第4話 義妹と街へお出かけ
アルヴェルト公爵邸での生活が始まって、数日が経った。
最初は何もかもが初めてで戸惑うことも多かったけれど、最近は少しずつ屋敷での暮らしにも慣れてきた。使用人の皆さんも親切にしてくださるし、何より、可愛い義妹のルシアちゃんと毎日のように顔を合わせられるのが嬉しい。
昨日は髪を整えてあげたあと、淡い水色のリボンをプレゼントした。ルシアちゃんは少し恥ずかしそうにしていたけれど、最後には「大事にする」と言ってくれたのだ。
あのときの表情を思い出すと、今でも頬が緩んでしまう。
そんなある朝、私はセドリックさんに相談したいことがあって、執務室を訪ねていた。
「セドリックさん、少しお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんでございます、奥様。どのようなご用件でしょう?」
「実は、近くの街へお買い物に行きたいと思っているんです。お菓子作りに使う材料や、刺繍用の糸を自分で選びたくて」
そう伝えると、セドリックさんは少し考えるような表情を浮かべた。
「承知いたしました。それでは馬車と護衛を手配いたしましょう。必要であれば、商店の者を屋敷へ呼ぶこともできますが」
「ありがとうございます。でも、せっかくなので街を歩いてみたいんです。どんなお店があるのかも知りたいですし、あまり大げさなお出かけにはしたくなくて」
「かしこまりました。ただ、奥様の安全のため、護衛だけはおつけさせてください」
「もちろんです。ご心配をおかけするわけにはいきませんものね」
話がまとまり、私は嬉しくなって微笑んだ。
すると、ちょうどそのとき、廊下のほうから小さな足音が聞こえてきた。
扉の向こうに現れたのは、見覚えのある銀色の髪。
ルシアちゃんだった。
「あら、ルシアちゃん! おはよう!」
声をかけると、ルシアちゃんは少し驚いたようにこちらを見た。
今日は淡い灰色の上着を着ていて、相変わらずお人形のように可愛らしい。耳の上には、昨日プレゼントした水色のリボンがついている。
それを見つけた瞬間、私は思わず嬉しくなってしまった。
「まあ! 今日もリボンをつけてくれているのね。とっても似合っているわ!」
「……ああ。気に入ったからな」
「ふふっ、嬉しい! そうだ、ルシアちゃん。今から街へお買い物に行こうと思っているのだけれど、一緒に行かない?」
突然の誘いに、ルシアちゃんは小さく首を傾げた。
「……街へ?」
「ええ。お菓子の材料を買ったり、お店を見て回ったりしたいの。美味しいお菓子屋さんもあるかもしれないわよ」
「……菓子屋」
その言葉に、ルシアちゃんの青い瞳がほんの少しだけ動いた。
どうやら興味を持ってくれたらしい。
「もちろん、用事があるなら無理にとは言わないわ。でも、一緒に行けたら嬉しいなって」
「……いや。俺も行く」
「本当? それなら、今日は一緒にお出かけしましょう!」
私が笑顔で答えると、ルシアちゃんは小さく頷いた。
隣ではセドリックさんが、なぜか目を見開いている。
けれど、すぐに姿勢を正し、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました。では、お二人が安心してお出かけできるよう、手配いたします」
セドリックさんはそう言うと、慌ただしく部屋を出ていった。
少し大げさな気もするけれど、きっと公爵家のお嬢様が街へ出かけるのは珍しいのだろう。
私はルシアちゃんと顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
❀ ❀ ❀
馬車に揺られることしばらく。
窓の外には、賑やかな街並みが広がっていた。
石畳の道には商店が立ち並び、行き交う人々の声が聞こえてくる。パン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂い、露店には色とりどりの果物や花が並んでいた。
私は思わず窓に顔を近づける。
「まあ、素敵な街ね! あのお店、見て。綺麗な布がたくさん並んでいるわ」
「……ああ」
「向こうには果物屋さんもあるのね。今度、お菓子に使う果物を買いに来たいわ」
私が楽しそうに話していると、ルシアちゃんは静かに窓の外を眺めていた。
いつもより少し落ち着かない様子に見える。
「ルシアちゃん、街へはあまり来ないの?」
「……必要がなければ、来ない」
「そうなのね。じゃあ、今日は一緒にいろいろ見て回りましょう。きっと楽しいわよ!」
ルシアちゃんは私を見つめたあと、小さく頷いた。
やがて馬車が停まり、私たちは街の広場近くで降りた。
護衛の騎士さんたちは、少し離れた場所から見守ってくれるらしい。
私はルシアちゃんと並んで歩き始めた。
最初に向かったのは、布や糸を扱う小さな商店だった。
店内には色とりどりの糸が並んでいて、見ているだけで楽しくなってくる。
「ルシアちゃん、見て。こんなに綺麗な糸があるのよ。これなら、ハンカチに小さなお花を刺繍しても可愛いかもしれないわね」
私が糸を手に取って見せると、ルシアちゃんは少し不思議そうに眺めた。
「……自分で縫うのか?」
「ええ。刺繍も好きなの。時間があるときに、少しずつ作るのが楽しくて」
「……器用なんだな」
「ふふっ、ありがとう。でも、失敗することも多いのよ。昔は糸を絡ませてばかりだったんだから」
そんな話をしながら買い物を済ませ、次は食材を扱う店へ向かった。
ルシアちゃんは最初こそ静かについてきていたけれど、私が何かを手に取るたび、少しずつ興味を示すようになった。
時折、自分から質問してくれることもある。
その変化が嬉しくて、私はつい話しすぎてしまった。
❀ ❀ ❀
いくつかのお店を回ったあと、どこからか甘い香りが漂ってきた。
焼きたてのバターと砂糖が混ざった、なんとも幸せな匂いだ。
私は思わず足を止めた。
「あら、いい匂い……。ルシアちゃん、あちらにお菓子屋さんがあるみたいよ」
指さした先には、小さな菓子店があった。
木製の看板には可愛らしい文字が書かれ、店先のショーケースには色とりどりのお菓子が並んでいる。
蜂蜜を使った焼き菓子に、果物をたっぷりのせたタルト。どれも美味しそうで、見ているだけで目移りしてしまう。
「少し寄ってみない? せっかく街まで来たんだもの」
ルシアちゃんは小さく頷いた。
私たちは店先に並び、ショーケースを覗き込む。
すると、ルシアちゃんの視線が、あるお菓子のところで止まっていることに気づいた。
小さな苺のタルトだった。
艶やかな赤い苺がたっぷりのっていて、下には白いクリームが敷かれている。
とても可愛らしい見た目だ。
「ルシアちゃん、あの苺のタルトが気になるの?」
「……別に」
「ふふっ、そう? 私はとっても美味しそうだと思ったのだけれど、一緒に食べてくれない?」
「……それなら」
少しだけ視線を逸らしながら答えるルシアちゃんが可愛らしくて、私は思わず微笑んだ。
私たちは苺のタルトを2つ購入し、店の外にある小さな席へ腰を下ろした。
お店の方が用意してくれたお茶と一緒に、さっそくいただくことにする。
「いただきます!」
フォークでひと口分を切り分け、口へ運ぶ。
甘酸っぱい苺と、なめらかなクリームがよく合っていて、とても美味しい。
隣を見ると、ルシアちゃんも小さくひと口食べていた。
その瞬間、青い瞳がほんの少しだけ輝いた。
「……美味い」
「本当ね! 苺が甘くて、クリームもくどくないわ。これならいくらでも食べられそう」
「……ああ」
ルシアちゃんは静かに頷き、もうひと口食べた。
普段は無表情に近いのに、お菓子を食べているときだけは、少しわかりやすくなる。
その様子を見ているだけで、こちらまで嬉しくなってしまう。
しばらくして、ルシアちゃんがふとショーケースのほうへ目を向けた。
「……今度は、あれも食べてみたい」
小さな声だったけれど、私は聞き逃さなかった。
ルシアちゃんが指さしていたのは、蜂蜜を使った小さな焼き菓子だった。
「まあ! ルシアちゃん、あれが気になるのね?」
「……ああ。少し」
「ふふっ、それなら今度来たときに買いましょう! それとも、お土産にして帰る?」
私が尋ねると、ルシアちゃんは少し考えてから首を振った。
「……今度、一緒に来たときでいい」
その言葉に、胸が温かくなった。
今度も一緒に来たいと思ってくれているのだ。
私は嬉しくなって、何度も頷いた。
「もちろん! 約束ね、ルシアちゃん!」
❀ ❀ ❀
お菓子屋さんを出たあと、私たちは街の広場へ向かった。
ちょうど市場が開かれているらしく、先ほどよりも人通りが増えている。
露店の前には買い物客が集まり、あちらこちらから賑やかな声が聞こえてきた。
私はルシアちゃんとはぐれないよう、少し歩く速度を落とした。
けれど、人の流れが思った以上に速く、気を抜くと離れてしまいそうになる。
「ルシアちゃん、ちょっと待ってね」
私は足を止め、隣にいるルシアちゃんへ顔を向けた。
「人が多いから、はぐれてしまったら大変だわ。よかったら、手をつないでもいいかしら?」
「……手を?」
「ええ。もちろん、嫌だったら無理にとは言わないわ。でも、こうしていたほうが安心でしょう?」
ルシアちゃんは、私の差し出した手をじっと見つめた。
少し迷っているようだったけれど、やがて小さく頷く。
「……構わない」
私はそっと、その手を握った。
ルシアちゃんの手は思っていたよりも温かく、指先には少し硬い部分があった。
華奢な身体つきに似合わず、しっかりとした手をしている。
もしかすると、剣の稽古でもしているのかもしれない。
公爵家のお嬢様なら、護身のために剣術を習っていても不思議ではないだろう。
「ふふっ、これなら安心ね。さあ、行きましょう!」
私が歩き始めると、ルシアちゃんも隣に並んでくれた。
最初は少しぎこちない様子だったけれど、しばらくすると自然に歩幅を合わせてくれるようになる。
そして、人の流れが少し強くなったとき、ルシアちゃんの手がきゅっと私の手を握り返した。
私は思わず隣を見た。
ルシアちゃんは何事もなかったように前を向いているけれど、その耳がほんの少し赤くなっている。
(ふふっ、可愛い。やっぱり人混みは少し苦手なのかしら)
私は安心させるように、もう一度優しく手を握り返した。
それから私たちは、手をつないだまま市場を歩いた。
ルシアちゃんは少しずつ周囲の景色にも興味を示すようになり、気になるお店を見つけると、私の袖を軽く引いて教えてくれるようになった。
そのたびに私は嬉しくなり、一緒に店先を覗き込んだ。
❀ ❀ ❀
楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものだ。
気づけば、ずいぶん長い時間歩いていた。
買い物袋も少し重くなり、足にも疲れが溜まってきている。
けれど、ルシアちゃんが楽しそうにしているので、もう少し付き合いたいと思っていた。
そんな私の様子に気づいたのか、ルシアちゃんがふいに足を止めた。
「……疲れたのか?」
「えっ? そんなことないわよ。まだ大丈夫」
「……歩くのが遅くなっている。無理をするな」
そう言って、ルシアちゃんは近くのベンチを指さした。
「……少し休もう」
「まあ、ありがとう。気づいてくれたのね」
私は素直に頷き、ベンチへ腰を下ろした。
ルシアちゃんも隣に座ると、先ほど買っていた飲み物を差し出してくれる。
「……飲め」
「ありがとう、ルシアちゃん。とっても助かるわ」
受け取ってひと口飲むと、冷たい果実水が喉を潤してくれた。
私は思わず息をつく。
自分ではまだ大丈夫だと思っていたけれど、思っていた以上に疲れていたらしい。
「ルシアちゃんは、本当に優しい子ね。私が気づかないうちに、ちゃんと見ていてくれたんだもの」
「……別に。お前が無理をしているように見えただけだ」
「ふふっ、それでも嬉しいわ。ありがとう」
私が笑顔で伝えると、ルシアちゃんは少し気まずそうに視線を逸らした。
けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいる。
私はその横顔を眺めながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
最初は私が守ってあげなければと思っていたけれど、ルシアちゃんも私のことを気遣ってくれる。
こうして少しずつ、お互いを思いやれる関係になっていけたら嬉しい。
❀ ❀ ❀
夕方になり、私たちは公爵邸へ戻る馬車に乗っていた。
窓の外には夕焼けに染まった街並みが広がり、行き交う人々の姿が少しずつ遠ざかっていく。
私は膝の上に置いた買い物袋を眺めながら、今日の出来事を思い返していた。
綺麗な糸を買って、美味しいタルトを食べて、ルシアちゃんと手をつないで街を歩いた。
どれも楽しくて、あっという間の1日だった。
「ルシアちゃん、今日は楽しかった?」
「……ああ。楽しかった」
「ふふっ、よかった! 私もとっても楽しかったわ。また一緒にお出かけしましょうね」
「……ああ。また、行きたい」
その返事に、私は嬉しくなって微笑んだ。
ルシアちゃんは窓の外を眺めながら、穏やかな表情を浮かべている。
最初に出会ったときの警戒した雰囲気は、もうほとんど感じられない。
私はそんな変化が嬉しくて、しばらくその横顔を眺めていた。
やがて、私が窓の外へ視線を向けたとき、膝の上に置いていた手に、そっと何かが触れた。
驚いて見ると、ルシアちゃんの手だった。
彼女は何も言わず、私の指先にそっと触れている。
私は思わず微笑み、その手を優しく握り返した。
すると、ルシアちゃんは少しだけ頬を赤くしながら、小さく笑ってくれた。
(ふふっ、今日はたくさん甘えてくれるのね)
こんなに可愛い義妹と一緒に過ごせるなんて、私は本当に幸せ者だ。
政略結婚で始まった新生活だけれど、今では毎日が楽しみで仕方がない。
可愛い義妹との初めてのお出かけは、思っていた以上に幸せな1日になったのだった。




