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最強の自宅警備員、俺  作者: きなこもち
第1章 『とりあえずで回すな』

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「なくしたものは、家が知っている」



大人は、子どもの失くし物を軽く見る。


もちろん、いつだって悪気があるわけではない。

ただ経験上、だいたいのものはそのうち出てくると知っているからだ。机の下、ソファの隙間、カバンの底、洗濯物の山。生活の中で物はよく消え、そして案外どうでもない場所から戻ってくる。


だが、子どもにとっては違う。


今まさに見つからないこと。

今まさに手元にないこと。

それだけで、世界の一部が欠けたみたいに重大になる。


そして、そういう重大さを、大人は雑に見積もりがちだ。


その日も、始まりはささやかだった。


午後。

良子とひなが実家に来ていて、富子は台所で夕方の仕込みをしていた。

俺はリビングの端で、いつものように空気になっていた。


ひなはソファの前に座り込んで、何か小さなものをいじっていた。

ピンク色の、動物のマスコットがついたヘアゴム。

髪を結ぶためのものというより、ひなにとっては半分アクセサリーみたいな扱いらしい。さっきから手に持っては眺め、また髪につけて、を繰り返していた。


良子がスマホを見ながら言う。


「ひな、なくさないでよそれ」


「なくさないもん」


「そう言う子ほどなくすの」


「なくさない」


その会話を、俺はぼんやり聞いていた。


――で、十分後にはなくなった。


「…ない」


最初は、小さな独り言みたいだった。


ひなが床の上を見て、首を傾げる。

手元を見て、シール帳の上を見て、それから周囲を少しだけ探す。


「ない」


今度ははっきり言った。


良子が顔を上げる。


「何が」


「うさぎの」


「さっき持ってたでしょ」


「もってた」


「じゃあそのへんにあるよ」


良子は完全に“すぐ出るやつ”として処理していた。

富子も台所から、


「テーブルの下じゃない?」


と気軽に言う。


だが、ひなの顔は明らかに曇っていた。


「ちがう。あったの。ここに」


ひなが自分の膝の上を指差す。

そこにはもう何もない。


「ちゃんと探したの?」


「さがした」


「じゃあクッションの下とか」


「ない」


「リビングでしょ?そんな遠くには行ってないんだから」


良子の言い分は正しい。

正しいが、正しさと安心は別だ。


ひなは立ち上がって、ソファの周りをうろうろし始めた。

シール帳の下。

ラグの上。

クッションの間。

その動きが、だんだん速くなる。


「ない…」


声が小さくなる。


その“ない”の響きで、俺は少しだけ姿勢を正した。


大したものじゃない。

ヘアゴムだ。

しかもたぶん、そのうち見つかる。


そう思う自分もいた。

だが、ひなの顔を見ると、それでは済まないこともわかった。


子どもが本気で困っている時の顔は、大人の“まあそのうち”を簡単に無力化する。


良子はソファから腰を浮かせたが、まだ本腰ではない。


「どこで外したの?」


「ここ」


「じゃああるって」


「ないもん」


「あるって。そんな家の中で一瞬で消えないよ」


消えるんだよな、と俺は思った。


家の中の物は、ときどき本当に一瞬で消える。

正確には、消えたように見えるだけで、だいたいは生活の流れのどこかに引っかかっている。

ただ、その“どこか”が見えないだけで。


ひなは今にも泣きそう、というほどではない。

だが、目に見えて焦っている。

その微妙な手前の状態が、かえって刺さる。


富子が台所から言う。


「そんな大事なら、最初からちゃんとしまっときなさい」


それは大人の正論だ。

正論だが、今それを言われてもひなは救われない。


良子も少し苛立ったように言った。


「ほら、ちゃんと最後にどこで触ったか思い出して」


「ここで…」


「“ここ”じゃわかんないでしょ」


「でもここで…」


会話が堂々巡りになりかける。


俺はコップを置いた。


「最後に見たの、いつ」


またしても、三人の視線がこちらへ向いた。


最近、こういう時に自分が口を挟むのが少し自然になってきている気がして、妙に落ち着かない。

だが、一度口を出した以上、引っ込めるのも不自然だ。


ひなが俺を見る。


「えっと…シールみてるとき」


「その前は」


「さわってた」


「どこで?」


「ここ」


ソファ前のラグ。

さっきまでひなが座っていた位置だ。


「立ったのは?」


「立った」


「どこ行った」


「ジュースのんだ」


テーブル。

そこからまた戻ってきたのか。

あるいは途中で落としたか。


良子が苦笑する。


「何、また探偵モード?」


「黙ってろ」


「はいはい、たんていおじさん」


その呼び名が定着しつつあるのが嫌だった。


俺は立ち上がる。


「ひな、ちょっとそのへん歩いたルート教えろ」


「るーと?」


「どこからどこ行ったか」


「えっと…ここでシールみて、ジュースとって、それで…」


ひなは実際に歩いてみせた。

ラグ中央。

テーブル横。

ソファ前。

そしてまた戻る。


動線は短い。

なら、物理的にそんな遠くへは行かない。

問題は“生活の流れ”だ。小さくて軽いものは、布に引っかかる。紙に紛れる。座る、立つ、持つ、置く、その一つで見えなくなる。


俺はまずラグを目で追った。

ピンクなら見つけやすいはずだが、模様に紛れていない。

ソファの下を覗く。ない。

クッションの間。ない。

シール帳の間。ない。


「ないね…」


ひなの声がますます小さくなる。


良子はまだ“まあ出るでしょ”の顔だったが、ひなの落ち込み方を見て少しだけ本気になり始めていた。


「もう一回ちゃんと探そう。あるから」


そう言いながらも、探し方は雑だ。

クッションをどかし、新聞をめくり、ソファの上をぽんぽん叩く。

それでは出ない。


俺はテーブルの端に置かれたティッシュ箱をどかした。

その下にはない。

だが、テーブルクロスの端が少し垂れている。ひながジュースを取る時に手を引っかけたかもしれない。


俺はその布を持ち上げた。

何もない。


次に、ひなが座っていたソファ前の床。

そこには薄い座布団が一枚。

いや、待て。今日はひなが途中でそこへ座り直していた気がする。


「ひな、それ持ったまま座った?」


「たぶん」


「どこに」


「ここ」


やはり座布団。


俺は屈んで、それを持ち上げようとした。

だが、その前に少しだけ違和感があった。


座布団の端が、不自然に盛り上がっている。

中の綿ではなく、もっと小さい何かが押し上げている感じ。


俺は端からめくった。


あった。


ピンク色の、うさぎのマスコットつきヘアゴム。

座布団の陰に半分だけ隠れて、こちらを見ていた。


「…ほら」


俺がそれをつまみ上げると、ひなが一瞬止まった。


次の瞬間、顔がぱっと明るくなる。


「あった!」


その声は、さっきまでの“ない”とはまるで違った。

部屋の空気まで明るくなるくらい、わかりやすい“あった”だった。


ひなは駆け寄ってきて、俺の手の中のゴムを見つめる。


「ほんとだ…!」


良子もソファから身を乗り出した。


「え、そこ?」


「座布団の影」


「何でそんなとこに」


「座った時に落ちて、端に引っかかったんだろ」


俺は平然と言ったが、内心ではちょっとだけ気分が良かった。


家の中の物の消え方には癖がある。

布は隠す。

隙間は飲む。

そして人は、自分の動線の延長にあるものほど逆に見落とす。


ひながヘアゴムを受け取る。

その顔は、数分前とは別人みたいに明るかった。


「おじさん、すごい…」


また、それを言う。


今度はリモコンよりも、少し重かった。

なぜなら、相手の困り方がさっきよりずっと本気だったからだ。


「まあ、家の中のことだからな」


前にも似たような返しをした気がする。

それでも、それしか出てこない。


良子が呆れたように笑う。


「ほんと、そういうのだけは無駄に有能だよね」


「“だけ”をつけるな」


「でも事実でしょ」


富子も台所から顔を出した。


「あったの?」


「あった」


「よかったわねえ、ひな」


ひなはうなずいて、ヘアゴムを胸の前で握りしめた。

さっきまで半泣き一歩手前だった顔が、もう完全に元に戻っている。

子どもの感情の切り替わりは早い。だが、その“速さ”に救われることもある。


良子が立ち上がって、ひなの頭を軽く撫でた。


「ほら、だから家の中にはあるって言ったでしょ」


「でもなかった」


「いや、あったじゃん」


「おじさんがみつけた」


その一言で、良子が少しだけ黙る。


俺はそれを見て、変に言い返したくなかった。


良子は別に、ひなをないがしろにしていたわけじゃない。

ただ、“そのうち出る”と思っていただけだ。

大人はそういうふうに雑に扱ってしまうことがある。


俺だって、相手が他人の子だったら同じだったかもしれない。

だが、ひなの顔を見ていると、どうもそういう雑さを出しづらい。


ひなが、ヘアゴムを自分の膝の上へ置いてから、俺を見上げた。


「おじさんって、いえのことなんでもわかるんだね」


その言葉に、俺は少しだけ息を詰めた。


なんでも、は言いすぎだ。

わからないことも多い。

富子の機嫌だって外す時はあるし、父さんが帰ってきた時の空気の扱いはいまだに苦手だ。

だが、この家の中で人がどう動いて、物がどう流れていくかなら、たしかに多少はわかる。


それは何年もここにいたからだ。

誇れる理由かどうかは微妙だ。

けれど、少なくとも今この瞬間だけは、ひなの困りごとを一つ解決できた。


「…まあ、少しはな」


俺がそう言うと、ひなは何だか納得したようにうなずいた。


「たんていおじさんだ」


「それはやめろ」


「なんで?」


「何となく恥ずかしい」


ひなは笑った。

良子もつられて笑う。


「いいじゃん、ぴったり」


「よくない」


「でも助かったのは事実だし」


そこだけ素直に言われると、逆に反応に困る。


富子が台所へ戻りながら、何気ない声で言った。


「じゃあ今度からまた探し物あったら太郎ね」


「また雑に役職つけるな」


「適材適所よ」


最近、家の中での役割分担が勝手に増えている気がする。

それはそれでどうなんだと思う反面、何もないよりは少しだけましにも聞こえるから厄介だ。


ひなはさっそくヘアゴムを自分の手首につけ直し、今度は慎重に見つめていた。


「もうなくさない」


その言い方に、良子がすぐ返す。


「さっきも聞いた」


「今度はほんと」


「それもさっき聞いた」


ひなはむっとした顔をする。

そのやり取りが、さっきまでの焦りが嘘みたいに普通で、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


部屋の中には、夕方に向かう静かな空気が戻ってくる。

エアコンの音。

食器の触れる音。

窓の外を通る車。


俺はリビングの端へ戻り、また自分の定位置に座った。


何も大きなことは起きていない。

ヘアゴムがなくなって、見つかった。

それだけだ。


だが、ひなの「おじさんって、いえのことなんでもわかるんだね」は、しばらく耳に残っていた。


なんでも、ではない。

それでも、“家のことなら”という条件つきなら、少しは胸を張ってもいいのかもしれない。


いや、胸を張るほどのことでもないか。

ただ、そう言ってもらえたのは、思った以上に悪くなかった。


俺は小さく息を吐いた。


外では役に立たないことが多い。

家の外へ出れば、会話一つでもたつき、チャイム一つで硬直し、コンビニのレジでエナドリを覚えられたくらいで動揺する。


だが、家の中なら。


家の中で起きる、小さな混乱くらいなら。


まだ、俺にもどうにかできることがあるのかもしれない。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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