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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第2章 『ついでの範囲が広すぎる』

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「梅子さんは逃がしてくれない」



善意ほど、断りにくいものはない。


悪意ならまだいい。

警戒できるし、距離も取れる。

営業なら営業、宗教なら宗教、押し売りなら押し売り。人は相手に明確な“嫌な理由”があれば、意外ときっぱり拒絶できるものだ。


だが、善意は違う。


向こうはただ親切なだけ。

こちらを気にかけ、話しかけ、ついでに巻き込む。

そこに悪意が一ミリもないからこそ、逃げる側だけが妙に感じが悪くなる。


そして佐藤家の周辺には、その善意を極めて自然に振るってくる人物が一人いる。


田村梅子。

近所のおばちゃんにして、善意の圧そのもの。


その日の午後、俺は本当にただ“空気を吸いに出ただけ”だった。


いや、正確に言うなら、コンビニへ行くかどうかを決めかねて、いったん玄関の外気温を確認しに出たのである。

これは重要な工程だ。

夏場の外出は、日差しと湿度と道路の照り返しで難易度がだいぶ変わる。家の中から窓越しに見るのと、実際に玄関を出るのでは情報量が違うのだ。


だから俺は、パーカーも着ず、財布も持たず、本当に数十秒だけのつもりで門の外へ出た。


玄関先。

日差しは少し傾いている。

空気はまだ暑いが、真昼よりはまし。

風もわずかにある。


「……微妙だな」


今からなら行けなくもない。

だが積極的に行きたいほど快適でもない。

そういう、一番判断に困る気候だった。


俺が腕を組んで空を見ていた、その時。


「あら、太郎ちゃん」


終わった。


背中に軽く冷たいものが走る。


この声を、俺は知っている。

知っているどころではない。子どもの頃から知っている。

だからこそ厄介なのだ。


振り向くと、やはりそこには田村梅子がいた。


日よけ帽子。

買い物帰りらしい手提げ袋。

顔いっぱいに、悪意ゼロの笑顔。


「珍しいわねえ、こんな時間に外で」


「……どうも」


それしか出ない。


梅子さんは門の前まで来ると、本当にただ世間話をする調子で言った。


「暑いわねえ」


「そうですね」


「でも風があるからまだましね」


「まあ」


「富子さん元気?」


「元気です」


ここまではまだいい。

この程度の会話なら被害は軽い。


だが、梅子さんの会話はここで終わらない。

終わらないどころか、むしろここからが本番である。


「太郎ちゃん、最近よく見るわねえ」


やめろ。


その“最近よく見る”は、たぶん前向きな意味なのだろう。

だがこちらにとっては、“生活圏で観測され始めている”という警告に近い。


「……そうですか」


「前はほんと見なかったものねえ」


比較やめろ。


「健太くんとも話してたでしょ、この前」


情報が早い。


何なんだこの近所ネットワークは。

あの小学生、もう報告したのか?

いや、健太自身が言ったのではなく、庭先での会話を誰かが見ていた可能性もある。生活圏とはそういう場所だ。見ようとしなくても見えてしまう。


「まあ、ボールが入って」


「そうそう、田中さんとこの子ねえ。元気でしょう」


「元気ですね」


「太郎ちゃん、子ども相手だと案外普通なのね」


その評価、最近どこでもされるな。


梅子さんは悪気なく続ける。


「よかったわあ。子どもってね、ちゃんと見てるのよ。変な人か、やさしい人か」


俺は一瞬だけ黙った。


変な人、はともかく。

やさしい人、という言葉がこのタイミングで来るのは少し不意打ちだった。


「……別に、やさしくは」


「あら、やさしいじゃない。ひなちゃんにも、健太くんにも」


断定された。


俺は返事に困って視線を逸らした。

そこで切れればよかった。

だが、善意の会話はいつだってこちらの逃げ道を薄くする。


梅子さんは買い物袋を持ち直しながら、さらりと言った。


「そういえば今度、町内の清掃あるのよ」


来た。


話題転換が滑らかすぎて、一瞬対応が遅れる。


「え」


「ほら、月末の土曜。公園のまわりとか、ごみ集めたり草抜いたり」


「……ああ」


知らない。

いや、回覧板か何かで母さんは知っていたのかもしれないが、俺の中では完全に初耳だった。


「若い人がいると助かるのよねえ」


梅子さんは本当に何でもない顔で言う。


「最近、出てきてくれる人少ないし。太郎ちゃん、ちょっと顔出さない?」


軽い。


“ちょっと顔出さない?”の軽さで言う話ではない。

町内清掃などというものは、俺にとってほぼ強制屋外合同イベントである。知らない大人、気まずい挨拶、作業、世間話、全方向のリスクが高い。


「いや、その……」


すぐには返事が出ない。


この時、断るのが正しい。

きっぱり無理ですと言えばいい。

だが、それができれば苦労しない。


梅子さんはさらに畳みかける。


「一時間くらいですぐ終わるしねえ」


一時間が長いんだよ。


「朝のうちだからまだ涼しいし」


朝だから嫌なんだよ。


「健太くんも来ると思うし」


だから何だよ。


内心の反論は次々浮かぶのに、口から出るのは曖昧な音ばかりだった。


「……まあ、ちょっと」


その瞬間、自分で“あっ”と思った。


違う。

今のは違う。

“ちょっと”というのは、行くと言っているのに限りなく近い。


だが梅子さんの表情はぱっと明るくなる。


「あら、ほんと?」


「いや、だからその、行けたら……」


慌てて修正を入れる。

だが善意の人は、前向きな部分をよく聞く。


「助かるわあ。富子さんも喜ぶわよ」


勝手に情報を共有するな。


その時だった。


玄関の引き戸が開く音がした。


「何してんの、あんた」


富子である。


最悪だ。


富子はエプロンのまま玄関から出てきて、俺と梅子さんを見比べる。

その表情は、状況を一秒で把握した人間のそれだった。


「あら、富子さん」


「こんにちは」


「今ねえ、月末の清掃の話してたのよ。太郎ちゃん、ちょっと顔出してくれるって」


言ってない。

いや、完全には否定しきれないが、その表現はかなり寄っている。


俺が口を開く前に、富子があっさり言った。


「ああ、そうなの。よかった」


「よくない」


即座に割り込む。


「何がよ」


「まだ確定してない」


「でもちょっと行けそうなんでしょ?」


「その“ちょっと”はそういう意味じゃない」


「行けたら、くらいの感じですけど……」


俺が弱々しく訂正すると、梅子さんはうなずいた。


「ええええ、もうそれで十分よ。顔見せてくれるだけでいいの」


よくない。

それが一番危ない。


富子まで乗ってくる。


「どうせ家にいるんだから、一時間くらい行ってきなさいよ」


「その理屈やめろ」


「理屈じゃなくて事実でしょ」


強い。


しかも近所の人の前でこの会話をされると、こちらだけが変に抵抗している人間になる。

圧倒的に分が悪い。


梅子さんが柔らかく畳みかける。


「無理しなくていいけどねえ、でも若い人が一人いるとほんと違うのよ」


「若い……」


そこに反応するのも違う気がしたが、三十九歳を近所の七十代に“若い人”として計算されるのは妙な感覚だった。


富子がまとめるように言う。


「じゃあ、当日ちゃんと起きてればいいのよ」


「起きてれば、って」


「起きてなさいよ」


いつの間に条件付き参加みたいな流れになっている。


俺は何とか抵抗しようとした。


「いや、でもその日、体調とか」


「悪いの?」


富子が真顔で聞く。


「いや、今は」


「じゃあ大丈夫でしょ」


理詰めで逃げ道を塞いでくるな。


梅子さんは本当に嬉しそうだ。


「じゃあ、また近くなったら声かけるわねえ」


近くならなくていい。


だが、その言葉を口に出せる空気ではなかった。


「……どうも」


結局、それしか言えない。


梅子さんは満足げに帰っていった。

買い物袋を揺らしながら、途中で振り返ってまで手を振ってくる。

善意100%。

本当にどうしようもない。


姿が見えなくなったところで、俺は大きく息を吐いた。


「何でああなるんだよ……」


富子が呆れたように言う。


「何でって、普通の流れでしょ」


「どこが」


「近所の行事にちょっと顔出すだけじゃない」


「“ちょっと顔出すだけ”を軽く言うなよ」


「そんな大げさに」


「大げさじゃない。清掃だぞ。朝だぞ。町内の人間がいるんだぞ」


「ゴミ出しできるんだから平気でしょ」


「一緒にするな」


まったく別の話である。

ゴミ出しは短距離単独任務だ。

町内清掃は合同ミッション。危険度の種類が違う。


だが、富子にはその違いがどうしても伝わらないらしい。


「まあいいから。出られるなら出なさい」


「まだ行くって決めてない」


「さっきほとんど決まってたじゃない」


「決まってない。あれは流された」


「流される方が悪いの」


ごもっともだが、正論で人を刺すな。


富子はそれだけ言うと家の中へ戻っていった。

玄関が閉まり、外に俺だけが残る。


夕方の風が少しだけ吹く。

さっきまで確認していた気温だの外出判断だの、そんなものはもうどうでもよくなっていた。


頭の中を占めるのは、月末の土曜、朝、清掃、町内会、そのあたりの嫌な単語ばかりだ。


「勝手に任務が発生してるじゃねえか……」


呟いても、状況は何も変わらない。


俺は重い足取りで二階へ戻った。


自室のドアを閉める。

椅子に座る。

さっきまで気にしていたコンビニの是非など、完全に頭から飛んでいた。


代わりに、脳内ではありもしないシミュレーションが始まる。


当日何を着るか。

どこに立てば目立たないか。

挨拶は必要か。

梅子さん以外に話しかけられたらどう返すか。

健太が来たらどうするか。


考えれば考えるほど気が重くなる。


スマホが震えた。

白狼77からだった。


『生きてるか』


何で今なんだ。


『死にかけ』

と返す。


『またレスバ?』


『町内清掃が発生した』


数秒後。


『草』

『それはご愁傷さま』


ご愁傷さま、ではない。

まだ終わっていない。

始まってすらいないのに、精神だけ先に消耗しているのが問題なのだ。


さらに送る。


『近所の善意が一番きつい』

『断れない』


白狼77は即座に返す。


『お前そういうの弱すぎ』

『嫌なら嫌って言えよ』


できれば苦労しない。

ネットの向こうからなら何とでも言えるのだ。


だが、その通りであることも否定できなくて腹が立つ。


俺はチャットを閉じ、椅子にもたれた。


善意ほど、断りにくい。

そして断れない善意は、だいたい未来へ向かってじわじわ効いてくる。


月末の土曜。

朝。

町内清掃。


今のところ、それらの単語はもう完全に俺の精神へ定着していた。


「……最悪だ」


今日二回目か三回目かのその独り言は、部屋の薄暗さに吸い込まれていった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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