
最近の俺にはあまり長く続かないからこそ、余計に響く。
ノートPC。
机。
エナジードリンク。
窓の外の少しぬるい風。
完璧である。
少なくとも、三分前までは。
バン。
ドアの開き方がもう駄目だった。
「おじさん!!」
健太である。
俺は椅子の上で肩を落とした。
「ノックしろ」
「した!」
「しながら開けるな」
「緊急だから!」
その“緊急”も信用できない。
こいつの中では、靴紐がほどけたのも、カードが曲がったのも、プリントが一枚足りないのも全部緊急である。
だが今日は、顔が少しだけ本気だった。
「何だよ」
「自転車のカギなくした!」
来た。
物理トラブルである。
しかも面倒なやつだ。
「知らん」
第一声は当然それだった。
「あるはずなんだよ!」
「なくしたんだろ」
「なくしたかも!」
「どっちだよ」
説明が曖昧すぎる。
健太は部屋の中へ二歩ほど入ってきて、両手をぶんぶん振りながら続けた。
「さっき公園行こうと思って、自転車出して、カギ取ろうと思ったらなくて、でも昨日はあった気がして、でもお母さんに聞いたら知らないって言うし」
「落ち着け」
「落ち着いてる!」
「全然だ」
この時点で、俺の中ではすでに嫌な予感が完成していた。
こういう話は、だいたい二種類に分かれる。
一つ、本人が本当にどこかへ落としたパターン。
二つ、本人が“そこへ置いたことを忘れてるだけ”パターン。
経験上、後者の方が多い。
特に健太はそうだ。
「最後にどこで見た」
「えーと……」
考え始める。
長い。
こういう時だけ、こいつは急に思考速度が落ちる。
「昨日」
「広い」
「夕方」
「まだ広い」
「帰ってきて」
「だからそのあとどこ置いた」
「たぶん……ランドセルのとこ?」
たぶん。
来た。
信用できない副詞ランキング上位である。
「見たのか」
「見てない」
「じゃあまず見ろよ」
「でも、おじさんの方が見つけるのうまいし」
やめろ、その前提。
最近、本当にこれが増えた。
健太はもう、困ると普通に俺へ持ってくる。
しかも、自分で探し切る前にだ。
よくない。
非常によくない。
「自分で探せ」
「探した!」
「どこまで」
「そのへん!」
雑。
あまりにも雑。
そこへ、廊下からひなが顔を出した。
「けんた、また?」
「また、じゃないよ!今回ほんとにない!」
ひなは俺と健太を交互に見て、少しだけため息っぽい顔をした。
「おじさん、見に行く?」
「……行きたくない」
「でも行くでしょ」
何でお前までそういう言い方をするんだ。
そのタイミングで、良子まで後ろから来た。
「何の騒ぎ?」
「健太が自転車の鍵なくした」
「あー」
その“あー”は、わりといろいろ察している音だった。
「また適当なとこ置いたんじゃないの?」
「置いてない!」
「その否定、信用できないんだよね」
良子、お前も容赦ないな。
だがその通りでもある。
俺は椅子から立ち上がった。
「……とりあえず見に行く」
「やった!」
健太、お前が一番喜ぶな。
「ただし、見つからなくても知らんぞ」
「うん!」
その“うん”に責任感はほぼ含まれていない。
だがもう、ここまで来たら放っておくのも後味が悪い。
この“放っておくのも後味が悪い”が、一番面倒なのだ。
---
健太の家は近い。
近いのがまたよくない。
近いから呼ばれやすいし、近いから断りにくい。
玄関へ入ると、健太の母親が少し困った顔で出てきた。
「あ、すみません、太郎さん……」
その“すみません”の時点で、すでに少し負けた気分になる。
悪意がない大人の困り顔は強い。
「鍵、ないって」
「そうなんです。
朝から自分で探してるんですけど、全然で」
自分で探してる、の解像度が気になる。
健太の場合、“見える範囲を二分見てないと言う”も十分ありえる。
玄関の脇にはランドセル。
横に帽子。
床に靴下片方。
それだけで、だいたいの生活感がわかる。
「最後に使ったの、昨日?」
俺が聞くと、健太の母親が答える。
「たぶんそうです。
公園から帰ってきて、そのあとゲームしてたから……」
よし。
ルートが見えてきた。
公園。
帰宅。
ランドセル周辺か、ポケットか、机の上か、ゲーム機の横。
子どもの物の動線は、だいたいそういう感じだ。
「自転車どこ」
「庭!」
庭へ行く。
自転車はある。
当然だ。
鍵だけないのだから。
まずはポケット。
上着。
ズボン。
ない。
「昨日のズボンは」
「洗濯!」
「洗濯機見たか」
「見てない!」
何で見てない。
見ろ。
そういうところだぞ。
洗面所へ移動。
洗濯機の横。
洗濯かご。
ズボンのポケット。
ない。
「ない!」
「うるさい」
健太は結果報告が早い。
そしてその報告に新情報はあまりない。
次にランドセル周辺。
机。
教科書の隙間。
引き出し。
筆箱の横。
……ない。
「ほんとにないじゃん!」
「今のところはな」
ひなが後ろで言う。
「けんた、昨日どこでゲームしたの」
「え?」
「リビング?部屋?」
「……リビング」
それだ。
子どもの物は、使った場所の近くへ置いたまま忘れることが多い。
特に“帰ってきてそのまま別のこと始めた”時は怪しい。
リビングへ戻る。
ソファの横。
テーブルの下。
クッションの隙間。
テレビ台の上。
ゲーム機の周辺。
そして、あった。
テーブルの脚の内側にかかった小さなフック。
そこに、自転車の鍵がぶら下がっていた。
「あるじゃねえか」
俺は思わず言った。
「えっ!?」
健太が飛んでくる。
「何でそこ!?」
「こっちが聞きたい」
健太の母親が額に手を当てた。
「昨日、おやつ食べる時にたぶん引っかけたのね……」
なるほど。
流れが見えた。
公園から帰る。
鍵を手にしたまま家へ入る。
そのまま何となくフックへ。
そのあとゲームへ移行。
忘却。
非常に健太らしい。
健太は鍵を受け取って、本気で目を丸くしていた。
「うわ……ほんとにあった……」
「だから自分でちゃんと探せって言ってるだろ」
「探したもん!」
「今のは探したうちに入らん」
ひなが横から静かに言う。
「やっぱおじさん」
「その言い方やめろ」
だが、健太もそこは素直だった。
「ありがとう、おじさん!」
この“ありがとう”はまっすぐだ。
うるさくて雑で反省も浅いが、感謝だけは本物である。
だから完全には腹が立たない。
そこもまた面倒だ。
健太の母親が申し訳なさそうに言う。
「ほんとすみません。
毎回……」
「いや、まあ……」
毎回。
本人も自覚しているのか。
それはそれでつらいな。
「でも太郎さん、本当に見つけるの上手ですね」
その評価はやめろ。
また次が来る。
「たまたまです」
「たまたまじゃないよ!」
健太が即座に言う。
「おじさん、すぐ見つけるじゃん!」
その雑な信頼が、最近本当に多い。
多いし、困るし、でも間違っているわけでもないのが一番嫌だ。
---
家へ戻る途中、健太は自転車を押しながらずっと喋っていた。
「オレ、ちゃんと探したんだけどなあ」
「ちゃんとしてない」
「でもテーブルのとこ見てなかった」
「そこを見ろって話だ」
「だって、鍵ってもっと鍵っぽいとこにあるじゃん」
「鍵っぽいとこって何だよ」
「玄関とか」
「じゃあ最初にそこ見ろ」
「うっ」
ひなはその横で静かに言う。
「けんたは、思ったより見てない」
「ひどい!」
「ほんとだから」
子ども同士のその雑な断罪は、たまに容赦がない。
俺は歩きながら、小さく息を吐いた。
こういうことが増えた。
健太が困る。
呼ばれる。
行く。
わりとすぐ解決する。
感謝される。
冷静に考えると、かなり面倒な流れである。
しかも問題の大半は、最初から本人がもう少し落ち着いて探せば済む。
だが、子どもは落ち着いて探さない。
そして近くに俺がいる。
構造として負けている。
「おじさん」
健太が急にこっちを見る。
「何」
「やっぱ、おじさんいれば何とかなるね」
その一言に、俺はかなり微妙な顔をしたと思う。
「そういう言い方すんな」
「何で?」
「次から最初に来るだろ」
「来るよ?」
即答だった。
お前、本当にそういうところだけはまっすぐだな。
「来るな。まず自分で見ろ」
「見る!
でもそのあと来る!」
「意味ないだろそれ」
ひなが小さく笑っていた。
良子ならここで“はい出た、完全信頼”とか言いそうだが、いないだけまだ静かだ。
健太は少し考えてから、また言った。
「でも、おじさん、いてよかった」
今度の言い方は、さっきより少し静かだった。
うるさくない。
勢いでもない。
ただ、見つかったから本当にそう思った、という声。
それに対して、俺はもう“うるさい”と言う気にもなれなかった。
「……まあ、次は自分で見つけろよ」
「がんばる!」
その“がんばる”も、たぶん信用度は六割くらいだ。
だが今は、それでいいのかもしれない。
少なくとも、健太の中では“困ったら太郎”がかなり完成している。
それは面倒だ。
かなり面倒だ。
でも、完全に嫌なだけでもなかった。
---
家へ戻ると、良子が玄関で待っていた。
「どうだった」
「テーブルの横」
「は?」
「鍵の場所」
「あー……健太くんっぽい」
それで通じるのか。
通じるのだろうな。
ひなが言う。
「やっぱおじさんだった」
「その評価便利だな」
「でもそうだよ」
良子は俺を見て笑う。
「お兄ちゃん、健太くんの中で完全に“何とかなる人”だね」
「迷惑なんだよ、それ」
「でも助かったんでしょ?」
「まあ、助かったは助かった」
「じゃあいいじゃん」
全然よくない。
……いや、少しはよかったのかもしれない。
だが、それを今ここで認めるのは何となく癪だった。
俺は二階へ戻りながら、小さく呟いた。
「お前はトラブルを持ち込む天才かよ……」
健太の顔が頭に浮かぶ。
自転車。
鍵。
雑な説明。
でも最後の“いてよかった”。
どれも騒がしくて、どれも面倒で、でも全部がゼロにしたいわけでもない。
それが今の俺の生活圏だった。
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