「セルフレジはセルフじゃない時がある」
セルフレジという言葉には、わずかな嘘が含まれている。
あれは“自分で全部気楽にできるレジ”ではない。
正確には、
**「基本は自分でやるが、途中で機械に怒られたり、結局店員を呼んだりする可能性が普通にあるレジ」**
である。
長い。
そして夢がない。
だが現実としてはそっちの方が近い。
人は“セルフ”という単語を見ると、つい気楽さを想像してしまう。
対人会話が減る。
こっちのペースでできる。
余計な気遣いがない。
素晴らしい。文明万歳。
そう思って入った先で、
「商品を袋詰めエリアに置いてください」
「未登録の商品があります」
「係員をお呼びください」
などと機械音声に追い詰められるのだから、人生は甘くない。
その日、俺――佐藤太郎は、スーパーのセルフレジ前で静かに削られていた。
発端は富子だった。
「太郎、ちょっとスーパー行ってきて」
その“ちょっと”が信用できないことは、もう嫌というほど知っている。
「何」
「牛乳と卵と、あと洗剤。
あ、トイレットペーパーも切れそうなのよね。
それから安かったらお米も見てきて」
増えた。
しかも“安かったらお米”という条件付き追加は危険だ。
あれはだいたい最終的に買う流れになる。
さらに悪いことに、その日はひなと健太までいた。
「スーパー?」
健太の目が光る。
その時点で嫌な予感がした。
「おかしある?」
ひなが聞く。
「あるだろうな」
「じゃあ行く」
「お前は何でそんな自然に来る前提なんだ」
良子が後ろから笑う。
「ひなも一緒に行きたいって。
健太くんもついでに送るから、ちょうどいいじゃん」
全然ちょうどよくない。
だが結局、俺は子ども二人を連れてスーパーへ向かっていた。
もう最近この流れに慣れつつある自分が少し嫌だ。
---
スーパーは土曜の午後で、そこそこ混んでいた。
家族連れ。
買いだめのカート。
惣菜コーナーの人だかり。
子どもの声。
レジ待ちの列。
こういう時、俺の脳内では常に“できるだけスムーズに終えたい”が最優先になる。
だから最初は順調だった。
牛乳。
卵。
洗剤。
トイレットペーパー。
米も安かったので結局入れる。
ついでに健太が「これ百円!」と菓子を持ってきて、ひながグミを一袋選んだ。
「一個だけだからね」
俺が言うと、健太はすぐ返す。
「うん!」
信用できない返事だったが、今回は一応守った。
たぶん米袋が視界に入っていたからだろう。
あれがあると、さすがに“さらに持たせるとおじさんがキレる”と察するらしい。
問題はレジだった。
普通のレジには列ができていた。
そしてその横に、セルフレジが空いていた。
ここで多くの人間は二つに分かれる。
並んでも人にやってもらう安心を取る人。
多少の機械操作は許容して、速さを取る人。
俺は後者だった。
少なくとも、その時点では。
「こっちでいいか」
俺がセルフレジを指すと、ひなが見上げる。
「これ、おじさんがやるやつ?」
「そうだ」
「すごい」
その評価は早い。
まだ何もしていない。
健太はもっと雑だった。
「機械ならおじさん強そう」
「強そう、じゃない。普通にやるだけだ」
だが正直、その時点では俺も少しそう思っていた。
機械だ。
人相手より楽だろう。
バーコードを通し、袋へ入れ、会計するだけ。
ルールが見える分、人よりずっと気楽だ。
…最初の三十秒くらいは、その通りだった。
ピッ。
牛乳。
ピッ。
卵。
ピッ。
洗剤。
問題ない。
順調だ。
ほら見ろ。
やはりセルフレジは人より楽――
『商品を袋詰めエリアに置いてください』
機械音声が言った。
「置いてるだろ」
思わず小声で返してしまう。
だが置き方が甘かったのか、洗剤がエリア外判定を受けていたらしい。
少し押し込む。
反応。
通った。
まあいい。
この程度なら誤差だ。
次。
トイレットペーパー。
これが大きい。
しかも軽い。
袋詰めエリアへ置くにも微妙に邪魔だ。
『袋詰めエリアに――』
「はいはい、置くよ」
「おじさん、しゃべってる」
ひなが真顔で言う。
「機械にちょっと」
「機械に怒ってる?」
「怒ってない」
「でもちょっと怒ってる顔」
細かいな。
そこへ健太が菓子を持ち上げる。
「これオレの!」
「待て、今順番にやってるだろ」
「まだ?」
「まだだよ」
子どもとセルフレジは相性が悪い。
待てないからだ。
そしてこちらも、見られているだけで少し焦る。
次に問題が起きたのは、ポイントアプリだった。
会計直前で思い出す。
この店のアプリ。
クーポン。
ポイント。
今出すか。
最初に出すべきだったか。
いや、セルフレジだとどのタイミングだ?
画面を見る。
ポイントカードをお持ちの方。
スキャンしてください。
「…今か」
スマホを出す。
アプリを開く。
通信が遅い。
こういう時に限って遅い。
健太が横から覗き込む。
「おじさん、遅い」
「うるさい」
「ひな、もうおわったかと思った」
「まだ終わってない」
通信。
読み込み中。
バーコード表示。
やっと出た。
スマホをかざす。
読まない。
「えっ」
角度を変える。
また読まない。
「何でだよ」
『バーコードをスキャンしてください』
してる。
してるのに、機械は冷たい。
ようやく通った時には、すでに俺の心はだいぶ削れていた。
「おじさん、ちょっとたいへんそう」
ひなが言う。
「ちょっとじゃない」
思わず本音が出た。
そしてとどめは、エコバッグだった。
商品を全部通し終わり、横のカゴから持ってきた袋へ入れようとしたその時――
『係員をお呼びください』
終わった。
「何で!?」
反射で声が出る。
画面には
**袋の確認が必要です**
と出ていた。
そうだ。
セルフレジによっては、持参袋の登録が要るやつがある。
完全に忘れていた。
最悪である。
ここまで機械相手だけで済ませようとしていたのに、結局一番避けたかった“店員を呼ぶ”が発生した。
これが精神的にいちばん嫌だ。
俺が固まっていると、ひなが素直に聞いてきた。
「どうしたの?」
「…人を呼ぶ」
「セルフなのに?」
「そうだよ」
そこは俺も言いたい。
近くにいた店員がすぐ来た。
若い女性だった。
笑顔。
丁寧。
何も悪くない。
「大丈夫ですか?」
「袋…持ってきたやつで」
「確認しますねー」
その丁寧さが余計に心へ刺さる。
別に失敗したわけではない。
ただ手順が一つ抜けただけだ。
それだけなのに、なぜこんなに敗北感があるのか。
店員が操作してくれる。
通る。
「これで大丈夫です」
「…ありがとうございます」
その“ありがとうございます”の小ささよ。
ひなが隣で真顔だった。
健太は笑いをこらえている。
「何だよ」
「セルフなのに人きた」
健太、お前。
「そういう時もあるんだよ」
「でもセルフじゃないじゃん」
「半セルフだ」
「そんな言葉あるの?」
「今作った」
だが、たぶん本質としては正しい。
セルフレジは完全なセルフではない。
あれは“自分で進めるが、詰まるとちゃんと人が来るシステム”だ。
会計を終える頃には、俺は普通のレジに並ぶより疲れていた。
袋を持つ。
米。
牛乳。
洗剤。
卵。
トイレットペーパー。
菓子。
重い。
心も少し重い。
---
帰り道、健太はもう我慢できなくなったらしく笑いながら言った。
「おじさん、機械に負けたね」
「負けてない」
「でも人きたよ」
「その一点だけで判断するな」
ひなはもっと静かだった。
「セルフなのに、さいご人だった」
「だからそういう時もあるんだって」
「へえ」
その“へえ”には、完全には納得していない響きがあった。
家へ戻ると、富子が袋を見て言う。
「買えた?」
「買えた」
「お米も?」
「買った」
「えらい」
「その評価もういいよ」
良子も来ていて、袋を受け取りながら言った。
「何か疲れてない?」
「疲れた」
「何があったの」
健太が元気よく言う。
「セルフなのに人きた!」
やめろ。
第一声で報告するな。
良子が吹き出す。
「何それ。
お兄ちゃん、セルフレジで詰まったの?」
「少しな」
「ちょっとじゃなかったよ」
ひなが補足する。
「おじさん、機械にちょっと怒ってた」
「怒ってない」
「でも、置いてるだろ、って言ってた」
記憶力がやけにいいな。
富子は笑いながら洗剤を出している。
「だから普通のレジにすればいいのに」
「並んでたんだよ」
「セルフの方が早いと思ったんでしょ」
「思った」
「で?」
「…疲れた」
それ以上の総括はなかった。
だが実際その通りだ。
セルフレジは速い時は速い。
だが一度つまずくと、一気に“見られながら処理する恥ずかしい作業”になる。
俺はその日の夜、自室でしみじみ思った。
「機械に強いのと、セルフレジに強いのは違うんだよな…」
机の上のエナジードリンクを開ける。
炭酸の音。
配線。
設定。
接続。
そういう機械ならまだいい。
セルフレジは違う。
あれは機械と人の悪いところを少しずつ混ぜたような存在だ。
つまり、気が抜けない。
スマホが震える。
良子からだ。
『セルフなのに人きたは面白すぎる』
うるさい。
『笑うな』
と返す。
すぐ既読。
『でもわかる』
『あれ急にエラー出ると地味に恥ずかしいよね』
その二通目には、少しだけ救われた。
わかる人がいる。
それだけで、敗北感はほんの少し薄まる。
『そういう時もある』
と俺は返した。
送ってから、さっき子どもたちにも同じことを言っていたのを思い出す。
大人はだいたい、失敗を一般論に薄めて処理する生き物だ。
「…まあ、次は普通のレジでいいか」
独り言を呟いてから、俺は少しだけ笑った。
人は学ぶ。
たとえ学ぶ内容が、セルフレジを避けるという地味なものでも。
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