「外食イベントである!!繰り返す…外食イベントである!!」
外食はイベントである。
繰り返す。
外食はイベントだ。
これを「そんな大げさな」と笑う人は、たぶん普段から人と店と会話へある程度耐性のある人だ。
そういう人はいい。
店に入る。
席へ着く。
メニューを見る。
注文する。
食べる。
会話する。
帰る。
それだけの話だ。
だが、こちらにとっては違う。
まず店選びの時点で、空気が発生する。
何系がいいか。
混んでないか。
高すぎないか。
静かすぎる店は逆に困るのではないか。
騒がしすぎても落ち着かない。
その上、席に通されてからも、注文タイミング、店員への声かけ、取り分け、会話、会計と、細かい難所がいくつもある。
つまり外食とは、気づかれにくいだけで、かなり高難度の日常マルチイベントなのだ。
そしてその日の俺は、そのイベントへ強制参加することになった。
発案者は富子である。
「せっかくだから、今夜みんなで外で食べましょ」
軽い。
言い方があまりにも軽い。
外食を、少し買い物へ行くくらいのノリで言うな。
俺はリビングの端で麦茶を飲みながら止まった。
「…何で」
「何でって、お父さん帰ってきてるし」
「家でいいだろ」
「たまにはいいじゃない」
その“たまには”が危ない。
たまのイベントほど、人は断りづらい。
良子が即座に乗ってくる。
「いいね。ひなも喜ぶし」
「プリンじゃないの?」
ひなが聞く。
「プリンはまた今度。今日は外でごはん」
「やった!」
子どもは本当にこのへんが早い。
外食を純粋に楽しめる側の生き物だ。
父は新聞を畳みながら言った。
「何でもいいぞ」
よくない。
“何でもいい”が一番困る。
何でもよくない人間が一人でもいる空間で、その言葉は混乱の火種になる。
「何でもいい、が一番困るんだよな…」
思わず口に出た。
良子がすぐ反応する。
「出た。イベント前からもう疲れてる人」
「疲れるだろ普通」
「普通じゃないから言われてんの」
ひどい。
だが、完全には否定できない。
店は最終的に、近所のファミレスへ決まった。
この判断自体は悪くない。
高すぎない。
気軽。
席も広い。
子どもがいても不自然じゃない。
つまり、外食イベントの難易度としては中級くらいだ。
それでも十分高い。
---
出発前、俺は部屋で軽く悩んだ。
服である。
完全に家着のまま行くのは、何となく嫌だ。
だからといって、外食のために気合いを入れたみたいなのも嫌だ。
この“気にしてないようで少しは整える”という中途半端な調整が、一番精神を使う。
結局、無地のTシャツとパーカー。
我ながらいつも通りだ。
だが、その“いつも通り”を作るのに数分使っている時点で、もうイベント慣れしていない。
階下へ降りると、良子が一目見て言った。
「無難」
「褒めてるのか」
「外食前の服としては正解」
何だその採点は。
ひなは先に靴を履いていて、もうすっかり行く気満々だった。
父も玄関で待っている。
富子はバッグの中身を確認している。
俺だけが、まだ少し気が重い。
「行くわよ」
富子の一声で、イベント開始である。
---
ファミレスは、歩いていける距離だった。
これはありがたい。
車移動だと座席の配置という追加難題が発生する。
徒歩ならそこは省略できる。
店に着く。
自動ドア。
冷房。
店員の「いらっしゃいませ」。
もうこの時点で少し肩が固くなる。
何人ですか、の確認。
禁煙喫煙。
窓側か通路側か。
こういう入口イベントですでに少し消耗する。
「五名様です」
富子が自然に言う。
強い。
こういう時、富子は本当に強い。
席へ案内される。
ここから先がまた難しい。
どこに座るか。
父の隣はどうだ。
近いか。
いや、露骨に避けるのも変だ。
ひなの隣なら多少空気は持つか。
でも子ども相手ばかりも不自然ではないか。
俺が一瞬だけ立ち止まった、その時にはもう席順がほぼ決まっていた。
窓側にひな。
その隣に良子。
向かいに富子。
その隣に父。
残りが俺。
逃げ場がない。
だが、逃げ場がないということは、逆にもう悩む必要もない。
「…まあ、そうなるよな」
小さく呟いて座る。
メニューが配られる。
これもまた、イベントである。
何を頼むか。
これが思ったより難しい。
高すぎず、重すぎず、安すぎず、食べきれる量で、変に趣味が出すぎないもの。
考えれば考えるほど、選択肢が濁る。
ひなは即決だった。
「オムライス!」
強い。
良子は笑う。
「早っ」
「きめてた」
どうやら入る前から決めていたらしい。
その決断力は見習いたい。
いや、べつにオムライスを見習いたいわけではないが。
父はメニューを開いて少しだけ見たあと、言った。
「何でもいい」
だからその言い方はよくない。
「同じのにしようかな」
と富子。
「何でもいい、からの同じのは一番よくないんだよな…」
また口から出た。
良子がすぐ突っ込む。
「何でいちいち脳内会議を音声化するの」
「お前はしないのか」
「しないよ」
「何でもいいに見えて、一番困るだろ」
「まあ、それはわかるけど」
わかるのか。
なら少し救われる。
俺はメニューを眺めた。
ハンバーグ。
和風定食。
パスタ。
ドリア。
どれも普通だ。
普通すぎて逆に決まらない。
この時、人はだいたい三つに分かれる。
直感で決める人。
いつものを頼む人。
そして、無駄に最適解を探して疲れる人。
俺は三番目だ。
「おじさん、まだ?」
ひなが聞く。
「待て」
「また考えてる」
「考えるだろ」
「オムライスでいいじゃん」
「お前の正解をそのまま押しつけるな」
最終的に、俺はハンバーグ定食にした。
理由は無難だからだ。
無難さは時として最適に近い。
注文はタブレット方式だった。
これだけでかなり助かる。
店員呼び出しイベントが一つ減るだけで、人の精神負担はかなり違う。
「最近ほんとこれ多いわね」
富子が言う。
「助かる」
俺は素直に言った。
良子が笑う。
「お兄ちゃん、タブレット相手だと急に安心するよね」
「人じゃないからな」
「言い方」
だが事実である。
タブレットは、こちらが少し悩んでも顔色を変えない。
聞き返しもしてこない。
何より、余計な雑談がない。
文明はやはり偉大だ。
---
食事が来るまでの時間。
ここもまた難所である。
無音すぎても不自然。
だが無理に話題を作ると滑る。
このバランスが難しい。
ひながドリンクバーの話を始めたのが救いだった。
「おじさん、いっしょいく?」
来た。
ドリンクバー往復イベント。
地味だが、これもまた一つの任務だ。
「一人で行けるだろ」
「でもコップおもい」
「お前、家ではもっと重いの持ってるだろ」
「きょうはちょっとだけおもい」
その“ちょっとだけ”は便利すぎる。
良子が笑いながら言う。
「行ってあげなよ」
「何で俺が」
「近いから」
その理屈は本当に雑だ。
だが結局、俺はひなを連れてドリンクバーへ行った。
別に嫌ではない。
嫌ではないが、ファミレスのドリンクバーは妙に“何を選ぶか見られている気がする”類の落ち着かなさがある。
「メロン!」
「お前それ家でも飲んでただろ」
「でもここはちがうメロン」
「そうかよ」
ひなのコップにメロンソーダ。
自分はウーロン茶。
この選択もまた、地味に人格が出る気がして少し嫌だ。
席へ戻ると、父が何でもない顔で言った。
「ちゃんと世話してるな」
その言い方に、俺は少しだけ返答を迷った。
「世話ってほどじゃ」
「でもやってるじゃん」
良子が横から言う。
「お兄ちゃん、最近そういうの増えたよね」
「増えてない」
「増えてるよ」
「増えてる」
ひなまで頷く。
父はそこで少しだけ笑った。
はっきり笑うわけではない。
口元が少し動くくらい。
だが、それが見える程度には顔が近い位置にいる。
「まあ、悪くないんじゃないか」
父が言った。
その言い方は、父らしい。
褒めるでもなく、否定もせず、少しだけ認める。
それだけなのに、思ったより残る。
「…そうか」
俺はそれしか返せなかった。
---
料理が来る。
食べる。
その間の会話は、案外普通だった。
父が赴任先で食べた変なラーメンの話。
良子が最近見た動画の話。
ひながオムライスのケチャップが足りないと言う話。
富子が「家で食べるより楽ね」と言う話。
俺はその中に、無理に入ろうとはしなかった。
入れるところだけ入る。
頷く。
短く返す。
必要なら聞く。
前の俺なら、そこに“ちゃんと喋らなきゃいけないのでは”という余計な義務感を足していたかもしれない。
だが今日は、そこまで自分を追い込まなかった。
すると不思議なもので、何もしないよりは少しだけ自然にその場にいられる。
ハンバーグは普通にうまかった。
普通にうまい食事は、それだけで会話の助けになる。
「おじさん、それおいしい?」
ひなが聞く。
「普通にうまい」
「ひなのもおいしい」
「だろうな」
「オムライス、つよいよ」
その評価軸、まだ続いてたのか。
良子が吹き出す。
「ひなの中で、食べ物も強い弱いあるんだ」
「あるよ」
「ちなみにお兄ちゃんのは?」
ひながハンバーグ定食を見る。
「…まじめにつよい」
「何だその評価」
でも少しわかる気もした。
父がそこでぽつりと言う。
「太郎はそういうの選ぶな」
「どういうの」
「無難なやつだ」
図星だった。
「…悪いか」
「悪くはない」
父はそれだけ言って、味噌汁を飲んだ。
悪くはない。
それもまた父らしい評価だった。
最高ではない。
だが最低でもない。
そのくらいの言葉が、妙にちょうどいい時がある。
---
食事が終わり、会計へ向かう。
ここもまたイベントだ。
誰が出すのか。
どう割るのか。
こういう金の流れの会話は、家族でも微妙に気を遣う。
父が財布を出した。
「今日は出す」
富子が一応言う。
「いいの?」
「帰ってきた時くらいな」
良子も特に強くは止めなかった。
ここで“いやいや半分出す”みたいなやり取りに発展しないのが、この家らしい。
揉めるより、流れで決まる。
店を出る。
夜風が少し涼しい。
歩いて帰る道すがら、ひなが眠そうにし始める。
良子が手をつなぎ、富子が先を歩き、父が少し後ろ。
俺はその真ん中あたりだった。
妙に普通の帰り道だな、とふと思った。
普通。
この数日で何度も出てきた単語だ。
たぶん俺はずっと、“普通にできるかどうか”を無駄に気にしていたのだろう。
だが実際には、普通とはそんなにきれいなものではない。
気まずさも、沈黙も、ちょっとしたぎこちなさも含めて、それでも同じ方向へ歩いて帰ることができるなら、それはもう十分普通なのかもしれない。
父が歩きながら、ぽつりと言った。
「店、悪くなかったな」
「ああ」
俺は返した。
「まあ、うるさすぎなくてよかった」
言ってから、自分で少しだけ驚いた。
自然に二言目が出た。
しかも愚痴ではなく、普通の感想として。
父も少しだけ間を置いてから言う。
「そうだな」
短い。
だが、ちゃんと返ってきた。
そのくらいで十分なのだろう。
---
家へ戻って自室へ入ると、どっと疲れが来た。
ベッドへ倒れ込む。
靴を脱ぐのも少し面倒なくらいだ。
「…外食はイベントだな」
小さく呟く。
やはりイベントではあった。
行く前に気が重い。
席で少し緊張する。
メニューで悩む。
会話に少し気を遣う。
帰る頃には疲れる。
その評価は変わらない。
だが、想像していたほど即死イベントでもなかった。
ひながいて、良子がいて、富子がいて、父もいて。
一人ではない場なら、一人ではないなりにどうにかなる瞬間もある。
「…まあ、二度と無理ってほどでもないか」
それはかなり前向きな結論だった。
もちろん、積極的に毎週やりたいわけではない。
そういうことではない。
ただ、“もう駄目だ”と断じるほどでもなかった。
その程度の更新が、今日はあった。
俺はスマホを取った。
良子からメッセージが来ていた。
『今日のお兄ちゃん、意外と外食イベントこなしてたね』
その言い方はやめろ。
だが、まあ、その通りでもある。
『想定よりはな』
と返す。
すぐ既読。
『その評価がもうゲームなんだよ』
うるさい。
だが否定はしづらい。
俺はスマホを置き、目を閉じた。
イベントはイベントだった。
でも、ちゃんと終わった。
それだけで、今夜のところは十分だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




