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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第4章 『近所の平和は担当外なんですが…』

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「近所の駄菓子屋防衛線」



子どもの買い物は遅い。


これは偏見ではない。

事実である。


しかも、ただ遅いのではない。

本人たちはあれで本気なのだ。

十円単位で悩み、二十円の差で世界が変わり、買うか戻すかを五回くらい繰り返した末に、最終的に最初に手に取ったものへ戻る。


その一連の流れに、無駄はない。

少なくとも、子どもの中では。


だが付き添う側からすると、あれはかなり削られる。

精神が。

時間ではない。精神が。


その日、俺――佐藤太郎は、まさにそういう種類の削られ方をしていた。


発端は、ひなと健太である。


休日の午後。

俺は自室で、静かにしていたかった。

別に何か特別なことをしていたわけではない。

ネットを巡回し、動画を流し、時々ゲームを触る。

つまり、非常に健全な休日だった。


そこへ階下から、複数の声が聞こえた。


「おじさーん!」


健太。

いつものことだが、こいつは本当に声量がある。


「ひな、ラムネ買う」


ひな。

珍しく主張が先に出ている。


嫌な予感がした。

子どもが二人いて、買うという動詞が聞こえた時点で、だいたい碌でもない。


数秒後、ドアが開いた。


ノックは一応あった。

ただし開きながらだった。

もうそれは形式だけの儀式である。


「おじさん!」


「何だよ」


健太がまっすぐ言う。


「駄菓子屋行こう」


「断る」


反射で断った。

この速度だけは自信がある。


「何で!」


「何ででもだ」


「ひなも行きたいのに」


お前はすぐ共同戦線を張るな。


見ると、ひなは少しだけ期待した顔でこっちを見ている。

ずるい。

子どもの“行きたい”顔は、だいたい大人にずるい。


「ママが、おじさんもいっしょならいいって」


来た。


後方支援が最悪だ。

つまりもう、良子か富子が外堀を埋めている。


案の定、廊下の向こうから良子の声が飛んできた。


「お兄ちゃーん、ついでに見ててあげてー」


「ついでじゃないだろそれ」


「近いし、すぐだから」


信用できない。

大人の“すぐ”も、子どもの“ちょっとだけ”も、どちらも信用できない。


ひなが小さく言う。


「ラムネと、あとグミ」


「もう決まってんのか」


「たぶん」


「たぶんかよ」


健太はもっと雑だった。


「オレなんでもいい!」


その“なんでもいい”が一番危ないんだよ。


俺は椅子にもたれたまま、天井を見た。

行きたくない。

正直かなり行きたくない。

駄菓子屋という場所は、平和そうに見えて、子どもの選択と小銭と欲望が凝縮された高難度エリアである。

付き添いの大人に求められる役割も曖昧だ。

止めるべきか、見守るべきか、余計なものを買わせないべきか、多少の寄り道は許すべきか。

正解がない。


だが、ひなは期待した顔。

健太はもう行く前提。

良子は止める気ゼロ。


逃げ道は薄かった。


「……予算は」


「三百円!」


健太が元気に言う。


「二百円」


ひなが言う。


「お前ら、だいぶ差あるな」


「だってラムネとグミはいるから」


ひなの理屈は明快である。

健太の方はたぶん、現地で増える。


「おじさん行く?」


ひなが聞く。


その聞き方が、以前よりずっと自然だった。

“来てくれる?”ではなく、“行く?”だ。

もうだいぶ、一緒に来る可能性が普通に認識されている。


「……五分で帰るなら」


「やった!」


「五分では帰らないよ」


健太が正直すぎる。


俺は立ち上がった。


「もう最初から嘘つくなよ……」


---


駄菓子屋は、歩いて十分もかからない場所にあった。


小さな店。

色あせた看板。

店先にアイスケースとガチャガチャ。

中には所狭しと吊るされた駄菓子。

プラスチックケースに入った小物。

くじ付きの菓子。

当たり付きのアイス。

壁際にはちょっと古いカードやおもちゃもある。


こういう店は、近所に一つ残っているだけで妙に空気が変わる。

時間が少しだけ遅いのだ。


「うわー!」


健太は着いた瞬間、ほぼダッシュだった。


「走るな」


「だってもうある!」


「駄菓子屋なんだからあるだろ」


ひなは健太ほどではないが、やはり目が少し輝いている。

ラムネ一直線かと思いきや、入り口で一度全体を見回していた。

慎重派である。


店の奥から、おばちゃんが顔を出した。


「あら、健太くん。今日はお兄ちゃんも一緒?」


その“お兄ちゃん”という呼び方に、一瞬だけ戸惑う。

俺の年齢的にはもう“お兄ちゃん”ではないだろう。

だが近所のこういう店では、大人はだいたい年齢よりも関係性で呼ばれる。


「付き添いです」


俺がそう言うと、おばちゃんはにこにこしている。


「えらいねえ」


「えらくはないです」


こういう返ししかできない。


健太はすでにカゴもなしに店内を回り始めていた。


「これもいい!あ、これも!」


「持つ前に計算しろ」


「あとでやる!」


それが一番危ない。


ひなはラムネ棚の前で真剣だった。

ビー玉入り。

小さいボトル。

変なフルーツ味。

同じラムネでもいろいろある。


「どれがいいと思う?」


「自分で決めろ」


「でも、どれがつよいかなって」


その評価軸まだ続いてたのか。


「味で選べ」


「でも、びんもだいじ」


その感覚は少しわかるのが悔しい。


俺は結局、一番普通のガラス瓶ラムネを指した。


「それでいいんじゃないか」


「じゃあそれにする」


素直だな。


一方、健太はもう袋菓子とガムとチョコと小さいゼリーを手にしていた。

明らかに予算オーバーの気配しかしない。


「おい、計算したのか」


「まだ!」


「ほら見ろ」


「でもこれも欲しいし」


「その“欲しい”を全部通すから失敗するんだよ」


健太はきょとんとしたあと、当然のように言う。


「欲しいんだから欲しいじゃん」


子どもの理屈としては正しい。

正しすぎて、予算制度と相性が悪い。


俺はしゃがみ込んで、健太の手持ちを一つずつ見た。


「これが三十。これ四十。これ二十。これ五十。

……お前、もうだいぶ行ってるぞ」


「えっ」


「えっ、じゃない」


ひなが横からのぞく。


「けんた、あといくら?」


「わかんない」


「百四十くらいだな」


「まだいける!」


「その感覚が危ないって言ってるだろ」


だがここからが長いのだ。

子どもは一度取ったものを、計算で減らす時に本気で悩む。


健太は床にしゃがみ、真剣な顔で手持ちを並べ始めた。

そこへひなも合流する。


「これはつよい」


「でも高い」


「こっちはいっぱい入ってる」


「でもチョコもいる」


いる、ではない。

その“いる”が全部必要判定なのがまずい。


俺は上から見下ろしながら思った。

遅い。

非常に遅い。

だが、本人たちは本気だ。

だから急かしにくい。


おばちゃんが笑って言う。


「悩む時間が一番長いのよねえ」


わかってて見ている側の余裕がすごい。


「そうですね……」


俺は乾いた笑いで返した。


その時、ふと横の棚が目に入った。

昔ながらの、細長いラムネ菓子。

あと、小さいヨーグルト味の餅みたいな駄菓子。

そして、よくわからないが昔食べた気がするスナック。


「……懐かしいな」


思わず小さく呟いた。


ひなが聞き逃さない。


「おじさん、これたべてた?」


「昔な」


「じゃあ買えば?」


「何でだよ」


「なつかしいんでしょ」


ひなの理屈も時々まっすぐすぎる。


健太まで乗る。


「おじさんも買おうよ!」


「俺は付き添いだ」


「でも見てるじゃん」


「見てるだけだ」


そう言いながら、俺の手は一瞬だけラムネ菓子の箱を持ち上げていた。


よくない。

ここで大人が本気になり始めると、いよいよ危ない。

駄菓子屋にいる大人は、子どもを見ているか、自分が昔を見ているかのどちらかだ。

後者に寄ると少し危ない。


「……一個だけ」


気づけばそう言っていた。


ひなが笑う。


「やっぱり」


「うるさい」


最終的に、健太は五回ほど組み替えた末に、最初に取っていたものへかなり近い構成で落ち着いた。

人は結局、初手の欲望にだいたい引っ張られる。


ひなはラムネ、グミ、小さいクッキー。

慎重だが、芯はぶれない。

俺はラムネ菓子と、あと勢いでよくわからないスナックを一つ。


会計。

小銭のやり取り。


ここでまた時間がかかる。


「百六十円ね」


おばちゃんが言う。


健太は財布の中で十円玉を探し始め、途中で五円玉を出して、さらに一円玉を数え始めた。


「……遅い」


「待って!」


「さっきからずっと待ってる」


ひなは横で、自分の分の二百円を握りしめていた。


「ひな、ぴったりある」


「えらい」


言ってから、自分が駄菓子屋の会計で何を褒めているんだと思う。

だが、ぴったり出せる子どもはたしかにえらい。


俺の番になって、ラムネ菓子とスナックを置くと、健太がにやにやしていた。


「おじさんも買ってる」


「買ってるな」


「楽しい?」


「別に」


「その顔、ちょっと楽しいやつだよ」


最近、子どもたちの観察力が妙に上がってきている気がする。

気のせいではないだろう。


---


店を出ると、三人で店先のベンチみたいなところへ座った。


健太はさっそく袋を開ける。

ひなはラムネの瓶を両手で持っている。

俺は小さいラムネ菓子の箱を開けた。


一粒、口に入れる。


「……ああ」


こういう味だった。

妙に粉っぽくて、すぐ溶ける。

べつに今食べて飛び上がるほど美味いわけではない。

だが、“知っている味”というだけで妙に気持ちが緩む。


「おじさん、それおいしい?」


ひなが聞く。


「うまいっていうか、昔の味」


「昔の味ってなに」


「説明しづらいな……」


健太がチョコを食べながら言う。


「おじさん、ちょっとたのしそう」


「楽しくない」


「楽しいよ」


「何でお前が決めるんだ」


「だって買ったし」


ぐうの音も出ない。


ひなはラムネを一口飲んで、目を少し丸くした。


「つよい」


「ラムネはだいたい強いだろ」


「でも、これつめたい」


「さっき冷えてるの選んだからな」


「えらい」


何で今度はそこを褒められるんだ。


帰り道、健太は戦利品の説明をずっとしていた。

ひなはラムネを大事そうに持って歩く。

俺はその横で、さっき買ったラムネ菓子をポケットへ入れたまま、少しだけ気が抜けていた。


面倒だった。

かなり面倒だった。

だが、完全に嫌だったかというと、そこまでは言えない。


こういうのが一番困る。


「おじさん」


ひなが前を向いたまま言う。


「何」


「またいこうね」


「何でだよ」


「だって、きょうよかった」


「何が」


「ラムネもあったし、おじさんもいたし」


その言い方はずるい。

“駄菓子屋が楽しかった”ではなく、“おじさんもいたし”が並ぶのは、少しだけずるい。


「……考えとく」


そう返すのが精いっぱいだった。


健太はすぐ横から言う。


「それやるやつじゃん」


「お前、ほんとそういうとこだけ鋭いな」


「へへ」


全然褒めていないのに、こいつはたまに褒め言葉っぽく受け取る。


家へ戻ると、良子が玄関で言った。


「どうだった、駄菓子屋イベント」


「長かった」


「それはわかる」


「けんた、すごいなやんでた」


ひなが言う。


「ひなもだろ」


「ひなはちゃんときめてた」


たしかに、あいつは慎重だが芯はあった。

健太は勢いがありすぎる。


良子が俺を見る。


「で、お兄ちゃんも買ったの?」


「買った」


「何で」


「流れだよ」


「楽しんでるじゃん」


「違う」


「違わないよ」


そこでひなが、何でもない調子で言った。


「おじさん、ちょっとたのしそうだった」


やめろ。

さっきも言われたそれを、家の中で再放送するな。


だが、否定する言葉は前より少しだけ弱かった。


「……ちょっとだけな」


その返事に、良子が目を丸くした。


「うわ、認めた」


「うるさい」


でも、そのくらいはもう認めてもいいのかもしれなかった。


駄菓子屋は遅い。

子どもの買い物は本当に遅い。

十円で悩みすぎるし、会計ももたつく。

付き添いとしてはかなり疲れる。


それでも、たまにその遅さの中にしかない時間がある。

昔のラムネの味とか、ラムネ瓶の強さとか、そういうどうでもいいものまで込みで。


たぶん、それが少しだけ悪くなかったのだ。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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