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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第2章 『ついでの範囲が広すぎる』

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「最強の虫除け作戦」



夏という季節は、人類に試練を与えすぎる。


暑い。

汗をかく。

外は眩しい。

近所の子どもは元気だ。

おまけに虫まで活動的になる。


冷静に考えてほしい。

人間が快適に生きるための条件が一つも揃っていない。

にもかかわらず、世間はなぜか夏をイベントの季節として持ち上げる。祭りだ、花火だ、キャンプだ。正気とは思えない。


その日の午後も、俺は二階の自室で、エアコンの恩恵と薄暗さに守られながら、静かに生きていた。


外は蝉がうるさい。

窓の向こうでは、陽射しが庭の土を白っぽく照らしている。

こういう日は、無理に外へ出るべきではない。部屋の中で文明に感謝しながら、動画でも見て過ごすのが最も合理的だ。


そのはずだった。


下の方から、子どもの大声がした。


「うわあああっ!」


健太だ、とすぐわかった。


最近あいつは、佐藤家の前だろうが庭の近くだろうが、かなりの頻度で出没する。

本人の中ではたぶん“近所のおじさんの家”くらいの軽さなのだろうが、こちらとしては生活圏への侵入頻度が高すぎる。


さらに続けて、ひなの声。


「なに!?なに!?」


ああ、来ているのか。

今日は良子とひなも実家にいるらしい。


その時点で、嫌な予感はかなり濃くなった。


直後、一階から富子の声が飛んでくる。


「太郎ー!」


はい出た。


「何」


「ちょっと見てきて!」


「何を!」


「虫!」


範囲が広い。


虫。

それだけで何をどうしろというのか。

とはいえ、下で健太とひなが同時に騒いでいる時点で、放置しても収まらないことは想像できた。


俺は椅子の上で数秒だけ考えた。

行きたくない。

非常に行きたくない。

だが、子どもの騒ぎは放置すると増幅する。虫相手の悲鳴は、そのうち近所の大人まで巻き込む危険がある。


つまり、今ここで最短経路で沈静化させるのが、結果的には一番被害が少ない。


「……最悪だ」


俺はそう呟いて立ち上がった。


階段を下りる。

玄関の方へ向かう途中で、ひなの半泣き未満の声と、健太の興奮した声が入り混じって聞こえてきた。


「でっかいって!」

「どこ!?」

「そこ!そこ!うわ動いた!」

「やだあ!」


うるさい。


玄関を開けると、庭先で二人が妙に距離を取ったまま、何かを見ていた。


健太はしゃがみ込み気味で、でも近づきたくはないらしい半端な腰の引け方をしている。

ひなは一歩後ろで良子の足にしがみついていた。

良子はというと、遠くから見守る姿勢で、こちらに気づくとすぐ言った。


「ほら、お兄ちゃん来たから」


「何で俺で解決する前提なんだよ」


「何かしてくれそうだから」


「期待値が雑すぎる」


富子も台所の窓から顔を出している。


「セミよ、たぶん!」


「たぶんで呼ぶな」


庭の隅を見る。


コンクリートと土の境目あたりで、黒っぽいものがばたついていた。

セミだ。

しかも、ひっくり返りかけてバタバタする、一番人の神経に悪い状態のやつである。


「あー……」


思わず嫌そうな声が出た。


健太がすぐ反応する。


「おじさん、いける!?」


「いけない」


「えっ」


「何で俺がセミに強い前提なんだよ」


「だって大人じゃん」


その理屈は雑だが、社会はだいたいそういう雑な期待で大人を使う。


ひなが小さな声で言った。


「おじさん、こわいの?」


「……怖くはない」


嘘ではない。

怖いというより、嫌なのだ。

あの急に飛ぶ感じとか、無駄に音が大きい感じとか、動きの読めなさとか、総合的にかなり嫌い寄りである。


だがここで“怖い”と認めると、子どもたちの信頼が妙に揺らぎそうなのもまた事実だった。


俺は少しだけ眉をしかめて周囲を見回した。


素手は論外。

近づきすぎるのも嫌だ。

となると、何か道具がいる。


「ちょっと待て」


俺は玄関へ戻り、靴箱の上と物置近くを確認した。

古いチラシ、空き箱、使っていないプラスチックの容器。

よし、これでいい。


手に持って戻ると、健太が目を輝かせる。


「おお、なんか始まりそう」


「始まるのは駆除じゃなくて退避誘導だ」


「何それ」


「知らなくていい」


ひなは良子の足にしがみついたまま聞いてくる。


「おじさん、それでどうするの」


「箱で上から押さえて、チラシで下を入れて、そのまま外へ持っていく」


「できるの?」


「できなかったらもっと面倒になる」


それは本心だった。


俺はセミへ近づいた。

距離感が難しい。

こちらが近づくと、向こうも急に元気になる可能性がある。死んだふりかもしれないし、ただ弱っているだけかもしれない。セミという生き物は、そのへんの見極めが雑だ。


「おじさん、右!右!」


「うるさい」


「動いたって!」


「見えてる」


「ひなもうやだ!」


「じゃあ少し離れろ!」


後ろがうるさすぎる。


だが、子どもというものはこういう時に黙ってくれない。

むしろ実況と応援で状況を悪化させる。そこまで含めて対処しなければならないのが、大人のつらいところだ。


俺はタイミングを見て、プラスチック容器を上からかぶせた。


セミがばたっと暴れた。


「うわっ!」


健太が一番大きい声を出した。

ひなは本気で半歩下がり、良子まで肩をすくめた。


「落ち着け!」


俺が一番落ち着いていなかった。


だが、容器の中には一応収まっている。

ここでチラシを下へ滑り込ませる。

この“滑り込ませる”が重要なのだが、地面の小さな段差で意外とうまくいかない。


「おじさん、それむずくない?」


「今さら言うな」


チラシの端が少し折れる。

セミがまた暴れる。

俺の心拍も上がる。


「……っ、よし」


何とか下へ入った。


容器とチラシで挟み込み、そのまま持ち上げる。

中でセミが少しばたつくが、外へ出せば終わりだ。


「うわ、すげー!」


健太が素直に言う。

ひなも少しだけ前へ出てきた。


「つかまえた……」


「捕獲というか、移送だな」


「いそう?」


「外に出す」


「へえ」


説明している場合ではない。

俺はそのまま庭の端まで行き、塀の向こうの木がある方へ容器を傾けた。


数秒。

動かない。


「……あれ?」


死んでいるのか。

いや、さっきまで元気だったろ。


そう思った瞬間、セミが突然ものすごい勢いで飛び立った。


「うわああああっ!」


俺が叫んだ。


健太とひなではない。

俺だ。


セミは俺の顔のすぐ横を通り抜け、ばたばたと低空で飛んだあと、なぜか一瞬だけ俺の肩に止まりかけた。


「うわっ、うわっ、待て待て待て!」


俺は半分本気で身をよじった。

健太が爆笑する。


「おじさんが一番びびってるじゃん!」


「うるさい!」


ひなまで、さっきまで怖がっていたくせに笑っている。


「おじさん、すごいのにへんなの」


「その感想やめろ!」


良子は腕を組んだまま笑いをこらえきれていない。


「最後の最後で全部台無しじゃん」


「台無しじゃない!ちゃんと外へ出しただろ!」


「そのあと一番叫んでたけどね」


富子まで窓から言う。


「でもまあ、いなくなったならいいわよ」


評価が雑すぎる。


俺はチラシと容器を持ったまま、その場で数秒荒い呼吸を整えた。

理屈ではわかっている。

セミは別に俺を攻撃したいわけではない。

ただ飛んだだけだ。

だが、そういう問題ではない。急に顔の近くを通るな。羽音を立てるな。肩に止まろうとするな。


健太はまだニヤニヤしている。


「でもおじさん、意外と強いじゃん」


またその言い方か。


「意外と、をやめろ」


「だって、もっとこう、後ろから見てるだけかと思った」


「失礼だな」


「でも何かちゃんとやったじゃん」


ひなもこくこく頷く。


「うん。おじさん、やった」


その雑な評価は、微妙に嬉しくて困る。


良子が口を挟む。


「まあ、ちゃんとやったのはえらいけど、最後の叫び声で全部持ってかれたね」


「持ってかれてない」


「持ってかれてたって。ひなより叫んでたし」


「そんなことはない」


「うそ。すごかった」


ひなまで乗るな。


俺はため息をつき、容器とチラシを玄関へ戻した。


冷静に考えれば、やったことは大したことではない。

庭先にいたセミを外へ出しただけだ。

だが、子どもたちの中では十分“大人が何とかした”扱いらしい。


それが少し妙だった。


健太は帰り際まで、まだ面白そうにこちらを見ていた。


「今度また何かいたら呼ぶね!」


「呼ぶな」


「何で」


「何ででもだ」


「でも来るじゃん」


返しに困ることを言うな。


健太は笑いながら去っていった。

元気すぎる。


ひなはその後も少しだけ庭を見ていたが、もう怯えた様子はなかった。

むしろ、さっきの騒ぎそのものがイベントみたいに楽しかったらしい。


「おじさん、さっきのどうやったの?」


「どうやったって、箱かぶせて紙入れただけだ」


「でもすぐやった」


「すぐじゃない。嫌だった」


「でもやった」


「……まあな」


ひなはそこで、小さく笑った。


「おじさん、へんなのに、ちょっとかっこよかった」


感想が複雑すぎる。


良子が横で吹き出す。


「何その評価」


「ほんとだよ」


だが、否定しきるほど悪くもなかった。


俺は玄関先でスリッパを履き直しながら、小さく息を吐いた。


虫は嫌いだ。

今日それは改めて確認できた。

ただ、嫌いだから何もしない、で終わらなかったこともまた事実だった。


富子が窓を閉める前に一言だけ言う。


「助かったわ」


それだけ。


大げさではない。

けれど、そのくらいの温度がちょうどいい。


俺は何も言わず、二階へ戻った。


部屋へ入る。

ドアを閉める。

ようやく静かになる。


椅子に座り直して、さっき止めた動画を再生しようとした。

だが、数秒でまた止めた。


「……意外と、ねえ」


健太の言い方が耳に残っていた。


失礼な評価ではある。

だが、近所の子どもから見れば、たしかに俺は“ずっと家にいる変なおじさん”くらいの認識なのだろう。

そこへ少しだけ“何かできるおじさん”が加わった。

たぶん、それだけだ。


大したことではない。


大したことではないのに、妙に引っかかる。


俺は机の上の麦茶を一口飲んだ。


ぬるい。

それでも、さっきよりは少しだけうまかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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