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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第2章 『ついでの範囲が広すぎる』

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「夏休みの姪は距離が近い」



子どもは順応が早い。


昨日まで警戒していたものにも、今日には興味を示し、明日には当然のように近づいてくる。

大人みたいに理屈で距離を測ったり、面子や空気で躊躇したりしない。

その無遠慮さは時に残酷だが、時に妙にやさしい。


そして今、俺はその“無遠慮さ”に少しずつ押されつつあった。


夏休みである。


夏休みという言葉を聞くと、世の多くの人間は海だの祭りだの宿題だの、そういう健全な単語を思い浮かべるのだろう。

だが実家暮らしの自宅警備員にとっての夏休みは、少し違う。


まず、近所がうるさい。

昼間から子どもの声がする。

道路で遊ぶ音、笑う声、自転車のブレーキ、どこかの家から漂うカレーの匂い。世界が妙に活動的になる。


そして何より、良子とひなが実家に来る頻度が上がる。


それが問題だった。


もちろん、問題という言い方は少し語弊がある。

ひなが悪いわけではない。良子はまあ、言い方によっては悪い時もあるが、今日はそこを論じたいわけではない。


ただ、夏休みの子どもは元気だ。

元気な子どもは家の中を動く。

動く子どもは、こちらの結界へ平気で近づく。


その日の昼過ぎ、俺は自室で静かにゲームをしていた。


外は明るい。

カーテンはいつものように半分閉じ。

部屋の中にはエアコンの低い音。

コントローラーを握りながら、ようやく一人の時間を確保した、という手応えがあった。


階下には、すでに良子とひなが来ている。

だが今はリビングで何かしているらしく、二階までは上がってきていない。

このわずかな平穏を俺はかなり真剣に守っていた。


だから、廊下を近づいてくる小さな足音を聞いた時、俺はコントローラーを持ったまま天井を見上げた。


「…来たな」


軽い。

ためらいがない。

これは良子ではなく、ひなだ。


案の定、足音は俺の部屋の前で止まり、数秒の間を置いてから、小さな声がした。


「おじさーん」


前より自然だな、と思った。


前は、ひなはもっと警戒していた。

ドアの前まで来ても、そこに“変なもの”がいるかもしれない、みたいな慎重さがあった。

今は違う。

少なくとも、“話しかければ返事はする相手”としては認識されているらしい。


「…何」


俺は画面を止めずに返す。


「いる?」


「声返してるだろ」


「あ、そっか」


そういう返答が子どもらしい。


数秒の間。

そして、続き。


「この前のやつ、みたい」


何の話かわからず、俺はようやくゲームを一時停止した。


「この前の?」


「ロボのゲーム」


ああ、と思い出す。

前に部屋を少しだけ見せた時、ひなが興味を持っていた古いゲームのことだろう。

よりによって、今やっているのがそのシリーズの続編だった。


しまった。

見える位置に置いていた記憶がある。

子どもは一度食いついたものを忘れない時がある。


「今日は無理だ」


「なんで?」


「今、忙しい」


「ゲームしてるのに?」


痛いところを突くな。


「ゲームしてるから忙しいんだよ」


「へー」


その“へー”は納得していないやつだ。


ドアの向こうで気配が少し動く。

たぶん、床にしゃがんだか、ドアにもたれたか。

気配が居座る方向へ変わった。


「ちょっとだけ」


「駄目」


「みるだけ」


「駄目」


「なんでー」


「何でも」


「またけっかい?」


俺は少し黙った。


「…まあ、そうだな」


「まだあるの?」


「ある」


「へー」


またそれだ。

子どもの“へー”は意味が広い。

感心、疑問、適当、全部入る。


その時、階下から良子の声が飛んできた。


「ひなー?どこー?」


「おじさんのへやー!」


やめろ。

いちいち実況するな。


「また行ってんの?邪魔しちゃ駄目だよー」


止めているようで止めていない。

良子のあの距離感は、たまに敵より厄介だ。


ひなの声がすぐ返る。


「ゲームみたい!」


「お兄ちゃん、見せてあげれば?」


階下から気軽に言うな。


俺は小さくため息をついた。


前なら、ここでもっと強く拒否していたかもしれない。

だが、今はそこまで尖れなかった。


ひなが前より普通に話しかけてくること。

俺の部屋を“怖い場所”ではなく、“変だけど面白いものがある場所”として見始めていること。

その変化を、俺自身も薄々わかってしまっているからだ。


結局、俺はコントローラーを机へ置いて立ち上がった。


「…本当に少しだけな」


「やった」


即答だった。

そして、その“やった”の温度が思った以上に高い。


俺は部屋を見回す。


床には漫画。

椅子の背にはパーカー。

ベッドの端にはタオル。

昨日の夜に飲んだペットボトル。

壊滅的ではない。だが他人に見せる前提の状態ではない。


俺は慌てて、最低限だけ片づけた。


ペットボトルを机の陰へ。

漫画を積み直す。

タオルを足元へ蹴る。


その程度で何が変わるという話だが、準備時間ゼロよりはいい。

気持ちの問題である。


ドアを開けると、ひなが廊下で待っていた。

今日は髪を二つに結んでいて、Tシャツの裾を両手で持っている。待ちきれない時の癖なのかもしれない。


「ちょっとだけだぞ」


「うん」


「騒ぐな」


「うん」


「勝手に触るな」


「うん」


返事だけは素直だ。


俺はドアを少し開けた。

前より開く角度が広いことに、自分で少し驚く。


「入るの?」


「…入るのは、まあ、少しだけなら」


言ってしまった。


ひなの顔が明るくなる。


「いいの!?」


「うるさい。静かに」


ひなは嬉しそうに頷き、小さな足で部屋へ入った。


俺はその後ろ姿を見ながら、妙な気分になる。

侵入を許している。

しかも自分の意思で。

これは間違いなく、以前の俺ならありえなかった。


ひなは部屋の中を見回して、最初に言った。


「…やっぱりちょっとくらい」


「だから落ち着く明るさだって」


「でも前よりきれい」


俺は一瞬止まった。


「そうか?」


「うん。なんか、前よりふめる」


評価基準が低いが、的確でもある。


それはたぶん、Wi-Fi事件の時に掃除した成果だろう。

あれは富子の圧でやらされた作業だったが、こうして見ると完全な無駄でもなかったらしい。


ひなの視線はすぐに画面へ向かった。


「それ?」


「ああ」


「この前のロボの?」


「シリーズの別のやつだ」


「べつなの?」


「まあ、繋がってるけど別」


説明し始めると長くなるやつだ。

俺は自分にブレーキをかけた。


だが、ひなはそんなことは気にせず、画面に近づく。


「やってみたい」


来た。


「難しいぞ」


「やってみたい」


「これは今の子向けじゃないというか、操作が古くてだな」


「やってみたい」


押しが強い。


しかも、ひなの“やってみたい”は、健太みたいな勢いではなく、純粋な興味の押し方だから断りづらい。


俺は渋々、予備のコントローラーを引っ張り出した。


「…すぐ飽きるぞ」


「やる」


「まずこれが移動で、これがジャンプ」


「うん」


「で、こっちが攻撃」


「うん」


「ただしエネルギー管理があって、近接と遠距離で消費効率が違うから――」


「わかんない」


早い。


「いや、だからそこが大事で」


「おじさん、はやい」


その時、良子がノックもせずドアを開けた。


「ほらやっぱり。絶対ガチ説明してると思った」


「してない」


「してるって。ひなの顔見なよ、半分聞いてないでしょ」


ひなはコントローラーを持ったまま、確かに半分しか聞いていない顔をしていた。


「とにかく動かせばいいんだよ」


良子があっさり言う。


「雑すぎる」


「子ども相手にはそれでいいの」


「それで詰まるだろ」


「詰まったらその時また教えればいいでしょ」


この女は何でも感覚で言う。

だが、子ども相手にはそっちが正しいのかもしれない。認めたくはないが。


ひなはとりあえずキャラを動かし始めた。


「うわ、むず」


「だから言った」


「おちた」


「ジャンプが遅い」


「おちたー」


「落ち着け」


「おじさん、てつだって」


「貸せ」


そこで俺がすぐ貸せと言ってしまうあたり、大人げないと思う。


だが、見ていてじれったいものはじれったい。

好きなゲームや好きなジャンルほど、その感情は出やすい。


俺が横から少しだけ操作すると、ひながすぐ不満そうに言う。


「じぶんでやる!」


「さっき手伝えって言っただろ」


「ちょっとだけ!」


「どっちだよ」


良子が後ろで笑っている。


「相性いいじゃん、二人とも」


「よくない」


「でも前よりだいぶ普通に喋ってるじゃん」


その指摘に、俺は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


たしかにそうだった。


ひなが俺の部屋にいて、俺が横からゲームを教えていて、良子がそれを見て笑っている。

状況だけ並べると、ずいぶん普通の家族っぽい。


もちろん、俺の中ではかなり異常事態だ。

だが、その異常さに対して前ほど肩に力が入っていないのも事実だった。


ひなはしばらく失敗と成功を繰り返しながら遊んだあと、ようやく小さく声を上げた。


「できた!」


画面の中で、ロボがぎこちなく敵を倒す。


「だから言っただろ、タイミングを――」


「おじさん、いまのはひながやった!」


「…そうだな」


俺は少しだけ口をつぐんだ。


子どもにゲームを教えるのは、自分が上手くなるより難しい。

こっちは効率を考えるが、向こうは楽しさで動く。

そのズレにいちいちつきあうのは面倒だ。面倒だが、完全に嫌でもない。


ひながまたチャレンジする。

失敗する。

今度は自分から聞いてくる。


「これ、どうやるの?」


「そこはジャンプしてから押す」


「こう?」


「違う。少し早い」


「むずい」


「だから最初に言っただろ」


「またはやい」


良子が吹き出した。


「お兄ちゃん、何でそんな体育会系のゲームコーチみたいになってんの」


「ちゃんとやった方が早いからだ」


「それ大人の理屈」


そうかもしれない。

だが、つい口が出る。


結局、ひなが飽きるまでの三十分弱、俺はゲームを教え続けた。

途中で水を飲みに行ったり、ひなが別のフィギュアに気を取られたりもしたが、最初の頃の“部屋の前で警戒し合う感じ”はもうほとんどなかった。


遊び終わる頃、ひなは少し汗ばんだ顔で言った。


「つかれた」


「だろうな」


「でも、たのしかった」


「…そうか」


その一言は、わりと普通に嬉しかった。


良子が壁にもたれたまま腕を組む。


「よかったじゃん、お兄ちゃん。ちゃんと遊べて」


「遊んでたのか、これ」


「遊んでたでしょ」


「指導だろ」


「子ども相手にその言い方やめて」


ひなはすでに次の興味へ移り始めていて、棚のロボを見上げていた。

だが、その前にくるりと振り返る。


「またつづきやろうね」


あまりにも当然みたいに言うので、俺は一瞬だけ何も返せなかった。


「…また来る気か」


「くるよ?」


「いや、そういう意味じゃなくて」


「つぎ、もっとできるようになる」


妙な前向きさだった。

やる気があるのはいいことだろう。

たぶん。


良子がにやにやしている。


「次もよろしくね、お兄ちゃん」


「俺は引き受けた覚えはない」


「でも今、完全に次回ある空気だったじゃん」


それは否定しづらい。


ひなはもう部屋の出口へ向かっていて、最後に立ち止まって言った。


「おじさんのへや、前よりへんじゃなかった」


俺は眉をひそめた。


「褒めてるのか、それ」


「うん」


「褒めてるらしいよ」


良子が面白そうに補足する。


「前よりって何だよ」


「前より、だよ」


ひなは真顔でそう言って、それから小さく笑った。


意味はよくわからないが、少なくとも悪い評価ではないらしい。


ひなが階下へ降り、良子もそのあとに続く。

ドアの前で、良子が一瞬だけ振り返った。


「ありがとね」


そう言ったあと、すぐにいつもの調子へ戻る。


「まあ、またガチ解説しすぎたら止めるけど」


「余計だ」


「知ってる」


去っていく足音。


部屋に静けさが戻る。


俺はドアを閉め、しばらくその場に立っていた。


ひなが座っていた椅子。

机の端に少しずれたコントローラー。

画面に残ったゲームのポーズ画面。


ほんの三十分くらい前まで、ここは完全に一人の空間だった。

今も見た目は同じなのに、どこか少しだけ空気が違う。


俺は椅子に座り直し、コントローラーを手に取った。


「…また、ねえ」


独り言が漏れる。


次がある前提。

それが不思議だった。


だが、不快ではなかった。


もちろん、毎回こうだと疲れるだろう。

子どもにゲームを教えるのは思った以上に消耗するし、良子のツッコミもいちいちうるさい。

それでも、前よりひなが自然に笑っていたことや、俺の部屋を“ちょっと見たい場所”ではなく“また来る場所”として扱い始めたことは、妙に心へ残った。


画面のゲームを再開する。


だが、さっきまでみたいに集中はできない。

ひなの「またつづきやろうね」が、変に反復してくるからだ。


俺は数分でゲームを一時停止した。


「…変な感じだな」


誰に聞かせるでもなく呟く。


懐かれている。

たぶん、そういうことなのだろう。


変なおじさん。

たんていおじさん。

ゲームを早口で教えるおじさん。


呼び方は微妙だが、少なくとも“怖い何か”ではなくなった。


夏の廊下を、小さな足音が遠ざかっていく気配がもうない。

階下からは良子とひなの笑う声が少しだけ聞こえる。


俺は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


夏休みは騒がしい。

予定も崩れる。

静かな時間も減る。

そのへんはやはり面倒だ。


だが、その面倒くささの中に、前より少しだけ慣れてきている自分がいるのもまた事実だった。


それが成長なのか、諦めなのか、あるいはただの順応なのかはわからない。


まあ、どれでもいいか、と俺は思った。


少なくとも、次があるらしい。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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