第2話 義妹が可愛すぎて困ります
アルヴェルト公爵邸で迎える、初めての朝。
見知らぬ場所ではなかなか眠れないかもしれないと思っていたけれど、昨夜は驚くほどぐっすり眠ることができた。きっと、昨日の嬉しい出来事のおかげだろう。
何しろ私には、とびきり可愛い義妹ができたのだから。
名前はルシアちゃん。銀色の髪と青い瞳を持つ、まるでお人形のように愛らしい女の子だ。
少し無口で人見知りだけれど、昨日は一緒に庭を散歩してくれたし、最後にはほんの少し笑ってくれた。あの控えめな笑顔を思い出すだけで、自然と頬が緩んでしまう。
(今日はもっと仲良くなれたら嬉しいわね)
そう思いながら身支度を整え、私は朝食を済ませると、さっそくセドリックさんを訪ねた。
「おはようございます、セドリックさん。昨日お願いした厨房の件なのですが、今からお借りしてもよろしいでしょうか?」
「おはようございます、奥様。もちろんでございます。料理長にも話を通してありますので、ご自由にお使いください」
「ありがとうございます! ルシアちゃんに美味しいお菓子を食べてもらいたいので、頑張りますね」
そう言うと、セドリックさんの表情が一瞬だけ固まった。
昨日も同じような反応をしていたけれど、どうしたのかしら。もしかすると、ルシアちゃんは普段からあまり人と関わらない子なのかもしれない。
「……奥様。差し支えなければ、お菓子はどのようなものを?」
「蜂蜜を使ったマドレーヌにしようと思っています。小さめに焼けば食べやすいですし、紅茶にもよく合うんですよ」
「なるほど……。それは、きっとお喜びになるかと存じます」
「ふふっ、そうだと嬉しいです!」
セドリックさんに案内されて厨房へ向かうと、料理長をはじめ、数人の料理人が出迎えてくれた。
公爵家の厨房は実家のものよりずっと広く、調理器具も見たことがないほど充実している。これなら、いろいろなお菓子に挑戦できそうだ。
「奥様、本当にご自身でお作りになるのですか? ご希望のものがございましたら、我々がご用意いたしますが……」
料理長が少し戸惑った様子で尋ねてきた。
「ありがとうございます。でも、今日は自分で作ってあげたいんです。誰かのためにお菓子を作るのが好きなので、よかったら少しだけ場所を貸してください」
「そこまでおっしゃるのでしたら、喜んでお手伝いいたします」
私はお礼を伝え、さっそく材料を揃えてもらった。
卵と小麦粉、バターに蜂蜜。材料はどれも新鮮で、見ているだけで美味しいお菓子ができそうな気がしてくる。
まずは卵を丁寧に混ぜ、蜂蜜を加えてから粉を合わせる。溶かしたバターを少しずつ混ぜ込めば、甘い香りのする生地が出来上がった。
あとは型に流し込み、焼き上がるのを待つだけだ。
「ところで、料理長さん。ルシアちゃんは、普段どんなお菓子を召し上がるのかしら?」
何気なく尋ねると、料理長の手が止まった。
「ル、ルシア様……でございますか?」
「ええ。昨日お庭でお会いしたの。甘いものは嫌いじゃないって言っていたけれど、特に好きなものがあれば、今度作ってあげたいなと思って」
「……甘いものは、お好きかと存じます。ですが、ご自身から何かをお望みになることは、あまりございませんので」
「まあ、そうなのね。それなら、少しずつ好みを聞いてみようかしら」
ルシアちゃんは遠慮深い子なのかもしれない。
だったら、無理に聞き出すのではなく、一緒にいろいろなお菓子を食べながら、好きなものを見つけていけばいいだろう。
そんなことを考えているうちに、焼き上がりを知らせる香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。
型から取り出したマドレーヌは、ふっくらと綺麗な黄金色に焼けている。
「うん、美味しい!」
ひとつ味見をすると、蜂蜜の優しい甘さが口いっぱいに広がった。
これならきっと、ルシアちゃんにも喜んでもらえるはずだ。
私はお茶会の分を取り分けると、残ったお菓子を料理人たちにも勧めた。
「よかったら、皆さんも召し上がってください。たくさん作ってしまったので」
「よ、よろしいのですか? 奥様がお作りになったものを……」
「もちろんです! 美味しく食べてもらえたら、それが一番嬉しいですから」
最初は恐縮していた料理人たちも、一口食べると笑顔になってくれた。
その様子を見て、私も嬉しくなる。
やっぱり、お菓子作りは楽しい。
❀ ❀ ❀
午後になり、私は庭園の東屋でルシアちゃんを待っていた。
テーブルには焼きたてのマドレーヌと、香りのよい紅茶を用意してある。昨日は約束してくれたけれど、本当に来てくれるだろうかと、少しだけ心配だった。
けれど、その心配はすぐになくなった。
約束の時間より少し早く、庭の小道から銀色の髪が見えたのだ。
「ルシアちゃん! 来てくれたのね。嬉しいわ!」
思わず立ち上がって手を振ると、ルシアちゃんは少し驚いたように足を止めた。
今日は白いシャツに淡い青色の上着を着ていて、昨日よりも柔らかい印象を受ける。銀色の髪が風に揺れるたび、青い瞳がちらりと覗いて、とても綺麗だった。
「……約束したからな」
「ふふっ、そうね。でも、楽しみにしてくれていたら、もっと嬉しいかも」
「……少しは」
その返事に、思わず笑みがこぼれた。
ルシアちゃんは気まずそうに視線を逸らしてしまったけれど、頬がほんの少し赤くなっているように見える。
「私もとっても楽しみにしていたのよ。さあ、座って。今日は手作りのお菓子を用意したの!」
椅子を勧めると、ルシアちゃんは静かに腰を下ろした。
私はお皿に並べたマドレーヌを彼女の前へ差し出す。
「蜂蜜入りのマドレーヌよ。甘さは控えめにしてあるから、きっと食べやすいと思うわ」
「……これを、お前が?」
「ええ。今朝、厨房をお借りして作ったの。よかったら食べてみて」
ルシアちゃんはしばらくお菓子を見つめていた。
それから、小さなマドレーヌをひとつ手に取り、控えめに口へ運ぶ。
次の瞬間、青い瞳がわずかに大きくなった。
「……美味い」
ぽつりとこぼれた言葉に、私は思わず身を乗り出した。
「本当? よかった! 甘さは大丈夫だったかしら?」
「……ああ。ちょうどいい。蜂蜜の香りがする」
「ふふっ、そこに気づいてくれたのね! 焼くと香りが飛びやすいから、少し工夫したのよ」
ルシアちゃんはもう一口食べると、今度はゆっくり味わうように噛みしめた。
普段はあまり表情が変わらないのに、今は明らかに嬉しそうだ。目元がほんの少し柔らかくなっていて、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。
「よかったら、もうひとつどうぞ。たくさん焼いてきたのよ」
「……いいのか?」
「もちろん! ルシアちゃんのために作ったんだもの」
その言葉を聞いた途端、ルシアちゃんの手が止まった。
「……俺の、ために?」
「ええ。昨日、甘いものが好きだって教えてくれたでしょう? だから、喜んでもらえたらいいなと思って」
ルシアちゃんは何も言わず、私をじっと見つめた。
そんなに驚くようなことを言ったかしら。
少し不思議に思っていると、彼女は静かに視線を落とし、もうひとつマドレーヌを手に取った。
「……そうか。ありがとう」
「どういたしまして!」
それからルシアちゃんは、2つ目、3つ目とお菓子を食べてくれた。
小さな口で一生懸命食べる姿があまりにも可愛らしくて、つい眺めてしまう。
すると、口元に小さな焼き菓子の欠片がついていることに気づいた。
「あら、ルシアちゃん。お口のところに少しついているわよ」
「……どこだ?」
ルシアちゃんはハンカチを取り出し、自分の口元を拭った。
けれど、惜しいことに少し場所が違う。
「ふふっ、もう少し右よ。そう、そこ!」
私が自分の頬を指さして教えると、ルシアちゃんはようやく欠片を拭き取った。
少し恥ずかしかったのか、彼女は何事もなかったように紅茶へ口をつける。
そんな仕草まで愛らしくて、私は笑いをこらえるのに苦労してしまった。
(どうしましょう。昨日よりも、ずっと可愛く見えるわ……!)
こんなに可愛い義妹ができるなんて、政略結婚を決めたときには想像もしていなかった。
これから毎日顔を合わせられると思うと、それだけで楽しみが増えた気がする。
❀ ❀ ❀
お菓子を食べ終えた頃、ルシアちゃんがふいに口を開いた。
「……ひとつ、聞いてもいいか?」
「もちろんよ。何でも聞いてちょうだい」
「……お前は、どうしてここへ来た?」
少し意外な質問だった。
けれど、何を聞きたいのかはすぐにわかった。私がリュシアン様と結婚した理由を知りたいのだろう。
私は紅茶のカップを置き、ゆっくりと答えることにした。
「私の実家はね、少し前から領地の経営が上手くいっていなかったの。だから、アルヴェルト公爵家から縁談をいただいたとき、私が結婚することで家族の力になれたらと思ったのよ」
「……家のため、か」
「ええ。でも、それだけじゃないわ。結婚するなら、ちゃんと幸せな家庭を作りたいと思っているの」
ルシアちゃんは黙って私の話を聞いていた。
私は少し照れくさくなりながらも、胸の内を言葉にする。
「もちろん、最初は不安だったわ。リュシアン様とは一度もお会いしたことがないし、どんな方なのかもわからないもの。でも、せっかく夫婦になったのだから、少しずつお互いを知っていけたらいいなって」
「……怖くはないのか?」
「怖い? リュシアン様が?」
ルシアちゃんは小さく頷いた。
「……王国最強の魔法剣士だ。噂くらい、聞いているだろう」
「ええ。とてもお強い方だと伺っているわ。でも、それだけで怖いとは思わないわよ。お仕事で魔物と戦っているのなら、きっと大変なことも多いでしょうし」
私は少し考えてから、笑顔で続けた。
「それに、強い方だからって、いつも強くいなければならないわけじゃないでしょう? 疲れて帰ってきたときくらい、安心して休めるお家にしてあげたいわ」
ルシアちゃんは、驚いたように私を見つめた。
青い瞳が揺れた気がしたけれど、すぐに伏せられてしまう。
「……変わっているな、お前は」
「あら、そうかしら? でも、家族なら当たり前のことだと思うの」
そう答えると、ルシアちゃんはしばらく黙り込んだ。
何か考えているようだったけれど、私は無理に聞こうとはしなかった。
やがて、彼女が小さく呟く。
「……ここへ来て、後悔はしていないのか?」
「もちろん、不安が全部なくなったわけではないわ。でも、今は楽しみなこともあるのよ」
「……何が?」
「ルシアちゃんと仲良くなること!」
私がそう答えると、ルシアちゃんは目を丸くした。
どうやら、まったく予想していなかったらしい。
「ふふっ、本当よ。昨日あなたと出会えて、とっても嬉しかったんだから。それに、リュシアン様ともいつかちゃんとお話しできたら嬉しいわ。夫婦になったのだから、お互いの好きなものくらいは知っておきたいもの」
「……そうか」
ルシアちゃんはそれだけ答えると、紅茶のカップに視線を落とした。
けれど、その表情はどこか穏やかで、最初に出会ったときの警戒した雰囲気はすっかり薄れている。
少しずつだけれど、私に心を開いてくれているのかもしれない。
❀ ❀ ❀
楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものだ。
気づけばお茶もすっかり冷め、庭園には夕方の柔らかな光が差し始めていた。
「今日は付き合ってくれてありがとう、ルシアちゃん。お菓子もたくさん食べてくれて、とっても嬉しかったわ」
「……美味かった。また食べたい」
その言葉に、思わず胸が弾んだ。
「本当? それなら、また作ってあげるわ! 今度は何がいいかしら。クッキーもいいし、果物を使ったタルトなんかも美味しいのよ」
「……お前が作るなら、何でもいい」
なんて嬉しいことを言ってくれるのだろう。
私は思わず頬を緩めてしまった。
ルシアちゃんは少し恥ずかしそうに視線を逸らしたあと、ぽつりと尋ねてきた。
「……明日も、ここにいるのか?」
「ええ、もちろんよ。私、これからずっとこのお屋敷で暮らすんだもの。いつでも会えるわよ」
そう答えると、ルシアちゃんはほっとしたように息を吐いた。
ほんの小さな仕草だったけれど、なぜか私まで温かい気持ちになる。
「……そうか。それなら、また明日」
「ええ! 明日も一緒にお茶をしましょうね!」
立ち上がったルシアちゃんは、少しだけ迷うように私を見つめた。
それから、小さな声で言う。
「……また、作ってくれ」
「もちろん! ルシアちゃんが喜んでくれるなら、いくらでも作るわ!」
私が笑顔で答えると、ルシアちゃんは今度こそ、はっきりと微笑んでくれた。
昨日よりもずっと自然で、柔らかな笑顔だった。
その表情を見た瞬間、私は胸の奥がきゅっと温かくなるのを感じた。
こんなに可愛い子が、私の義妹になってくれたなんて。
政略結婚で始まった新生活だけれど、今の私は思っていた以上に幸せなのかもしれない。
(どうしましょう。私の義妹は、昨日よりもずっと可愛くなっている気がします……!)




