「風間凛はコラボ商品に詳しい」
人には、知らなくていいことがある。
たとえば、近所のコンビニで始まるアニメコラボフェアの詳細とか。
対象商品を二点買うごとにもらえるクリアファイルの絵柄とか。
初日でどの種類が減りやすいかとか。
そんなものをいちいち把握している時点で、人生のどこかが少し歪んでいる気がする。
……だが、把握してしまうのだから仕方がない。
その日も俺は、自室の机に肘をつきながら、スマホ画面を真剣に見ていた。
コンビニ公式アプリ。
バナーには、今期アニメとのコラボ告知。
対象商品を二点購入で、限定デザインのクリアファイルが一枚もらえる。
全四種。
先着数量限定。
「先着って言うなよ……」
思わず呟く。
そういう煽り文句はよくない。
欲しい人間の理性を削る。
しかも俺がちょっと気になっている作品に限って、こういうことをやる。いや、気になっているから目につくのかもしれないが。
俺は一度スマホを伏せた。
別に必要ではない。
あれば少し嬉しい、という程度のものだ。
クリアファイルがなくても人生は回る。
そもそも三十九歳の男が、近所のコンビニへ行ってアニメコラボの景品をもらってくる、という状況を冷静に俯瞰してみろ。かなり危うい。
やめておけ。
スルーだ。
大人らしく距離を取れ。
そう思っていたのに、気づけばもう一度スマホを手に取り、対象商品の一覧まで確認していた。
「……駄目だな」
自分でもわかっている。
気になるものは気になる。
しかも対象商品が、わりと普通に食べたり飲んだりできるものばかりなのが余計にタチが悪い。無理して買う感じが薄れるからだ。
結局、夕方近くなってから俺は部屋を出た。
言い訳はいくつも用意してある。
飲み物が減っている。
ちょっとした菓子も欲しい。
ついでにコラボ対象商品を買うだけだ。
ついでである。
この“ついで”という言葉は、大人が自分を誤魔化す時に非常に便利だ。
階下では富子が夕飯前の準備をしていた。
「どこ行くの」
やはり聞かれる。
「ちょっと補給」
「またコンビニ?」
「まあ」
富子は手を止めずに言う。
「飲み物あるでしょ」
「別のがいる」
「何その言い方」
俺はそこで会話を切り上げた。
ここで詳しく説明する気はない。
対象商品を二点買うごとに限定クリアファイルが、などと言った時点で家族ヒエラルキーの最下層へ落ちる自信がある。
玄関を出る。
夕方の空気はまだ少し暑いが、昼よりはましだった。
コンビニまでの道を歩きながら、俺は改めて心の準備をした。
問題は二つある。
一つ目。
まだ景品が残っているか。
二つ目。
店員が凛だった場合、どこまで平静を装えるか。
前者は運。
後者は気合い。
どちらも、あまり信用できる要素ではない。
店の看板が見えてくる。
自動ドアの前で一瞬だけ深呼吸。
よし。
店内へ入る。
まず、クリアファイルの陳列位置を探した。
レジ近くの特設棚。
ある。
だが、思ったより減っている。
四種のうち一つはもう残り一枚。
もう一つはほぼ消えかけ。
こういう時、人は急に判断を急がされる。
「……早いな」
小さく呟きつつ、俺は対象商品棚へ向かった。
飲み物二本か、菓子二つか。
組み合わせをどうする。
欲しい絵柄と、消費可能な商品、その兼ね合いを短時間で組み立てねばならない。
我ながら、何に本気を出しているんだという気持ちはある。
棚の前で立ち止まる。
対象商品シールつきの飲み物。
菓子。
カップ麺。
見ているだけでだんだん自分が不審に思えてくる。
やばい。
さっさと決めなければ、ただのコラボ目当ての挙動不審な中年である。
いや、実際そうなのだが、せめて外見だけでも普通を装いたい。
俺は結局、無難そうなジュース二本を手に取った。
甘いが飲めなくはない。
これで景品一枚。
だが、欲しい絵柄はもう残り一枚しかない。取り置くわけにもいかない。
俺は景品棚を見た。
クリアファイルが下がっている。
だが、レジ側から管理しているのか、その場で勝手に持っていく形式ではなさそうだ。
「……聞くしかないか」
最悪だった。
だが諦めるのも癪だ。
俺はジュースを手に持ったまま、レジの方を見た。
風間凛がいた。
やっぱりか、と思う。
もはや驚きも薄れてきたが、そのぶん“またか”という別種の気まずさが増している。
凛はレジの奥で、何かの補充をしていた。
こちらに気づくと顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
「……どうも」
だからその“どうも”はやめろ。
俺は景品棚とレジの間で一瞬だけ立ち尽くした。
このまま普通に商品だけ出して会計するのは簡単だ。
だが、それでは何のために来たのかわからない。
覚悟を決めるしかない。
「あの」
声をかける。
凛が少しだけ首を傾けた。
「はい」
「これ……その、景品って」
我ながら歯切れが悪い。
だが、コラボとかクリアファイルとかを口に出すのは微妙に恥ずかしい。
凛はすぐに意味を察したらしく、レジ横を見た。
「はい。対象商品二つで一枚です」
「……まだある?」
「ありますよ」
よかった。
その一言だけで、心の中の何かが少し軽くなる。
凛は景品棚の方へ目を向けた。
「残り少ないですけど」
「……そうだな」
「一番左のが人気ですね」
そこだった。
つまり俺が欲しいやつだ。
やめろ。
そこでピンポイントに言うな。気まずい。
俺は曖昧に咳払いした。
「まあ……それが、ってわけでは」
言い訳として弱すぎる。
凛は表情をほとんど変えないまま、淡々と言った。
「その作品、今やってますよね」
俺は止まった。
「……知ってるのか」
しまった、と思った時には遅かった。
それではもう、こちらも作品側の人間だと認めているようなものだ。
凛は少しだけ視線を景品へ戻す。
「この前から問い合わせ多いので」
「そうなんだ」
「あと、店内放送でも流れてるので」
たしかに。
言われてみればさっきからBGMの合間にその作品の台詞が入った告知が流れていた気がする。完全に自意識過剰である。
だが、ここで終わらなかった。
凛がさらに、何気なく続けた。
「主人公より、こっちのキャラの方が人気高いですよね」
彼女が軽く顎を向けたのは、まさに俺が欲しいと思っていた絵柄のキャラだった。
俺は一瞬、言葉を失った。
知っている。
それを知っている言い方だ。
問い合わせが多いからかもしれない。
だが、少なくとも名前も知らない作品を適当に言っている感じではない。
「……まあ、そうだな」
気づけば普通に返してしまっていた。
「最近はそういう傾向ありますよね」
「いますよね?」
凛が少しだけ目を上げた。
「人気の話です」
「あ、ああ」
危ない。
なぜ今、“いますよね”に反応した。
完全に自分の中だけの連想である。
だがいったん口を開いてしまうと、変な方向へ流れそうになる。
「原作だと……」
そこまで言って、俺は止まった。
何を言いかけた、今。
原作だと、もっとこのキャラの積み重ねがあるとか、アニメではそこが薄いとか、そういうオタク早口の入口に片足を突っ込んでいた気がする。
凛は特に急かさず、普通に待っていた。
その沈黙が逆に怖い。
「……いや、何でもない」
「そうですか」
短い。
だが否定もしてこない。
俺は早く終わらせたくて、レジ台へ商品を置いた。
「これで」
「はい」
凛がジュースをスキャンする。
ピッ、ピッ。
「景品、どれにしますか」
「……左」
言った。
ついに言ってしまった。
凛は無言で最後の一枚を取り、レジ台の上へ置く。
透明な袋越しに、欲しかった絵柄が見えた。
それだけで少し満足してしまう自分が嫌だ。
「袋、どうしますか」
「お願いします」
「ポイントカードありますか」
「ないです」
会話は普通に進む。
進むのだが、さっきのやり取りのせいで、いつものレジより妙に濃度がある。
凛は景品を袋へ入れながら、何でもない声で言った。
「すぐなくなりそうだったので、間に合ってよかったですね」
俺はまた少しだけ止まる。
「……まあ」
「今日の夕方でだいぶ減りましたし」
「そんなに人気あるのか」
「たぶん、みんな隠してるだけで好きなんじゃないですか」
その一言が、妙に刺さった。
みんな隠してるだけで好き。
それはたぶん、コラボ商品に対してだけではない。
好きなものを好きと言うのが、少し面倒な空気の中で、こっそり欲しがっている人間は意外と多い。そういう意味に聞こえた。
……考えすぎかもしれないが。
「……そうかもな」
俺がそう返すと、凛はほんの少しだけ口元をゆるめたように見えた。
気のせいかもしれない。
でも、完全な気のせいでもない気がした。
会計を済ませ、商品と景品の入った袋を受け取る。
「ありがとうございました」
「……どうも」
外へ出る。
夕方の空気はぬるい。
手の中の袋は思ったより軽い。
なのに、妙に存在感がある。
「普通に会話したな……」
歩きながら小さく呟く。
普通に、かどうかは微妙だ。
こっちはかなり内心で動揺していたし、途中で危うく早口オタクになりかけた。
だが、それでも会話としては成立していた。
しかも、作品の話が少しだけ通じた。
それが、思ったより効いていた。
家に帰ると、富子が台所から顔を出す。
「何買ってきたの」
「飲み物」
「ふーん」
それ以上聞かれないうちに、俺は二階へ戻った。
この袋の中身をいちいち家族に見せる気はない。
部屋に入ってドアを閉める。
机の上へ袋を置く。
景品を取り出す。
欲しかった絵柄。
状態も悪くない。
目的としては完全勝利に近い。
なのに、安心と同時に別の感情も出てくる。
「……やらかしたな」
ベッドへ座り込み、顔を覆う。
何をやらかしたのかと言われると説明が難しい。
別に変なことは言っていない。
景品について聞き、少し作品の話が出て、普通に会計しただけだ。
なのに、“普通に作品の話が通じた”こと自体が妙に恥ずかしい。
近所のコンビニで。
若い店員相手に。
自分の好きなものが少し透けた。
その事実が、家へ帰ってきてからじわじわ効いてくる。
「いや、でも向こうから振ってきたんだよな……」
言い訳するように独り言を言う。
そうだ。
凛がキャラ人気の話を出した。
俺はそれに乗っただけだ。
受け身だ。
受け身なら多少は仕方ない。たぶん。
スマホが震えた。
にぼし姫からだった。
『今日からコラボでしたね』
俺は固まった。
何だそのタイミング。
『そうだけど』
と返す。
『行ったんですか』
短い。
だが核心に近い。
『……まあ』
とだけ返した。
すぐ既読。
『何もらいました?』
俺はしばらく悩んだ。
答える義理はない。
ないが、ここで濁すのも変だ。
結局、絵柄のキャラ名だけ打つ。
『〇〇』
数秒後。
『やっぱり人気ありますよね』
またその言い方だ。
コンビニで凛が言ったのと、ほとんど同じ温度。
偶然。
偶然だろう。
だが、今日ばかりはその偶然が妙に重なる。
『詳しいな』
と返す。
『店でもネットでも、そのキャラ人気なので』
店でも。
その一言に、俺はまた引っかかった。
だが、もうそこを追及したところでどうなるものでもない。
にぼし姫はいつだって、こういう時だけ絶妙に答えすぎない。
『そうか』
とだけ返して、俺はスマホを伏せた。
部屋は静かだった。
エアコンの音。
机の上のクリアファイル。
その隣のジュース二本。
欲しかったものは手に入った。
会話も、まあ、大事故ではなかった。
それなのに、変な汗だけがあとからじわっと出てくる。
俺はベッドに仰向けに倒れた。
「……みんな隠してるだけ、ね」
凛の言葉を思い出す。
あれは、けっこうずるい。
こっちが勝手に少しだけ楽になるような言い方をするからだ。
別に変じゃない。
好きなら好きでいい。
たぶん、そういうことなのだろう。
……まあ、それでも、近所のコンビニで堂々とやるには少し勇気がいるが。
俺は枕元へ手を伸ばし、クリアファイルをもう一度見た。
「……間に合ってよかった、か」
誰に向けるでもなくそう呟いてから、少しだけ目を閉じた。
今日はこれ以上、余計なことを考えない方がいい。
考えるほど、凛の台詞とにぼし姫の台詞が変なところで重なり始める気がした。
それは、たぶん、まだ考えなくていいことだ。
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