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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第4章 『近所の平和は担当外なんですが…』

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プロローグ 「ホームセンターは男を無力化する」



ホームセンターは危険だ。


いや、正確には違う。

危険物を売っているとか、そういう意味ではない。

もっと静かで、もっと根深い種類の危険である。


人を長居させるのだ。


目的の物だけ買って帰るつもりだった人間が、気づけば工具コーナーで立ち止まり、収納ケースを比較し、使いもしない結束バンドのサイズ違いを見比べ、最終的に「これ一つあると便利かもしれない」みたいな顔で予定外の小物を持ってレジへ並ぶ。


しかも本人にはあまり自覚がない。

“必要なものを見ていただけ”という顔で帰っていく。

だがその実、だいぶ心を持っていかれている。


そういう意味で、ホームセンターは男を静かに無力化する。


そしてその日、俺――佐藤太郎は、まさにその無力化フィールドへ父と二人で踏み込むことになった。


発端は富子だった。


「太郎ー」


昼前、リビングでだらだらしていた俺に対して、その声はあまりにも軽かった。

軽い声にはだいたい罠がある。


「何」


「ホームセンター行ってきて」


来た。


しかも“行ってくれる?”ではない。

“行ってきて”だ。

言い切っている。

この時点で、俺の拒否権はだいぶ薄い。


「何で俺」


「和室のカーテンの留め具が一個割れてるでしょ。それと、ちょっとした収納ケースと、あと洗剤の詰め替えボトルも見たいの」


多い。


しかも“ちょっとした”が入っている依頼は危険だ。

“ちょっとした”で済むことはだいたい少ない。


「今日じゃないと駄目か」


「今日お父さんいるし、車出せるでしょ」


その言い方に、俺は一瞬だけ止まった。


父。

見ると、恒一は新聞を読んでいたが、その会話に普通に入ってくる。


「俺も行くぞ」


軽い。


なぜそんなに軽く乗れる。

ホームセンターへ父と二人で行く、というイベントの重さを、もっと考慮してほしい。


良子がソファの端で笑う。


「はい出た。お兄ちゃん今、顔がちょっと固まった」


「固まってない」


「固まってるって。

“父と二人で外出イベント発生”って顔してる」


やめろ。

だが、その通りでもあるのが腹立たしい。


富子はまるで気にした様子もなく、メモを書き始める。


「カーテンの留め具、透明のやつね。

収納ケースはキッチン下に入るサイズ。

ボトルは詰め替えやすいやつ。

あ、ついでに電球も見て」


「増えた」


「ついでだから」


家族の“ついで”は、本当に信用してはいけない。


父が新聞を畳んだ。


「準備できたら行くか」


「……ああ」


こういう時、断れないわけではない。

理論上は断れる。

だが、ホームセンター程度のことでいちいち全力拒否するのも面倒なのだ。

しかも相手が父だと、なおさら“そんなに嫌がることか?”という空気になる。


だから行く。

文句は言う。

でも行く。

そういう中途半端さが、最近の俺の生活には増えてきた。


---


玄関を出た時点で、すでに少し気まずかった。


父と二人で並んで歩く。

ただそれだけなのに、歩幅や視線の向きまで少しだけ意識する。

別に向こうが何かを要求しているわけでもない。

むしろ父はこういう時、何も要求してこない。


それが逆に困るのだ。


車に乗る。

助手席。

シートベルト。

エンジン音。


無音。


「……暑いな」


父が先に言った。


「まあ」


一往復目、終了。


エアコンの風が少し強くなる。

ラジオはついていない。

この“音のない車内”というのは、会話が得意でない人間にとってはなかなかの高難度マップである。

景色が流れる。

信号で止まる。

それでも話題が続くとは限らない。


「和室のカーテン、そんなに悪いのか」


俺が聞いた。

自分でも、今のはわりと普通の会話だったと思う。


「一個だけ割れてる」


「じゃあ別にそのままでも」


「お母さんが気になるんだろ」


それはそうだ。


富子の“気になる”は放置すると継続ダメージになる。

だったら先に潰した方が家の空気としては安い。


「収納ケースは何入れるんだ」


「洗剤とか、その辺らしい」


「雑だな」


「お前の方がそういうのは見るだろ」


そこで俺は少しだけ顔を上げた。


「……何で」


「配線とか片づけてただろ」


ああ、あの時か。


父は、見ていないようで見ている。

その認識が少しだけ意外だった。


「まあ、サイズとかは見ないとわからん」


「そうか」


二往復目。

三往復目まで行けるか。


車はそのまま大通りへ出て、ホームセンターの駐車場へ滑り込んだ。


着いた瞬間、少しだけ呼吸が楽になる。


不思議なものだ。

家の中でも、車の中でも気まずいのに、目的地へ着いた途端に少しだけマシになる。

会話というものは、たぶん“何かを一緒に見る”対象がある方が成立しやすいのだ。


「行くか」


父が言う。


「ああ」


それだけで、さっきより少しだけ普通だった。


---


ホームセンターの自動ドアが開く。


涼しい。

広い。

独特の、木材と洗剤とプラスチックが混ざったような匂い。

店内BGMの薄さ。


この感じは嫌いじゃない。

むしろかなり好き寄りだ。

目的の物がなくても、店内を一周しているだけで妙な落ち着きがある。

世界が「必要なもの」と「だいたい必要になるかもしれないもの」で構成されていて、やることが明確だからだ。


父は入口でもらったカゴを持ちながら言う。


「まず留め具だな」


「カーテン売り場か」


俺は案内表示を見上げる。

カーテン・寝具・収納。

その隣に照明。

さらに奥が工具と配線。


この時点で、俺の中の別の人格が少しだけ目を覚まし始めていた。

やめろ。

今日はあくまで留め具と収納ケースとボトルと電球だ。

工具コーナーは今回の目的ではない。


なのに視界の端へ入るだけで、結束バンドとかドライバーのセットがこちらを見てくる気がする。

気のせいなのだが、ホームセンターに来るとだいたいみんな少しだけそうなる。


「こっち」


父が言う。


カーテン売り場へ向かう。

留め具の棚には、似たような透明パーツがやたら並んでいた。


「……多いな」


思わず言う。


「違いがわからん」


父も正直だった。


たしかに一見すると、全部同じに見える。

だがよく見るとサイズが微妙に違うし、留め方も違う。

この“よく見ると違う”が、こういう店の難しいところであり、面白いところでもある。


俺は棚の前にしゃがみ込んだ。


「今のやつ、写真あるか」


「ある」


父がスマホを出す。

画面を見る。

割れたプラスチックパーツ。

形はシンプルだが、長さと穴の位置が少し気になる。


「これならたぶん……」


俺は似た形の袋を手に取る。

サイズ表記を確認。

もう一つ比べる。

父が横から聞く。


「違うか」


「微妙に違う」


「そんな変わるように見えんが」


「ここが違う。

たぶんこっちの方が近い」


言っている自分に気づく。

さっきまでより少し声に熱がある。


父も気づいたのか、小さく言った。


「詳しいな」


「別に」


別に、ではない。

ちょっと楽しくなっているだけだ。


結局、留め具は二種類買うことにした。

もし微妙に違っていても、こういう小物は予備があって困らない。


「次、収納か」


「ああ」


その一言も、だいぶ自然に出ていた。


---


収納ケース売り場へ来た瞬間、俺の足は少し遅くなった。


危ない。

ここは危ない。


同じような半透明の箱が積まれているだけの棚なのに、なぜこんなに人を引きつけるのか。

大中小。

深型。

浅型。

引き出し。

積み重ね可。

キャスター付き。


見ているだけで、“このケースがあれば家のあの辺が少し整うのでは”という妄想が次々湧いてくる。

だが大半は妄想で終わる。

ケースを買っても中身を片づけるとは限らないからだ。

それをわかっていても、なお見てしまう。

恐ろしい売り場である。


「どれがいい」


父の声で我に返る。


「キッチン下だろ。

高さと奥行き見ないと」


「測ってないのか」


「母さんがそこまでやると思うか?」


「……たしかに」


その“たしかに”は、今まででいちばん父と意見が合った瞬間かもしれない。


俺は棚の前でケースをいくつか持ち比べた。


「これくらいなら入る気はする」


「気、か」


「測ってないんだからそうなるだろ」


「まあな」


父が笑いをこらえるみたいな顔をする。

珍しい。


「何だよ」


「いや、お前、こういうとこだと少しよく喋るなと思って」


来た。


さっきから薄く感じていたことを、ついに言語化された。


「……店のせいだろ」


「店のせいか」


「ホームセンターはそういう場所なんだよ」


「どういう場所だ」


聞かれると困る。

だが、まあ、説明はできる。


「目的の物だけ見て帰るつもりでも、余計な物を見始める場所だ」


「それはわかる」


父は意外と素直に頷いた。


「工具とか、見てると少し欲しくなるな」


「使わないだろ」


「使わんけどな」


「じゃあ欲しがるなよ」


「でも見るだろ」


そこで、少しだけ二人とも笑った。


笑うと言っても、大きくではない。

ただ、口元が少し緩む程度。

それでも、父とこういう種類の空気になるのは珍しかった。


最終的に、収納ケースは一つだけ選んだ。

微妙なサイズ違いで二つ持って帰ると、だいたい片方が無駄になる。

富子はそういう“試しに二つ”をあまり歓迎しない。


「ボトルと電球は?」


父が言う。


「照明側見てから、洗剤のコーナー戻るか」


「詳しいな、動線」


「店の並びがそうなってるだろ」


いや、本当はそれだけではない。

少し店内地図が楽しくなっているだけだ。

だが、それを父へ説明する必要もない。


---


照明売り場で電球を選び、洗剤コーナーで詰め替えボトルを見た時には、すでに最初の目的以上の時間を使っていた。


父は途中で、軍手の安売りを見て足を止めた。

俺はそれを横目に、詰め替えボトルの口の広さを見ていた。


「お前、それそんなに違うのか」


父が聞く。


「違う。

ここが狭いと詰め替えの時に地味にこぼれる」


「そこまで考えるのか」


「一回やると気になる」


「そういうもんか」


こういう会話なら、わりと続く。


必要なもの。

使い勝手。

実際にやる時の面倒。

この手の話は、家族としての感情とか、親子としての距離とか、そういう難しいものを経由しなくていい。

ただ“これどうだろう”“こっちの方がマシだ”で進む。

それがありがたい。


気づけばカゴの中には、


* カーテンの留め具

* 収納ケース

* 詰め替えボトル

* 電球

* 軍手

* 結束バンド


が入っていた。


最後の一つは、完全に余計だった。


「何でそれ入れた」


父が言う。


「……一個あると便利だから」


「さっき使わん物欲しがるなって言ってなかったか」


「これは使う」


「ほんとか?」


「たぶん使う」


父はそこで、はっきり少しだけ笑った。


「その“たぶん”は怪しいな」


「怪しくない。

結束バンドはだいたい使う」


「そうか」


レジへ向かう。

さすがにこのくらいの買い物量になると、妙な満足感がある。

予定通りの物。

少しだけ余計な物。

ホームセンターとしては、かなり正しい終わり方だ。


---


帰りの車内は、行きより静かで楽だった。


完全な無音ではない。

買った物の確認があるし、店内で見たことの続きも少しだけ残っている。


「結束バンド、そんなに要るか」


父が運転しながら言う。


「あると使う」


「何に」


「……配線とか」


「また配線か」


その言い方に、少しだけ笑いそうになる。

もう家族の中でも、俺の“配線好き”は認識されてしまっているらしい。


「好きでやってるわけじゃない」


「そうか?」


「半分は面倒だからだ」


「半分は?」


「気持ちいいから」


言ってから、自分でも少し笑った。

父も小さく鼻で笑う。


「やっぱ好きなんだろ」


「違う」


「そういうことにしとくか」


その一言の温度が、前より少しだけ軽い。


家の中だと、こういう感じにはなりにくい。

家族として向かい合うと、どうしても言わなくていいことや、言えないことの影が出る。

だが車の中や店の中なら、同じ方向を向いているぶんだけ少し楽だ。


家に着く。

荷物を下ろす。

玄関を開ける。


富子がすぐ顔を出した。


「買えた?」


「買えた」


「これで大丈夫そう?」


「たぶん」


「その“たぶん”は信用していいの」


「さあな」


良子が奥から顔を出して、にやにやしていた。


「どうだった、父子ホームセンターイベント」


「何だその言い方」


「で、どうだったの」


「別に」


「出たよ、別に」


父は靴を脱ぎながら、何でもない調子で言った。


「太郎、ああいう所だと少し喋るな」


やめろ。

家の中でその話題を出すな。


良子が即座に反応する。


「え、何それ見たいんだけど」


「見世物じゃない」


「でもちょっと想像つく」


ひなまで後ろから言う。


「おじさん、おみせだとちょっとつよい?」


「どういう評価だよ」


だが、完全には否定しきれないのが悔しい。


俺は結束バンドの袋を机の上に置きながら、小さく息を吐いた。


「……ホームセンターが悪いんだよ」


その独り言に、誰も反論しなかった。


たぶん家族の中で、それだけは少し共有されていたのだろう。

ホームセンターは、男を少しだけおかしくする場所だと。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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