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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第3章 『いると助かるとか言うな』

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エピローグ 「俺の生活圏は今日もうるさい」



静かな日は、たぶんレアイベントだ。


少なくとも今の俺の生活圏においては、そうとしか思えない。


インターホンが鳴らない日。

誰にも呼ばれない日。

何も頼まれない日。

子どもの声がしない日。

コンビニで変な緊張をしない日。

父も母も妹も姪も近所の小学生も、全員が絶妙に自分へ接続してこない日。


そんなものが本当に存在するのか、最近だいぶ怪しくなってきた。


その日も朝からうるさかった。


父が帰省して数日。

家の中の空気は、完全な非日常ではないが、いつもの平常運転とも少し違う。

そこへ良子とひなが来る頻度も重なり、さらに健太という外部ノイズまで混ざるのだから、静寂を望む方が無理なのかもしれない。


朝、俺は一階のリビングで、すでに一つ目の用事を処理していた。


「太郎、それ取れる?」


富子である。

脚立の上から言うな。危ないだろ。


「何を」


「棚の上の箱」


見ると、押し入れの上段に昔の書類箱が押し込まれていた。

たしか父の単身赴任関係の何かか、古い年賀状か、そのへんのはずだ。


「今それ要るのか」


「お父さんが昔の住所録見たいって」


住所録。

紙の住所録。

そういうものがまだ家のどこかにある時点で、父の生活圏と俺の生活圏の時間の流れはだいぶ違う。


俺は脚立の横へ立ち、箱を下ろした。

埃っぽい。

富子が受け取る。


「ありがと」


「はいはい」


そこで終わればよかった。


だが終わらない。

この家の“はいありがとう”は、だいたい次の用件の助走だ。


「ついでに和室の窓、ちょっと開けて空気入れ替えて」


「ついでが多い」


「すぐでしょ」


出た。

大人の“すぐ”。


俺は文句を言いながらも和室へ向かう。

窓を開ける。

父のバッグが端に置いてある。

充電中のスマホ。

整えたケーブル。

この光景にも、少しずつ慣れてきている自分がいる。


そこへ父が背後から来た。


「そこ、昨日の夜少し暑かった」


「エアコンは?」


「つけた」


「じゃあ風量じゃないか」


会話としては短い。

短いが、もう以前みたいに“何を話せばいいかわからない”だけではなくなっていた。

内容があれば、少しは返せる。


「あとで見る」


「そうか」


父はそれだけ言って、和室の棚を見回した。


そのやり取りに、自分でも少しだけ驚いた。

特別なことは何もない。

だが、“普通の用件の会話”が少しずつ増えている。


---


朝食のあと、二階へ戻って平穏を回復しようとしたところで、すぐに次が来た。


ピンポーン。


インターホン。


「…ほんとに隙がないな」


思わず呟く。


モニターを見る。

健太だった。


あいつは本当に、なぜそんなに気軽に来るのか。

近所だから。

たぶん答えはそれだけだ。

近所の小学生は“距離”を歩数で測る。感情の重さではなく。


一階から富子の声が飛ぶ。


「太郎ー!健太くん来てるー!」


「見ればわかる!」


最近このやり取り多いな。


玄関へ出ると、健太はボールでもゲームでもなく、今日は妙に真顔だった。


「おじさん、これ見て」


「何だよ」


差し出されたのは、プラスチックのカードケースみたいなもの。

学校で使う名札入れか何かか。

ストラップの金具部分が外れている。


「壊れた」


「自分でやったのか」


「気づいたら」


「それはだいたい自分でやってる」


だが、見ればすぐわかる程度の破損だった。

金具を差し直し、少し押さえる。


「はい」


「おお」


「次から振り回すなよ」


「振り回してない!」


健太の“してない”は信用度が低い。


そこへひなが、いつの間にか廊下から出てきて言った。


「おじさん、またなおした」


「またって何だ」


「なんかいろいろなおすひと」


以前に近いことを言われた気がする。

もうその認識で定着しているのかもしれない。

探し物。

配線。

ゲーム。

虫。

子どもからすると全部“なんかなおしたりなんとかするひと”のカテゴリに入るのだろう。


健太が感心したみたいに言う。


「おじさん、家にいるのにちゃんと使えるね」


「その褒め方は失礼だろ」


「褒めてるよ!」


悪意はない。

ないのが厄介だ。


父が玄関の奥からそのやり取りを見ていた。

健太は父を見ると、もう新規キャラではないので普通に言う。


「おじいちゃん、おはよー」


「おう」


父も短く返す。

子ども相手だと、この家の男連中は比較的会話が簡単になるらしい。


---


昼前、良子が来た。


ひなを連れて、ついでに惣菜も少し持って。

これで家の人口密度はまた上がる。


俺は二階へ逃げようとしたが、その途中で良子に捕まった。


「お兄ちゃん、ちょっと」


「何」


「この前の外食の店、ひながまた行きたいって」


「そうか」


「そうか、じゃなくて。あんたあの日わりと普通だったって、お母さんも言ってた」


「やめろ」


「褒めてるんだけど」


「外食で普通だった評価は重いんだよ」


良子は笑う。

この女は本当に、人の微妙なラインを踏むのがうまい。


「でも前よりずっとマシじゃん」


「比較対象が低い」


「そこはもう仕方ないでしょ」


そう言われると何も返せない。


ひながその横で言う。


「おじさん、プリンある?」


「何で来るたびに聞くんだよ」


「あるの?」


「ある」


「やった」


子どもの目的の明快さは、時に大人を少しだけ救う。

外食の評価とか父との空気とか、そういう面倒くさい話題から、プリン一つで地上へ戻れるからだ。


---


午後、富子にまた頼まれてコンビニへ行くことになった。


味噌。

牛乳。

ついでに洗剤。

ついでが太い。


家を出て、道を歩く。

空は高く、少しだけ秋の匂いが混ざり始めていた。


コンビニへ入る。

商品を取る。

レジへ向かう。

そこに凛がいる。


最近もう、この流れ自体は珍しくない。

珍しくないのに、毎回少しだけ心拍数が変わるのが面倒だ。


「いらっしゃいませ」


「…どうも」


商品を置く。

味噌。

牛乳。

洗剤。

そしてエナジードリンク一本。


凛がそれを見て言った。


「今日はだいぶ生活用品ですね」


その一言で、妙に笑いそうになった。


「…そうだな」


「補給というより、ちゃんと買い出し」


そこで俺は一瞬だけ固まる。


補給。

その単語を、以前俺は使った。

にぼし姫も使った。

そして今、凛が使った。


偶然か。

たぶん偶然だ。

だが、こっちはもうその偶然にいちいち反応してしまう段階へ来ている。


「まあ、今日は家のやつだから」


「そうなんですね」


凛は変わらず淡々としている。

俺だけが無駄に材料を拾っている。


会計を済ませる。

袋を受け取る。

帰り際、凛が何でもない声で言った。


「最近、前よりよく頼まれてますよね」


俺は止まった。


「…何が」


「買い物」


それは、前の買い方を見ていればわかるのかもしれない。

生活用品の比率。

プリンやクッキーの頻度。

エナドリ一本だけじゃない日が増えていること。


それでも、その観察のされ方は少しだけこそばゆい。


「…まあ」


「大変ですね」


その言い方は、からかいではない。

本当にただ、軽く言っただけだ。


だが俺は思わず返していた。


「面倒だけど、前よりはマシかもな」


言ってから、自分で少しだけ驚いた。


今のは本音だった。

面倒なのは事実。

だが、完全に嫌かと言われると、最近はそうでもない瞬間がある。


凛は一瞬だけ俺を見て、それから小さく頷いた。


「そういうの、ありますよね」


その一言が、妙に残った。


店を出る。

外の空気は、少しだけ柔らかかった。


---


夕方、家へ戻ると、また小さな用事がいくつか積み上がった。


富子が味噌を受け取る。

良子が洗剤を見て「それ前より大きい」と言う。

ひながプリンを見つけて騒ぐ。

健太がまた顔を出して「今日遊べる?」と聞く。

父が和室から「充電の線、少し抜けやすいな」と声をかける。


一つ一つはどうでもいい。

どうでもいいが、一つずつ返していると、一日は勝手に埋まる。


「太郎、その線あとで見て」


「わかった」


「お兄ちゃん、プリン冷やしといて」


「今入れた」


「おじさん、けんたきた」


「見えてる」


「おじさん、今日なんかいっぱいしゃべる」


「そうか?」


「うん」


ひなが真顔でそう言う。


たしかに、今日は返事の回数が多い気がした。

いや、単に接続数が多いだけかもしれない。


夜になって、ようやく自室へ戻った。


ドアを閉める。

静かだ。


「…はあ」


深く息を吐く。


今日もうるさかった。

細かいことばかりだった。

父のエアコン。

健太の名札。

ひなのプリン。

良子の雑な会話。

富子の買い物。

凛の観察めいた一言。


何一つ大事件ではない。

だが、こういう小さなことの積み重ねで、人の生活というのは妙に輪郭を持つ。


俺は椅子に座り、机の上のエナドリを見た。

今日はまだ開けていない。


「うるさいな…」


小さく呟く。


家の中も。

近所も。

コンビニも。

全部、前より少しだけ俺に接続してくる。


面倒だ。

落ち着かない。

静かにしていたい日は、普通にある。


それでも。


完全に切り離されていた頃より、今の方が少しだけ、自分のやることがある。

呼ばれる。

頼まれる。

見つける。

直す。

運ぶ。

付き添う。

返す。


それは別に立派なことではない。

社会復帰とか、人生再起動とか、そういう派手な話でもない。


ただ、この家と、この近所と、このコンビニと、この公園。

その狭い生活圏の中でだけなら、前より少しだけ“自分の席”みたいなものが見える。


ひなの言う“ちゃんといた”とか。

健太の言う“使える”とか。

富子の“助かる”とか。

父の“悪くない”とか。

凛の“そういうのありますよね”とか。


どれも大げさではない。

だが、その大げさでなさが、むしろこの生活にはちょうどいいのかもしれない。


俺は背もたれに体を預け、静かに目を閉じた。


「うるさい。面倒だ。落ち着かない」


そこまでは事実だ。


そして、そのあとにもう一つ、前なら言わなかった言葉が自然に続いた。


「…でも前よりは少しだけ、この騒がしさの中に自分の席がある気がする」


部屋は静かだった。

家の外も、夜になれば少しは静かになる。


それでも明日になれば、またたぶん何か起きる。

富子が呼ぶ。

ひなが来る。

健太が騒ぐ。

父が短く聞いてくる。

凛が妙に察する。


そして俺は、文句を言いながら、たぶんまた少しだけ動くのだろう。


それでいいか、と俺は思った。


少なくとも今夜のところは。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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