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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第3章 『いると助かるとか言うな』

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「父の帰省。事前説明なく大型イベントの開催」



人は、事前に説明されない大型イベントに弱い。


これは真理である。


たとえばソシャゲのメンテ明け。

たとえば会社の急な会議。

たとえば親からの「今度帰るから」の一言。


しかもそれが、日程だけ決まっていて中身が見えないタイプだと最悪だ。

何を準備すればいいのか。

何が起きるのか。

どこで気まずくなるのか。

そういう“見えない面倒”が、脳内で無駄に増殖する。


その日の夕方、俺は一階のリビングで、その手のイベント告知を受けた。


発信源は富子である。


「土曜、お父さん帰るから」


軽かった。


言い方があまりにも軽かった。


まるで「土曜、牛乳買っといて」くらいの重さで言うな。

スケールが違うだろ。


俺は麦茶のコップを持ったまま、一秒ほど止まった。


「……帰る?」


「帰る」


「いつまで」


「まだ知らないけど、少なくとも二、三日はいるんじゃない?」


さらっと言う。

あまりにもさらっと言う。


二、三日。

それは短いようで長い。

特に、家の中の空気に変化をもたらす人間が滞在する日数としては、かなり長い。


俺の中で、何かが静かに警報を鳴らし始めた。


父、佐藤恒一。

単身赴任中。

たまに荷物を送ってくる。

スマホや配線に弱い。

悪い人ではない。

だが、近い距離で日常を共有するには、こちらも向こうもやや不器用すぎる。


この“悪い人ではない”というのが一番厄介なのだ。

嫌いなら嫌いで話は早い。

だが別に嫌っているわけではなく、単にどう接すればいいのか難しい相手というのは、いろいろな意味で逃げ道がない。


「……急だな」


俺が言うと、富子は台所で味噌汁の火を見ながら答えた。


「前にも言ってたでしょ」


「“戻るかも”ってやつだろ」


「だから今回“戻る”になったの」


その理屈はわかる。

わかるが、心の準備というものがある。


その時、良子がソファの背もたれに顎を乗せながら言った。


「お兄ちゃん、今ので顔死んだよ」


「死んでない」


「死んだって。目が“うわ来る”ってなってた」


「お前は人の顔を何だと思ってるんだ」


「実況しやすい顔」


ひどい評価だった。


だが、完全否定もしづらい。

今の俺の中では、すでに複数の小さな問題が起動している。


どこで寝るのか。

父は二階の和室を使うだろうが、そこへ行くまでの導線はどうなる。

風呂の順番は。

食卓の席は。

テレビのチャンネル争いは。

いや、争いというほどではないかもしれないが、少なくとも俺が一階でだらだらアニメを流しっぱなしにする自由度は少し下がる。


さらに問題は会話だ。


会話は難しい。

親子だから簡単、ということはまったくない。

むしろ親子だからこそ雑に触れてはいけない部分が増える。

仕事の話はどうだ。

健康の話は無難か。

天気は一往復で終わる。

荷物の話も長くは持たない。

スマホ設定は確かに安全地帯だが、毎回そこへ逃げるのも不自然ではないか。


「何黙ってんの」


良子が言う。


「いや、別に」


「考えてるでしょ」


「考えてない」


「考えてる顔」


この女は本当に人の顔をよく見ている。

いや、単にわかりやすすぎるのか、俺が。


富子は鍋の火を止めながら言った。


「考えすぎなのよ」


「考えるだろ普通」


「別に家に帰ってくるだけじゃない」


「それが一番面倒なんだよ」


口に出してから、少しだけ言い方が悪かったかと思った。

だが富子は気にした様子もなく、味噌汁をよそいながら返す。


「面倒って言ったって、お父さんだって自分の家なんだから」


「それはそうだけど」


「じゃあ普通にしとけばいいのよ」


出た。

普通にしとけばいい。

簡単に言うな。

普通というものは、だいたいそれが一番難しい。


良子がにやにやしながら口を挟む。


「お兄ちゃん、今から会話シミュレーションとかしてそう」


ぎくりとした。


「してない」


「うわ、してる顔だ」


「だから顔実況やめろ」


「だって絶対してるじゃん。“久しぶり”“まあ”“元気か”“まあ”みたいなの」


妙に精度が高い。

腹立たしい。


ひなが、そのやり取りを聞いて不思議そうに聞いた。


「おじいちゃん、くるの?」


「くるよ」


良子が答える。


「やった」


子どもはいい。

会いたい人が来ることに、余計な脳内会議を挟まない。


「ひな、だいすきなゼリーまたもらえる?」


なるほど、そっちか。

前に父が送ってきた子ども向けゼリーの記憶があるらしい。


良子が笑う。


「たぶんね」


富子が味噌汁を運びながら言った。


「太郎、土曜までに和室のエアコン見といて」


来た。


「何で俺」


「この前ちょっと変な音してたから」


「業者呼べよ」


「そこまでじゃないのよ。まずあんたが見て」


家の中の機械に関してだけは、俺が雑に業者未満業者として運用されることが増えている。

不本意だが、完全に役に立たないわけでもないから余計に断りづらい。


さらに富子は続けた。


「あとコンセントの位置も見といて。スマホ充電しづらいかもしれないし」


「何でそこまで」


「帰ってくるなら使いやすい方がいいでしょ」


わかる。

わかるが、その準備項目が増えるほど、こちらの脳内イベント規模も大きくなるのだ。


夕飯の席につく。

味噌汁。

焼き魚。

冷ややっこ。

いつもの食卓なのに、すでに土曜の空気が薄く差し込み始めている気がする。


良子が魚をほぐしながら言った。


「お父さん、今回どんなテンションなんだろ」


「知らん」


「お兄ちゃんよりは普通じゃない?」


「比較対象がひどい」


「でもお父さんもまあまあ不器用だよね」


それは否定できない。


父はたぶん、気を遣わない人ではない。

むしろ気を遣う方だ。

ただ、その遣い方が少しずれている。

荷物の中に謎の健康ジュースを入れるとか、子ども向けゼリーと一緒に使い切りおしぼりを大量に送ってくるとか、そういう方向へ出る。


ひなは無邪気に言う。


「おじいちゃん、スマホへた」


「へただな」


思わず即答した。


良子が吹き出す。


「そこだけ速い」


「事実だからな」


スマホか。

たしかに、そこはまだ会話が成立しやすい。

機械関係の質問を受ければ、少なくとも何を話せばいいかわからない、みたいな事故は減る。


俺の頭の中で、会話候補一覧が勝手に更新された。


安全:スマホ、Wi-Fi、配線、荷物

中立:天気、食事、ひな

危険:仕事、近況、将来、健康の深掘り


「何また黙ってんの」


良子が即座に言う。


「何でもない」


「デッキ組んでる?」


「だから何のだよ」


「会話の」


図星すぎる。


俺は味噌汁を飲んでごまかした。

熱い。

だが今はその熱さがありがたい。余計な顔を隠せる気がするからだ。


---


夕飯のあと、自室へ戻った。


ドアを閉める。

薄暗い。

静か。

平和。


この平和が、土曜には少しだけ崩れる。


俺は椅子に座り、ノートPCを開いた。

いつもの巡回を始めようとして、やめた。


代わりに、メモ帳を開いてしまう。


「……何やってんだ俺」


自分でもそう思う。

だが、考えてしまった以上、少しでも頭の外へ出した方がまだましだ。


メモ欄に打ち込む。


**父帰省想定事項**


そこで手が止まる。


何だこれ。

仕事か。

いや、違う。

違うが、脳の使い方はかなり近い。


それでも俺は続けてしまう。


* 和室エアコン確認

* 充電場所確保

* テレビリモコン電池

* 食卓での無音時間対策

* ひなバッファ活用可能性

* スマホ相談発生率高


「ひどいな……」


自分で書いておいて何だが、かなりひどい。


家族の帰省に対して“ひなバッファ活用可能性”って何だ。

人間関係をシステムみたいに処理しようとするな。


だが、人は苦手なことほど構造化したがる。

会話が自然にできないなら、せめて危険を減らすしかない。

その思考回路自体が、たぶんもうかなり面倒くさいのだろう。


スマホが震えた。


父からだった。


短いメッセージ。


**土曜、夕方には着く**


それだけ。


無駄がない。

情報だけは正確。

父らしいといえば、父らしい。


「……重いな」


四文字と四文字程度なのに、妙に重い。


俺は返信欄を開いた。


何と返す。

了解。

わかった。

気をつけて。

それとももっと別の何かか。


十秒くらい悩んだ末、結局こう返した。


**わかった**


短い。

こちらも十分短い。

だが、長くしたところで不自然なだけだろう。


既読はすぐついた。

追加のメッセージは来ない。


「……まあ、そうだよな」


ベッドへ倒れ込む。


父帰省。

土曜夕方。

それだけで、すでにイベントは始まっている気がした。


しかも厄介なことに、これは回避不能だ。

逃げる理由も、拒否する理由も、べつにない。

ただ面倒なだけ。

ただ気まずいだけ。

だからこそ、真正面から受けるしかない。


天井を見上げる。


「来るのが嫌なんじゃないんだよな……」


それは本当だった。


父が嫌い、ではない。

苦手ではある。

気まずい。

会話も短い。

でも、来ること自体を拒みたいわけじゃない。


ただ――近い距離で、どう接すればいいのかわからない。

それだけだ。

それだけなのに、人は案外疲れる。


俺はベッドの上で寝返りを打った。


「大型イベントって、だいたい準備段階が一番しんどいんだよな……」


誰に向けるでもなくそう呟いてから、少しだけ目を閉じた。


土曜まで、あと少し。

平和なようで平和ではない数日が、もう始まっていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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