第3話 義妹の髪を結んであげました
アルヴェルト公爵邸での生活にも、少しずつ慣れてきた。
昨日はルシアちゃんとお茶会を開き、手作りのマドレーヌを食べてもらった。最初は無口で表情もあまり変わらなかったけれど、お菓子を食べたときには嬉しそうな顔を見せてくれたし、帰り際には自分から「また作ってくれ」と言ってくれた。
あの言葉を思い出すだけで、今でも頬が緩んでしまう。
(今日はどんなお話をしようかしら。もっとルシアちゃんの好きなものを知りたいわね)
そんなことを考えながら、私は鏡の前で長い栗色の髪を整えていた。
髪を丁寧に梳かし、後ろで緩くまとめる。実家にいた頃から自分で身支度をするのが好きだったので、こうした時間は嫌いではない。
ふと、化粧台の引き出しを開けたとき、小さな箱が目に入った。
中に入っていたのは、淡い水色の細いリボンだ。
以前、街のお店で見つけて気に入り、買っておいたものだった。けれど、私の髪には少し可愛らしすぎる気がして、結局使わずにしまっていたのだ。
手に取って眺めているうちに、ふと思いつく。
(これ、ルシアちゃんに似合うんじゃないかしら?)
銀色の髪に、透き通るような青い瞳。淡い水色のリボンなら、きっと素敵に見えるはずだ。
もちろん、本人が気に入ってくれるかはわからない。あまり飾り気のない服装をしている子だから、こういうものは苦手かもしれない。
それでも、よかったら見せてみようと思い、私はリボンを小さな布袋に入れた。
今日も会えるといいな。
そんな期待を胸に、身支度を終えた私は部屋を出た。
❀ ❀ ❀
午前中の庭園は、柔らかな陽射しに包まれていた。
昨日と同じ石畳の小道を歩きながら、咲き始めた花々を眺める。まだ朝の涼しさが残っていて、散歩をするにはちょうどよい気温だった。
噴水の近くまで来たところで、見覚えのある銀色の髪が目に入った。
木陰のベンチに腰掛けている、小柄な人影。
間違いない。ルシアちゃんだ。
「ルシアちゃん、おはよう! 今日も会えて嬉しいわ」
声をかけると、ルシアちゃんはすぐに顔を上げた。
昨日よりも少し眠たそうに見えるけれど、私に気づくと、その青い瞳がほんの少し柔らかくなる。
「……ああ。おはよう」
「ふふっ、昨日より少し元気そうね。ちゃんと眠れた?」
「……まあな。お前は?」
「私はぐっすり眠れたわ。昨日のお茶会が楽しかったからかしら」
そう答えると、ルシアちゃんは少しだけ視線を逸らした。
相変わらず照れ屋さんなのね。
私は隣に座ってもいいか尋ね、頷いてもらってからベンチに腰を下ろした。
そこで、ふと気づく。
ルシアちゃんの銀色の髪が、今日は少しだけ乱れていた。短く整えられた髪の一部が耳の上で跳ねていて、いつもの綺麗な形から少し外れている。
「あら、ルシアちゃん。髪が少し跳ねているわよ。風が強かったのかしら?」
「……髪?」
ルシアちゃんは自分の頭に手を伸ばし、適当に撫でつけた。
けれど、跳ねている部分には届いていない。
「ふふっ、そこじゃないわ。よかったら、私が直してあげましょうか?」
そう尋ねると、ルシアちゃんは不思議そうに私を見つめた。
「……お前が?」
「ええ。私、髪を結ったり整えたりするのは得意なの。もちろん、嫌だったら無理にとは言わないわ」
少しの沈黙があった。
ルシアちゃんは私の顔をじっと見つめ、何かを考えているようだったけれど、やがて小さく頷いた。
「……構わない」
「本当? ありがとう。じゃあ、少しだけ後ろに回るわね」
私はベンチから立ち上がり、ルシアちゃんの背後へ移動した。
近くで見る銀髪は、思っていた以上に綺麗だった。陽の光を受けると、一本一本が銀色の糸のように輝いている。
そっと指を通してみると、驚くほど柔らかく、さらさらと流れた。
「まあ……! なんて綺麗な髪なのかしら。お人形さんみたいね」
「……そうか?」
「ええ! 銀色の糸みたいに綺麗。羨ましくなっちゃうわ」
私が感心していると、ルシアちゃんは少しだけ肩を強張らせた。
もしかして、髪を触られるのが苦手なのかしら。
そう思い、私は一度手を止めた。
「ごめんなさい。痛くなかった? もし嫌だったら、すぐにやめるわよ」
「……いや。痛くはない」
「そう? でも、少し緊張しているみたいだから」
「……慣れていないだけだ。嫌ではない」
その返事に、私はほっとした。
ルシアちゃんは、きっと普段からあまり人に触れられることがないのだろう。
無理に距離を縮めるつもりはないけれど、こうして少しずつ慣れてもらえたら嬉しい。
私は跳ねていた髪を優しく整え、指先で形を直していった。
短い髪なので、それほど時間はかからない。
けれど、整え終わったところで、ふと思い出した。
「あっ、そうだわ。ルシアちゃん、ちょっと見てもらいたいものがあるの」
私は持ってきた布袋から、淡い水色のリボンを取り出した。
細くて柔らかな布で作られた、小さなリボンだ。
「これね、以前買ったものなんだけれど、ルシアちゃんに似合うんじゃないかと思って。よかったら、つけてみない?」
「……リボン?」
ルシアちゃんは、差し出されたリボンをじっと見つめた。
少し困惑しているようにも見える。
「もちろん、無理にとは言わないわ。あまりこういうものは好きじゃないかしら?」
「……いや。別に、嫌いではない」
「本当? それなら、少しだけ試してみましょう!」
私は嬉しくなり、ルシアちゃんの耳の上にある細い毛束をそっとまとめた。
髪が短いので、大きく結ぶことはできない。けれど、少しだけ毛束を取ってリボンを結べば、可愛らしい飾りになるはずだ。
指先で丁寧に形を整え、最後に小さな蝶結びを作る。
そして、一歩下がって全体を眺めた。
「まあ……!」
思わず声が漏れてしまった。
銀色の髪に淡い水色のリボンがよく映えている。青い瞳とも色が合っていて、まるで最初からそこにあるべき飾りだったかのように自然だ。
ただでさえ可愛らしいルシアちゃんが、さらに可愛くなってしまった。
「ルシアちゃん、とっても可愛いわ! こんなに似合うなんて思わなかった!」
私が興奮気味に伝えると、ルシアちゃんは少しだけ眉を寄せた。
「……そうか?」
「ええ! ほら、見てみて。こんなに素敵なのよ!」
私は持ってきた小さな手鏡を渡した。
ルシアちゃんは鏡を受け取り、自分の姿をじっと見つめる。
そして、しばらく動かなくなってしまった。
「……これは、少し……」
小さな声が聞こえた。
もしかして、やっぱり嫌だったのかしら。
私は慌てて声をかける。
「ごめんなさい、ルシアちゃん。嫌だったらすぐに外すわ。私が勝手に可愛いと思っただけだから、無理しなくていいのよ」
「……いや。嫌ではない」
「本当?」
「……ああ。ただ、こういうものは初めてだ」
そう言いながら、ルシアちゃんは鏡の中の自分をもう一度見つめた。
耳の上についた小さなリボンに、そっと指を伸ばす。
その仕草があまりにも愛らしくて、私は思わず微笑んでしまった。
「よかったら、そのリボン、もらってくれる? 私には少し可愛らしすぎる気がして使っていなかったのだけれど、ルシアちゃんにはぴったりだと思うの」
「……俺に、くれるのか?」
「ええ。もちろん! ルシアちゃんに似合うと思って持ってきたんだもの」
ルシアちゃんは、少し驚いたように私を見つめた。
それから、もう一度リボンに触れ、小さく頷く。
「……ありがとう。大事にする」
その言葉が、とても嬉しかった。
高価なものではないし、特別な品物でもない。それでも、こうして喜んでもらえるなら、持ってきてよかったと思う。
私は隣に座り直し、改めてルシアちゃんの横顔を眺めた。
銀色の髪が風に揺れるたび、水色のリボンも小さく揺れている。
「ふふっ、やっぱり似合っているわ。ルシアちゃんは本当に綺麗な髪をしているのね」
そう言うと、ルシアちゃんは少しだけ私のほうを向いた。
そして、ぽつりと呟く。
「……お前の髪も、綺麗だと思う」
「えっ?」
思いがけない言葉に、私は目を瞬かせた。
ルシアちゃんは私の栗色の髪を見つめたまま、少し気まずそうに続ける。
「……陽に当たると、綺麗な色になる」
「まあ……! ありがとう、ルシアちゃん。そんなふうに言ってもらえるなんて、とっても嬉しいわ!」
私が笑顔で答えると、ルシアちゃんは慌てたように視線を逸らした。
けれど、その耳がほんの少し赤くなっているように見える。
ああ、なんて可愛い子なのだろう。
こんなに素直で優しい妹ができたなんて、私は本当に幸せ者だ。
❀ ❀ ❀
それからしばらく庭園を散歩したあと、ルシアちゃんとは噴水の近くで別れた。
今日は少し用事があるらしく、庭園の奥へ向かうのだという。
私は手を振って見送り、屋敷へ戻ろうとした。
けれど、その途中で、庭園の奥から大きな声が聞こえてきた。
「全員、整列!」
何事かしら。
気になって声のするほうへ歩いていくと、庭園の奥に広い訓練場があることに気づいた。
そこでは、鎧を身につけた騎士たちが何十人も並んでいる。
どうやら、これから訓練が始まるらしい。
私は邪魔にならないよう、少し離れた場所から様子を眺めることにした。
すると、騎士たちの前に見覚えのある小柄な人影が現れた。
(あら? あれは……ルシアちゃん?)
間違いない。
銀色の髪に、淡い水色のリボン。
先ほど別れたばかりのルシアちゃんが、騎士たちの前に立っていた。
どうしてこんなところにいるのかしら。
不思議に思っていると、騎士たちの間にざわめきが広がった。
「なっ……!?」
「お、おい、あれは……!」
騎士たちは一斉に目を見開き、何かを言いかけている。
けれど、ルシアちゃんが静かに視線を向けると、全員がぴたりと口を閉じた。
その様子を見て、私は少し驚いた。
ルシアちゃんは、騎士たちにも慕われているのかもしれない。
きっと、普段から訓練を見学したり、声をかけたりしているのだろう。
それにしても、みんなずいぶん緊張しているように見える。
もしかすると、公爵家のお嬢様が突然現れたので、失礼がないようにしているのかもしれない。
そんなことを考えていると、ルシアちゃんがこちらに気づいた。
青い瞳が、まっすぐ私を捉える。
「あっ、ルシアちゃーん!」
思わず手を振ると、騎士たちが一斉にこちらを振り返った。
あら、いけない。
訓練中だったのに、大きな声を出してしまった。
私は慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい! お邪魔するつもりはなかったのだけれど、ルシアちゃんが見えたものだから!」
騎士たちは、なぜか誰も返事をしなかった。
ただ、信じられないものを見るような顔で、私とルシアちゃんを交互に見つめている。
どうしたのかしら。
少し不安になっていると、ルシアちゃんがこちらへ歩いてきた。
「……どうした?」
「ごめんなさい、ルシアちゃん。お忙しいところだったかしら?」
「……いや。別に構わない」
ルシアちゃんはいつも通りの落ち着いた声で答えた。
私はほっとして、彼女の髪に目を向ける。
そこには、先ほど結んであげた水色のリボンが、ちゃんとついていた。
「まあ! リボン、まだつけてくれているのね。嬉しいわ!」
私がそう言うと、ルシアちゃんは一瞬だけ固まった。
それから、少し恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……もらったものだからな」
「ふふっ、ありがとう。とっても似合っているわよ!」
そう伝えると、ルシアちゃんは小さく頷いた。
その口元には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいる。
後ろに並んでいる騎士たちは、なぜかさらに驚いた顔をしていたけれど、私はそれどころではなかった。
だって、ルシアちゃんがまた笑ってくれたのだから。
「それじゃあ、私はそろそろ戻るわね。お邪魔してごめんなさい。またあとで会いましょう!」
「……ああ。またな」
ルシアちゃんは、私が手を振ると小さく手を上げてくれた。
その姿が可愛らしくて、私は思わず頬を緩めながら屋敷へ戻った。
最初に出会ったときは、あんなに無口で警戒していたのに。
今では私の作ったお菓子を喜んで食べてくれるし、髪を触らせてくれるし、リボンまで大切にしてくれている。
少しずつ距離が縮まっているのがわかって、とても嬉しい。
(ふふっ、これからもっと仲良くなれたらいいわね)
そんなことを考えながら、私は今日も幸せな気持ちで廊下を歩いていた。
どうやら私の義妹は、可愛いだけではなく、少しずつ甘え上手にもなってきたようです。




