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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第5章 『頼るのはやめてほしい』

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「ひなはすぐにおじさんを呼ぶ」



信頼というものは、だいたい静かに重い。


ドラマみたいに大げさな言葉で来ることは少ない。

「あなたしかいないの」だの「お願い、助けて」だの、そういう派手な展開は現実ではまず起きない。


現実の信頼はもっと地味だ。


困った時に、自然にこっちへ来る。

わざわざ大きく頼みもしない。

当然みたいな顔で「これ」と持ってくる。

そして片づくと、当たり前みたいに安心して戻っていく。


だから気づきにくい。

気づいた時には、わりと深いところまで来ている。


その日、俺はそれを自室で静かに食らっていた。


午後だった。

珍しく、平和だった。


富子は買い物へ出ていて、父は和室で何か書き物をしていた。

良子はまだ来ていない。

健太の声もしない。

つまり、かなり当たり日である。


俺は机に向かい、だらだらと動画を流しながら、開きっぱなしのゲーム攻略Wikiを眺めていた。

やるかどうかは決めていない。

ただ眺める。

この“やる前の情報だけ見てる時間”というのは、わりと豊かだ。

実際にやるより長くなることもあるが、それはそれで問題ない。


窓の外は明るい。

風は少しぬるい。

エアコンの音も静かだ。


「今日は静かだな……」


そう呟いた時点で、たぶんフラグは立っていたのだろう。


コンコン。


控えめなノックの音がした。


「何」


「おじさん」


ひなだった。


健太と違って、あいつはちゃんとノックをする。

ただし返事を待つとは限らない。


ドアが少し開き、ひなが顔を出した。


「どうした」


「ちょっと」


その“ちょっと”は、子どもの言葉の中ではわりと信用できる方だ。

大人の“ちょっと”よりは、ずっとましである。


ひなは部屋の中へ入り、両手で何かを持っていた。

小さい巾着みたいな袋だ。


「何だそれ」


「これね、学校の」


袋から出てきたのは、名札だった。

正確には、名札につける安全ピンのついた白いケースみたいなやつ。

その留め具の片方が、外れかけている。


「とれそう」


ひなはそれだけ言って、俺へ差し出した。


俺は一瞬だけ止まった。


「母さんは?」


「下にいない」


「良子は?」


「まだ」


「父さんは?」


「和室」


「父さんに見せろよ」


「おじさんがいい」


その返しが早かった。


俺は少しだけ目を細める。


「何で」


「だって、おじさんこういうのすぐ見るもん」


その言い方が、あまりにも自然で困る。


“お願い”ではない。

“見てくれる?”でもない。

“こういうのすぐ見るもん”。


つまり、もう前提なのだ。

困った時に持っていけば、俺が見て、たぶん何とかする。

ひなの中ではそこまでルートが固定されている。


「……母さんでもいいだろ」


「でも今いないし」


「父さんでも」


「おじさんの方が早い」


それはたしかにそうかもしれない。

そして、そうかもしれないからこそ困る。


俺は名札を受け取った。


「どこでなった」


「わかんない。

気づいたら、こっちちょっとふわふわしてた」


説明が独特だが、まあわかる。

金具の片方が外れて、固定が甘くなっている状態だ。


「これくらいなら」


指先で金具を戻す。

押し込む。

少し硬い。

だが難しくはない。


「ほら」


返す。


「なおった?」


「見ろ」


ひなは名札を受け取って、表と裏を確認した。

それから、ほっとしたように小さく息をついた。


「うん」


その“うん”が妙にまっすぐで、少しだけ困る。


「それだけか」


「うん」


「じゃあよかったな」


「うん。ありがと」


ひなはそこで帰るのかと思った。

だが帰らなかった。


ベッドの端にちょこんと座って、名札を袋へ戻している。


「何だよ」


「ちょっと休憩」


「何のだ」


「なおってよかった休憩」


「そんな休憩あるのか」


「あるよ」


子どもの理屈は本当に自由だな。


ひなは数秒、黙って袋の紐を結び直していた。

部屋は静かだった。

外の車の音が少しだけ聞こえる。

こういう静かな時間の中に、子どもが一人いても前ほど落ち着かなくない、という事実に、俺は少しだけあとから気づく。


ひながふと聞いた。


「おじさん、何見てたの?」


「ゲームのやつ」


「やってないの?」


「まだ」


「なんで」


「今は見てるだけでいいんだよ」


「へんなの」


そう言いながら、ひなは別に馬鹿にした顔はしない。

ただ、本当に不思議そうなだけだ。


「ひなはやる前にあんまり見ない」


「子どもだからな」


「おじさんは?」


「……大人だからだろ」


我ながら説得力の薄い返事だった。

実際には、大人だからというより、決断に時間がかかる性質の問題な気もする。


ひなは少し考えてから言った。


「でも、おじさん、ちゃんと見てくれる」


「何を」


「こういうの」


袋の中の名札を軽く叩く。


「だから、おじさんでよかった」


その言い方に、また少しだけ喉が詰まる。


大げさじゃない。

感動の演出もない。

ただ、本当にそう思ったから言っただけ、という声。


こっちはそういうのに弱いのだ。

いや、たぶん誰でも少しは弱い。


「……別に、これくらいなら」


「うん」


ひなは頷いた。

頷いて、でもそこで終わらせなかった。


「でも、ひな、最初からおじさんのとこ来たよ」


俺は視線を少し逸らした。


「それ、さっきも言ってたろ」


「うん。

だって、おじさんならちゃんと見るから」


ちゃんと見る。


その評価は、最近ひなの中で何度か出てきている。

“ちゃんとしてる”とか、“ちゃんといる”とか。

雑なようでいて、たぶん子どもなりにかなり本質を掴んでいる言い方なのだろう。


適当に流さない。

途中で投げない。

見たら見る。

直せるなら直す。


そういう意味での“ちゃんと”なのだと思う。


「……母さんに言えば、母さんも見るだろ」


「でもおじさんの方が、早いし」


ひなはそこで少しだけ笑った。


「あと、なんか落ち着く」


その一言は、名札の金具よりずっと手強かった。


俺はしばらく何も言えず、結局こう返すしかなかった。


「お前の評価、いちいち重いんだよ」


「重い?」


「何でもない」


ひなはきょとんとした。

まあ、わからなくていい。


その時、ドアが少し開いた。


「ひなー、いた」


良子だった。


部屋の中を見て、ベッドの端のひなと俺、そしてひなの手の中の名札を見比べる。

その時点で全部察した顔になる。

察しがよすぎるのもどうかと思う。


「直してもらったの?」


良子が聞く。


「うん」


「ふーん」


その“ふーん”は、だいたい何か含みがある時のやつだ。


「何だよ」


「いやあ、ひな、最初からお兄ちゃんのとこ来たんだなって」


やっぱりそこか。


「だって、おじさんだから」


ひなが当然みたいに言う。


良子は少しだけ笑ってから、靴下のまま部屋へ入り、机の横に立った。


「ひな、お母さんに先言えばよかったのに」


「でも、おじさんの方が早いし」


「うわ」


良子が変な顔をした。


「その言い方、地味に効くやつじゃん」


「何が」


「別に」


お前まで“別に”を使うな。


良子はベッドの縁に手を置いて、少しだけ真面目な顔になった。


「ひな、ほんとに最初にお兄ちゃん呼ぶようになったね」


その言葉は、さっきのひなの言葉とは別の角度で刺さる。


ひなは当然みたいに頷いた。


「うん」


「何で」


「だって、おじさんいるし」


その答えが一番困る。


理由が単純すぎるのだ。

いるから。

呼べるから。

見てくれるから。


それだけのことで最初の相手に選ばれる。

子どもの信頼というのは、本当にそういうふうにできているのかもしれない。


良子は俺を見た。


「お兄ちゃん、なんか今ちょっと困ってる顔してる」


「困るだろ」


「何で?」


「何でって……」


言葉にしづらい。


嬉しいとか、照れるとか、重いとか、いろいろ混ざっている。

そしてそのどれもを素直に口に出せるほど、俺はできた人間でもない。


「……別に、そこまで最初に来なくてもいいだろって思うだけだ」


「でも来るんだよ」


「来るな」


「無理でしょ」


良子が笑う。


「ひなの中ではもう、お兄ちゃんかなり上位なんだって」


「何のランキングだよ」


「困った時に頼る人ランキング」


「嫌なランキングだな」


「でも一位っぽい」


ひながそこで小さく手を挙げた。


「ひなの中では、一位だよ」


やめろ。


そんなにはっきり言うな。

心の準備がない。


「……お前、ほんとそういうの急に言うな」


「ほんとのことだもん」


子どもの“ほんとのこと”は強い。

誇張がない。

だから逃げにくい。


良子はそれを見て、少しだけやさしい顔で笑った。


「よかったじゃん」


「よくは……」


と言いかけて、やめた。


よくない、と言い切るのも違う。

むず痒い。

落ち着かない。

重い。

でも、悪いだけではない。


「……何でもない」


それが精いっぱいだった。


ひなはもう十分話したと思ったのか、ぴょんとベッドから降りた。


「じゃ、下いく」


「おう」


「名札、明日だいじょうぶだよね」


「たぶん」


「よかった」


その“よかった”が、最初に部屋へ入ってきた時より軽くなっている。

もう安心している声だ。


ドアのところで、ひなは振り返った。


「おじさん」


「何」


「また何かあったら来るね」


「宣言するな」


「だって来るもん」


そう言って、ひなは下りていった。


良子はドアの前で一瞬だけ止まり、振り返る。


「お兄ちゃん」


「何」


「ひなに最初に呼ばれるの、ちゃんと嬉しいんでしょ」


「……うるさい」


「否定しないんだ」


「うるさい」


良子は少し笑って、それ以上は言わずにドアを閉めた。


部屋が静かになる。


さっきまでの小さな気配だけが、少し残っている。

名札の件自体は、本当に大したことじゃなかった。

金具を戻しただけ。

数秒で終わる作業だ。


なのに、その前後のやり取りが妙に残る。


困った時に最初に来る。

おじさんならちゃんと見る。

落ち着く。

一位。


「……重いんだよなあ」


思わずそう漏らした。


便利とか、使えるとか、そういう雑な評価ならまだ流せる。

子どものこういうまっすぐな信頼は、別のところへ刺さる。


俺は椅子に座り直し、さっきまで眺めていた攻略Wikiへ視線を戻した。

だが、内容はほとんど頭に入ってこない。


画面の向こうの最適解より、さっきのひなの一言の方が、よほど処理が難しい。


「……最初から呼ぶなよ、ほんと」


そう呟いてから、少しだけ笑ってしまった。


呼ぶなと言ったところで、たぶんまた来るのだろう。

困りごとはなくならないし、ひなはたぶんもう、迷わない。


そして俺も、そのたびに文句を言いながら、たぶんまた見るのだ。


不本意だが。

かなり不本意だが。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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