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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第3章 『いると助かるとか言うな』

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「会話が三往復しない親子」



会話には、段階がある。


一往復目は挨拶だ。

これはまだいい。

「おはよう」

「どうも」

「久しぶり」

このへんはほぼ定型で処理できる。


二往復目は天気か体調。

「暑いな」

「そうだな」

「元気か」

「まあ」

ここまでも、まだマニュアルでどうにかなる。


問題は三往復目である。


そこから先は、相手への興味か、状況への理解か、あるいは場をつなぐ意思のどれかが必要になる。

そして俺と父は、そのあたりの機能がどうも親子そろって少し弱い。


父が帰ってくる当日、俺は夕方の時点ですでに疲れていた。


別に何も起きていない。

まだ父は着いていない。

家も静かだ。

それなのに、脳内だけは無駄に準備運動を続けていて、すでに精神のどこかが摩耗している。


リビングでは富子が夕飯の下ごしらえをしていた。

煮物の匂い。

味噌汁のだし。

テレビでは夕方のニュースが流れている。


良子とひなも来ていた。

これは偶然ではなく、たぶん半分は意図的だろう。

父が帰る日に家の中の人数が多い方が、空気が薄まる。

少なくとも富子はそういうところをわかっている。

良子はたぶん単純に様子を見に来ている。ついでに俺を面白がるために。


「お兄ちゃん、落ち着きなよ」


良子がソファでスマホを見ながら言った。


「落ち着いてる」


「全然」


「何でわかる」


「さっきから五分に一回時計見てる」


見ていたらしい。

自覚はあまりなかった。


ひなは床に座って色鉛筆を並べながら言う。


「おじさん、また顔かたい」


「いつもだろ」


「今日はもっと」


細かいな。


その時、玄関の方で車の音が止まった。


家の前。

ドアの閉まる音。

続いて、荷物を持った人間の足音。


「来たわね」


富子がごく普通に言う。


その普通さが、こっちの異常な心拍を少しだけ目立たせる。


ピンポーン。


インターホン。


「……家なのに鳴らすのか」


思わず呟く。


「荷物あるんでしょ」


良子が言う。


まあそうか。

父は昔からそういうところは変にきっちりしている。鍵を持っていても、一応鳴らす。家族相手でも雑に入ってこない。そのへんが良くも悪くも父らしい。


富子が玄関へ向かった。

俺は立つべきかどうか一瞬迷い、半拍遅れて立ち上がる。

もうその時点でよくない。出迎えのテンポとしては負けている。


玄関が開く音。


「おかえり」


「おう」


父の声がした。


数秒後、父――佐藤恒一がリビングへ入ってきた。

ボストンバッグ一つ。

紙袋一つ。

少し日焼けしていて、やっぱり以前とそこまで変わらない顔。


ひなが最初に反応した。


「おじいちゃん!」


「おう、ひなちゃん」


父の声が少しだけ柔らかくなる。

この切り替えは昔からそうだ。子ども相手だと、父は比較的わかりやすく優しい。


次に良子。


「おかえり」


「ああ」


自然だ。

自然にやるな。

何でみんなそんな普通なんだ。


最後に、父の目が俺に向いた。


ここだ。

ここが問題の三秒だ。


「……おう」


父が言う。


短い。


「……どうも」


俺も言った。


何だその返しは。

親に“どうも”はおかしいだろ。

だが、もう遅い。


良子が一瞬だけ唇を噛んだ。

笑うのをこらえた顔だった。

後で絶対言われるやつだ。


父はそれ以上何も言わず、リビングの隅に荷物を置いた。

富子が紙袋を受け取る。


「また何か持ってきたの?」


「菓子だ」


「毎回何かあるわね」


「まあな」


こういう短い会話だけなら、父はそこまで不自然じゃない。

問題は、そのあと“何となく同じ空間にいる時間”なのだ。


俺はどうするべきか少し迷って、結局ソファの端へ座った。

座る位置も微妙に難しい。

近すぎると気まずい。

遠すぎると逃げている感じが出る。

だがその時点で席順を気にしていること自体が、もうだいぶ面倒くさい。


父はひなに土産の袋を渡した。

中には地方のゼリーと、キャラクターのついた小さなタオルが入っていた。

相変わらず、少しだけ選択が読みにくい。


「やった!」


ひなが喜ぶ。


父も少しだけ笑う。


その空気は悪くない。

悪くないが、そこへ大人組が入ろうとすると急に難易度が上がる。


「そっちは暑い?」


富子が聞く。


「ああ、まあ、こっちとそう変わらん」


「そう」


成立。

今のは成立した。


じゃあ俺も何か、と思う。

だがその“何か”が出てこない。


仕事はどうだ。

いや、広い。

移動は大丈夫だったか。

それは荷ほどきの後でもいい。

荷物重いか。

見ればわかる。


考えているうちに、会話のタイミングは過ぎていく。


「おじさん、また黙ってる」


ひなが普通に言った。


やめろ。

子どもは本当にそういうことをそのまま言う。


「黙ってない」


「今、なんも言ってないよ」


「それを黙ってると言うんだろ」


良子がまた笑いをこらえている。


父はそのやり取りを見て、小さく咳払いした。


「太郎」


「……何」


「元気か」


来た。

来たが、予想していた球種だ。


「まあ」


返す。


短い。

だが、ここで長くするのも不自然だった。


父は小さく頷いた。


「そうか」


二往復終了。

三往復目は来ない。


ほら見ろ。

やはりここなのだ。

ここから先がない。


リビングの空気が、一瞬だけ微妙に静かになる。

その沈黙へ、ひなが割り込んだ。


「おじいちゃん、スマホなおった?」


助かった。


いや、子どもを会話バッファとして活用している感じがして大人としてどうかとは思う。思うが、助かったことは助かった。


「おう、前よりましだ」


父が言う。


「おじさんがやったの?」


ひながこっちを見る。


「……まあ」


「すごい」


「すごくはない」


父がそこで初めて少しだけこっちを見た。


「配線も見たんだってな」


来た。

安全地帯だ。


「ああ」


「和室の充電、やりやすくなってた」


「そうか」


「助かる」


その“助かる”は、思ったよりもまっすぐだった。


俺は一瞬だけ言葉に詰まり、それから何とか返す。


「別に」


やっぱりそれしか出てこない。


良子が横でぼそっと言う。


「会話が短いんだよなあ、この親子」


「うるさい」


「ほんとだもん」


富子はそんな空気ごと普通に流して、夕飯の準備を進めていく。

味噌汁をよそい、皿を並べ、ひなへ箸を渡す。

家の中のぎこちなさに対して、富子だけは昔から妙に強い。

強いというか、いちいち気にしない。


「はい、食べるわよ」


その一言で、食卓が始まる。


---


食卓の席順は、なんとなく決まっていた。


父が上座寄り。

富子が配膳しやすい位置。

良子とひな。

そして俺。


食事中の会話は、思っていたよりは壊滅しなかった。

理由は明白で、ひながいるからだ。


「おじいちゃん、これおいしい」

「それはよかった」

「おじさん、それとって」

「自分で取れるだろ」

「でも近い」

「……ほら」


そういう細かいやり取りが、無音時間を勝手に削っていく。


父もひなには話しやすいらしく、ゼリーのことや単身赴任先の駅のことなんかを少しだけ説明していた。

良子はたまに話を拾い、富子は料理の話でつなぐ。


その間、俺は何とか即死せずに食卓へ座っていた。


これは意外と重要な事実である。


もちろん、完全に自然ではない。

気まずさはある。

父の一言一言に対して、変に“ここで何か返すべきか”と考える癖も出る。

だが、想定していたような“沈黙と緊張の地獄絵図”ではなかった。


父が味噌汁を飲みながら言った。


「ここの味噌汁、久しぶりだな」


富子が肩をすくめる。


「前も飲んだでしょ」


「しばらくぶりだ」


そこで、俺は少しだけ考えてから言った。


「そっちだと自炊してるのか」


言えた。


しかも、一応会話らしい内容だ。


父は箸を止めてこっちを見る。


「する時もある」


「へえ」


「しない時もある」


「まあ、そうか」


三往復した。


今のは一応、三往復した。


会話として豊かかと言われると微妙だが、それでもゼロではない。

そこへ妙な達成感を感じている自分が、少しだけ嫌だった。


良子がその様子を見て、また笑いを噛み殺している。

あとで絶対言われる。


食事が終わりに近づいた頃、父がふとリビングのテレビ横を見た。


「コード、きれいになってるな」


俺は少しだけ顔を上げた。


「ああ」


「前、あんなじゃなかったろ」


「整理した」


「そうか」


短い。

だが、父はそのあと小さく頷いて言った。


「助かった」


それは今日二度目だった。


昼の配線整理の延長線上にある言葉。

だが、リビングの食卓で、父の口から出ると少しだけ重さが変わる。


「……別に」


やっぱりその返ししかできない。


もっとまともな返事がある気もする。

だが、ここで急に「そうか」とか「よかった」とか言うのも、それはそれで落ち着かない。


父もそれ以上は何も言わなかった。

だが、その沈黙は最初の頃より少しだけましだった。


---


夕飯のあと、俺は自室へ戻った。


ドアを閉める。

椅子に座る。

ようやく一人。


疲れた。


大事件は何も起きていない。

喧嘩もしていない。

重い話にもなっていない。

ただ帰ってきた父と飯を食っただけ。

それだけなのに、やたら疲れる。


「会話、三往復したな……」


小さく呟く。


自分でも何を達成条件みたいに数えているのかと思う。

だが、ああいう相手との会話は、それくらい細かいところでしか手応えを拾えないのだ。


スマホが震えた。


良子からだった。


『今日の食卓、過去比でだいぶマシだったよ』


余計なお世話だ。


『比較対象が低すぎる』

と返す。


すぐに既読。


『でもほんとに』

『お父さんもちょっと嬉しそうだったし』


その二通目で、俺は少しだけ黙った。


嬉しそう。

そこまで言われるほど、何かあったか。


飯を食って、短く会話して、配線の話をしただけだ。

それでも、父にとっては“家の中で息子と普通に同席している”こと自体が、少し意味のあることなのかもしれない。


「……考えすぎか」


独り言で流そうとしたが、完全には流れなかった。


たぶん、父も同じなのだ。

普通に話せばいいだけなのに、その普通が少し難しい。

だから、短い会話の一つ二つでも、前より少しマシならそれで十分、みたいなところがある。


俺はスマホを置き、背もたれに体重を預けた。


会話が三往復しない親子。

それはたぶん、急には変わらない。


でも、三往復しないならしないなりに、同じテーブルに座って飯を食うことくらいはできる。

今日わかったのは、その程度のことだ。


その程度のことなのに、少しだけ胸に残るのだから、人間関係はやはり面倒くさい。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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