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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第3章 『いると助かるとか言うな』

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「配線だけは裏切らない」



人間関係は裏切る。


いや、正確には違う。

裏切るというほど劇的なものではない。

噛み合わない。

ズレる。

言わなくていいことを言う。

言うべきことを言わない。

返事が遅い。

気を遣ったつもりが余計な一手になる。


そういう意味で、人間関係はだいたい信用しすぎない方がいい。


その点、配線はいい。


刺さるところに刺し、抜けるところから抜ける。

規格が合っていれば通るし、合っていなければ通らない。

わかりやすい。

意味が明確。

努力と結果の間に、少なくとも“空気を読む”という最悪の工程が挟まらない。


だから俺は、父の帰省前日に発生した家電まわりの整理依頼に対して、不本意ながらも少しだけ真面目になってしまった。


発端は富子である。


「太郎ー!」


一階から呼ばれた時点で、俺はすでに嫌な予感がしていた。

この数日、父が帰るというだけで家の中には妙な“その前に片づけとこう”空気が漂っている。

誰も大騒ぎはしていない。

していないが、細かい作業がじわじわ増える。

そしてそのかなりの割合が、なぜか俺へ流れてくる。


俺は自室の椅子から動かずに返した。


「何」


「ちょっと見て!」


“ちょっと見て”で済んだことなど、過去にほとんどない。

見た瞬間、それはだいたい“じゃあついでにこれも”へ進化する。


「何を」


「テレビの裏!」


範囲が広い。


俺は諦めて階下へ降りた。


リビングに入ると、富子がテレビ台の前でしゃがみ込み、裏側を覗いていた。

その姿勢を見ただけで、問題の種類はだいたい察せる。


「何したんだよ」


「何もしてないわよ」


その返答は信用できない。

“意図して何かをしたわけではない”と“何も起きていない”は別だ。


近づいてみると、テレビの裏からケーブルが何本も出ていた。

電源。

録画機。

ゲーム機。

Wi-Fiルーターの線まで近くを通っている。

おまけに使っていないはずの延長コードが一本、妙な角度で巻かれている。


「あー……」


思わず声が出た。


汚い。

いや、汚いというより、“積み重なった生活”の状態だった。

その場その場で必要なものを差し、不要になったものをとりあえず残し、誰も最適化しないまま数年が経った配線。

こういうものを見ると、人はだいたい二種類に分かれる。

見なかったことにする人と、急に全部やりたくなる人だ。


残念ながら、俺は後者だった。


「テレビの音がたまに変なのよ」


富子が言う。


「たまに?」


「なんかこう、急に切れるっていうか、戻るっていうか」


「それ、配線か設定か、リモコンか、どれかだろ」


「だから見てって言ってるじゃない」


雑な依頼だな。


俺はしゃがみ込んでテレビ台の裏を覗き込んだ。

まず接触が甘そうなHDMI。

次に電源タップ。

そしてルーターの位置。


さらに見ていくと、テレビ本体とレコーダーのコードが妙に引っ張られている。

たぶん掃除の時に少し動かして、そのまま戻したのだろう。

こういう“ちょっと動かした”が一番よくない。


「あとね」


富子が言う。


来た。

追加だ。


「和室のエアコンのコンセント、ちょっと位置悪いのよ」


知ってる。

知っているし、今日中に来ると思っていた。


「お父さんスマホ置く場所も、充電しやすい方がいいかなって」


「今テレビの話してただろ」


「でもついでだから」


家族の“ついで”はついでではない。

これはもう何度も証明されている。


俺はテレビ台の裏から顔を上げた。


「つまり、今日は家の配線まわり全体か」


「そういうことになるのかしら」


「なるんだよ」


言ってから、少しだけ自分の声の温度が変わっていることに気づく。

面倒くさい。

そう思っているのは本当だ。

だが同時に、ここまで見せられると“中途半端に直して終わるのは気持ち悪い”も発動する。


これはもう病気に近い。


俺は立ち上がった。


「工具箱どこ」


富子が少しだけ目を丸くした。


「え、そんなにやるの?」


「やるなら一回でやる」


「ふーん」


その“ふーん”は、理解していない人間の相槌だ。

だがまあいい。

この手の作業は、わかる人間だけが本気になればいい。


---


三十分後。


リビングの床には、見事に文明の残骸が広がっていた。


外した延長コード。

まとめ直す予定のケーブル。

用途不明の充電器。

昔のゲーム機用の映像端子。

なぜか二本あるLANケーブル。

そして、もう使っていないはずなのに“たぶんまだ何かに使う”気がして捨てられないアダプタ群。


「うわ……」


良子が来て第一声がそれだった。


「何これ」


「配線整理」


「それは見ればわかる」


最近よく聞くな、その返し。


ひなも後ろから覗き込んでいる。

そして、当然のように健太までいる。


「何してんのおじさん」


「見ればわかるだろ」


「それ最近おじさんもよく言うね」


うるさい。


俺は床に座り、ケーブルタイを手に取った。


「いいか、まず用途ごとに分ける」


説明し始めてから、自分でも思う。

何で説明しているんだ。


だが、見ている側が何もわかっていない顔をしていると、つい言葉が出るのだ。

これはもう性分である。


「テレビ本体、レコーダー、ルーター、ゲーム機、充電系。

最初にこれを分ける。混ぜると死ぬ」


「死ぬの?」


ひなが真顔で聞いた。


「比喩だ」


「何でそんな怖い言い方するの」


良子が即座に切る。


「怖くはないだろ。意味がわからなくなるだけだ」


「その説明でよかったじゃん」


健太が手を伸ばす。


「これ何の線?」


「触るな」


「えー」


「用途不明だから今判定中なんだよ」


「用途不明って何」


「今のままだと、わからないってことだ」


「じゃあいらなくない?」


子どもは残酷だ。


たしかに理屈の上ではそうだ。

だが、用途不明と不要は違う。

世の中には、いざという時に“あれ残しといてよかった……”となるケーブルがある。

そのいざが何なのかは、たいていこちらも曖昧だが。


「そういう単純な話じゃない」


俺が真顔で言うと、良子が吹き出す。


「出たよ」


「何が」


「捨てられないオタクの理論」


「オタク関係ないだろ」


「いや、かなりあるでしょ」


否定はしきれない。


俺はひとまず使っていないアダプタを三つに分類した。


明らかに不要。

たぶん保留。

現役。


この“たぶん保留”が一番増える。

人生もだいたいそうだ。


良子が、転がっていた古いリモコンを拾い上げた。


「これ何の?」


「あ、それテレビ台の奥から出てきた」


「何で二個あるの」


「昔のやつか、前のレコーダーのだろ」


「じゃあいらなくない?」


「判定が雑なんだよ」


そこで健太が感心したみたいに言う。


「おじさん、こういう時だけめっちゃしゃべるね」


余計だ。


「こういう時だけ、はやめろ」


「でもほんとだよ」


ひなまで頷く。


「うん。今おじさん、ちょっと目がちがう」


「何だその言い方」


「なんか、ほんき」


不本意だが、否定はできなかった。


配線まわりは、本気を出すと見えてくるものがある。

どのコードが無駄に長いか。

どの位置だと熱がこもるか。

どこへ電源タップを置けば掃除の時に引っかからないか。

こういうことは、放っておくとずっと微妙な不便として残るのだ。


だから、やるなら今だ。


---


一時間後。


リビングのテレビ台まわりは、かなりまともになっていた。


コードは用途ごとに束ねた。

ルーターは少し高い位置へ移動。

ゲーム機の接続も整理。

使わない延長コードは撤去。

リモコンの電池もついでに確認。

和室には充電しやすい位置へ短い延長を一本だけ通しておいた。


「終わった……」


俺は床に座ったまま、小さく息を吐いた。


達成感がある。

悔しいが、かなりある。


ケーブル整理というのは、目に見える生活改善の中でもかなり即効性が高い。

整った配線を見ると、人は少しだけ“人生が立て直せるかもしれない”という錯覚を得る。

もちろん錯覚である。

配線が整っても人間関係は整わない。

だが、整ったような気分にはなれる。


富子が和室から戻ってきて言った。


「充電しやすくなってる」


「そりゃそうだろ」


「えらいえらい」


褒め方が雑だな。


良子はテレビ台の前を見て、少しだけ本気で感心した顔をした。


「え、すご。

さっきまであんなにぐちゃぐちゃだったのに」


「だから整理したんだろ」


「いやそれはそうだけど、そこまでやる?」


「やるならやる」


「出た、面倒くさい職人気質」


違う。

職人ではない。

ただ、半端な状態が気持ち悪いだけだ。


ひなが和室のコンセントを見に行って、戻ってくる。


「おじさん、おじいちゃんのスマホここでできる?」


「できる」


「すごい」


「別に」


健太が、ケーブルの束を指差した。


「これ、さっきよりつよそう」


「つよそうって何だよ」


「なんかまとまってるから」


雑だが、まあ、わからなくもない。


良子が肩をすくめる。


「でもほんと、こういう時だけ頼りになるよね」


その“こういう時だけ”が今日二回目である。

刺さる。


「だけをつけるな」


「事実じゃん」


「事実でも言わなくていいことあるだろ」


「お兄ちゃんがそれ言う?」


正論だが腹が立つ。


富子は何でもない顔で言った。


「助かったわ」


その一言の温度が、いちばんちょうどよかった。


大げさではない。

だが、確かに頼ったし助かった、というくらいの重さ。

このくらいなら、受け取っても変に居心地が悪くならない。


俺は床の上に残った“たぶん保留”のアダプタ箱を見た。


「これどうする」


「いるの?」


富子が聞く。


「……たぶん、いる」


良子が吹き出す。


「何その一番信用できないやつ」


「いや、こういうのは急に要る時があるんだよ」


「それ、たぶん一生言ってる」


そうかもしれない。

だが、人には捨てられないものがある。

それがコード一本だとしても。


ひなが箱を覗き込んだ。


「これ、おじさんのたからばこ?」


「違う」


違うが、完全否定もしづらいのが嫌だ。


「用途不明の退避箱だ」


「もっとわかんない」


たしかにそうだった。


---


夜、自室へ戻ったあとも、俺は少しだけ妙な満足感を引きずっていた。


机に座る。

モニターの光。

静かな部屋。


配線を整理しただけだ。

それだけなのに、今日は無駄に疲れたし、無駄に達成感もある。


「……配線だけは裏切らないんだよな」


独り言が出る。


刺さる場所に刺せば通る。

通らなければ、どこかが違う。

このわかりやすさは、本当にありがたい。


父が帰ってきた時、その充電場所やテレビの設定にどれだけ気づくかはわからない。

たぶん気づかないかもしれない。

だが、使いやすくなっていればそれでいい。

準備とは本来そういうものだ。


スマホが震えた。


良子からメッセージだった。


『お兄ちゃん今日ちょっとかっこよかったよ』

『配線の時だけ』


最後の一文で全部台無しだ。


俺はしばらく画面を見てから、短く返す。


『余計だ』


すぐ既読。


『でもほんと助かった』


その二通目は、少しだけ反応に困った。


俺は数秒迷ってから、こう返した。


『まあ、あのままだと気持ち悪かったから』


送ってから、我ながら実に俺らしい返しだと思った。

助けたかったとか、役に立ててよかったとか、そういう方向へは最後まで行かない。

ただ、自分が気持ち悪かったから直した、という言い方に逃がす。


それでいい。

たぶん、今はそのくらいがちょうどいい。


俺はスマホを伏せ、背もたれへ身体を預けた。


父帰省前夜。

イベント本番はまだ来ていない。

だが、少なくとも準備フェーズの一つは終わった。


「……あとは会話か」


そこだけは、いくら配線しても整わない。


その現実だけが、静かな部屋の中でやけに重かった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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