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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第4章 『近所の平和は担当外なんですが…』

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「町内祭りは参加する側になると地獄」



祭りというものには、表と裏がある。


表はいい。

屋台。

提灯。

焼きそば。

かき氷。

子どもの笑い声。

夕方の少し浮ついた空気。


だが、裏は違う。


裏には、机がある。

段ボールがある。

養生テープがある。

微妙に足りない延長コードがある。

そして、誰かが運ばなければならない荷物と、誰かが貼らなければならない掲示物と、誰かが気づけばやっている細かい作業が山ほどある。


つまり、参加する側になると一気に地獄度が上がる。


その日の朝、俺はその地獄の入口に立っていた。


原因は、もちろん田村梅子である。


「あら、太郎ちゃん」


その呼びかけの時点で、嫌な予感はしていた。


俺は家の前に出ていた。

理由は単純で、富子にゴミ袋を出してこいと言われたからだ。

家の前でゴミ袋を置くだけの簡単なミッション。

本来なら、三分で終わる。


なのに、人生というものは、こういう時に限って余計なイベントを差し込んでくる。


門のあたりで、梅子さんがにこにこしながら立っていた。

その笑顔には悪意がない。

ないのだが、悪意がないからこそ断りづらい。

これが善意の怖いところである。


「おはようございます」


「おはよう。ちょうどよかったわあ」


出た。

“ちょうどよかった”。


その言葉が出た時点で、こちらがちょうどよくないことはだいたい確定している。


「何ですか」


「今日、町内のお祭りの準備があるのよねえ」


「へえ」


へえ、で終われ。

そう願ったが、当然終わらない。


「ちょっとだけ、人手があると助かるの」


ちょっとだけ。

大人の“ちょっとだけ”は信用してはいけない。

これはすでに学んだはずだ。


「いや、俺は…」


言いかけたところで、後ろから富子の声が飛んできた。


「太郎、時間あるでしょ」


最悪だ。


振り向くと、玄関先に富子。

しかも完全に“何を今さら”みたいな顔をしている。


「いや、でも…」


「午前中だけでいいんだって。行ってきなさいよ」


行ってきなさいよ、ではない。

今まさに断ろうとしていたところへ後方支援を入れるな。


梅子さんがやわらかく追撃する。


「ひなちゃんたちもあとで来るかもしれないし」


さらに悪い。


子どもカードを切るな。

それを出されると、ひなが楽しそうにしている光景が先に浮かんでしまって、断りにくさが増す。


「…何するんですか」


これはもう、半分落ちた質問だった。


「テント出したり、机並べたり、提灯の箱運んだり。そんな感じよお」


そんな感じ、で済まない量だな。


だが、その説明の中に“世間話をして盛り上げる”とか“司会をする”とかいう、より高難度の任務が入っていないだけまだマシだった。

運ぶ。

並べる。

貼る。

そのへんならまだ戦える。


俺は小さくため息をついた。


「…午前中だけなら」


「助かるわあ!」


梅子さんが即座に言った。


決定である。

この人の会話運びは、本当に断る隙がない。


富子はすでに家の中へ戻りかけていた。


「帽子かぶって行きなさいよー」


「人を雑に送り出すなよ…」


聞こえているのかいないのか、返事はなかった。


---


会場は近くの公園だった。


以前、町内清掃で行った場所でもある。

あの時は朝から草抜きとごみ拾いで、かなり精神を削られた記憶がある。

今回は祭り準備。

規模が大きい分、さらに面倒な気配しかしない。


公園へ着くと、すでに何人かの大人が動いていた。


折りたたみ机。

パイプ椅子。

段ボール。

紐。

提灯。

ブルーシート。

これぞ裏方、という景色である。


「あ、太郎ちゃん来た来た」


梅子さんが俺を見つけて手を振る。


この時点で、もう“来た人”として処理されている。

逃げ道はない。


「おはようございます」


「おはよう。じゃあまずこれお願いできる?」


早い。

雑談を挟まないのはありがたいが、着いた瞬間に任務が発生するのもそれはそれで忙しい。


指さされたのは、提灯の入った段ボールだった。

数としては多いが、重さはそこまででもない。


「これを倉庫から出して、あっちにまとめてもらっていい?」


「…はい」


「あと、そのあと机も少しお願いしたいの」


ほら増えた。


大人の“まずこれ”は信用できない。

結局あとが続く。


だがまあ、やることが明確ならまだ楽だ。

俺は段ボールを運んだ。


倉庫の中はやや薄暗く、埃っぽい。

祭り道具というのは、一年の大半を眠っているくせに、いざ使うとなると妙に存在感がある。

出す。

積む。

運ぶ。

これ自体は嫌いじゃない。

少なくとも、人と話すよりはずっとマシだ。


だが、問題はそこへ話しかけが混ざることだ。


「佐藤さんちの息子さんだよね?」


荷物を持っている時に限って来るな。


振り向くと、町内のどこかで見たような、でも名前は知らない男性が立っていた。

年齢は父より少し下くらいか。

たぶん清掃の日にも見た。


「…はい」


「助かるねえ。若い人がいると」


若くはない。

そこは訂正したい。

だが、ここで“いやもう若くないです”と真顔で言うのも変だ。


「まあ…運ぶくらいなら」


「いやいや、それが大事なんだよ」


そう言われると、それ以上は返しづらい。

悪意はゼロ。

完全に善意。

だからこそ厄介だ。


そこへ、遠くから元気な声が飛んだ。


「おじさーん!」


健太だった。


何でいる。


いや、祭り準備の場に近所の子どもが来てもおかしくはない。

だが、今ここへ来なくてもいいだろう。


見ると、ひなもいる。

さらに良子まで来ていた。

梅子さんの“あとで来るかも”は正しかったらしい。腹立たしいことに。


「おじさん、もういた!」


「見ればわかるだろ」


「何してるの?」


「祭りの準備だよ」


「すごい!」


何がだ。

段ボール運びだぞ。


ひなは俺の近くまで来ると、提灯の箱を見上げた。


「これ、おまつりの?」


「そうらしい」


「おじさん、もう働いてるね」


その評価の仕方、最近ひなの中で固定されてきている気がする。


良子が後ろから笑う。


「ほんとだ。ちゃんと戦力じゃん」


「やめろ、その言い方」


「でも事実でしょ」


言い返しづらい。

今まさに働いているのだから。


梅子さんが子どもたちを見て、にこにこしている。


「あらあら、みんな来たのねえ。

太郎ちゃん、机の方お願いしていい?」


来た。

追加任務。


俺は言われるまま、公園の端へ積まれていた折りたたみ机を運ぶことになった。

ここでもまた、会話より作業の方が楽だ。


机を二つ運び、脚を広げ、位置を合わせる。

ぐらつきがあれば調整する。

この一連の作業には正解がある。

人付き合いと違って、正しくやれば正しく収まる。

その確かさが好きなのだと思う。


「お兄ちゃん、手慣れてるね」


良子が言う。


「別に」


「いや、そういう時の“別に”は無理あるって」


健太は机の脚が開くところを見て、妙に感心していた。


「うわ、変形した」


「机だからな」


「でもなんかロボっぽい」


その感想はだいぶ雑だが、少しわかるのが嫌だ。


ひなが真面目に言う。


「おじさん、そういうの好きだもんね」


「何でそうなる」


「だって、ホームセンターでもちょっとつよかった」


その表現、もう定着する気か。


俺が机を置き終えると、梅子さんが次の指示を飛ばしてくる。


「太郎ちゃん、その提灯、紐通すの手伝える?」


細かい作業まで来た。


「できますけど」


「助かるわあ。

目がいい人の方が早いのよね」


目がいい人、ではない。

単に今ここにいるだけだ。


提灯と紐。

この手の単純作業も、やること自体は嫌いじゃない。

一定の手順で、同じことを繰り返す。

淡々としていて、会話の余地が少ない。

理想に近い。


だがそこへ、近所の人の声が時々飛んでくる。


「それ、こっち置いといて」

「テープある?」

「この位置でいいかな」

「ひなちゃん、そこ危ないよ」


情報量が多い。


祭りの裏方というのは、要するに“知らない人たちとの共同作業”なのだ。

それが高難度でないわけがない。


俺が紐を結んでいる横で、健太が提灯を持ち上げようとしていた。


「触るな」


「ちょっとだけ!」


「そのちょっとだけが一番危ない」


ひながすぐ言う。


「けんた、だめ」


「えー」


珍しくひなも同じ方向を向いていた。

こういう時、子ども二人が完全に同時に暴走しないのは助かる。


作業が一段落すると、今度はペットボトルのお茶が配られた。


「はい、お疲れさま」


梅子さんが渡してくる。


冷たい。

こういう時の冷たいお茶は妙にうまい。


「ありがとうございます」


「いやあ、ほんと助かるわ。

太郎ちゃんがいると荷物系が早いのよねえ」


その評価は、まあ、ありがたい。

ありがたいが、同時に今後のイベント発生率を上げるので素直に喜びづらい。


「運ぶだけなら」


「その“だけ”が大事なのよ」


善意の人は本当にこのへんの逃げ道を塞ぐのがうまい。


良子が横からにやにやしている。


「お兄ちゃん、町内でちゃんと使われてるね」


「やめろ、その言い方」


「でも事実だよ。

お兄ちゃん、たぶんもう“佐藤さんちの息子さん”から“一応戦力”くらいに格上げされてる」


それは全然うれしくない格上げだった。


父がもし今の俺を見たら何と言うだろう。

そう考えて、少しだけ妙な気分になる。

家の中ではまだぎこちない部分もあるのに、近所の祭り準備では普通に机を運んで提灯を結んでいる。

人間の適性というのは本当にわからない。


ひながペットボトルを持ちながら言う。


「おじさん、ちゃんといるね」


「またそれか」


「でもそう」


そうなのだろう。

ひなにとって、これは“ちゃんといる”の延長線上にあることなのだ。


健太はもっと雑だった。


「おじさん、祭りの人みたい」


「そういう役職じゃない」


「でもそんな感じする」


やめろ。

そんな感じはしない。

…たぶん。


昼前には、準備の大部分が終わった。

提灯は吊るされ、机は並び、掲示物も貼られた。

汗はかいたが、まあ、やることはやった。


俺がそろそろ離脱したい空気を出し始めた頃、梅子さんが言った。


「ほんとに助かったわあ。

もう太郎ちゃん、いてくれるとだいぶ違うのよ」


その言い方が、軽くなくて困る。

からかいでも社交辞令でもない。

本当に助かったと思っている声だった。


「…まあ、運ぶくらいなら」


「またそうやって小さく言う」


良子が横で笑う。


「でもほんと、お兄ちゃんいなかったら時間かかってたかもね」


「そうだなあ」


知らない大人の誰かまで乗ってくるな。

こっちが余計に居心地悪くなる。


ひなは当然のように言った。


「おじさん、えらい」


「褒め方が雑なんだよな…」


それでも、少しだけ悪くなかった。


祭り準備は地獄だ。

参加する側はかなり疲れる。

知らない大人は多いし、雑談は苦手だし、荷物は重い。


それでも、机を運んで、提灯を吊るして、冷たいお茶を飲んで、子どもたちが楽しそうにしているのを見ると、完全なマイナスだけでもない気がしてくる。


そこがいちばん面倒なのだ。


帰り道、ひなが俺の横に並んだ。


「おじさん」


「何」


「お祭り、また来る?」


「知らん」


「でも来るかもね」


「何でそう思う」


「だって、おじさんいると助かるんでしょ」


その言葉に、俺は少しだけ詰まった。


たしかに、梅子さんはそう言った。

そしてたぶん、次も何かあれば普通に声をかけてくるだろう。


面倒だ。

とても面倒だ。


でも、ひなのその言い方は、嫌な未来予告というより、少しだけ“いてくれて当然”に近かった。


「…そういうのが一番困るんだよな」


小さく呟くと、ひなは意味がわからないまま「?」という顔をした。


それでいい。

全部わからなくていい。


少なくとも今のところは。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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