第5話 義妹は意外と強いようです
昨日の街へのお出かけは、本当に楽しかった。
美味しい苺のタルトを食べたり、綺麗な刺繍糸を選んだり、ルシアちゃんと手をつないで市場を歩いたり。思い返すだけで、自然と頬が緩んでしまう。
何より嬉しかったのは、ルシアちゃんが自分から「また行きたい」と言ってくれたことだ。
最初に出会ったときは、何を考えているのかわからないほど無口だったのに、最近は少しずつ自分の気持ちを伝えてくれるようになった。
そんな変化が、私にはたまらなく嬉しい。
今朝も私は、昨日買ってきた刺繍糸を机の上に並べながら、ルシアちゃんのことを考えていた。
(この水色の糸、やっぱりルシアちゃんに似合いそうね)
淡い水色の糸を手に取り、窓から差し込む陽射しにかざしてみる。
銀色の髪に青い瞳を持つルシアちゃんには、きっとこういう優しい色が似合うはずだ。
そういえば、昨日手をつないだとき、ルシアちゃんの指先が少し硬かったことを思い出した。
あんなに華奢で可愛らしいのに、意外としっかりした手をしていたのよね。
もしかすると、剣術のお稽古でもしているのかもしれない。
公爵家のお嬢様なら、護身のために剣を習っていても不思議ではないだろう。
(今度、聞いてみようかしら。それに、何かお礼もしたいわね)
昨日は街でいろいろと気遣ってもらったし、帰りの馬車でも優しく手を握ってくれた。
そんなルシアちゃんに、何か贈り物をしたい。
私はしばらく考えたあと、小さなハンカチに刺繍を入れることにした。
淡い水色の花をひとつ、隅にあしらうだけでも可愛らしくなるはずだ。
完成したら、きっと喜んでくれるだろう。
そんなことを考えながら糸を片づけ、私は午前中の散歩へ出かけることにした。
❀ ❀ ❀
庭園を歩いていると、どこからか乾いた音が聞こえてきた。
カンッ、カンッ、と何か硬いものを打ち合わせるような音だ。
最初は何の音かわからなかったけれど、少し歩いたところで、昨日ルシアちゃんを見かけた訓練場が近いことに気づいた。
(そういえば、昨日も騎士さんたちが集まっていたわね)
少し興味が湧き、私は邪魔にならないように訓練場の端へ向かった。
そこでは、何人もの騎士たちが木剣を手に稽古をしていた。
大きな掛け声とともに剣を振るう姿は迫力があり、思わず見入ってしまう。
すると、その中に見覚えのある銀色の髪を見つけた。
「あら……ルシアちゃん?」
間違いない。
騎士たちの前に立っていたのは、ルシアちゃんだった。
今日は動きやすそうな黒い上着とズボンを身につけていて、いつもの水色のリボンはつけていない。
その手には、騎士たちと同じ木剣が握られていた。
(まあ、やっぱり剣のお稽古をしていたのね!)
昨日感じた指先の硬さにも、これで納得がいった。
けれど、驚いたのはそのあとだった。
ルシアちゃんの向かいには、彼女よりもずっと背の高い騎士が立っていたのだ。
がっしりとした体格の男性で、腕も太く、見るからに力が強そうだった。
私は思わず心配になってしまう。
いくら稽古とはいえ、あんなに大きな騎士さんを相手にして大丈夫なのかしら。
そんなことを考えていると、ルシアちゃんがこちらに気づいた。
青い瞳が私を捉え、ほんの少しだけ表情が和らぐ。
「ルシアちゃん、おはよう! 今日は剣のお稽古なのね!」
声をかけると、周囲の騎士たちが一斉にこちらを振り返った。
なぜか全員が驚いた顔をしている。
けれど、ルシアちゃんはいつも通りの落ち着いた声で答えてくれた。
「……ああ。少しな」
「ふふっ、頑張ってね! 邪魔にならないところで見ていてもいいかしら?」
「……構わない」
許可をもらった私は、訓練場の端にある見学用の椅子へ腰を下ろした。
騎士たちは何か言いたそうにしていたけれど、ルシアちゃんが視線を向けると、すぐに姿勢を正した。
きっと、みんな真面目に稽古へ取り組んでいるのね。
❀ ❀ ❀
やがて、ルシアちゃんと騎士さんが向かい合った。
騎士さんは木剣を両手で構え、慎重に間合いを取っている。
一方のルシアちゃんは、片手で木剣を持ったまま、自然体で立っていた。
その姿はあまりにも無防備に見えて、私は少しだけ不安になる。
(大丈夫かしら。怪我をしなければいいけれど……)
けれど、そんな心配はまったく必要なかった。
騎士さんが踏み込み、木剣を振り下ろした瞬間。
ルシアちゃんの身体が、ふわりと横へ動いた。
大きな剣が空を切り、騎士さんの姿勢がわずかに崩れる。
その隙を逃さず、ルシアちゃんは木剣を軽く振った。
カンッ、と乾いた音が響く。
次の瞬間、騎士さんの手から木剣が弾き飛ばされ、地面へ転がった。
「……えっ?」
私は思わず目を瞬かせた。
何が起きたのか、ほとんどわからなかったのだ。
あんなに大きな騎士さんが、たった一瞬で負けてしまった。
ルシアちゃんは何事もなかったように木剣を下ろし、静かに息を吐いている。
その姿を見て、私は思わず立ち上がった。
「すごいわ、ルシアちゃん! とっても上手なのね!」
ぱちぱちと拍手すると、騎士たちが一斉にこちらを見た。
なぜか、先ほどよりも驚いた顔をしている。
けれど、ルシアちゃんは少しだけ視線を逸らし、照れくさそうに答えた。
「……大したことではない」
「そんなことないわ! あんなに大きな騎士さんを、あっという間に倒してしまうなんて。びっくりしちゃった!」
私が興奮気味に伝えると、ルシアちゃんは小さく肩をすくめた。
けれど、その口元にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいる。
どうやら、褒められて悪い気はしていないらしい。
私は嬉しくなり、もう一度拍手した。
それにしても、ルシアちゃんがこんなに剣術に長けているなんて。
可愛らしい見た目からは想像もできないほど、動きが速くて綺麗だった。
公爵家のお嬢様というのは、こんなに立派な剣術を身につけているものなのかしら。
そんなことを考えていると、訓練場の奥で別の騎士たちが道具を片づけ始めた。
どうやら、稽古の一部が終わったらしい。
私は邪魔にならないよう、椅子から立ち上がった。
そのときだった。
「危ない!」
突然、誰かの叫び声が響いた。
驚いて振り返ると、訓練場の端に立てかけられていた大きな木製の標的が、こちらへ倒れかかってきていた。
固定していた金具が外れたのか、重そうな木の板が傾き、私のほうへ迫ってくる。
避けなければ。
そう思ったけれど、身体がすぐには動かなかった。
次の瞬間、強い力で腕を引かれた。
「……っ!」
視界がぐるりと動き、私は誰かの背後へ引き寄せられる。
目の前にあったのは、見覚えのある銀色の髪だった。
ルシアちゃんだ。
彼女は私を背後に庇うと、片手に持っていた木剣を鋭く振り抜いた。
ガンッ、と大きな音が響く。
倒れかかっていた標的が横へ弾かれ、地面に転がった。
あまりにも一瞬の出来事で、私は何が起きたのか理解するまで少し時間がかかった。
けれど、すぐに気づく。
ルシアちゃんが、私を守ってくれたのだ。
「……怪我は?」
振り返ったルシアちゃんの表情は、いつになく険しかった。
青い瞳が私の顔から腕、足元へと素早く動く。
「だ、大丈夫よ。びっくりしたけれど、どこも痛くないわ」
「……本当に?」
「ええ。ルシアちゃんのおかげね。ありがとう!」
私が笑顔で答えると、ルシアちゃんはようやく小さく息を吐いた。
そのあと、倒れた標的を片づけようとしている騎士たちへ視線を向ける。
騎士たちは一斉に背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
どうやら、道具の管理が不十分だったことを反省しているらしい。
私は少し申し訳なくなった。
見学していた私も、もう少し周囲に気を配るべきだったのだ。
ルシアちゃんは騎士たちに何か短く告げたあと、再び私のほうへ向き直った。
「……ここは危ない。戻るぞ」
「ええ。そうね。ごめんなさい、ルシアちゃん。心配をかけてしまったわ」
そう答えると、ルシアちゃんは何も言わずに歩き始めた。
私はその隣に並び、庭園へ向かった。
❀ ❀ ❀
訓練場を離れたあと、私たちは噴水の近くにあるベンチへ腰を下ろした。
ルシアちゃんは、まだ少し不機嫌そうな顔をしている。
いつもは無口でも穏やかなのに、今日はどこか落ち着かない様子だった。
私は少し心配になり、そっと声をかけた。
「ルシアちゃん、まだ怒っているの?」
「……怒っていない」
「そう? でも、少し怖い顔をしているわよ」
「……危ない場所に近づくな。何かあってからでは遅い」
その言葉を聞いて、私はようやく気づいた。
ルシアちゃんは、私が危険な目に遭ったことを心配してくれているのだ。
自分のことではなく、私のためにこんな顔をしてくれるなんて。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「ごめんなさい。これからは気をつけるわ。でも、守ってくれて嬉しかった。本当にありがとう、ルシアちゃん」
「……別に。あの程度なら、どうということはない」
「ふふっ、そうかもしれないけれど、私にとってはとっても頼もしかったわ」
私がそう伝えると、ルシアちゃんは少しだけ視線を逸らした。
その耳が、ほんの少し赤くなっているように見える。
私は思わず微笑んだ。
こんなに強いのに、褒められると照れてしまうところは、やっぱり可愛い。
「それにしても、ルシアちゃんがあんなに剣術が上手だなんて知らなかったわ。小さな身体なのに、あんなに強いなんて驚いちゃった」
「……小さいは余計だ」
「あら、ごめんなさい。でも、本当にすごかったのよ。騎士さんが剣を振ったと思ったら、次の瞬間には勝負が終わっていたんだもの」
ルシアちゃんは少しだけ眉を寄せたあと、小さく息を吐いた。
「……お前は、本当に変わっているな」
「えっ? どうして?」
「……あれを見て、怖いとは思わないのか?」
思いがけない質問だった。
私は少し考えてから、首を傾げる。
「怖い? ルシアちゃんのことが?」
「……ああ」
「そんなこと思わないわよ。だって、ルシアちゃんはルシアちゃんでしょう?」
私がそう答えると、ルシアちゃんは目を見開いた。
どうしてそんなに驚くのかしら。
私は少し不思議に思いながらも、言葉を続けた。
「もちろん、強くてびっくりしたわ。でも、それ以上に、私を守ってくれたことが嬉しかったの。ルシアちゃんが優しい子だってことは、もう知っているもの」
「……優しい、か」
「ええ。昨日だって、私が疲れていることに気づいて休ませてくれたでしょう? 今日もすぐに助けてくれたし、本当に頼もしいわ」
ルシアちゃんはしばらく黙り込んだ。
その表情は少し複雑そうだったけれど、やがて小さく息を吐き、私のほうを向いた。
「……何かあったら、俺を呼べ」
「えっ?」
「……お前が困っているなら、助ける」
その言葉に、私は思わず笑顔になった。
こんなに頼もしいことを言ってくれるなんて、嬉しくて仕方がない。
けれど、私は同時に、ひとつ伝えておきたいことがあった。
「ふふっ、ありがとう。でも、私だってルシアちゃんを守りたいのよ?」
「……俺を?」
ルシアちゃんは、また驚いたように私を見つめた。
私はその手をそっと握り、優しく微笑む。
「ええ。だって、大切な家族だもの。ルシアちゃんが困っていたり、悲しい思いをしていたりしたら、私だって力になりたいわ」
ルシアちゃんは何も言わなかった。
ただ、私の手をじっと見つめている。
それから、ゆっくりと指を動かし、私の手を握り返してくれた。
「……そうか」
小さな声だったけれど、どこか嬉しそうに聞こえた。
私はその手を優しく握り返し、しばらく一緒に庭園を眺めていた。
守ってあげたいと思っていた義妹に、まさか私のほうが守られるなんて。
どうやらルシアちゃんには、まだまだ知らない一面があるようです。




