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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第1章 『とりあえずで回すな』

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エピローグ 「変なおじさんは、家のことなら少し強い」



家というものは、不思議な場所だ。


大きな事件はめったに起きない。

火事も、泥棒も、天井の崩落も、そうそうあるものではない。


その代わり、どうでもいい面倒は無限に起きる。


どこへ置いたかわからない充電器。

鳴るタイミングの悪いインターホン。

台所で足りなくなる調味料。

誰かが飲みかけのまま置いたコップ。

子どもが「さっきまであった」と言い張る小物。


そういう小さな面倒を、誰かがそのつど処理して、家というものは何となく回っている。


たいていは富子だ。

この家では昔からそうだった。

母さんが気づき、母さんが片づけ、母さんが回していく。父さんがいた頃も、いなくなってからも、そこはあまり変わらなかった。


だから俺は、長いこと、家の中のそういう流れを“自分とは別のもの”として見ていた気がする。


その日も、最初は普通の休日だった。


良子とひなが来ている。

富子は台所で夕飯の支度。

良子は途中から手伝うつもりらしいが、今はまだひなに付き合っている。

俺はリビングの端で、いつものように空気として存在していた。


テレビでは夕方の情報番組。

窓の外は少し赤くなりかけている。

家の中に食材の匂いが広がり始め、休日がゆっくり夜へ移っていく、まあ平和な時間帯だった。


だから、その最初の小さな面倒が起きた時も、誰も大したことだとは思っていなかった。


ピンポーン。


インターホン。


俺の肩がぴくっと揺れた。


駄目だ。

やはり何度聞いても慣れない。

チャイムというものは、それ自体がすでにこちらの平穏を一枚剥がしてくる。


富子は台所から声を上げる。


「太郎ー、ちょっと出てー!」


早い。


判断が早い。


「何で俺」


「手が離せないの!」


たしかに、富子は鍋の前だ。

良子はひなの相手をしていて、ひなは床に広げた色鉛筆だかシールだかの世界に没頭している。


つまり、今この家で最も手が空いているのは、客観的には俺だった。


それが気に入らない。


だが、否定できない。


「……確認だけだぞ」


「いいから早く!」


俺は立ち上がった。


インターホンが鳴ってから出るまでの時間としては、たぶんギリギリ普通寄りだろう。

この成長を誰も評価しないのが家族というものだ。


玄関横のモニターを見る。


映っていたのは宅配便だった。

黒田さん。

今日はいつもの淡々とした顔に加え、少し大きめの段ボールを抱えている。


問題ない。

少なくとも営業でも親戚でもない。


俺は一呼吸置いて玄関へ向かった。


ドアを開ける。


「……どうも」


「お届け物です」


黒田さんはいつも通り短い。

ありがたい。こういう仕事の人には、ほんとうに頭が上がらない。


受け取りのサインをして、段ボールを抱える。

見た目より少し重い。


送り主を見ると、父さんからだった。


「また?」


思わず小さく呟く。


「はい?」


「いや、何でもない」


危ない。

配達員相手に家族感想を漏らすな。


ドアを閉め、段ボールを抱えたままリビングへ戻る。

富子が鍋の火を見ながら声をかけた。


「誰だった?」


「宅配。父さんから」


「あら、そう」


良子も顔を上げる。


「また何か送ってきたの?」


「知らん。開けてない」


「どうせよくわかんない健康グッズじゃない?」


その可能性は高かった。

父さんは単身赴任先から、たまに妙なものを送ってくる。地方名物、健康茶、謎のサプリ、肩が楽になるとかいうクッション。悪意はない。たぶん、何か送りたいのだろう。だが、毎回ちょっとずれている。


ひなが段ボールを見上げる。


「おじいちゃん?」


「そうだな」


「なにかな」


「知らん」


その時、台所から富子が言った。


「ちょっとそれ、そのへん置いといて。あとついでに、充電器どこ行ったか見てくれない?」


「は?」


「スマホの。さっきまであったのに」


雑だな。


今、宅配対応を終えたばかりなのだが。

任務終了直後に次任務を接続するな。


「どこで使った」


「台所」


「最後に置いたのは」


「このへん」


“このへん”ほど情報量のない言葉もない。


だが、富子の“このへん”は本当にこのへんなのだろう。

俺は段ボールを壁際へ置き、台所のカウンター周辺を見る。

スマホ。メモ。買い物袋。布巾。小さな調味料の瓶。

充電器だけがない。


「良子、触ってないか」


「知らないよ」


ひなも首を振る。


「ひな、しらない」


よし。

犯人探しではない。流れを読む。


富子は料理中に一度レシピ動画か何かを見たはずだ。

そこから鍋へ戻り、布巾を持ち、たぶん一回冷蔵庫も開けている。

その動線で落ちる場所、引っかかる場所、押しやられる場所。


俺はカウンターの端に積まれた新聞をどかした。

その下に白いケーブルが半分だけ見えている。


「あった」


「早」


良子が笑う。


富子がちらっと振り返る。


「あらほんと。助かる」


「物を紙の下に埋めるなよ」


「埋めた覚えはないのよ」


だろうな。

生活というのは、埋めるつもりのないものを勝手に埋める。


ひなが感心したように言う。


「たんていおじさんだ」


「その呼び方は定着させるな」


だが、そのやり取りの直後、今度は良子が声を上げた。


「あ、ちょっと待って。ひな、色鉛筆一本どこやったの」


「え?」


「さっき赤使ってたでしょ」


「つかった」


「ないじゃん」


何なんだ今日は。


ひなは床に広げた道具の中を慌てて探し始める。

良子も一緒になって見る。

だが、赤だけがないらしい。


「ちゃんとしまっときなさいよー」


富子が台所から投げる。

それに対し、ひなが半泣きまではいかないが不満そうに返す。


「しまうまえにつかうもん!」


正論である。


俺はさっき見つけた充電器を富子に渡しながら、ついでに床の方へ目をやった。


赤の色鉛筆。

床に落ちたなら目立つ。

だがない。

ということは、紙の下か、クッションの影か、あるいは転がったか。


「ひな、最後にどこで使った」


「ここ」


「その後立った?」


「ジュースのんだ」


「またジュースか」


生活の流れはだいたい同じところで物を飲み込む。


俺はソファの下を覗き込んだ。

案の定、奥に赤いものが見える。


「ほら」


手を伸ばして取り出す。


「あった!」


ひながまた明るくなる。

良子が呆れ半分で言う。


「何なのほんとに」


「床に落ちて転がっただけだ」


「何で一発でそこ見るの」


「この家はだいたいそういう消え方するからだよ」


言いながら、自分でもちょっと笑いそうになる。

家の癖を知りすぎている、というのは客観的に見ると微妙かもしれない。


だが、役に立つなら悪くない。


色鉛筆をひなへ返すと、ひなは素直に受け取って、今度はちゃんとケースへ戻した。

さっきのヘアゴム事件が学習になっているらしい。


「えらい」


富子が言う。


「ひなが?」


「太郎が」


「そっちかよ」


「今日はよく働くじゃない」


その言い方だと普段働いていないことの確認でもある。

いや、事実だが。


俺は軽く眉をしかめつつ、壁際の段ボールへ目をやった。


「これ開けるのか」


「あとでいいわよ。今忙しいから」


「じゃあ開けない」


「でも中身だけ確認しといて。食べ物かもしれないし」


面倒だな。


俺はしゃがみ込み、段ボールを開ける。

中には地方の菓子と、健康によさそうな謎のパックジュース、それから父さんからの簡単なメモが入っていた。


『暑いので身体に気をつけて。ひなちゃんにも』


短い。

だが父さんらしい文面だ。


「何入ってた?」


良子が聞く。


「菓子と、よくわからん健康っぽいジュース」


「やっぱり」


「あとメモ」


「何て?」


「身体に気をつけて、だと」


「ふーん」


良子はそれ以上突っ込まず、ひなに菓子を見せに行った。

父さんの名前が出ると、家の中の空気は少しだけ変わる。重くなるほどではないが、わずかに別の層が差し込む感じがある。


俺はメモを箱へ戻そうとして、ふと段ボールの下に小さな紙袋があるのに気づいた。


「何だこれ」


取り出す。

中には個包装のゼリーらしきものが入っていた。たぶん子ども向けだ。


ひなが目ざとく見つける。


「なにそれ」


「ゼリーじゃないか」


「ひなの?」


「たぶん」


「やった!」


今日、何回目の“やった”だろう。

子どもの喜びは音として強い。


富子が台所から笑う。


「おじいちゃん、ひなの分ちゃんと入れてくれてたのね」


「珍しく気が利くじゃん」


「珍しくって何よ」


良子と富子がそんなやり取りをする。

俺は箱のふたを閉じながら、小さく息を吐いた。


すると今度は、ひながテーブルの上を見て首をかしげた。


「あれ?」


嫌な予感がした。


「今度は何」


「シール、いっこない」


「またかよ」


良子が笑う。


俺も思わず額を押さえた。

だが、ひなの顔が本気で曇る前に、俺はもう動いていた。


「どんなやつ」


「きらきらの、うさぎ」


「さっきどこ貼ろうとしてた」


「ここ」


「貼ってないのか」


「まよってた」


よし。

迷ってる間に指についたか、紙にくっついたか、服に張りついたか。


俺はテーブルの上の冊子を持ち上げた。

裏に張りついている。


「あったぞ」


「えっ、はや」


良子がとうとう声に出して笑った。


「何その索敵能力」


「適当な言葉使うな」


「でももう完全にそうじゃん」


ひなはシールを受け取ると、今度は俺の顔を見て、前よりずっと自然な声で言った。


「おじさん、ありがとう」


それは、前みたいな“すごい”とは少し違った。

もっと普通で、もっと当たり前みたいな言い方だった。


その方が、なぜか少しだけ効いた。


「……別に」


「またそれ言ってる」


良子が笑う。


「素直にいたしましてって言えば?」


「その言い方はおかしいだろ」


「どういたしまして、でしょ」


「わかってるよ」


わかっている。

だが、口がそういう反応を選ばないのだ。


ひなはもうシールを貼る作業に戻っていた。

富子は鍋の火を弱め、良子は手を洗って台所へ向かう。

その一連の流れが、ごく自然に続いていく。


そして俺は、その流れの中で、今日はやけに何度も呼ばれ、頼られていることに気づいた。


大げさなものではない。

インターホンに出る。

充電器を見つける。

色鉛筆を拾う。

シールを探す。


どれも、言ってしまえば小さいことだ。

それだけで人生が変わるわけでもない。

外から見れば、家の雑務を少し片づけただけの中年でしかない。


だが、その“小さいこと”が続くと、何となく家が回る。


それはたぶん、ずっと富子が一人でやってきたことの一部で。

俺は今、その端っこを少しだけ受け持っただけなのかもしれない。


夕飯が並び始める。

テーブルに皿が置かれ、箸が出され、富子が「運んで」と言えば良子が動く。

その流れの中で、俺も何となく皿を一枚運んだ。


良子がそれを見て、一瞬だけ目を丸くした。

だが何も言わない。

富子も言わない。

ただ、そのまま食卓が整っていく。


食事の前、ひなが自分の席に座って、箸を持つ前にこっちを見た。


「おじさん」


「何」


「今日、いっぱいみつけたね」


俺は少しだけ笑いそうになった。


「まあな」


「すごい」


「だから大げさだって」


「でも、たすかった」


その“たすかった”は、やっぱりまっすぐだった。


俺は数秒だけ言葉に詰まってから、ようやく小さく返した。


「……ならいい」


それだけで十分だった。


夕飯の匂いが広がる。

富子が味噌汁をよそい、良子がひなにおしぼりを渡し、テレビの音が少し下げられる。


家の夜が始まる。


その中で俺は、自分の席に着きながら、ふと思った。


何も大きくは変わっていない。

俺は相変わらず実家暮らしで、昼にはインターホンに緊張し、夜にはコンビニのレジを引きずるような男だ。


それでも――


家の中なら。

この家の中で起きる、小さな面倒ごとくらいなら。

俺にも、少しはできることがあるのかもしれない。


富子が味噌汁を置きながら言った。


「ほら、食べるわよ」


良子が箸を取り、ひなが手を合わせる。


「いただきます!」


その声に合わせて、俺も小さく言った。


「……いただきます」


大したことのない、いつもの夕飯だった。

だが、その“いつも”の中に、今日はほんの少しだけ、自分の手が入っている気がした。


それは劇的な変化ではない。

胸を張るほどのことでもない。

ただ、ゼロではなかった。


食事のあと、自室へ戻る。


ドアを閉める。

薄暗い、いつもの空気。

机。ベッド。棚。変わらない自分の城。


椅子に座り、しばらく何もせずにいた。


階下からは、食器を片づける音と、ひなの笑い声が小さく聞こえる。

その音を聞きながら、俺はゆっくり息を吐いた。


「……まあ」


独り言が漏れる。


「家の中なら、俺にもできることはある」


それは決意というほど立派なものではない。

明日になればまた、だるいだの面倒だの言いながら布団の上でだらけているだろう。

インターホンが鳴れば緊張するし、コンビニでは相変わらず余計なことを気にする。


それでも、今日のことは今日のこととして残る。


変なおじさん。

探し物係。

たんていおじさん。


どれも微妙な呼ばれ方だ。

だが、何もないよりは少しだけましだ。


俺は机の上のスマホを手に取り、画面をつけた。

通知はいくつか来ている。

掲示板も回っている。

いつもの夜が、すぐそこまで来ていた。


だが、今日はその前に少しだけ、静かなままでいたかった。


部屋の中は変わらない。

それなのに、世界がほんのわずかだけ広がった気がした。


たぶん、それくらいでいいのだと思う。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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