「ひなの友だちはおじさんを警戒する」
子どもの世界は、狭くて広い。
行動範囲はせいぜい家と近所と学校くらいのものなのに、その中での人間関係は妙に濃い。
大人が思っているよりずっと細かく見ていて、言葉は率直で、空気の読み方は雑だ。
だからこそ、たまにこちらが予想もしない方向から刺さる。
そしてその日、俺は、外の子どもたちの前で“誰かの身内”として扱われることの妙な落ち着かなさを知った。
夏休みも後半に入った頃だった。
午後。
俺は珍しく、庭先に出ていた。
理由は大したことではない。
窓の外に干したままだった雑巾だかタオルだかを富子に取り込めと言われたからである。
こういう“ついでにやっといて”系の雑務は、本当に防ぎようがない。
日差しはまだ強い。
蝉もうるさい。
だが風は少しだけあって、真昼よりはましだった。
俺は洗濯ばさみを外しながら、半分ぼんやりしていた。
遠くで子どもの声がする。
最近、健太の声はだいぶ聞き分けられるようになってきた。これは別に誇れることではない。
その時、塀の向こうから聞き慣れた声がした。
「おーい!」
健太だ。
俺は心の中で、軽く舌打ちした。
「……何だよ」
塀越しに顔を出した健太は、相変わらず元気だった。
その後ろには、ひなの姿もある。
さらに、もう一人。見覚えのない女の子がいた。
年齢はひなと同じくらいか、少し上か。
肩までの髪。
ピンクのサンダル。
こちらを見て、少しだけ警戒した顔をしている。
俺は一瞬で察した。
嫌なやつだ。
これは、“この人誰?”イベントが始まる流れである。
健太はそんなこちらの危機察知をまるで考慮せず、普通に言った。
「おじさん、ひな来てるよ」
「見ればわかる」
「あと、友だち」
ほら来た。
ひなは少しだけ照れたような顔をしていた。
その横にいる女の子は、完全に“初見の大人”を見る目をしている。無理もない。こちらだって逆の立場ならそうなる。
「……どうも」
俺はできるだけ穏当に言った。
女の子はぺこりと軽く頭を下げたが、視線はまだ警戒気味だった。
健太は平気で続ける。
「ひなの友だちの美咲」
「健太」
「知ってる」
「言ってみただけ」
健太は情報量のない確認をよくする。
ひなは俺と美咲の間で少しだけ視線を揺らし、それから言った。
「おじさん、なにしてるの?」
「洗濯物取り込んでる」
「へえ」
子どもにとってはそれも珍しいのか、ひなが少し感心したみたいな顔になる。
だが問題はそこではない。
美咲の方が、こっちを見ながら小さな声でひなに聞いた。
「……だれ?」
来た。
声量は抑えているつもりなのだろうが、普通に聞こえた。
子どもはこういう時、内緒話の距離感が甘い。
俺はタオルを手にしたまま固まった。
健太は面白そうな顔をしている。お前は本当にこういう時だけ生き生きするな。
ひなは一瞬だけ口をつぐんだ。
その数秒が、妙に長く感じられた。
たぶん、ひななりに考えたのだろう。
どう説明するか。
どう言えばいいか。
変なおじさん。
家にいるおじさん。
ゲームがうるさいおじさん。
たんていおじさん。
いろいろな候補が脳内で浮かんでは消えた気がして、俺は勝手に少し身構えた。
だが、ひなが口にしたのは、思ったよりずっと普通の言葉だった。
「うちのおじさん」
それだけ。
それだけなのに、妙に真っ直ぐ胸へ来た。
美咲は「ふーん」と小さく頷く。
だが、そこで終わらなかった。
ひなが、少しだけ続ける。
「家のこと、すごいんだよ」
俺は目を瞬いた。
「……何が」
思わず聞き返す。
ひなはこっちを見て、当たり前みたいに言った。
「さがしもの、すぐみつけるし」
健太がすぐ乗る。
「あと虫もやった」
「あれは別に……」
「あとゲームもわかるし」
それは健太の補足だった。
やめろ。
情報を足すな。
美咲が少しだけ興味を持った顔になる。
「へえ」
その“へえ”は、さっきの警戒寄りの“へえ”とは少し違っていた。
知らない大人ではあるが、どうやら完全に怪しい存在ではないらしい、という認識への移行が見える。
俺は急に居心地が悪くなった。
褒められているのか。
子ども基準で少し変わった説明をされているだけなのか。
どちらにしても、自分の身内が自分のことを他人へ説明する場面というのは、妙なむず痒さがある。
「別にすごくはない」
なんとかそう返したが、声が少しだけ固かった。
健太はにやにやしている。
「でもさ、おじさん、外だとちょっと変だよね」
「余計だ」
美咲がくすっと笑った。
その笑い方に悪意がなかったのが救いだった。
ひなはすぐ健太の方を向いて言う。
「変だけど、やさしいよ」
俺はまた固まった。
何だそれ。
今日の子どもたちは、どうしてこう不用意にこちらの防御を崩す言葉を投げてくるのか。
健太は「へー」と大して気にしていない様子だったが、美咲は今度ははっきりこっちを見た。
「じゃあいいおじさんなんだ」
「それはどうだろうな……」
反応に困りすぎて、変な返しになる。
ひなは少しだけ眉をひそめた。
「いいおじさんだよ」
「本人が否定してるだろ」
「おじさん、すぐそういうこと言う」
最近ひなは、俺のこういう捻くれた返しに対して妙に慣れてきた。
以前なら“へんなの”で終わっていたのが、今は軽く受け流して次へ行く。
健太が塀に肘をついて聞いてくる。
「おじさん、今日ひま?」
「何で」
「あとで公園来る?」
「行かない」
「即答じゃん」
当たり前だろ。
健太は少し不満そうだったが、そこへ良子が玄関から顔を出した。
「ひなー、あんたこんなとこいたの。お友だち来てたなら言いなさいよ」
良子は美咲を見るとすぐに笑顔を作る。
ああいう切り替えは上手い。
俺にはできない。
「こんにちはー。ひなの母です」
美咲もぺこりと頭を下げる。
ひなはそのまま良子の方へ寄ったが、その途中で一度だけ俺の方を振り返った。
「おじさん、あとでね」
「何があとでだ」
「あとで」
意味がわからないまま、ひなは良子のところへ行ってしまった。
美咲もそれについていく。
健太だけが少し残って、俺を見ながら言った。
「ひな、ほんとおじさん好きだよね」
「何だよ急に」
「前よりめっちゃ話してるし」
「……そうか?」
「そうだよ」
そう言って健太は笑い、今度こそ塀の向こうへ消えた。
庭先に、俺だけが残る。
手にはまだ取り込み途中のタオル。
やるべきことは変わっていないのに、妙に気持ちだけが落ち着かなかった。
ひなが、外の友だちに俺のことを説明した。
しかも“変なおじさん”ではなく、“うちのおじさん”として。
さらに、家のことがすごいとか、やさしいとか、そういう方向の言葉までつけて。
俺は洗濯物を持ったまま、しばらくその場に立ち尽くした。
玄関の方から良子が声をかけてくる。
「お兄ちゃん、何ぼーっとしてんの」
「……別に」
「ひなにちょっといい感じに紹介されて、照れてる?」
「違う」
「わかりやす」
「違うって」
良子は笑っている。
「でもまあ、よかったじゃん。前は“へんな人”くらいだったのに」
「今も半分はそうだろ」
「半分は、ね」
否定しないんだな。
俺はタオルを抱えて家の中へ戻った。
リビングに入ると、ひなと美咲はもうおやつの話か何かで盛り上がっていた。
そこへ俺が入っていく必要はない。
いや、むしろない方がいい。
それでもひなは、俺に気づくとすぐに言った。
「おじさん、ありがと」
「何が」
「さっき」
「……何もしてないだろ」
「でもいた」
その理屈はよくわからない。
だが、子どもの中ではそういうこともあるのかもしれない。
良子が横から言う。
「お兄ちゃん、今のは素直に“どういたしまして”って言っときなよ」
「……どういたしまして」
言ってみる。
ひなが満足そうに笑う。
たったそれだけのことなのに、妙に気恥ずかしかった。
そのあと、俺は結局自室へ逃げた。
ドアを閉め、椅子に座る。
いつもの薄暗い部屋。
モニターの光。
安心するはずの空間なのに、今日は少しだけ落ち着かない。
「うちのおじさん、か……」
独り言が漏れる。
おじさんなのは事実だ。
身内なのも事実だ。
だが、その二つが外の子どもたちの前で自然に並ぶと、思った以上に変な感じがする。
しかも、ひなは迷いながらも、最終的には俺を“少し誇れるもの”として話していたように見えた。
それが勘違いかどうかは知らない。
子どもの言葉を深読みしすぎるのも気持ち悪い。
だが、少なくとも、以前みたいな“こわくはないけど、へん”だけではもうないのだろう。
机の上のスマホが震えた。
健太からではなく、ひなの母――良子からでもなく、富子からでもない。
ただ、階下からの声だった。
「太郎ー!美咲ちゃん帰るから、あんたもちゃんと挨拶しなさいよー!」
最悪だ。
俺は天井を仰いだ。
さっきので十分だろ。
なぜさらに“ちゃんと挨拶”を追加する。
家族というものは、こういうところで容赦がない。
それでも、さっきのひなの顔を思い出すと、完全に無視もしづらかった。
俺は深いため息をつき、立ち上がる。
「……めんどくさい」
そう言いながらも、階段へ向かう足は前より少しだけ重くなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




