第8話 義妹が嫉妬しているようです
ルシアちゃんから髪飾りをもらった翌日。
私は朝から、少しだけ浮かれていた。
鏡の前で栗色の髪を整え、昨日いただいた銀細工の髪飾りをつける。小さな花の中央に埋め込まれた淡い青色の宝石が、朝の光を受けてきらきらと輝いた。
派手すぎず、それでいて上品なデザインは、どんな服にもよく似合う。
何より、ルシアちゃんが私のために選んでくれたということが嬉しかった。
(ふふっ、今日もつけているところを見せたら、喜んでくれるかしら?)
そんなことを考えながら、私は身支度を終えた。
最近のルシアちゃんは、以前よりもずっと甘えん坊になっている。
私の肩に寄りかかって眠ってくれた日から、少しずつ自分の気持ちを伝えてくれるようになったし、昨日は初めて贈り物までしてくれた。
最初に出会った頃の無口な姿を思い返すと、その変化が本当に嬉しい。
今日も一緒にお茶を飲めたらいいな。
そう思いながら朝食を済ませ、私は庭園へ向かった。
❀ ❀ ❀
庭園には、穏やかな陽射しが降り注いでいた。
花壇には色とりどりの花が咲き、噴水の水音が心地よく響いている。
私はゆっくりと小道を歩きながら、ルシアちゃんの姿を探した。
けれど、いつものベンチには誰もいない。
少し残念に思いながら歩いていると、訓練場へ続く道の近くで、ひとりの騎士と出会った。
短い茶色の髪に灰色の瞳を持つ、背の高い青年だ。年齢は25歳くらいだろうか。
騎士は私に気づくと、すぐに姿勢を正して頭を下げた。
「おはようございます、奥様。公爵家騎士団所属のアラン・フォードと申します」
「まあ、おはようございます。アランさんですね。私はエミリアです。よろしくお願いします」
私が笑顔で挨拶すると、アランさんは少し驚いたような顔をしたあと、穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。奥様には、まだきちんとご挨拶できておりませんでしたので」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。そういえば、先日は訓練場でお騒がせしてしまいましたね」
私は数日前の出来事を思い出した。
訓練場で大きな木製の標的が倒れかかり、ルシアちゃんに助けてもらったのだ。
幸い怪我はなかったけれど、騎士の皆さんには心配をかけてしまった。
「あのときは、ご迷惑をおかけしました。私も、もう少し周囲に気をつけるべきでしたね」
「とんでもございません。あれは我々の管理不足でございます。奥様がお怪我をされなくて、本当によかったです」
「ありがとうございます。でも、誰も怪我をしなかったのですから、あまり気にしないでくださいね」
そう伝えると、アランさんは安心したように表情を和らげた。
それから、私が庭園の花を眺めていたことに気づいたのか、近くの花壇へ視線を向ける。
「奥様は、お花がお好きなのですか?」
「ええ、とても好きです。実家でもよく庭のお手入れをしていたんですよ」
「それでしたら、あちらの花壇もおすすめです。今朝、庭師が新しい苗を植えておりましたので」
アランさんが指さした先には、淡い紫色の小さな花が咲いていた。
私は思わず目を輝かせる。
「まあ、綺麗! あのお花は何という名前なのですか?」
「ラベンダーの一種だそうです。詳しい品種までは存じませんが、香りがよく、乾燥させても楽しめると聞いております」
「そうなのですね! 私、以前から香り袋を作ってみたいと思っていたんです。あのお花なら、きっと素敵なものができそうですね」
私がそう答えると、アランさんも楽しそうに頷いた。
どうやら、彼も庭園の花には詳しいらしい。
騎士さんというと剣術や訓練の話ばかりするものだと思っていたけれど、こうして花の話ができる方もいるのね。
そんなことを考えていると、背後から聞き慣れた声がした。
「……何をしている?」
振り返ると、そこにはルシアちゃんが立っていた。
銀色の髪に青い瞳。今日も可愛らしい姿だけれど、なぜか少しだけ表情が険しい。
「あら、ルシアちゃん! おはよう!」
私が笑顔で声をかけると、ルシアちゃんは小さく頷いた。
けれど、その視線はすぐにアランさんへ向けられる。
すると、アランさんがぴたりと動きを止めた。
「ル、リュシ……」
何かを言いかけたアランさんは、ルシアちゃんと目が合った瞬間、慌てて口を閉じた。
どうしたのかしら。
少し不思議に思ったけれど、私は気にせず2人を紹介することにした。
「ルシアちゃん、こちらはアランさん。公爵家の騎士さんなんですって。庭園のお花について教えてくださっていたのよ」
「……そうか」
ルシアちゃんは短く答え、アランさんをじっと見つめた。
アランさんはなぜか背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
「し、失礼いたしました。私はそろそろ訓練へ戻りますので、これにて」
「あら、もう行かれるのですか? お話しできて楽しかったです。ありがとうございました」
「い、いえ! こちらこそ、ありがとうございました!」
アランさんはもう一度頭を下げると、足早に訓練場へ向かっていった。
私はその背中を見送りながら、小さく首を傾げた。
なんだか急に慌ただしくなってしまったけれど、お仕事の時間だったのかもしれない。
それよりも、今はルシアちゃんだ。
私は隣に立つ可愛い義妹へ、改めて笑顔を向けた。
「ルシアちゃん、今日はお稽古なの?」
「……いや」
「そうなのね。それなら、一緒にお散歩しない? 今日はお天気もいいし、ちょうどあなたを探していたところなのよ」
そう誘うと、ルシアちゃんは少しだけ私を見上げた。
けれど、いつものようにすぐ頷いてくれることはなかった。
「……あいつとは、よく話すのか?」
「えっ? アランさんのこと?」
「……ああ」
私は少し考えてから、首を横に振った。
「今日初めてちゃんとお話ししたのよ。とっても親切な方だったわ。お花にも詳しくて、いろいろ教えてくださったの」
「……そうか」
ルシアちゃんは短く答えた。
けれど、なぜか先ほどよりも眉間にしわが寄っている。
もしかして、アランさんとはあまり仲がよくないのかしら。
私は少し心配になった。
❀ ❀ ❀
私たちは庭園の小道を並んで歩き始めた。
いつもなら、ルシアちゃんは私の話に小さく相槌を打ってくれる。けれど、今日はどこか上の空で、時折難しい顔をしている。
私は気になって、そっと顔を覗き込んだ。
「ルシアちゃん、どうしたの? 今日は少し元気がないみたい」
「……別に」
「もしかして、アランさんが苦手だった?」
「……違う」
即座に否定された。
それなら、どうしてこんなに不機嫌そうなのだろう。
私が首を傾げていると、ルシアちゃんがぽつりと尋ねた。
「……ああいう男が、好きなのか?」
「えっ? アランさんみたいな方?」
思いがけない質問だった。
けれど、私は素直に考えてみる。
アランさんは礼儀正しく、親切で、花の話にも詳しい。とても感じのよい方だった。
そういう優しい人は、もちろん好きだ。
「ええ。優しい方は好きよ。アランさんも、とっても親切だったもの」
そう答えた瞬間、ルシアちゃんの眉がぴくりと動いた。
「……そうか」
「あら、どうしたの? ますます怖い顔になっているわよ?」
私がそう尋ねると、ルシアちゃんはぷいっと顔を背けてしまった。
その仕草があまりにもわかりやすくて、私は思わず瞬きをする。
もしかして。
もしかすると、これは……。
(……あっ! そういうことなのね!)
私はようやく思い至った。
ルシアちゃんは、私がアランさんと楽しそうに話していたことが気になっているのだ。
最近は私と一緒に過ごすことが増えたし、昨日も贈り物を交換したばかり。
そんな私が別の人と親しそうにしていたら、少し寂しくなってしまったのかもしれない。
なんて可愛らしいのだろう。
私は思わず頬が緩むのを感じた。
「ルシアちゃん、ちょっとこっちに来てくれる?」
私はそっと手を取り、近くのベンチへ誘った。
ルシアちゃんは不思議そうな顔をしながらも、おとなしく隣に座ってくれる。
私はその顔を覗き込み、優しく微笑んだ。
「ねえ、ルシアちゃん。もしかして、寂しかった?」
「……は?」
「私がアランさんとお話ししていたから、置いていかれたような気持ちになったのかしら?」
ルシアちゃんは目を見開いた。
それから何か言おうとして口を開いたけれど、結局何も言わずに閉じてしまう。
その反応を見て、私はますます確信した。
やっぱり、寂しかったのね。
「ふふっ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。私はルシアちゃんのことが大好きなんだから」
そう伝えると、ルシアちゃんの顔が一気に赤くなった。
「……っ。そういうことを、簡単に言うな」
「あら、どうして? 本当のことだもの」
「……お前は、本当に……」
ルシアちゃんは何か言いかけたあと、片手で顔を覆ってしまった。
耳まで赤くなっている。
私はその姿が可愛らしくて、思わず笑ってしまいそうになった。
けれど、本人は真剣なのだろうから、からかうのはよくない。
私は笑みをこらえながら、そっとルシアちゃんの手を握った。
「ねえ、ルシアちゃん。私は誰かとお話ししたからって、あなたのことを忘れたりしないわ。これからも一緒にお茶を飲んだり、お出かけしたりしましょうね」
「……本当か?」
「もちろんよ。約束するわ」
ルシアちゃんはしばらく私を見つめた。
そして、小さく何かを呟く。
「……俺だけに言っていればいい」
「えっ? 何か言った?」
「……何でもない」
そう答えると、ルシアちゃんは再び顔を背けてしまった。
けれど、先ほどまでの険しい表情は少し和らいでいる。
どうやら、少しは安心してくれたらしい。
❀ ❀ ❀
しばらくベンチで休んだあと、私はルシアちゃんをお茶に誘った。
今日は厨房で新しい焼き菓子を作ってもらっていると聞いていたので、ぜひ一緒に食べたいと思っていたのだ。
けれど、ルシアちゃんは小さく首を横に振った。
「……今日は、もう少し歩きたい」
「あら、そうなの? それなら、もう少しお散歩しましょうか」
私が立ち上がると、ルシアちゃんも隣に並んだ。
そして、少しだけ迷うような仕草を見せたあと、こちらへ手を差し出してくる。
「……手」
「えっ?」
「……つないでもいいか?」
その言葉に、私は思わず笑顔になった。
以前、街へ出かけたときは私のほうから手をつないだけれど、今日はルシアちゃんが自分から求めてくれたのだ。
こんなふうに甘えてくれるなんて、本当に嬉しい。
「もちろんよ! ふふっ、今日はずいぶん甘えん坊さんね」
私が手を握ると、ルシアちゃんは少しだけ頬を赤くした。
けれど、今度は手を離そうとはしない。
むしろ、きゅっと握り返してくれた。
私たちはそのまま、庭園の小道をゆっくりと歩き始めた。
花壇を眺めたり、噴水のそばを通ったりしながら、他愛のない話をする。
しばらくすると、ルシアちゃんが私の髪へ視線を向けた。
「……今日も、つけているのか」
「えっ? ああ、この髪飾り?」
私は銀色の花にそっと触れ、嬉しくなって微笑んだ。
「もちろんよ。ルシアちゃんからもらった大切なものだもの。とっても気に入っているから、できるだけ毎日つけたいと思っているの」
「……そうか」
「ふふっ、似合っているかしら?」
「……ああ。よく似合っている」
ルシアちゃんは小さく頷いた。
その表情は、先ほどまでとは打って変わって穏やかだった。
どうやら、ようやく機嫌が直ったらしい。
私はほっと胸を撫で下ろした。
それにしても、ルシアちゃんは本当に可愛い。
普段はあんなに落ち着いているのに、寂しくなると少し不機嫌になってしまうなんて。
でも、そういうところも含めて、私はこの子が大好きなのだ。
私はつないだ手を優しく握り返し、隣を歩くルシアちゃんへ微笑みかけた。
❀ ❀ ❀
夕方が近づき、庭園が柔らかな橙色に染まり始めた頃。
私たちは屋敷へ戻ることにした。
けれど、ルシアちゃんはまだ私の手を握ったままで、なかなか離そうとしない。
私はその様子が微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ルシアちゃん。今日はずいぶん一緒にいたわね」
「……ああ」
「楽しかった?」
「……楽しかった」
その返事を聞いて、私は嬉しくなった。
すると、ルシアちゃんが少しだけ私を見上げる。
「……明日も、俺と過ごすか?」
「もちろん! ルシアちゃんがよければ、明日も一緒にお茶をしましょう」
「……約束だ」
「ええ、約束よ」
私が笑顔で頷くと、ルシアちゃんは満足そうに目を細めた。
そして、ようやく私の手を離してくれる。
けれど、屋敷へ向かって歩き始めると、すぐにまた隣へ寄ってきた。
私はその姿に、思わず頬を緩めてしまう。
最初に出会った頃は、こんなふうに甘えてくれる日が来るなんて思ってもいなかった。
けれど、今では自分から手をつなぎ、明日の約束までしてくれる。
その変化が、何よりも嬉しい。
どうやら私の可愛い義妹は、思っていたよりも少しだけ甘えん坊で、少しだけ独占欲が強いようです。




